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ド田舎無職の俺の近所に異世界の国が引っ越してきた件  作者: 藤原湖南
第3章「開城高校3年生 市川朝人」
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3-7


『いつまでここにいればいいんすか?』


ヴェスタが少し苛立った様子で訊いてきた。私はカーテン越しに外を見る。さっきまでいた、怪しい2人組はどこかへと消えていた。


『もうしばらくだな。どうも私たちが池袋にいることは、警察にも伝わっているらしい』


服装を変えていても警察かどうかはある程度分かる。身のこなしが違うのだ。彼らは気配を消す動きに慣れている。ただ、それが私にとっては逆に目立つ。

木村会が用意したウィークリーマンションに着いて18時間。その間、私たちは3部屋に分かれてひたすら身を潜めていた。いや、潜めざるを得なかった。警察が早くも私たちの居場所を絞り込みに来たからだった。


このマンションは木村会が別名義で保有しているもので、セキュリティは勿論完備されている。佐藤が話を通してくれたのと、木村会に300万円の金を積んだおかげでとりあえず目先の潜伏場所は確保できた。

ただ、焦って移動するのはかなりリスキーだ。イルシアの場所が特定できていないうえに、マンションを出た瞬間に職質をかけられる可能性がある。少なくとも、警察が池袋から捜索範囲を広げてくれないことには、動くに動けない。


そして、障害となっているのは警察だけではなかった。木村会は、匿う条件として私たちに「仕事」をしてもらうことを突きつけていた。それが終わらない限り、私たちはここから解放してもらえない、というわけだ。

私に課せられた仕事の内容は聞いていない。ただ、見当は付く。「兵隊」として、どこかにカチコミを入れろということなのだろう。あるいは、ヒットマンとして誰かを殺すことまであるかもしれない。佐藤の口調だと、後者の可能性はそれなりに高いように思えた。


私は木村会の若いのに頼んで買わせた宅配ピザを一切れつまみ、それをエナジードリンクで流し込んだ。部屋のテーブルには既に栄養ドリンクの瓶が数本置かれている。

この世界の魔素が薄いことは見当がついていたが、それにしても消耗が激しい。栄養ドリンクをこれだけ消費してようやく普通に行動できる。

イルシアの霊薬「エリクシア」があればよかったのだろうが、残念ながらモリファスにはそんなものはない。栄養ドリンクならそれに近い効果があると踏んだのだが、やはり効力は限定的なようだった。


『ラヴァリやべギルはどうしているんすかね?特にラヴァリ、プレシアのことが心配でしょうがないんじゃないすか』


『さあな。ただ、あいつもペルジュードの一員だ。そこは割り切ってるはずだ』


私は右隣の部屋の方を見た。そこに、エオラとプレシアがいる。恐らく、彼女たちの「客」である男とともに。


これは木村会から言われた仕事ではない。エオラの提案で、私から持ち掛けたものだ。エオラの得意魔法は「誘惑カイルぺリア」という。彼女の体液を摂取した人間を、彼女の思うままに動かせるというものだ。

そして、肉体的な接触が強いほど、その効力は強くなる。例えばセックスをした相手であれば、3日間は好きな時にその人間を操り人形にできるというわけだ。だから彼女は、「人形」の駒数を増やす目的で木村会の即席売春婦として客を取っている。

勿論、魔力不足を補うための補給も同時に行っているだろう。彼女のことだ、死ぬ手前ぐらいまで生命力を抜き取っていてもおかしくはない。彼女にとって、情のある人間以外は全て塵芥に等しい。この世界の人間の生死など、どうだっていいのだ。


プレシアが同じ部屋にいるのも、魔力補給のためだ。彼女は「未来視」を使ったため、ペルジュードの中でも特に消耗が激しい。このままでは生死にかかわりかねないと、渋るプレシアと彼女の婚約者のラヴァリを説得したのだった。

プレシアが男に抱かれているかは知らない。貞操観念の強い彼女のことだから、精々エオラから「おすそ分け」を貰っている程度な気はしている。それでも、ラヴァリは気が気で仕方ないようだった。

そんな彼を部屋から出ないよう、私は何とか説き伏せた。ここに身を潜める以上それは必要なことだからだ。部屋から出たタイミングで「客」と鉢合わせたなら、そこから情報が警察に漏れないとも限らない。


私に渡された、プリペイド式携帯が鳴った。電話の主は、木村会若頭の高島という男だ。「仕事」の連絡か。


「もしもし」


「高島だ。あんたが『あの』猪狩一輝か。話せて光栄だ」


「……『仕事』ですか」


「話が早い。今から若いのを2人、そっちに向かわせる。用件はその車の中で話す」


「分かりました。ただ、警察がこの辺り張ってますよ」


「あんたらが何かやらかしたらしいことは知ってる。速攻で車に乗れ。職質される前にな」


「……了解です。こっちの人数は」


「少ないほどいい。逃げにくくなるからな。それに、もしあんたが本物の猪狩一輝なら、相手が何人いても問題にはしねえだろ」


試しているのだな、と私は察した。もしそれができなければ、佐藤も込みで排除する考えなのかもしれない。


「分かりました」と答えると、そこで通話が切れた。私はふうと息をつく。


『ヴェスタ、私と同行してもらえるか』


『了解っす』


彼は隠密魔法の達人だ。彼の隠密魔法ハルミトは、ほぼ完全に彼の存在を他者が認識できなくなるほど精度が高い。そして、彼が触れているものも同様だ。暗殺にこれほど向いた男を、私は知らない。


問題は魔力供給だ。私は何故かそこまで消耗していない。自分が転生者だからだろうか。その理由は分からない。ただ、それでも栄養ドリンクをがぶ飲みしないと強烈な気怠さが出た。やはり、この世界は私たちにとって生きにくいのだ。

ヴェスタにとってはなおさらだろう。待機している最中も、彼はどことなくぐったりしていた。やはり、女を抱かせるなどして無理やりにでも魔力供給させるべきだっただろうか。


しばらくしてインターフォンが鳴った。玄関のドアを開けると、茶髪の若い男が「迎えっす」と現れる。私はヴェスタに目配せをして、早足で彼らの後をついていく。

エントランス前には白のハイエースが止まっていた。ざっと辺りを見渡したが、警察らしき人影はない。流石に、タイミングは心得ているということか。


後部座席に乗り込むと、助手席にいた男が振り向いた。サングラスにパーマの、見るからにヤクザといった出で立ちだ。年齢は30後半といったところか。


「あなたが高島さんですか」


「……ああ。あんた、本当に猪狩一輝なのか?どう見てもロシアか東ヨーロッパ系の人間にしか見えねえがな」


訝し気に訊いてくる高島に、私は苦笑した。


「ウクライナを出るときに整形したんですよ。随分と向こうでは面が割れてしまったのでね」


「にしても変わり過ぎだろ……まあいい、用件を伝える。目的地に着いたらそこにいる連中をとりあえずボコってくれ。後の処置は俺らの方でやっておく」


「随分と雑な指示ですね。相手の人数は」


「さあな。だが、あんたなら楽勝だろ」


高島は「くくっ」と笑った。随分簡単に言ってくれる。


「相手は」


「不法移民のクルドだ。連中、こっちのシマを荒らしに来てる。フェンタニルの輸入販売まで始めやがった。このまま行くと、商売あがったりなんだよ」


「痛めつけるだけでいいんですか」


「とりあえず戦闘不能にしてくれればいい。殺してもかまわねえが、東京湾に沈めるにしても手間がかかるんでな。一通り終わったら、携帯に連絡をくれ。後処理はこっちでやっておく」


フェンタニルか。話に聞いたことはある。相当ヤバい麻薬だったはずだ。


「……殺した方がいい相手、でいいですか」


高島の表情が険しくなった。


「何が言いてえんだ」


「死体処理が面倒なら、こっちでやっておくということですよ。心配は要りません、一切の証拠は残しませんから」


ゴクリ、と高島が唾を飲み込んだのが分かった。


「……そんなこと、できるわけがねえだろ」


「そこはご安心を。任務は確実に遂行しますから」


「……できなかったら、あんたらを警察に突き出す。それでいいな」


「無論」


高島が汗をかいているのが分かった。猪苗代の事件のことを悟られたかもしれない。

まあいい。利用価値があると分かれば、彼も私たちに協力的になるだろう。後は力を見せるだけだ。


『隊長、本当に大丈夫なんすか』


ヴェスタが耳打ちをしてきた。「念話」を使っていなかったからか、高島との会話内容が分からないようだった。


『おそらくは。案件は殺しだ、好き放題やっていい』


『了解っす。ただ、派手にはできないっすよね』


『血は流さない方がいいな。君がまず先に行ってくれ。その上で、私が手早く殺る』


ヴェスタは無言で頷く。高島がこちらを振り向いた。


「そのガキは」


「私の部下です。優秀な奴ですよ」


ヴェスタは背が小さい。異種族の「セルフィ」の血が混じっているせいもあって童顔だが、年齢的には29とそれなりに行っている。そして、子供扱いされるのを極度に嫌う。

ヴェスタが魔力節約のため「念話」を使っていなくてよかった。もし使っていたら、この場で高島が惨殺されていてもおかしくはなかっただろう。


車は板橋方面に向かった。町工場が目立つ一角で、ハイエースは止まる。


「この先50mほど行くと『仁井インダストリー』という会社がある。そこの倉庫に、連中はたむろしているはずだ。

元はただの産廃処理屋だったんだが、いつの間にかクルドに乗っ取られてな。今じゃこの一帯の不良中東人を束ねる大所帯になったってわけだ」


渋い顔で高島が告げる。


「そこに幹部がいると?」


「毎週月曜に集まっているとは聞いてる。ボディガードもいるかもしれねえな。ただ、10人までは集まってないと思う。あんたなら、十分のはずだ」


2対10は普通に考えて圧倒的に不利だ。相手が武器を持っているなら猶更だろう。高島が自分を試しているのは知っていたが、それにしてもかなりの無茶ぶりをしてきたものだ。

しかもこの辺りだと周辺住民が騒ぎに気付くリスクはそれなりに高い。戦闘に費やせる時間は、精々3分。それ以上は、あまりに危険だ。


私は高島が喧嘩慣れしていないと察した。あまりに、ミッションの練りが足りない。武闘派ということと聞いていたが、多分脅しには長けていても実際の戦闘はあまりやったことがないのだ。あるいは、自分が圧倒的優位の立場での喧嘩しかやってない。

木村会が色々押されているという話は佐藤から聞いてはいたが、自分から攻めざるを得ない状況というのはどうやら経験がないようだ。あるいは、私たちを捨て駒にして向こうを弱らせることが目的なのかもしれない。


まあいい。「この程度の不利」ならどうとでもなる。


「分かりました。では、また後程」


言われた通りに「仁井インダストリー」の看板を探す。しばらく行くと、男たちの笑い声と中東系の音楽が聞こえてきた。倉庫からは明かりが漏れている。酒盛りでもしているのだろう。


『では、行こうか』


倉庫の扉をゆっくりと開く。男たちの数人が、侵入に気付いた。


「Sen kimsin?(何者だ?)」


その次の瞬間、髭の男の首が不自然にねじれた。ヴェスタが隠密魔法と肉体強化魔法を併用し、背後から首を折ったのだ。


「Seni öldüreceğim!!(死ねっ!!)」


一際大きな男2人が、近くにあった大型ナイフを手に取った。私は瞬時に戦力の分析を行う。相手は8人、距離は10m前後。体つきからして戦闘要員は4人か。うち1人は既にヴェスタが殺している。


私は右手を上から下へと薙いだ。「空間が削られ」、男たちが一気にこちらへと引き寄せられる。魔素が薄いからか、削られた距離自体は5mほどにとどまった。だが、これでも十分だ。


「Ne oldu!!?(何が起きた!!?)」


一瞬にして私の姿が大きくなったことに、彼らの何人かが困惑の声をあげた。私は同時に一気に踏み込み、まずはナイフの男にアッパーカットを叩きこむ。

「削り取る右手」によって、私の拳には「消滅」の力が宿っている。それはヒットと同時に、男の存在を文字通り消した。

何が起きたか分からないであろう連中の混乱に乗じ、私は立て続けに2人を右フックで消し飛ばした。その間にヴェスタが中年男の首をへし折っているのが見えた。


「Bana yardım et......!!!(助けてくれ……!!!)」


逃げようとする男に、私は空間を削り取ることで彼を引き寄せる。「すまないな」と声をかけ、ボディブローを叩きこむ。同時に、彼の存在はこの世から消え去った。

ヴェスタが3人目を殺害し、30秒も経たないうちに制圧は終わった。倉庫には陽気なアラビア音楽だけが流れている。


『まあ、こんなもんすね……』


ヴェスタが汗を拭う。私は3体の死体を消すと、彼の方を見た。


『具合はどうだ』


『まあ、疲れましたけど。このぐらいなら大丈夫っす……』


ヴェスタの身体が急にガクンと落ちた。やはり、魔力の使い過ぎか。私の方も猛烈な倦怠感が襲ってきた。これは……すぐに対処しないとまずい。


ヴェスタを背負い、ハイエースへと駆ける。そこには、事前に買っておいたドリンク剤が10本ほどあるはずだ。

ハイエースまで残り20mほどになった時、背中からヴェスタの声が聞こえた。



いや、これは声じゃない。……「鳴き声」だ。



『ギィ……』



……背筋に、冷たいものが流れた。これは、まさか……

いや、その可能性はないはずだ。モリファスを出る時に、一通りの検査はしたはずだ。だからこそ、私たちは次元転移を行い、この世界にやってきたのだ。



だが、この「鳴き声」は何回か聞いている。それは……「死病」の初期症状だ。




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