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自宅の書斎で、僕は天井を見ながらぼーっとしていた。ひとまずイルシアへの食糧搬入は終えた。これで1週間は計算上もつはずだ。
ただ、逆に言えばタイムリミットが1週間とも言える。それまでに僕は浅尾副総理を引っ張り出し、あの地域一体を「災害避難区域」に準じた区域として指定させねばならない。
僕はさっき町田からかかってきた電話の内容を反芻していた。正直、いいニュースよりは悪いニュースの方が多かった気がする。
異世界から高松なる話の分かる仲介者がやってきたのはいい。町田は判断を保留にしたそうだが、間違いなくこちらに取り込むべき人物だろう。
問題は、彼が新たに伝えた情報だ。魔力欠乏症が「死病」なる致命的な伝染病を生み出すという話を聞いた時は、正直卒倒しそうになった。イルシアがこの世界を滅ぼしかねない災厄の根源になりかねないということだからだ。
もちろん、そんなことだけは避けねばならない。もし一人でも「死病」を発症しようものなら、今までやってきたことが全て水の泡だ。
そして、それ以上に厳しいのはペルジュードの暴発懸念だ。既に1人、その「死病」によってペルジュードの人間が死んでいるらしい。そして、なりふり構わずイルシアに向かうことを強硬するのなら……こちらに大勢の死人が出る懸念がある。
もし連中が動き出したなら、それを止める手段は、ほとんどないと言ってよかった。町田の口ぶりだと、リーダーのべルディアなる男はノアすら恐れるような人物であるらしい。こちらに新たに来た高松という男も抑えきれないという話だ。
「……全ては、明日の解析次第か」
「エリクシア」なる薬の成分分析は、大河内議員の助力もあって理化学研究所にやってもらえることになった。あそこの本部が埼玉の和光にあり、比較的近いのも決め手だった。
この結果で「エリクシア」の代替薬がすぐに見つかるようなら、光は見えてくる。ペルジュードに対する交渉材料にもなるだろうという町田の意見にも同意できた。というより、それしか現在明るい材料がないと言っていい。
だが、そんなに都合のいい結果が出るとも思えない。だから、「プランB」を僕は考えねばならない。魔力欠乏症を防ぐ、別の手段を探らねばならない。
僕は首を振って山崎のロックを口にした。実の所、ある程度の答えは見えている。
……彼らに「生贄」を差し出すことだ。
イルシア人は、魔力を食物だけでは補給できない。厳密にはある程度補給できるが、それは生命活動の維持には足りない。これまで見てきた感じでそれは見当がついた。
今の所、「エリクシア」でそれを何とか補っている格好だ。だが、「エリクシア」が十分にあったとしても足りる保証はない。
確実な方法は、誰かが彼らに魔力を分け与えることだ。命と引き換えに、だが。
人から人への魔力供給のやり方は、ざっと話を聞いた限り粘膜接触なり血を飲ませるなりする方法があるようだった。ただ、吸われた側は恐ろしく消耗する。膨大な魔力を持つ市川すら、補給したらそのままダウンしてしまうほどだ。
ゴイルが言っていたように、普通の人間なら吸い尽くされて殺されるのだろう。そして、市川のような人間は……恐らくそうゴロゴロとは存在しない。
そして、魔力を与えるのは誰でもいいというわけではないらしい。「相性」というものがあるようだった。だからこそ、あのアムルという女は僕を狙っているのだ。
「……死ななくてもいいなら、喜んでやるんだがな」
カランと空になったグラスに氷が当たる。山崎のボトルから少しだけ琥珀色の液体を注ぎ、氷と絡ませた。
昼間、アムルが不満そうな表情になった理由はうっすらと分かった。多分、本質的に魔力を満たすには「エリクシア」では足りないのだ。少なくとも、彼女にとっては。
死ぬなら勝手に死ねばいいと、町田の連絡が来るまでは思っていた。だが、それが伝染病の発症という致命的事態を引き起こすならそうも言っていられない。……上手い手を考えなければ。
コンコンとノックの音が響き、「失礼します」という郷原の声が聞こえた。
「どうした」
「田園調布の件、当たりが付きました。ほぼ、間違いないかと」
「本当か!!?」
思わず大声になった。郷原が苦笑する。
「お父上の代の時に、同行していたのを思い出したのです。秘書たる私めでは、その家の近くまでしか車を進められませんでしたが。
ハイヤーを駐車した近辺にある家はごく限られておりましてな。最も可能性が高い家は、おそらくここです」
郷原がタブレットを私に見せた。
「この、奥まったところにある家か」
「左様でございます」
僕は腕を組んだ。さあどうする。
「田園調布の魔女」は相当長く生きているらしい。つまり、魔力欠乏症にも、そこから派生する「死病」にも罹らず長生きしているということだ。現状の苦境を脱するためのヒントがそこにあるのは間違いない。
だが、アポなしで行ったところでどうにかなるだろうか。親父含めて国のトップかトップ候補しか会えないという人物だ。門前払いを食らうのがオチだろう。
では大河内議員に連絡をすべきか?あの人はマトモな人だし恩義も少なからずあるが、貸しを作ることで将来的に取り込まれてしまうかもしれない。そもそも、取次を断られたらそこまでだ。
となると……やはりこのぐらいしかないか。
僕は立ち上がり、階段を降りた。居間には、談笑する郷原夫人と……アムルがいる。彼女は夫人が若い頃に来ていた白のワンピースを着ているが、身体のラインがはっきり見えるタイプでどうにも目の毒だ。
『あらワタヌキ様。決心はつきまして?』
妖艶に微笑むアムルを見て、僕は溜め息をついた。彼女は僕がここに来た理由を勘違いしているようだ。
食糧搬送が終わった後、僕は彼女を一度家に連れていくことにしたのだった。表向きの理由は「この世界に慣れてもらうため」。そして本当の理由は……「田園調布の魔女」宅に同行してもらうためだ。
彼女はイルシアの中でも特に強い魔力を持っている、らしい。仮に門前払いを食らいそうになっても、強行突破することはできるはずだ。「田園調布の魔女」が話の通じる人物かにもよるが、事態は日本の命運を左右しかねないレベルで切迫している。正直、手段を選べる余裕はないのだ。
とはいえ、僕が彼女に与えた条件も相当にリスキーだ。「僕から彼女に魔力供給する」ということがどういう意味を持つのか、分からない僕ではない。恐らく、それは死を意味するはずだ。
だから、「田園調布の魔女」からそれを回避する情報を得る必要がある。「エリクシア」を使わず、粘膜接触による魔力供給も避けながら、アムルの魔力欠乏症発症を防ぐ方法——「魔女」が長生きしている理由がその答えである可能性は、十二分にある。
「君をベッドに誘いに来たわけじゃない。今から少し出かけようと思う。一緒についてきてくれ」
『あらまあ。もっと愛を語るに相応しい場所があるのですね?』
「冗談はよしてくれ。君にも『田園調布の魔女』のことは伝えたはずだ。彼女の元に向かう」
アムルが頬を膨らませた。
『先にそっちですの?私、『お腹』が空いてたまりませんのに』
「夕食なら十分食べたはずだ。栄養ドリンクも飲ませた。魔力欠乏症になる状況じゃないと思うが」
『無粋なお方。終わったら、必ず貴方の『精気』……魔力をくださいな』
うふふ、とアムルが笑う。「人を喰う」のでなければ、本当にストライクゾーンど真ん中の女なんだが。
「それで僕が死んだらどうするんだ」
『その時はその時ですわ。それに、貴方は死なない気がしますの』
「根拠は?」
『ありませんわ。ただ、魔女の予感は外れませんのよ』
僕はもう一度大きな溜め息をついた。どうにも人を食った女だ。
「……分かった。郷原、車を出してくれ。なるはやで向かおう」
「かしこまりました」
僕らは郷原の運転するレクサスの後部座席に乗り込んだ。




