14-21
「『アザト』に今から代わります。彼の言うことを信じるなら、身体を貸すだけです。どうしても伝えたいことがある……」
そう言った瞬間、市川が急に白目を剥いた。ガクッと崩れ落ちそうになった彼の目が、赤い瞳に変わる。
「……ふう。何千年ぶりかに現世に戻れたわい」
「市川」の口調が老人のそれになる。口元にはニタリという笑みが浮かんでいた。
……間違いない。こいつが「アザト」だ。
真面目で誠実そうな少年、市川朝人の面影はそこにはない。顔こそ同じだが、中身は全くの別人だとすぐに分かった。
「アサトっ!!?」
心配そうに叫ぶジュリに、「市川」——いや「アザト」が「ほっほっほ」と笑う。
「クトの器の娘よ、さっき朝人が言っていたことを聞いとらんかったか?儂は『アザト』じゃ。この小僧の中に封じられている九柱の神が一柱じゃよ」
「ぐっ……!?」と、横にいるクドウとサマーズが急に頭を押さえて苦しみだした。アザトは「おーおー」とおどけたようなしぐさを見せる。
「そう猛ることもなかろう、こちらの世界のクトとニグラよ。何も取って食いはせん。今のところはの」
「アサトをどうしたんだ」とジュリがアザトを睨む。アザトはまた「ほっほっほ」と人を食ったように笑った。
「なあに、乗っ取ってはおらぬよ。そうしてもよいのじゃが、一応約束は約束じゃからの。それに、今儂がこの小僧を乗っ取ってもあまり旨味がない。『順応』がまだ進んでおらんが故にな。
儂がここに現れたのは、『神封じ』の方法についてじゃ。実の所、既に儂はそれをやっておる。覚えておろう?イーリスの依り代の女のことを」
「あっ!!」とジュリが叫ぶ。少しして、俺も気付いた。そういうことか。
「精神世界に入り込み、アザトが向こうの神をそこで拘束した上でジュリが封じる……」
俺の言葉に、アザトは満足そうに笑う。
「その通りじゃ。それでそこの2人の悩みは解消されよう。……数年はの。とはいえ、この方法は万能ではない」
ジュリが頷いた。
「……ボクの力では、完全に封じることはできない。数年しかもたない。それに……僕が力を使えば使うほど、アサトとお前の融合は進んでしまう」
「それは全然悪いことではないがのお。儂を完全に目覚めさせれば、あの大魔卿とかいう男以外ならどうとでもなるぞ?」
「アサトを喪いたくはないんだ。お前なんかに奪わせない」
アザトは「まだまだ青いのお」と肩をすくめる。少し楽になったのか、クドウが頭を振ってアザトの方を見た。
「……まだ、問題はあるわ……私たちの中の『神』を封じたら……それは同時に『力』の消失を意味する。確かに私たちも『神』なんかに支配されたくない……けれど、今のこの状況であいつらに対抗する戦力はできるだけ欲しい。違う?」
その通りだった。確かに、王成明対策として「神封じ」の方法は知っておく必要がある。だが、それをクドウやサマーズに対して今すぐやらねばいけないという話でもない。戦力の喪失は、こちらとしてもできるだけ避けたい状況なのだ。
アザトは「せっかく善意で言ってやっとるのにキリがないのお」と呆れた様子で言う。俺は奴を睨んだ。
「そちらとしては競争相手が減ればそれで充分と思っているのだろうが、そうもいかない。確かにクドウもサマーズも自らの中にいる『神』が自分を食い破らないか恐れてるが、それは大魔卿一派を撃退してからでも遅くない話、違うか?
それに、精神世界に入り込むには……確か、相手がほぼ無防備に近い状態にならないといけないはずだ。王対策にしても、奴を戦闘不能かそれに近い状態まで追い詰めなきゃいけない。特効薬とは言い切れないはずだ」
「つくづく面白味のない奴らじゃの。この市川という小僧のことさえ考えなければ、この世界を護る上では重要な方法を教えてやったつもりじゃったのに」
「お前の助けなど必要ない」と口にしかけ、俺はそれをすんでの所で止めた。
……「魂の封印」?
「……少し訊きたい。『一人の人間に2つ以上の魂がある』という状況は、神の器のケース以外に何かあるのか」
「……ゼロではないの。一卵性双生児が魂を部分的に共有していたりすることは稀にある。あるいは、妊婦の場合もそうじゃな。赤子の魂は弱く、そうだとしても何の意味もなさぬが」
……やはりそういうことか。もしこの仮説が正しければ……少なくともノアは救える。
俺の仮説とはこうだ。セックスによって俺の微弱な魔力がノアのそれと結びつき、新たな魔力が生まれた。それが俺とノアの中に生まれた、新たな強大な魔力の正体だ。
そしてそれは、気を抜けばノアの身体を乗っ取りかねないほどの凶悪さを秘めている。それによってノアを異形の者へと変え、日本を……あるいは世界を滅ぼす存在を作り出す。それが大魔卿の狙いだ。
つまり、あの「魔紋」は疑似的な「子供」を作り出す仕掛けなのだ。だとすれば、ノアの中には2つの魂が宿っている状態なのではないか?
そしてそうだとすれば、今アザトが説明した方法で当面はやり過ごせる。数年後のことは数年後に考えればいい。少なくともそれで、当面の危機は乗り越えられる。
問題はジュリ、そして市川だ。仮にこうした場合、市川の「覚醒」は恐らく進んでしまう。仮にノアを何とかできたとしても、その後どうなるかが見当もつかない。
そしてジュリの力はまだ未熟だ。俺に魔法のことはよく分からないが、まだクドウの方が力が強いように思える。勿論、クドウの力を借りれば、今度は彼女がクトに乗っ取られる危険が出てくる。彼女の力を借りることもできない。
……どうする。どうするのが最善手だ。
俺はクドウを見た。
「クドウさん、身体の方は大丈夫ですか」
「……一応。ただ、これ以上力を使うのは……正直自信がないわ。『クト』の声が……今まで以上に大きくなってる」
やはり。見たところサマーズはまだそこまでではない。緊急性の高いのは、彼女の方だ。
「分かりました。……アザト、頼みがある」
アザトの顔がぱぁっと明るくなった。
「ようやく乗り気になったかの?」
「半分正解、半分外れだ。……仮にジュリとクドウの精神世界を繋げた場合、クトがクドウからジュリに移ることはあり得るか?」
「……本来なら絶対にあり得ない話じゃ。神の器でもない人間にやったなら、たちまち拒絶反応が起きて相手方が発狂死する。じゃが……まさかお主っ!??」
俺はニヤリと笑った。
「ようやく分かったな。元々ジュリはクト、厳密にはそれと似た『御柱の意思』の器として育てられていた人間だった。当たり前だがクトの新たな器になれる可能性は高い。多分、それはできる話だろう」
「……儂が小僧を乗っ取るぞ?」
「さて、できるかな?」
ジュリが「あっ」と口にした。彼女も気付いたか。
俺の知り得る限り、クト神の能力は「魔を封じる力」にある。そして、既にジュリと市川の魂の一部は共有されている。
つまり、もしジュリがクト神の能力を手にしたならば、市川の中にいるアザトは好き放題できなくなる可能性が高い。魂の一部共有により、クト神の影響がアザトにも及ぶからだ。
アザトの表情は凍り付いている。まるで「しまった」とでも言いたげだ。
俺は満面の笑みでアザトに語り掛ける。
「じゃあ、早速だがやってもらおうか。その上で、頼みがある」
「……頼みとは、何じゃ」
「ノアの意識が戻ったら、彼女の精神の中に入って欲しい。可能なら、俺も一緒に」
ノアが目覚めるとしたら明日だ。そこで、全ての運命が決まる。
第14話 完




