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ド田舎無職の俺の近所に異世界の国が引っ越してきた件  作者: 藤原湖南
第2章「秩父市総合調整課職員 山下睦月」
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2-7


『すげえっ……!!!』


バスを降りるなり、ラヴァリが感嘆の声を漏らす。他の4人も、程度の差こそあれあまりの人の多さに圧倒されている様子だ。


『隊長……この国には、人がどれほどいるのですか?』


普段は比較的冷静なエオラも、流石に驚きを隠せない様子だ。かくいう私も、久々の新宿の人ごみに少々面食らっている。

日本の地は大体4年ぶりだ。当時は新型コロナウイルス禍の最中で、こんなに街に人が溢れてはいなかった。例の流行り病はもうすっかり落ち着いたらしい。


『ざっと1億2000万人だな』


『い、1億2000万人??そ、それってひょっとしてメジアの全人口より、多いのでは??』


叫び声をあげたエオラに、私は『静かに』と呼びかけた。


『極力目立つような行動は慎めと言ったはずだ。……君たちもだ』


落ち着かない様子だった他の4人が、びしっと直立不動になる。


『私たちは追う身でもあるが、姿を隠さねばならない身でもある。そのことを忘れるな』


『『はっ!!』』


とはいえ、この分だと電車に乗るのも一苦労だろう。バスでさえ相当物珍しがっていたのだ。夜になり混雑度が上がっている山手線になど間違っても乗せられない。

幸い、中国人と思われる観光客がバスには多く乗っていた。土地勘はないが金は持っている彼らは、タクシー乗り場に長蛇の列を作っている。私たちもそこに並ぶことにした。


『隊長、どこ向かうんすか』


ヴェスタがボソッと訊いてきた。警察が既に動いている以上、普通のホテルへの宿泊はリスクが高い。監視カメラで私たちの存在を把握される可能性はそれなりにある。


『池袋という街に向かう。こことほぼ同規模の繁華街だ』


『何のために?イルシアが近いとか、そういう理由すか』


『それは理由の一つだ。だが、それ以上に私の知り合いがいる。彼を頼る』


私は5年前のことを思い出していた。第一空挺団を脱隊した私は、一時期ボディーガードじみたことをやっていた。「じみた」というのは、護衛相手の多くがグレーな立場の人間か、さもなければ真っ黒な人間だったからだ。

仕事の斡旋をしてくれたのは、空挺団の古いOBだ。あの男は、生きていればまだそこにいるはずだ。


ミニバンタイプのタクシーに乗り込み、行先を告げる。黒いアルファードはゆっくりと進み始めた。


『隊長は、元はこの国の生まれということでしたか』


べギルの言葉に、私は頷いた。


『前世で、ということだがな』


『ということは、ご家族もこちらに?』


『私の家族は、エリーとテオだけだ。こっちの家族は、もう私を忘れているだろうな』


半分だけ嘘をついた。こちらに妻も子供もいないが、たった一人の弟がいる。弟は、多分今でも私を探し続けているだろう。


タクシーの車窓から、ディスプレイ付きの大型トレーラーが見えた。そこには、ベルトを巻いた弟の映像が映し出されている。私が死んだ時にはSバンタム級だったが、いつの間にかフェザーに上げていたのか。

トレーラーは近々あるらしい世界フェザー級4団体統一戦の宣伝をしていた。某最大手動画サービスが独占配信するらしい。


「強くなったな」


私はメジア語ではなく、日本語で呟いた。会いたい気持ちはある。だが、今や弟——猪狩瞬は、日本の……いや世界のスーパースターとなった。

もはや完全なる赤の他人にしか見えない外見になった私が会いに行っても分からないだろうし、何より立場的に許されない。この想いは、心の底にしまっておくより他ないものだ。

そして私が今、何より気にかけるべきなのはメジアに残した妻子だ。「死病」と拡大し続ける「穴」の脅威から彼女たちを救うには、どんな手段を使っても「御柱」ジュリ・オ・イルシアを連れ帰るより他ないのだ。



池袋北口近辺でタクシーは止まった。目の前には「老劉」という看板がある。私たちはその中に入っていく。

中年の女店員はチラリと私たちを一瞥し、「ご注文はナニ?」と片言の日本語でぶっきらぼうに訊いた。


「青椒肉絲、ピーマン抜きで」


日本語で伝えると、店員の目が驚きで見開かれた。


「アナタ、ロシア人違うノカ?」


「いいから。青椒肉絲、ピーマン抜きと伝えてくれ」


店員は血相を変えて厨房へと駆けこんだ。しばらくして、中から薄汚れた料理服を着た初老の男が現れる。


「お客さん、冗談はよしな。それが何を意味してるか、分かってるんだろうな」


「分かってますよ、佐藤さん。私です、猪狩一輝です」


初老の男——佐藤忠は額の皺を更に深くし叫んだ。


「お前が一輝だと?どこからどう見てもスラブ系の外人じゃねえかよ。一輝の名を騙るなら、木村会に突き出すぞ!?

第一、一輝は2年前にウクライナで死んだって話だ。お前が一輝であるはずがねえ……」


「確かに私は『死にました』。だが、ここにいるのは間違いなく私自身です。

あなたの素性もよく知ってます。18年前、演習中に発狂した同僚を射殺した責任を取り除隊。その後は住菱会系の木村会のボディーガードとなり、衰えてからは町中華を隠れ蓑に自衛隊をドロップアウトした人間を斡旋する立場になった。

『青椒肉絲ピーマン抜き』は、あなたを呼び出す合言葉です。そして、それを知っているのは一部の自衛隊出身者だけに限られる」


「……お前が一輝だという証明は」


「ありません。だが、これを見れば理解してくれるはずです」


私は右手を前にしたサウスポースタイルを取る。そして、コンビネーションを絡めたシャドーボクシングをした。

佐藤や店員のみならず、「ペルジュード」の面々も呆気に取られている。今、私が何発撃ったかを視認できる人間はまずいないはずだ。


佐藤がゴクンと唾を飲み込む音が聞こえた。


「……そのシャドー……確かに見覚えがある。このレベルのキレと速度は、まずお目に掛かれねえ……それこそ、猪狩瞬と」


「私ぐらいのものです。これで信じてもらえましたか」


「……どうして、顔も声も違う」


「整形、ということで勘弁してください。こちらにいるのは、私の今の部下たちです。相当腹が減っているはずです、急ぎ料理を作ってもらえますか」


佐藤は苦笑した。


「注文は」


「青椒肉絲、ピーマンあり。あと唐揚げに炒飯、青菜炒めなどもあれば。とにかく量が必要ですので」


「おいおい、俺を料理人として働かせるつもりかよ」


「あなたの腕が素晴らしいのはよく知ってますよ」


「おだてたって何も出ねえぞ」


少し嬉しそうに佐藤は厨房へと戻る。エオラが『あの人が、昔の知り合いですか』と訊いてきた。


『その通りだ。私は昔、この国の『軍人』だった。そこを辞めて、一度ここに転がりこんだ。私を傭兵として戦場に送り込むきっかけを作ってくれたのも、彼だ』


『隊長が転生する前の話は、ほとんど聞いたことがありませんでしたが……軍人だったのですね』


『厳密には少し違うがね。まあ、彼は私の恩人だよ』


厨房から炎が吹き上がるのが見えた。彼は戦闘技術だけでなく料理の腕も一流だ。その気になればここを大繁盛店にもできるだろう。

だが、ここを訪れるのは場所柄、中国人と木村会の一部、そして私のような訳ありの元自衛隊員ぐらいしかない。何より、佐藤はここが繁盛しすぎるのを嫌っていた。ここは裏社会への入口でもあるからだ。


「お待たせしマシタ」


10分ぐらいすると、立て続けに料理が運ばれてくる。青椒肉絲や青菜炒めに、ペルジュードの面々は口々に「ブイエユ!!」と舌鼓を打った。

私も箸を手に取る。佐藤の料理を口にするのは久々だが、適度に濃い味付けが絶妙だ。ビールか何かを頼みたいが、素面でいなければいけないのでそこは我慢した。


『隊長、食べたことのない料理ですが本当に美味いっすね!!こんな美味いもの、生まれて初めてかも』


『私もです!ただの葉っぱのはずなのに、こんなに美味しいなんて……』


ラヴァリとプレシアがフォークを片手に言う。確かに、メジアには肉か野菜を焼くか煮るかぐらいの単純な料理しかない。流石に戦場で食べていたレーションよりはましだが、日常的に食うとなると正直物足りなさはあった。


『この国の飯は、多分世界でも一番美味いからな。特にここのは格別だ』


『やっぱそうなんすね。昼に食ったパンもまずまずでしたけど……』


奥から唐揚げの盛り合わせを持って佐藤がやってきた。「随分と美味そうに食う連中だな」と上機嫌だ。


「あまり美味いものを食べたことがない連中なので。それはそうと、頼みがあります。しばらく身を潜められるだけの場所を紹介してもらえますか」


佐藤の表情が一変した。


「……やっぱり厄介事か。何やらかした」


「詳しくは言えません。ただ、報酬は弾みます」


私はリュックサックから札束を3本ほど見せた。佐藤の目が見開かれる。


「……その金、マトモなもんだろうな」


「心配要りません、午前中に競馬で勝った金です。その気になれば、延々と増やすことも可能です。勿論、合法的に」


「競馬って……万券でも当てたのか」


「ええ。それと、あまり長居するつもりもないです。目的を達成したら、速やかに去ります。佐藤さんにご迷惑もおかけしません」


「追われているのは、警察にか」


「ならいいんですけどね。もっと上かもしれません」


青菜炒めを口にしたエオラが『隊長、食べないんですか』と訊いてきた。彼女が「念話」を使っているのに気付き、私は嘆息する。その瞬間、佐藤の表情が訝し気なものに変わったのに気付いたからだ。


「……おい。この女の喋っている内容が理解できたぞ。明らかに知らない言語なのに」


エオラが妖艶に笑う。


『驚かせてしまって申し訳ありませんわ。私たち、魔法を使えますの』


「……魔法、だぁ??」


私は『そこまでだ』とエオラを制する。ここから先は、佐藤を消すことも覚悟しなければいけない。


「彼女の言っていることは本当です。ただ、深入りはしないでいただきたい。こちらとしても、のっぴきならぬ事情があります。

あなたはただ黙って隠れ家を紹介してもらえればいい。その代わり、約束を破ったなら殺さなければいけないですが」


「……本当に、隠れ家を紹介するだけか。お前がテロでも起こすつもりなら、ここで刺し違えても止めるぞ」


「テロは起こしませんよ。私は何だかんだでこの国が好きですしね」


重い沈黙が流れた。そして、30秒ほどして根負けしたように佐藤は肩をすくめる。


「……分かった、信用するよ。ただ、何せ急な話だ。隠れ家の貸し主は相当吹っ掛けてくるかもしれねえぞ」


「木村会ですね」


「そういうことだ。俺に300万はいいが、本当に大丈夫なのか?」


私は頷いた。いざとなれば後楽園のWINSで増やせばいい。

佐藤はスマホを取り出し誰かと話し始めた。あれから組織の体制が変わっていないなら、相手は若頭の浜崎のはずだ。穏健派で、芸能関係や格闘技興行に太いパイプがある人物として知られている。彼なら話は早いはずだ。

ところが、佐藤は渋い顔になっている。どうやら交渉が上手く行っていないらしい。しばらくしてスマホを切ると「困った話になった」と告げた。


「どうかしたんですか。話していたのは浜崎さんでしょう」


「なら良かったんだがな。浜崎は去年ムショにぶち込まれた。嵌められたんだよ。

今の若頭は高島ってやつだ。住菱会本体の偉いさんのお気に入りらしくてな。結構な武闘派なんだ」


「武闘派……佐藤さんとの関係は」


「あんま良くはないな。そもそも、木村会はチャイニーズマフィアだけじゃなくクルドの連中にも押されて結構キツいんだ。テコ入れのために、喧嘩が強いのを欲しがってる。もっと言えば、殺しまでできる奴らが喉から手が出るほど欲しいらしい。

俺はそんな危ない橋を自衛隊OBとして渡らせたくねえんだよ」


「……つまり、木村会に協力しろと?」


「ということだ。それが呑めないなら、隠れ家は貸さないと言ってる」


私は目を閉じた。できるだけ早くイルシアの場所を把握し、ジュリ・オ・イルシアの奪還に動かねばならない。時間が経つにつれて、イルシアの存在が世に知られるリスクは跳ね上がる。そうなれば、ミッションの達成も困難になるだろう。

ただ、例えば明日すぐ動くべきかと問われたらそれもNOだ。私一人だけならともかく、ペルジュードの他の面々はこの世界にあまりに慣れてなさすぎる。

目立つ行動をして警察——いや公安に見つかったら何の意味もない。ただでさえ猪苗代の一件が騒ぎになってしまっているのだ。数日、ほとぼりを冷ます必要がある。


……状況を見ながら行動すべきだろうと、私は判断した。イルシアの存在が世に出た瞬間に、最速でその地に向かう。それまでは、木村会の庇護の下にいた方がいい。


私は目を開いた。



「分かりました、乗りましょう」




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