4-2
「……クソッ」
私は拳を握り締め吐き捨てた。部屋には私一人だ。ほとんど一睡もできていない。
あまりに重苦しい雰囲気の中、昨日は解散となった。ヴェスタを「消した」のが正しい判断だったのかどうか、私はまだ答えを出せていなかった。
ヴェスタは「死病」ではなかったのかもしれない。もう少し様子を見るのが正しかった可能性は捨てきれない。
ただ、相当高い確率で彼は「死病」に冒されていた。とすれば、第二段階に病状が進行する前にああしておくのは、合理的な判断だったのだろう。それが分かっていたからこそ、他の皆もただ泣くしかなかったのだ。
「死病」が魔力欠乏症と深い関わりがあるらしいことは、昨晩皆に伝えた。そして、魔法は基本的に使わない方がいいとも命じた。
勿論、魔法を使わないことにはイルシアの連中とは戦えない。しかし、「死病」に罹患するリスクは何よりも避けるべきだ。魔力欠乏症を何とかする方法を見つけるまでは、ここで身を潜めるしかなさそうだった。
部屋のインターフォンが鳴る。見ると、そこには部下を連れたサングラスの男がいた。
「高島だ。少し、話がしたい」
ドアを開けると、高島は上機嫌な様子で「よくやってくれた」と私の肩を叩いた。こちらの気も知らないで、いい気なものだ。
「『イスマイル』の連中を証拠も残さず迅速に殺ってくれたのは感謝しかねえな。しかし、あんな短時間でどこに埋めた?行って戻ってくるまでたった5分もなかっただろ」
「……あなたに教える理由はないです。結果だけ受け入れればいい」
「……そうかい。まあ、これで『イスマイル』はおしまいだ。うちが疑われてるが、証拠も何もない。死体もない。これで『宝陳会』も排除できれば、ようやく池袋でマトモにシノギができる」
「次はその『宝陳会』ですか」
「話が早いな、その通りだ。あんた、流石はあの猪狩瞬の兄だな。格闘技だけじゃなく、殺しの腕も超一流と来てる。しかもステゴロで証拠も残さない。どんな魔法を使ったん……」
私は高島の胸倉を掴んだ。
「悪いが、私はあんたの道具じゃない。好き好んで殺しもしない。この前のは、あくまで私たちを匿ってくれた礼としてだ。次はない」
「て、てめえっ……!!」
高島の部下が銃を抜く。私は即座にそれに触れると、銃は跡形もなく消えた。
「なっ!!?」
「次に消えるのはあんたらだ。消えたくなかったら、私に二度と命令するな」
「ど、どんな魔法をっ……ぐふっ!?」
私は「削り取る右手」を使わずにボディブローを高島に叩き込む。奴はその場でうずくまった。
「ここであったことは、誰にも話すな。次はない」
「い、いつまでもここにいれると思うか?」
「そう遠くないうちに出ていく。ただ、私たちのことを少しでも誰かにチクる気配があったら、その時は遠慮なくあんたも消させてもらう」
高島はよろよろと立ち上がり「舐めてんじゃねえぞ」と吐き捨てると、部下を連れて部屋を出て行った。私は溜め息をついた。
恐らくあの男は私たちを排除に掛かる。警察にチクるか、あるいは強引に攫いに来るか。どちらにせよ、現状のままならここにいれるのも、後1、2日といったところだろう。
私は右隣の部屋のインターフォンを押す。そこはエオラとプレシアの部屋だ。まだ「客」は取っていないらしい。
『調子はどうだ』
『体調は悪くないです。精神的には……散々ですけど』
『……ヴェスタのことは、済まなかった。ああするしかなかった』
『いえ……あいつは、恋人としては失格でしたから』
エオラは俯き、言葉を詰まらせている。ヴェスタは女に対してとにかく手が早い男だった。だから縁談が上手く行かなかったとは聞いている。それでも、やはり彼女にとってヴェスタの存在は大きかったのだろう。
プレシアを見ると、ベッドに腰掛けたまま虚ろな目で窓を眺めている。カーテンの隙間から、僅かに真夏の日差しが差し込んでいた。
『プレシア、具合は』
『……隊長。私たち、どうなっちゃうんですか』
彼女には魔法を多く使わせてしまっていた。ヴェスタの次に「死病」になるとしたら、恐らく彼女だろう。そのことを彼女も察してしまっているのだ。
『やるべきことをやるだけだ。急ぎ、イルシアの場所を特定しないといけない。場合によっては、私だけで探りに行くことも考えている』
『でもっ、隊長も魔法をたくさん使ってるじゃないですか!隊長まで死んだら、私たちは……』
『私は大丈夫だ。『転生者』だからなのか、この世界の魔素の薄さにも適応ができているらしい』
これは本音半分、ハッタリ半分だ。私とて、使い過ぎれば魔力欠乏症となり、ひいては「死病」の発症につながるだろう。多分、これには例外がない。
『それより、魔力の補給はできているのか?『魔力吸収』は、二人とも修めていたはずだが』
『……ラヴァリに悪くて、あまり。エオラさんから、分けてもらったぐらいで』
プレシアの言葉に、エオラが首を振った。
『そこは割り切りなさいって言ったでしょ?そうしないと、貴女死ぬのよ??』
『……ごめんなさい。今日からは、ちゃんとします』
私は『いや、やめておいた方がいい』と告げた。人間、向き不向きというものがある。「魔力補給」のためと割り切って男に抱かれることができるエオラと違い、潔癖症のプレシアにはやはり酷な命令だったか。
『私の方で魔力供給を安定してできる方法を探す。ひとまず、この前飲ませたあの栄養剤は数本飲んでおいた方がいい。一応、僅かだが足しになるみたいだからな。
あとエオラ、君に聞きたいことがある。高島という男には抱かれたか』
『はい。あの、黒い眼鏡の男ですね。前戯が雑で、嫌な男でしたわ』
『そうか。早めに『誘惑』を発動して欲しい。自殺に見せかける形で殺せればいい』
『……!!やはり、あの男』
『私たちを売る可能性が高いだろうな。背広越しだが、銃を持っていた感触があった。それで頭を撃ち抜いてもらえればいい。
私たちには別の人間がつくはずだ。それで数日は時間が稼げる。その間に、イルシアを見つけてジュリ・オ・イルシアを連れ戻す』
『分かりました』
コクンとエオラが頷く。「魔力補給」が十分にできた彼女だけが、我らペルジュードの中で唯一万全と言える状況にあった。「誘惑」の発動をしても、それだけで魔力欠乏症にはならないだろう。この程度の命令なら遂行できるはずだ。
その時、外に強い魔力を感じた。私を含めた3人が一斉に外を見る。
『あれはっ!?』
『一体何なんすか!?』とラヴァリとべギルも部屋にやってきた。窓の外にはニット帽を被った赤銅色の肌の男がいる。
『……あの男は』
エオラの言葉に、私は頷いた。私とエオラは、一度だけ戦場であの男を見たことがある。確か、「ユウ」と呼ばれていた男だ。
『カルディナの援軍で来た男だ。アリカムリ防衛戦で、モリファス軍をたった数人で足止めしていた。しかも、誰も殺さずにだ』
『ですよね。しかし、まさかこの世界に来てたなんて……』
『カルディナは、主に転生者からなる特殊部隊をエビアから連れてきていた。『汎調』とか呼ばれていた記憶がある。あの男もその一員のはずだ。私たちのことを追ってきたのか……?』
『マズいじゃないすか』とラヴァリが血相を変えた。私はプレシアの方を見る。
『君は何か感じ取ったか』
『いえ……『未来視』で、危険が訪れるとは感じ取れませんでした。今発動したら、違う結果が見えるかもしれませんが』
『いや、やめておこう。……何しに来たんだ』
ユウはこちらの部屋の方をじっと見ている。たった一人で私たちと戦おうとしているのか?
いや、あの男はそれほど無謀な男ではない。アリカムリでも、私が攻撃しようとしたのを見計らって逃げたぐらいだ。戦力分析や状況判断ぐらいはちゃんとできる男だ。
ユウが辺りを見渡した、次の瞬間。
『跳んだ!?』
奴は物凄い勢いでこのビル、いやこの部屋のベランダに跳躍してきた。飛行魔法か!?
いや、それだけじゃない。この速度……多分「恩寵」を使っている。アリカムリでも薄々感じていたが、あの男は周りにある物質を「自分が望む素材」に変えられるのだ。今は地面をトランポリンのように変化させたのか!?
奴はビルの壁面に衝突する寸前、どうやったかそこにへばりついた。そして、あっさりと目の前のベランダに降り立つ。
カーテンの隙間越しに目が合った。奴はニヤリと笑うと、日本語で私に話しかけた。
「すまねえな、そこ開けてくれねえか」
「……」
私は返事を返さず、臨戦態勢を取る。攻撃を仕掛けるなら、返り討ちにするまでだ。
ユウはベランダに立ったまま頭を掻く。
「あんたと話を付けなきゃいけねえんだ。心配すんな、攻撃とかしたりはしねえさ。そもそもあんたとやり合って勝てる自信は全くねえしな」
「……話すことなど何もない」
「俺とあんたの目的は同じだ。イルシア『御柱』、ジュリ・オ・イルシアの確保と連行。条件付きで手を組みたい」
私はじっとユウを見た。嘘を言っている顔には見えない。窓の鍵を開けると「すまねえな」と入ってきた。そして言葉を念話へと切り替える。
『助かった。あんたと会うのはこれが2回目だな。ユウジ・タカマツだ。『汎大陸調査委員会』の准委員長をやってる』
奴は握手のために手を差し出した。ここで私が「恩寵」を発動すれば、こいつは消える。だが、それを百も承知で差し出してきているのだろう。私は奴の手を普通に握った。
『ペルジュード隊長、ムルディオス・べルディアだ。どうしてここが分かった』
『あんたと似たようなもんだ。前世の伝手を辿った。俺も前世では、こっち側の人間だったんでね。……というか、一人足りなくないか』
奴はペルジュードの人数を知っていたらしい。私が答えるより先に、エオラが『死んだわ』と告げた。ユウの表情が険しくなる。
『……魔力欠乏症に伴う『死病』の発症か。第二段階に移行する前に、あんたが『消した』。見当は付くよ』
『侮辱するつもりなら、ここで消してもいいんだが?』
『ああ、すまなかった。そういうつもりじゃなかった。そっちもそっちで、大分きつそうだなと思ってね』
『……何が言いたい』
『要はジュリ・オ・イルシアを確保しようにも魔法が使えず厳しいってことさ。それはあんたらも、俺もだ。そして、イルシア自体も同じような危地にある。このまま放っておいたら、間違いなく碌なことにはならねえ。
一刻一秒も早くイルシアに到達するには、ここで協力した方がいいんじゃねえかってことだ』
これはあまりに意外な申し出だ。カルディナとモリファスは対立関係にある。それなのに、ここで交渉を持ち掛けるとは思わなかった。
そもそも、カルディナとイルシア自体が緩い同盟関係にあった。こいつの申し出は、それを裏切るものでもある。
『どうしてそんな申し出をする?そもそも、どうしてお前がジュリ・オ・イルシアを確保しようとしている』
『状況はあんたらが考えるより遥かにやべえってことさ。イルシアの転移に伴って、メジアには小規模だが有害な魔素を撒き散らす『穴』ができた。本質的には『エネフの大穴』と同じもんだ。
それを放置してたらメジアは確実に滅びる。というか向こうの世界そのものが多分滅びる。だから、その前には敵も味方もねえってわけだ』
『さっき、条件付きと言ったな。どういう意味だ』
ユウの目つきがさらに鋭くなった。
『まず、ジュリ・オ・イルシアを確保した後の主導権はこちらに渡してほしい。多分、そっちは『大魔卿』ギルファス・アルフィードが噛んでいるんだろ?だが、そっちに渡したら多分碌なことをしねえだろ。
だったら、こちらが彼女を預からせてもらう。この手の案件には、まあまあ慣れているんでね』
『『穴』の拡大防止策と『死病』対策はどうする。考えはあるのか?』
『……まあなくはない。決めてはいないけどな』
口が重くなった。考えがないわけではないのだろうが、自信まではないのか。
『別の条件は』
『俺の指揮下に入ってもらう。これ以上の殺しはやめてもらいたい。既に相当騒ぎになってるぜ。昨日もクルド人か誰か殺しただろ、あんた』
『……!!』
そのことをもう知っていたのか。私は完全に証拠を残さなかったはずだ。報道すらされていないのに、どうして知っている。
同時に、この男は危険だと私は察した。年齢は精々20代前半だが、年齢に見合わず修羅場を潜ってきた空気を纏わせている。
空気が重くなった。場合によっては、この男もここで消さないとマズい。
ユウは冷や汗をかきながら話を続けた。
『あんたなら分かってくれると思うが、俺たち異世界人はその存在そのものがこの世界にとってのリスクなんだ。もしその存在を世に知られたら、まずもって行動がロクにできなくなる。犯罪を犯してればなおのことだ。
既に警察が動いているらしいとも聞いてるぜ。これ以上リスクを高めないためには、俺の指示に従って動いてもらうのが一番だ。あんたは年上だし、有能な指揮官らしいとも聞いてるが……』
私は溜め息をついた。彼の言い分は分かる。だが、こちらは手段を選んではいられない。
『断る。それは飲めない』
『……だろうな』
べギルがユウとの距離を詰めた。ここで彼を殺すことまで考えているらしい。
私はべギルを制した。まだ結論には早い。
『君は、ここから黙って帰れると思っているのか』
この男は昨晩のことを知っている。ここで消しておいた方が、確かに安全と言えば安全だ。ユウは肩をすくめる。
『そのつもりだ。というか、今の俺とあんたらは敵じゃない。やり合おうとは思ってねえよ』
『君さえ消えれば、昨晩のことを知っている人間はいなくなる』
エオラが高島を殺せば、の話だが。だが、ユウは首を振った。
『既に木村会の関与は噂に上がってる。ここも安泰じゃねえと思うぞ。
あんたらに打てる手は限られてる。単独で動くより、俺と組んだ方が得だ』
私は彼の目をじっと見た。怯えてはいる。しかし揺らいではいない。
ここで彼を消すのは簡単だ。だが、この男には利用価値がある。それもまた事実だ。数秒考え、私は口を開く。
『……答えは保留だ』
ユウがほっとしたように息をついた。
『……そうか。ただ、次来る時には結論を出してほしい。こっちも、その間に情報を仕入れておく』
『次とは』
『……なるべく早くだな。イルシアに動きがあれば、今日また来るかもしれねえが』
そう言うとユウはベランダの方に向かった。
『飛び降りるつもりか?』
『や、別のビルに移らせてもらう。あまり目立つとまずいんでね』
ベランダの欄干に足をかけ、奴はこちらを振り向いた。
『じゃ、また会おうぜ』
ユウはそう言うと、スパイダーマンか何かのように隣の雑居ビルの屋上へと飛び移ったのだった。




