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『それって本当なんですか』
私の部屋に集められたペルジュードの面々の表情は、揃って青ざめている。私もそうだ。こんな事態は、全く想定していなかった。
私はベッドに寝ているヴェスタを見やった。栄養ドリンクを5本ほど飲ませ、少し容態は落ち着いている。ただ、それで「死病」の進行が止まるとは思えなかった。
『……私の幻聴であることを願いたいよ。ただ、もし『死病』だとしたら……私は彼を消さないといけない。『羽化』したら最後、我々は全滅だ。それだけならまだいい。この世界も滅茶苦茶なことになる』
そう、ヴェスタがもし「死病」なら一刻を争う話だ。私は目をつぶり、死病のことを改めて思い返していた。
*
死病は3段階に分かれて進行する。まず重度の風邪に近い症状を呈する「第1段階」。この際、虫か何かのような「鳴き声」を患者は出す。高熱で意識は朦朧とし、肘と膝を中心に激しい痛みが発生する。
死病は基本的に不治の病だが、この際に「エリクシア」を投与すると症状が和らいだり、あるいは完治したりことは知られていた。モリファスに少量だけ流通していた「エリクシア」が、モリファス皇妃の命を救ったことでそれは有名になった。
モリファスがイルシアを攻めた理由の一つが、この「エリクシア」だ。作り方は彼らしか知らない。希少な鉱石を使っているらしいという噂だけは聞いたことがある。
問題は第2段階と第3段階だ。第2段階になると、患者は「羽化」と呼ばれる変態を見せる。その内容は様々だ。虫のような姿になる者、全身が膨れ上がり目が肌のいたる所についた者、手と脚が全身から生えた者……そのほぼ全てが「怪物」と言っていい姿に成り果てる。
これだけならまだいい。彼らは例外なく魔力が膨れ上がり、凶悪な戦闘力を以て周囲の誰かに分泌液を撒き散らせようとする。そして、その分泌液が新たな患者を生み出すのだ。
厄介なのが、この際に理性を少しだけ取り戻すことだ。本能に必死で抗おうとする者もいれば、発狂して進んで巻き添えにしようとする者もいる。こうなると情を振り切ってでも何とかして殺すしかない。
そして、放置していると終末期の第3段階へと移行する。怪物化した患者は急に動かなくなり、身体を透明にしつつ膨らんでいく。そして分泌液と共に「爆ぜる」。大体、発症から1~2カ月でこうなる。
第3段階で死んだ患者の遺体は、その地の土と水を汚染する。平たく言えば、この病気は人だけでなく土地そのものを「殺す」。そして、放置された土地はいつしか「穴」に飲み込まれていくのだ。
モリファスで最初の患者が確認されたのは3年前だ。「エネフの大穴」の拡大と共に、辺境からじわじわと感染者が広がっていった。
気が付けば王都は患者で溢れかえり、遷都を余儀なくされた。メジア大陸一の版図を誇っていたモリファスの国土は、今や3年前の3分の1にまで減っている。人口も同じだ。
モリファス国王のセリス3世は生きるためにイルシアに侵攻を進めたが、激しい抵抗に遭い遅々として進まなかった。第2段階まで病状が進んだ患者を兵力として使うことで何とかイルシア王城付近まで進んだが、今度は軍隊内での死病の蔓延でどうにもならなくなった。
この事態を救えるのは、たった一人しかいない。膨大な魔力を持ち神に匹敵する能力を持つ「御柱」ジュリ・オ・イルシアだ。
彼女は「御柱」としては未熟であるとも聞いていた。だが、「大魔卿」ギルファス・アルフィード曰く「クト神を下天させてしまえば問題はない」という。要は、彼女を神そのものにしてしまえばいいということらしい。
それがどういう意味なのかは私には分からない。ただ、滅びゆく祖国と、そこに住む私の妻子を救うにはこれ以外の道はないのは確からしかった。
*
それだけに、ヴェスタが感染しているかもしれないという事実は私を愕然とさせた。これでは、先に進むどころの話じゃない。
感染しているのがヴェスタだけならまだいい。問題は、私を含めた全員にその恐れがあるということだ。自分の命程度、今更惜しくはない。ただ、ミッションを達成できず、この世界も破滅に導きかねないというのは……洒落にもなっていない。
『ヴェスタは、消すんですか』
エオラがどこか泣き出しそうな目で私を見た。そう言えば、彼らは古い付き合いらしい。一度は縁談の話すらあったと聞く。もう男女の仲ではなくなって久しいらしいが、情は勿論残っているのだろう。
私は沈黙した。感染の可能性を広げることはできない。そして今なら、まだ間に合う。
だが、彼は私にとっても大事な部下だ。3年間付き従ってくれた男を自らの手で殺すことに、躊躇いはある。
その時、ベッドのヴェスタが意識を取り戻した。
『隊長……俺は、一体』
真実を話すか一瞬迷った。私はふうと息をつく。
『……君から『鳴き声』が聞こえた。死病に感染している可能性がある』
『……マジ、ですか』
『可能性の問題だ。確証は持てない』
ヴェスタは唇を噛み、無理しているのが見え見えな作り笑いを浮かべた。
『……分かりました。俺を殺してください。隊長なら、痕跡を残さず殺せますから』
『……確証は持てないと、言ったはずだ』
これは言い訳だ。今後のことを考えたら、ヴェスタはここで殺すしかない。だが、死病でない可能性に賭けようとしている自分がいる。
ウクライナでもそうだった。助けられそうもない傷を負った人間を優先順位を付けて見捨てる――トリアージは兵士としての必須スキルだ。実際、そうやって私は生き延びてきた。
だが、マリウポリ攻防戦で弟のようにかわいがっていた男が致命傷を負い、俺の目は狂った。奴を助けようと動いたのが、私の致命傷になったことはよく覚えている。情は戦場では邪魔なだけだと、その時に思い知ったはずだ。
ここは戦場ではない。だが、非情にならねばならない局面という意味では同じだ。
理性的にならければいけない。……私は天を仰いだ。
『……隊長』
ヴェスタの懇願するような声に、私の心は決まった。私より、ずっとヴェスタの方が現実が見えている。モリファスを救うには、これ以外にない。
私は右掌を彼の腰の辺りに乗せた。魔力をそこに集めていく。
『……ヴェスタ、すまない。そして、ありがとう』
『こちらこそ、3年間ありがとうございました。……どうか、御武運を』
次の瞬間、ヴェスタ・アルメディオはこの世から消えた。
真夜中の部屋にペルジュードの面々の嗚咽の声が響く。私も天井を見上げた。
自分は多分正しいことをしたのだろう。しかし、その代償は……あまりに重い。
同時に、気付いたことがある。死病とは、魔力欠乏症と深い関係があるのではないかということだ。
大穴周辺は魔素があまりに濃い。そのため、人の身では吸収しきれず魔力欠乏症になりやすいという話は聞いたことがある。
この世界は逆に魔素がとても薄い。ただ、魔力欠乏症になりやすいという状況は同じだ。そして、今回の件がヴェスタの発症を引き起こしたとすると……
『マズい』
私は思わず口に出した。全身に鳥肌が立つ。最悪の想像をしたせいだった。
このまま行くと、魔力欠乏症から発展した「死病」がイルシアでも蔓延するだろう。そしてそれは……この世界を破滅へと導きかねない。
もしそうだとすると、ここで身を潜めていることは果たして正しいのか。私は、ヴェスタのいなくなったベッドを見ながら考え始めていた。




