15-12
まさか、ここまで追い詰められるとは。私は唇を嚙んだ。
*
最初は六本木ヒルズにいるアルフィードと合流するつもりだった。だが、既に周囲は厳戒態勢が敷かれていた。特にレジデンスの周囲は鼠一匹も入らせないほどだ。
ヤサはどうもとっくに割れていたらしい。半沢の物件という辺りから勘づかれたのかもしれない。
もっとも、姿を隠すことそのものはそれほど問題はない。レジデンスの屋上に降り立ち、私はスマホを手に取った。
『もしもし』
退屈そうな声色でアルフィードが出た。私に緊張が走る。
「作戦は失敗に終わった。今からそっちに戻……」
『つまらないなぁ。やることなすこと全部空振りじゃないか』
アルフィードは明らかに不機嫌だ。「あ゛っ、あ゛っ」と女の嬌声のようなものも聞こえる。
それが誰の物であるかと気付き、私は怒りと恐怖で凍り付いた。
「……何としても、やり通せと」
『そういうこと。せっかくエリーを貸し与えたのに、どういうことさ。まあ、だから代わりに花梨にお願いしているわけだけどさ』
お願いとは体のいい言葉だ。私も李花梨も、奴には逆らえない。
奴——「大魔卿」ギルファス・アルフィードは、ある意味で神をも超えた存在だ。向こうの世界では、本来の役割は「調停者」であるらしい。
神々のパワーバランスを取り、世界を調和した状態に保つために造られた魔法生命体——それこそがアルフィードだ。
「神を殺す」ことなど、あの男には造作もない。全能全知の暴君、それがアルフィードだということを私はよく知っている。
そして、この男にとっては他人の命などどうでもいい。この世界のことがどうなろうと知ったことではない。
ただ、「彼のいる世界を救うこと」しか頭にない。そのためには、どんな犠牲が払われようがどうでもいいと思っている。そこには、勿論私も含まれている。
彼が属するモリファス帝国の人口は約1000万人と聞いている。それならば日本を移住先にすれば十分だろう。
ただ、それがメジア大陸全土、いや他大陸まで含めれば数億は下らない。その受け皿を作るには、中国を含めた東アジアも「テラフォーミング」する必要がある。
つまり、日本だけでなく中国全土も焦土にせねばならない。
そして、それは私が――厳密に言えば、依代の王成明がこの計画に乗った理由でもある。
*
王成明は、中国共産党幹部の成世明の愛人の子として生まれた。
あの男は好色で碌でもない屑だが、初めて生まれた男子だったためか最初のうちは愛情を注いでいたらしい。だからこそ、苗字と名前から一字を取って名付けられた。
だが、奴は別に子供ができると成明のことをあっさりと捨てた。彼の母親はただのダンサーだったからだ。
弟は、大卒の高級官僚という血筋のいい女から生まれた。そっちを後継者としようというのは、まあ分からないでもない。
ただ、成明はそのことを酷く恨んでいた。そしていつか必ず、父親を粛清してやろうと心に誓ったのだった。
そして、幼少期から私は彼に力を貸した。彼もそれを強く望み、私の持つ力——魔法で、彼はたちまち「神童」と呼ばれるほどの才を発揮するに至った。
その魔法はすぐに父親の知る所となった。父は成明への関心を取り戻したが、それは愛情ではなかった。「駒として利用できる」、ただそれだけだった。
工作員として取り立てられ、政敵の暗殺や篭絡などありとあらゆることをやらされた。人道にもとること、尊厳を破壊するようなことも数多くやらされた。
そして、成明は李花梨と出会うことになる。
彼女は中国の最高国家機密そのものだった。70年ほど前に異世界からこちらの世界に村ごと転移し、多数の工作員を輩出した祖でもあるらしい。
成明も彼女の下につき、工作員として動くこととなった。彼女が魔法の使い手である、というのも大きかった。
彼女もまた、中国共産党を憎んでいた。故郷に戻りたいという想いを利用され、彼女自身も、そしてその子供たちもいいように使われていたらしい。
その想いは、成明もよく理解できていたようだった。自分のことしか考えていないクソ野郎たちのために、どうして自分たちが傷つかねばならないのか?
……そして、成明は彼女と手を結ぶことになった。「いつか必ず来る復讐の日には、一緒に行動しよう」と。
そこには彼女への恋慕もあっただろう。80年以上は確実に生きているとはいえ、見た目だけなら麗しい少女だ。10代の男が心奪われないわけがない。
だが、成明は工作員としてあまりに「力」を使い過ぎた。結果として私が目覚めるのが早まり、遂には……自我を保てなくなり始めた。3年前のことだ。
彼の選択は――私に、成世明を殺してくれるよう頼むことだった。
そして、それは彼と花梨の人生を滅茶苦茶にした中国共産党を滅ぼすことでもあった。
今の私が「混沌の神・ナルア」なのか王成明なのかは、正直判然としない。精神が同化しただけかもしれない。
ただ、彼の怒りは私に受け継がれた。そこは間違いない。だからこそ、アルフィードからの接触に乗ったのだ。
そして、私と花梨とアルフィードの3人——途中から半沢を含めた4人で計画——「世界再生計画」は練られた。
*
……そう。今の私の目的は、日本を異世界からの移民のために焦土と化すことではない。
成国家主席ごと、中国を滅ぼすこと。それこそが再生への道なのだ。そのためならば、何でもする。そう誓ったはずだ。
私は溜め息をついた。そんな私の想いは、当然アルフィードも理解している。
「……分かった。『どんな手を使ってでも』やり通す、そういうことだな」
『話が早くて助かるよ。じゃあ、また。『会えたらね』』
電話が切れた。選択肢は限られている。
今の私ができることは……「自爆」だ。それも、日本だけでなく中国本土まで及ぶほどの。そのことを、アルフィードは示唆している。
ただ、単に死んだだけではそこまでは不可能だ。精々この関東圏一体を焼き払う程度しかできない。
死による魔力放出を増幅させるには――李麟鵬の力が要る。そして、彼は今警視庁の拘置所だ。
単独で突っ込んでもたかが知れている。「時間遡行」で傷を治し続けながら先に進むことは、あるいは可能だろう。
だが、麻酔弾を立て続けに撃たれるとどうか。傷を治すことは瞬時にできる。ただ、「一度体内に入ったものを取り除く」のは難しい。そのリスクがある。
だから、「魅惑の声」で「肉の壁」を作ることにしたのだ。決して得意な魔法ではないが、それでも半沢の部下を中心に30人はかき集めた。
彼らは決して戦闘向きとはいいがたいが、とりあえず私への攻撃の壁にさえなってくれればいい。物量で押しつぶし、3階にあるらしい留置所へ向かう。それでいい。
……ただ、「自爆」という手段は本当は使いたくなどなかった。
生きることに未練はある。それは、成明が憧れ、遂に手に入らなかった自由な人生を送ることだ。
成国家主席や中国に対する恨みが勝っているとはいえ、何の後悔も躊躇もないわけじゃない。
警察が次々と銃弾を浴びせかけてくる。私は「物理障壁」を前面に張りつつも、生ける屍と化した「肉の壁」と共に先へと進む。
上へと向かう階段が見えてきたところで、目の前に白髪交じりの男が警官と共に現れた。
……確か、こいつは。
「大河内議員……だったか?」
「名前を覚えてもらって光栄だな」
肉の壁が排除しようと先へと進む。ところが、それらは急に糸の切れた人形のように崩れ落ちた。……どういうことだ。
「ここから先は、俺が行かせない」
「貴方がか?……笑わせてくれる」
魔力を探る。……この男からはほとんど魔力を感じない。ただの一般人だ。
つまりさっきのは魔法によるものではないということになる。
手を突き出し、「魔力の矢」を放つ。……しかし、それは彼に当たる直前でかき消された。……「反魔結界」?
誰か使い手が近くにいるのか。もう一度気配を探る。……地下にその人物はいるようだ。そして、この魔力は……
「秩父で会った、あの老婆か」
大河内が苦笑した。
「半分正解だな。だが、正確じゃない。とにかく俺がここにいるのは、取引のためだ」
「……取引?」
「そうだ。大魔卿の目的は凡そ分かってる。向こうの世界からの大量移民だろう?
それにお前ら中国も協力しようとしているのかもしれないが……移民するにしても障害がある。この世界の空気は、彼らにとってはとても生き難いものだからだ。
ならば、共同研究という形で切り抜けることもできるはずだ。……どうだ?」
はっ、と思わず悪態をついた。馬鹿らしい。
平和ボケした日本の政治家など、所詮はこの程度でしかない。今更取引などできるものか。
「論外だよ。話にもならない」
「だろうな。そもそもこの話はお前が独断で進めていたものだ。中国本国は一切関知していない」
「だからどうした。そこをどけと言ったはずだ」
もう一度、さっきより出力を上げた魔力の矢を放つ。今度は消し切れなかったのか、大河内の右肩の辺りが抉れた。
「……があっ!!?」
「先に行かせてもらうよ。下にいる奴に用事がある」
歩を進めようとした時、後方から銃声が聞こえた。衝撃と痛みで、思わず声が漏れた。
「ぐうっ!!!?」
振り向くと、そこには大使館の館員が3人いた。いずれも拳銃を握っている。
「你们到底做了什么(お前たち、一体何をした)?」
「这是严重违反职责的行为。我们将拘留你(重大職務違反です。確保します)」
私はすぐさま「時間遡行」で傷を治す。そして魔力の矢を彼らに放つと、成すすべなく胸に穴が空いて倒れた。
「……无用的东西(無駄なことを)」
再び、膝をついた大河内へと向かう。右手を向け、止めを刺そうとしたその時。
「間に合った」
奴がニヤリと笑った。……そして。
ザンッッッ!!!
私の背中は、何者かに深く傷つけられた。




