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池袋までの車内は、重苦しい空気に包まれていた。正直、現状を打開する特効薬は見つかっていない。必然的に、俺もノアも無口になっていた。
問題は山積している。食糧の問題、魔力供給の問題、そしてペルジュードと新たな来訪者への対応だ。全て、解決できる見込みは立っていない。
優先順位はどれも等しく超重要だ。どれから先に手を付けるべきかすら分からない。とりあえず俺たちはペルジュードへの対策から動いているが、かといって残り2つをなおざりにするわけにもいかない。身体が3つあればどれだけ楽なことかと思ったが、現実は残酷だ。
ハンドルを握りながら、俺は深呼吸する。そしてもう一度論点を整理することにした。こういうのは、焦っていては何も始まらない。それは死んだ親父が口を酸っぱくして言っていたことでもある。
まず食糧だ。安定供給のためには政府がイルシア周辺を「特別避難区域」に準ずる地域として指定せねばならない。ただ、そのためには政府高官のイルシア来訪、そしてその上で大府集落周辺で「強力な感染力を持つ致死性伝染病が発生した」という認識改変を彼らにかけることが必要だ。ここに大きなハードルがある。
イルシア来訪自体は、そこまで問題ではなさそうだった。浅尾副総理が信頼を置く大河内議員が動いていると聞いている。綿貫は「1週間以内には準備が整いそうだ」と言っていた。
問題は認識改変の方だ。認識改変には「御柱」ジュリ・オ・イルシアの力が要る。ただ、彼女は魔法を使うたびに相当に消耗してしまうという。特に認識改変は「異世界というあり得ないものを信じ込ませる」という都合上、思っていたより遥かに疲弊してしまうようだった。
ここに第2の問題が絡んでくる。ジュリを含めたイルシアの人々が魔法をコンスタントに使えるようにするには、魔力供給の手段が要る。だが、その手段である霊薬「エリクシア」は枯渇寸前だ。「エリクシア」を成分分析にかけても、結果が出るのは大分先だ。量産はさらに先だろう。
そうなると、当初考えていた「ジュリが用いる認識改変による説得」というシナリオはかなり怪しくなった。魔力供給を担う市川がどこまで頑張ってくれるかだが、正直そこには自信がない。あるいはこのシナリオを放棄して、別の方策を考えなくてはいけなくなるかもしれなかった。
そして、第3の問題……ペルジュード問題だ。彼らが暴発しかかっているのは間違いない。流石に2件目の殺人というのは洒落になっていない。奴らが一般人に被害を出してしまっては、どんなにイルシア側が頑張ったとしても何の意味もなくなる。
「異世界=外敵」と思われた瞬間に全てが無に帰してしまう。だからこそ、俺はこの問題を優先して動いているのだ。
とはいえ、これについても全くメドが立っていない。相手はノアでは全く太刀打ちできないほどだという。絶望したくなる気持ちを、俺は何とか堪えた。とにかく、今はやれることを精一杯やるしかない。
助手席のノアは、やはり疲れているのか深い眠りについている。綿貫はなぜノアだけが消耗しないのかと不思議がっていたが、多分程度の問題なのだろう。彼女も彼女で、相当疲れているのだ。
俺は無言でアクセルを踏んだ。池袋まで急ぐに越したことはない。
*
「失礼します」
ドアを開けると、そこには岩倉警視正がいた。「どうぞこちらへ」と向かいのソファーへと促される。ここは応接室らしいが、随分と殺風景な部屋だ。華美な装飾など、警察には必要ないということなのだろうか。
「あれから状況は」
「一つ、悪いニュースかもしれません。先ほど、首都高速で死亡事故がありました。死者は2名、木村会若頭の高島とその部下の小松という男です」
「交通事故ですか」
「……いえ。死因は射殺です。事故の状況からして、高島が小松を射殺した後に自分も自殺した形のようです」
「木村会……昼の電話でも、そんな名前が」
重々しく岩倉警視正は首を縦に振る。
「状況があまりに不自然に過ぎる。ペルジュードとかいう連中の手によるものだと考えるのは、穿ち過ぎでしょうか」
ノアが『いえ、多分合ってる』と口を開いた。
『エオラ・フェルティアならできるわ。彼女は『誘惑』という魔法の使い手なの。体液を通じて接触を持った人物を操作できるというものよ。自殺に見せかけて殺すなんて、あいつにとっては造作もないわ』
「……本当ですか」
『その可能性が相当高いと思う。となると、これはいよいよ本格的にまずいわね』
ノアの言う通りだ。多分、ペルジュードの連中は木村会に匿ってもらっていたはずだ。だが、それに牙を剥いたとなると……
「事態は一刻を争うな」
『ええ。ただ、あたしたちじゃ彼らをどうにもできない。あたしが直接説得しようにも、飲んでくれる相手でもない』
「犠牲者が出るのを覚悟で、力づくしかないのか」
岩倉警視正は目をつぶりながら「最悪、それしかないでしょうね」と呟く。
「居場所を特定でき次第、SWATに動員をかけて突入させる手はあります。スタングレネードの使用を前提とすれば、『普通に考えれば』犠牲者なしに制圧できるでしょう。
ただ、何分『魔法』とやらが分からない。『人を消す魔法』やら『操り人形とする魔法』やらが存在するなら、ほぼ向こうは何でもありという想定を立てなくてはいけなくなる」
『あたしもべルディアとエオラ以外の4人の手の内は知らないの。だから、強硬策は本当に最後の手段だと思う。
ただ、それ以外の方法が思いつかない。トモ、何か考えはある?』
俺もそれは考えた。だが、いい考えは全く思いつかなかった。代わりに出たのは、溜め息だけだ。
「……正直、厳しいな。俺たちの代わりに交渉してくれるような人間がいれば話は別だが。
べルディアは転生者らしいが、そいつの『前世』関係者ならあるいは……」
『でもそんなの探りようがないわ。手掛かりがなさすぎる』
天井を見上げて考える。そもそも、べルディアの「前世」は木村会と関係のある人間だったはずだ。だからこそ彼らはペルジュードを匿った。だが、すぐに木村会幹部も不要と消しにかかっている。それも、普通に考えたら絶対に犯人が分からない方法で。
つまり、「表立って木村会と敵対したくはないが、しかし邪魔になった」というのが本当の所なのだろう。それがどういう意味を持つのか。
「……べルディアを木村会に紹介した人間がいるのかもしれないな。そいつさえ分かれば」
岩倉警視正が「その線は洗ってみましょう」と俺に視線を向けた。
「池袋署に、木村会とつながりがありそうな人物を片っ端からリストアップしてもらいます。無論、限界はありますし時間もかかりますが」
「やはり、すぐにはというわけにはいかなそうですね」
「ええ。事態が緊迫しているのは分かってます。ただ、地道にやるしかないのです」
岩倉警視正に苛立ちの色が微かに見えた。彼も彼で焦っているのだ。
厳しいのは、俺たちだけではない。国民の命を預かる立場である彼へのプレッシャーを思い、俺は「すみません」と深く頭を下げた。
*
池袋署を出て、俺たちは晩飯を食うことにした。ノアの空腹は限界に来ている。
幸い、身体を壊す前は江古田に住んでいたから池袋についてはある程度詳しい。こっちに出てくるのは2年ぶりだが、さてどこにしたものか。
ノアはというと、呆然とした様子で辺りを見ている。
『凄い人ね……改めて、こんなにニホンってたくさん人がいるのね』
「まあ、ここは日本でもトップクラスに人が乗り降りする駅だからな。夕方の時間帯だからなおさらだ。イルシアとかには、こんな人が集まる場所はないのか?」
『ないわ。イルシアの市場はそれなりに賑わってたけど、こんなに人はいないもの。モリファス首都のフリーベルも、魔道都市オルランドゥも同じ。ニホンの人口って1億人以上って本当なの?』
「ああ。これでも段々と減っていってるけどな。それでも世界で見たらかなり人が多い国家だと思う」
『信じがたいわね……でも、こんなに人がいる中でペルジュードの連中を見つけられるのかしら』
「……そうだな。近くに来れば分かるとか、そういうのはないのか?」
意外にもノアは『分からないこともないわ』と返した。
『近くに来れば、べルディアぐらいの魔力の持ち主ならすぐに分かると思う。ただ、その時はもう手遅れになってると思うけど』
「そうなのか。じゃあ、闇雲に歩き回って探すのは得策じゃないわけか」
『ええ。だからこの国の官憲に任せ……えっ!!?』
急にノアが振り向いた。只事ではない様子で声をあげる。
「どうした!?」
『相当強い魔力の持ち主が、近くにいる!?』
「は??ペルジュードの人間とか、そういうんじゃないよな??」
『分からないっ!!べルディアやエオラじゃないとは思うけど、只者じゃない!!』
ノアが走り出した。帰宅途中のサラリーマンや学生を押しのけ、俺も後に続く。
彼女は息を切らしてある男の前で立ち止まった。
『あなた……何者なのっ……!!?』
男は少し驚いた表情で俺たちを見た。身長180cmは超えているだろうか。肌は赤銅色をしていて、顔立ちからして日本人ではない。ラテン系とも少し違う。
一般人でも市川のように魔力が豊富な人間もいるらしい。そういった輩なのかと一瞬思ったが、その推測はすぐにかき消された。
『それはこっちの台詞だぜ……』
「念話」を使っている。つまり、こいつも魔法が使えるということだ。だとしたら、この男はペルジュードの一員なのか?
ノアがロッドを抜く。男に突きつけようとしたその刹那、ノアの体勢が大きく崩れた。
『えっ』
「ノアッ!!?」
倒れそうになるノアを、俺は咄嗟に抱きかかえる。彼女の足元が、沼のようになっているのに気付いた。……ここはアスファルトの道路のはずじゃないのか??
男は呆れたように口を開く。
『おいおい、いきなり攻撃とは穏やかじゃねえな。ていうか、ひょっとしてあんた……』
男が俺の方を見た。そして『ああ、そういうことか』と笑った。
『なるほど、道理で少し似てるわけだな。話には聞いてたが』
『に、似てるって、どういうことよ』
『いや、多分あんたの母親には会ってる。娘がいるとは聞いてたが、まさか池袋で会うとはな。ということは、この男が協力者ということか』
話が全く見えない。ただ、男に俺たちに対する敵意がないことは何となく分かった。
「お前、何者なんだ」
男はコホンと咳払いすると、日本語で話し始めた。
「ビックリさせて悪かった。俺は高松裕二という。
その子の母親――ランカ・アルシエルによってこの世界に『戻ってきた』男だ」




