序章3
1000人もの「難民」に食料を調達する……明らかに俺の手に余る話だ。だが、警察に通報はできない。したら即座に日本中がひっくり返るほどの騒ぎになる。
「別の場所に移ることはできないのか?」と聞こうとして、俺はその言葉を飲み込んだ。ここに辿り着いた時、ノアは虫の息だった。多分、転移は命がけだったんだろう。そして、別の場所に移る当てもない。ある程度の安全が確保できるまでは、ここにいるしかないのだ。
ノアが『市長につなげられそうな人はいないの?』と少し苛立った様子で聞いてくる。俺は「そういう問題じゃない」と、溜め息をついた。
『どうして?ほんの少ししかあなたと話してないけど、優しい人だというのは分かる。あたしの勘がそう言ってる。あなたが躊躇う理由が分からない』
「……ここは君たちにとって異世界だ。そして、君たちの存在はこの世界にとってあまりに非現実的なんだ。君たちのことが世間に知られたら、どれほどの騒動になるのか想像もつかない。
何より君が使えると言ってた魔法だ。この世界には魔法なんてない。作り話の世界の中でしかそんなものはないんだ。そして、異世界なんてものがあるなんて世界中の誰も思ってない。これがどういうことか、分かるか?」
ノアはしばらく考えてから、顔面蒼白になった。
『……庇護どころじゃなくなる、ってこと?』
「庇護はしてもらえるかもしれない。ただ、君たちは一種のモルモット——実験動物のようにされるかもしれない。そうなったら自由も平穏もへったくれもなくなる。そういう事態には、なってほしくないんだ」
『……じゃあ、どうすればいいのよ』
身体を震わせて、ノアが俯く。目には涙が浮かんでいた。
俺はそれを見て、咄嗟に口から言葉が出た。
「俺が何とかする」
『……えっ』
俺は自分自身驚いた。何で保証もできない言葉を口にしてしまったのだろう。今の自分の立場でできることなんて、何もないのに。
だが、目の前のか弱い少女——いや、女性を放っておくことはできなかった。もし俺がここで彼女を見捨てれば、事態は確実に破滅的方向へと向かう。それもまた、確かだった。
部屋の隅にある仏壇が視界に入った。……そうか。彼女は、2年前の俺なのだ。
身体と心を壊し、生きる気力を失いかけていた俺に生きる場所を与えてくれたのは、親父だった。
もし親父が俺を引き取らなかったら、俺はどっかのアパートで孤独死していたか、さもなきゃ首を括っていただろう。俺はまだ立ち直り切れていないが、それでも今こうして生きているのは、親父のおかげだ。
だから、俺もノアを救わねばならない。親父が俺を救ったように。
ノアは『本当なの?』と身を乗り出した。俺は目を閉じ、少し考えた。自分で言ったことの責任は、取らなきゃいけない。
だが、今の俺には金もないし政治力もない。知恵には多少の自信があるが、それだって上には上がいる。1000人もの「難民」を、誰にもバレずに匿うなんてことができるのか?
せめて、誰かの力が必要だ。金か政治力か、その両方を持つような人物……
……1人いた。俺に残った、数少ない伝手が。
あの男とはもう2年連絡を取っていない。俺が連絡を取っても出てくれるかは分からない。だが、利に敏い奴なら、この話を知った瞬間食いついてくるはずだ。俺と違って、奴には金も政治力もある。その分、敵も多いが。
奴は善人ではない。恐らく、奴は自分の知名度を高めるために彼女たちを利用しようとするだろう。奴はそういう男だ。
だが、だからこそこういう時には頼りにできる。欲望に対して忠実だからだ。こちらがそれを満たすものを提供できている限り、奴は俺を、ノアたちを裏切らない。そういう確信があった。
目を開き、スマホを手に取る。奴の電話番号はまだ登録されていた。商社時代の同期で、登録が残っているのは奴だけだ。親友と言えるほど仲が良かったわけじゃなかったが、目先の出世の話ばかりする他の同期と違い、奴だけは腹を割って話せた。
番号をタップしようとする。だが、俺は思いとどまった。奴は不確かなことを嫌う。先行きが計算できない話には、決して乗らない。そして、今話をするには、あまりに伝えるべき情報が不足している。
そうなると、今俺がしなければいけないのは……「イルシア」なる国について、なるべく多くを知ることだ。この件で奴を説得し、かつ主導権を渡さないためにも必要なことだ。
俺はノアの目を真っすぐ見た。
「……1人、俺の昔の友人で政治家がいる。そいつに話を付ければ、騒動にならずに収めてくれるかもしれない。
ただ、奴は秘密を嫌う。少しでも多く、君や君たちのことを知らないといけない。そのためにも、君たちの仲間——できることなら『御柱様』とやらに会う必要がある。君が来たところに、連れて行ってはくれないか」
ノアは少し戸惑い、その後で『分かった』と頷いた。
『あたしが倒れていた場所に連れて行って。そこからは、何となく分かるから』
*
『これ、何なの』
車を見た彼女は目を丸くした。異世界にはこのようなものは存在しないらしい。
「車だ。まあ強引に例えれば、鉄の馬車みたいなものだな。勿論馬より大分速いが」
『こんなものが動くなんて信じられない……』
「まあとりあえず乗りな。てかクソ暑いから、エアコン付けるぞ」
乗る前にエンジンを付け、カーエアコンを全開にする。汗を手で拭っていた彼女が車内に入ると「クァオ!?」と奇声を上げた。驚きの声、ということなんだろうか。
『嘘……外とは随分違うわ!?氷冷魔法の魔道具を使っているの??』
「この世界には魔道具なんてないよ。あるのはただ科学だけだ」
助手席にノアを乗せ、アクセルを踏む。フィットはゆっくりと動き出した。
『本当に動いた……!!』
「俺の畑までは5分ぐらいだ。そこからの道案内は君がしてくれ」
物珍しいのか、ノアの視線ははきょろきょろと車内と車外を行ったり来たりしている。やはり風景は彼女の故郷と随分違うらしい。
家庭菜園に着くと、俺は一度車を停めた。この先は細い一本道だ。あと1kmほどで行き止まりになる。
「西部開発」が保有している山の入口がそこにある。かつてテーマパーク「ファンタジーランド」を作ろうと計画していたところだ。こんなド田舎に人が来るはずもないのだが、どういう計画を立てていたのだろうか。
「この先から来たのか」
『……うん』
車を降り、歩いて向かうことにする。見た目はいつも通りの山だ。何かあるようには見えない。
ノアは俺が買ってきた服を着ている。軽くシャワーも浴びさせて下着も変えさせたのだが、『やっぱりいつものじゃないから落ち着かない』らしい。幸い、サイズは合っていた。
10分ほど歩くと「この先行き止まり 西部開発」という看板とゲートが見えた。開発のごく初期段階で放置されたためか、先はほぼ獣道のようになっている。
『よいしょ』とノアがゲートをくぐる。俺もそれに倣った。
「……ん?」
どうにも目の前の空間が歪んでいるように見える。これは一体……
話を訊こうとすると、その前にノアが口を開いた。
『こっちに来た時に、御柱様が結界を張ったの。しばらく、身を隠せるようにするために。そんなに長い時間はもたないけど』
「結界?バリアみたいなものか」
『ばりあってのが何かは分からないけど、周囲から中を見れないようにしてあるわ。入ることもできない』
なるほど、歪みに手を触れると何か硬い感触がする。
「これがあるうちに、庇護を求めたかったんだな」
『そう。ただ、御柱様も相当に疲れてる。多分、あたし以上に。あなたも会うことはできないかもしれないけど、それでもいい?』
「ああ。とりあえず、『イルシア』ってとこの現状は知りたい。君は、その国では顔が利くんだよな」
『勿論。ひとまず結界の部分解除をするわ。これを『開ける』だけでも随分疲れるけど……朝の時よりはマシかな』
ノアは何か呪文のようなものを唱える。暑さもあるのだろうが、物凄い汗だ。彼女は1分ほどそうして立っていると、右手を手刀のように振り下ろした。
『ヴェーニャッ!!!』
空間に突如として人が通れるぐらいの「穴」が開いた。その先に見えた光景に、俺は唖然とする。
「何だこれは……!!?」
そこに見えたのは、まさにヨーロッパ中世世界を舞台にしたRPGに出てくるような、白亜の城と城下町だった。




