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「非常事態宣言、ですか」
俺の問いに、苦々しい顔で浅尾副総理が頷く。
「誠明会が強硬に主張してる。石川もなびきかけてる、って感じだな。この後の緊急閣議でどうなるか決まるって感じだ」
誠明会か。民自党では一番保守色の強い派閥だ。党内では3番手の規模で石川政権では冷や飯を食っていたが、「国難」を機に発言力を高めようという肚か。
実際、昨日の「東京ドーム爆破事件」の衝撃は大きかった。
事件が起きている間意識があった観客は極々限られていたが、「フェスタ15」のドキュメンタリーを撮ろうとしていたカメラが一部始終を収めていた。
そこには翅の生えた怪物と化した阪上龍一郎が、ビームか何かを放ってディスプレイや天井を破壊する姿が映し出されていた。そして、奴とその協力者と戦う町田、猪狩瞬選手の姿もだ。
死者こそ3人と少なかったものの、その絵面は相当に衝撃的なものではあった。そして、たちまち「人間が怪物に変わった」という事実はネットを中心に様々な憶測を巻き起こした。
その中には当然、イルシアの存在と怪物を結びつけるものも少なくない。何せ長瀞上空での爆発事件があった後だ。それに伴い16人が行方不明ともなっている。騒がない方がおかしい。
政府としてはこれまでの事件を「調査中」でやり過ごしてきた。実際、イルシアにいる綿貫と連携しているとはいえ分からない点があまりに多い。
とはいえ、一切合切イルシアと無関係と言い張るにはあまりに状況が厳しい。しかも、昨日の「テロ」にはもろに秩父市長である阪上が絡んでしまっている。
俺は茶を啜り、軽く息を吐いた。
「……ある程度、情報をオープンにするかどうかですね」
「綿貫からの話が正しいのだとすれば、どう考えてもこいつは国難だ。言ってみりゃ、異世界から来たテロリストが日本をぶっ壊そうとあの手この手を仕掛けてるって話だろ?
非常事態宣言を出そうという誠明会の連中の言葉には、ある程度説得力がある。まあ、トップの高橋からしてみりゃポスト石川の筆頭格になる大チャンスではあるが」
非常事態宣言を出すことには、メリットとデメリットがある。メリットは、阪上を含めた異世界関係者の捜査を強行できること。そして、無差別テロのリスクを下げられることだ。
特に後者の意味は大きい。長瀞の件然り、昨日の東京ドーム然り、完全に無差別大量殺人を向こうは狙ってきている。そして人流を制限できれば、その危険性は多少は薄れる。
だが、デメリットも大きい。世論は既にパニックになりかけている。それに油を注ぎかねない。
そして、これまで重要情報を秘匿していた政府にも物凄い逆風が吹くだろう。
それは俺たちの責任でもある。ソフトランディングを狙いあれこれやってきたが、想像以上に大魔卿という男は手段を選ばないらしい……というより、虐殺という手段を好んで取ろうとしているようにも見える。
ノアに仕組まれた「爆弾」にしてもそうだ。明らかに人道とかそういう思考が欠落している。ルール無用でやってくる相手だけに、次の一手がまるで読めない。
相手をあまりにこちらの尺度で考えすぎていた。そこが甘かったと言われれば、それまでかもしれない。
俺はもう一度お茶を飲んだ。……この後のことを考えると、打てる手は……
「非常事態宣言は、出すべきではないですね」
俺の言葉に、少し浅尾副総理が驚いたそぶりを見せた。
「何?」
「仮にそれで切り抜けられても、石川政権は終わりです。それだけならいい。まず内閣不信任案が出され、ただでさえ少数与党になっている民自党は総選挙で大敗必至です。
それで後釜に立政党政権ですか?あの馬鹿どもに政治を任せてどうなったかは、リーマンの後のことを思い出せば明らかでしょう」
浅尾副総理がさらに苦い顔になった。彼が総理だったのは、丁度その時だ。理不尽なメディアのバッシングにやられた記憶は、今でも彼を不機嫌にさせる。
「分かってるわそんなもんは!だが、じゃあ非常事態宣言を出さずに切り抜けられる妙案があるってのか?」
俺は少し間を置いて「なくはないです」と浅尾副総理の目を見た。
「恐らく大魔卿側は二の矢、三の矢を準備しているはずです。さらに行方不明の阪上の捜索も難航している。
放っておけば、どちらか、あるいは両方が暴発するでしょう。そうなったら何が起こるか分かったものじゃない」
「そらそうだ。だから非常事態宣言を……」
「いえ、その前に先手を打つんです。事が起こる前に出鼻をくじく」
「は?」
その時、俺のスマホが鳴った。やっと来たか。通話アイコンをタップすると、「もしもし」と少し低めの女性の声が聞こえた。
「山下君か、早朝に呼びつけすまなかった。ヘリの旅はどうだったかな」
「少し酔いますね……今議員会館のロビーにいます、何階に行けば」
「5階だ。今浅尾先生もいる。今日どうするかについて話し合ってたところだ」
「分かりました、向かいます」
電話を切ると、「山下?」と浅尾副総理が怪訝そうな表情になった。
「秩父市役所の職員です。といってもただの職員じゃない。母親が『シューマ神』の器だった女性です。今は彼女の中にそれがいる」
「……神の器?あれか、噂に聞くサマーズや石川の娘みたいなものか。しかし危ねえんじゃねえか?」
「俺もよく知りませんが、亡くなった彼女の母親――山下葉月がそれを制御できるようにしたと聞いてます。心配されるようなことはないかと」
「なるほど……その神の器ってのなら、大魔卿に対抗できるってわけか」
「いえ、それは到底。ですが、居場所を探り、妨害することはできる」
俺が聞いている「シューマ神」の能力は、触った物の属性を「知る」力であるらしい。そして、精神体として半径3kmであれば瞬時に「出没」し、行動に関与できるという。
つまり、彼女であれば気付かれずに大魔卿のアジトの場所も把握できるし、そこに侵入もできるというわけだ。
そのことを浅尾副総理に説明している間に、呼び鈴が鳴った。山下だ。
ドアを開けると、急いできたのか少し顔が上気している。少し見ないうちに、どことなく雰囲気が変わったか。
「すまなかった。緊急事態なものでね」
「いえ、事の重大さは私も分かってます。……そちらにいらっしゃるのが」
「浅尾副総理だ。会うのは初めてだったか」
「ちゃんとお会いするのは」
山下が深々と頭を下げる。浅尾副総理は「まあそうかしこまるな」と笑った。
「で、この姉ちゃんなら連中の居場所を突き止められるわけか」
「ええ。……山下君、ちょっと試してもらえるか」
「はい」と言うと、山下は目を閉じた。「感知魔法」とやらを使っているらしい。10秒ほどすると、「地図、よろしいですか」と訊いてきた。
「ちょっと待ってくれ」
俺はタブレットを開き、東京の地図を表示する。それに彼女が手を触れると、画面を拡大して3カ所を示した。
「大きめの魔力持ちがいるのはこの3地点です。まず、広尾の辺りに1人誰かいます。この魔力は、以前感じたことのある人物……多分、王成明です。
六本木に4人。うち2人は秩父で王と一緒にいた人物ですね。……そして麻布に、阪上市長がいます」
「阪上が麻布に?誰かに匿ってもらっていたのか」
「多分」
彼女が指さす地点を見て、浅尾副総理が渋い顔になった。
「……マジか」
「マジ、とは?」
「長い間政治家やってるとな、嫌でもヤクザ連中の溜まり場は分かるんだよ。俺より古い世代だと普通に出入りしてたしな。
んで、ここは俺も若い時に出入りした経験がある場所だ」
一呼吸置いて、浅尾副総理が顔を上げて俺たちを見た。
「ここは住菱会総本部だ。こいつは思ったより遥かにヤバい事態かもしれねえぜ」




