15-9
「俺」は何のために生まれてきたのだろう。
激しい痛みと倦怠感の中、何故かぼんやりとこんなことを思っていた。
これまでの「俺」は、どこか満たされなかった。
女は勝手に寄ってくる。金蔓もできた。権力への足掛かりも得た。客観的には羨まれるような人生だったはずだ。
だが、「俺」はどこかで限界も感じていた。「俺」よりモテる男も、金を持っている男も、権力を持っている男も……腐るほどいる。「俺」はその中では、ただの「駒」に過ぎない。
イルシアが秩父に来て、「俺」は自分の小ささを強く感じるようになった。あまりに、自分は何もできない。もっと金があって、権力がある連中が全部取り仕切ってしまう。
そんな現状が嫌で、俺はサマーズの甘言に乗った。そして日本を支配し得る力を手にしたはずだった。だが、その力すら遥か上がいる。
大魔卿と組んで自分に眠る力に気付き、今度こそはと思っていた。自分がただのモブではなく、選ばれた側なのだとも確信した。「神」の力は、確かに自分にも眠っていた。そのはずだった。
だが、御覧の有様だ。
「俺」は、力を解放してもなお奴らに遥か遠く及ばない。「神」の器である王成明は勿論、奴らが連れてきた「エリー」なる生物兵器にも、そしてあの猪狩瞬にも。
特に猪狩瞬には絶望させられた。あれが、「持っている者」なのか。ボクシングの英雄は、魔法を使わせても超一流なのか。
……何だ、この格差は。
「俺」は王から間合いを取った。こいつの持っている刀……いや魔法の武器はあまりに手に負えない。速過ぎるし、斬られるたびに何かが自分から抜けていく気がする。毒か何か仕込んでいるのかもしれない。
そして、あの女が空に浮かび上がりながら巨大化していくのも見えた。
この辺り一帯を――いや都心を全て消し払うつもりか??
チラリと猪狩の方を見る。重傷を負ったらしく、女に対応できてない。こいつを殺すなら今だ。
だが、「俺」の方もそう余裕はない。何より、こいつを殺せたとしても「俺」はあの女に殺される。攻撃する意味がない。
もう一度女を見上げる。羽根の枚数は増え、禍々しさすら感じる外見になっている。
心なしか、顔も女のそれではなく胎児のそれに近くなっているかのように思えた。
「クソっ!!!」
「俺」は上空へと向かった。ダメージは決して浅くはない。ただ、女に追いつくことぐらいはできる。
王からの追撃はない。振り向くと、「何を馬鹿なことを」とでも言いたげに嘲笑っていた。
……気に喰わねえ。どいつもこいつも、「俺」を下に見てやがる。
ふと、親父のことを思いだした。親父もそういう屈辱の中で生きてきたのだろうか。それでも何の愚痴も言わず、お袋に裏切られてもただ静かに笑って働き続けていたのだろうか。
……多分、それが自分にできるただ一つのことだったからだ。
俺や虎次郎を育てるためには、それしかできなかったからだ。
じゃあ、今の「僕」ができることは何だ??「僕」にしかできないことは……
そうだ。だから今「僕」はあの女に向かって飛んでいる。
きっと「僕」は殺されるだろう。だが、誰もが覚えてくれる存在——英雄にはなれる。
力がなくとも、自分にできることをやれば……それは、何らかの果実を生み出すはずだ。
触手のようなものが何本も飛んできた。それは刃物となり、「僕」を貫く。腕と翅が、また幾つか切り落とされた。
だが、まだだ。自分にはまだ隠された力がある。生命力を全て魔力に変え……燃やし尽くす。
……腕と翅が再生した。身体もさらに大きくなり、女のそれを超えた。
女は無表情のまま、魔力のレーザーを無数に浴びせてくる。身体が消し飛びそうになるが、それを耐えた。穿たれた穴は、瞬時に再生する。
ほんの数秒だけでいい。万全な身体である時間をくれ。
「完蛋了!!!」
王が叫び、こちらに向かってくる。だが、もう遅い。
「僕」は4本の腕を大きく伸ばし、女の手足を掴んだ。突き放そうと触手が「僕」を切り刻む。腕はたちまち千切れるが、瞬時に再生する。
残り魔力はもうほとんどない。放っておいても「僕」の変態は解除され、そのまま地面に墜落して息絶えるだろう。
だが、こうすることに意味はある。……意味はあるはずだ。
視界の端で、エオラとかいう女が王に魔法の弾を撃っているのが見えた。
王はそれを難なく避けるが、それはただの時間稼ぎに過ぎない。
……たった1秒、いや0.5秒の時間。それがあいつらにとって必要なものだったからだ。そして、「僕」にとっても。
猛スピードで何かが近付いてくる。猪狩瞬だ。
「僕」があの女の注意を引いている間、エオラは猪狩の治療に回ることができた。完全に傷が塞がらなくても、あの男なら多少の痛みには耐えられる。
攻撃も防御も、タフネスも完備した日本史上最強のボクサーだ。それぐらいはやる。
そして、「僕」の読みが正しければ……あの男の一撃は、この女に致命傷を与え得る。
「今だ、やれえっっっ!!!!!」
絶叫が麻布の空に響く。そして、猪狩瞬の左拳は女の左脇腹に刺さった。
『あ……ああっ……』
女が初めて声らしいものをあげた。魔力が急速に萎み、消え去ろうとしていくのが分かる。
同時に、「僕」にも限界が来た。
身体の全てが動かない。力は抜け、身体自体が縮んでいくのが分かった。
終わりの時が来たらしい。
意識が遠のいていく。不思議と、恐怖や後悔はなかった。
碌でもない生き方をしてきた。そして自分のせいで、何人も死んだ。
もし地獄があるなら、確実に地獄行きだろう。
だが、最期の最期に、せめて自分をずっと覚えてくれる誰かは作れた。……そのはずだ。
それだけで、自分は満足だ。力なき者でも、これぐらいはできる。それだけでいい。
そして、「僕」は目を閉じた。




