14-12
上から響く轟音に、一瞬気を取られた。離れた場所から麒龍が左を振ってくる。見えない刃を交わすと、後ろの壁がザンッと斬られる音がした。
この左が厄介だ。右でもあの「かまいたち」は打てるのは確認済みだが、左の方がずっと頻度が多い。そしてフック系やアッパー系のパンチを打つ時は大体アレだ。食らったら少なくとも深手は避けられない。
そして、多分右手は「触れたものを爆弾に変える」魔法を使っている。どこかの漫画でそんな能力を持つ敵キャラがいたが、実際に相対すると本当に厄介極まりない。左右共に被弾自体を許されないというのは非常に神経を使う。
ディフェンスにはそれなりに自信がある。ただ、それでも一切被弾ゼロで済ませるというのは世界レベルでも稀だ。僕でも、12R36分間のうち確実に10発以上は食らう。場合によっては数十発だ。麒龍との間に技術レベルの差があるとしても、このままやり過ごせるかと言われれば多分NOだ。
しかも、こちらの攻撃は大して効いている感じがしない。当たることは当たる。フェイントには引っかかってくれるし、向こうの攻撃は荒い。だが、階級の差は間違いなくある。あるいは「種族」の差もあるかもしれない。
一度バックステップし、距離を取って仕切り直す。向こうの「かまいたち」は届く距離だが、今の所全て交わしているためか無理には攻めてこない。麒龍は苛立った様子で後方で突っ立っているエオラの方を見やった。
『お前も加勢しろっ!』
『わ……分かってるわよ』
その言葉とは裏腹に、彼女の顔には迷いがあった。どういう理由かは分からないが、こちらにとっては好都合だ。
隙を突き、僕は魔力を練り「力の拳」を放つ。麒龍の反応が一瞬遅れ、顔面が大きく後方に弾かれるのが見えた。……効いている。
その刹那、エオラがその後方からこちらに魔法を放とうとしているのに気付いた。横に跳ぶと、銃弾でも撃たれたかのように壁に小さなくぼみができた。
『舐めるなよ小僧っ!!!』
体勢を立て直した麒龍が左手を振るう。ダッキングすると僕の頭上を何かが通り抜ける気配がした。……今のは危なかった。
もう一度距離を取る。……やはり2対1は不利か。
再び何かが破壊される音と、観客の悲鳴が聞こえた。町田さんと誰か……恐らくは阪上という男が戦っているのだろう。
町田さんはかなり分別のある人のように思えた。観客を巻き添えにするようなことはしないはずだ。となると、周囲への被害を厭わず阪上という男が暴れているということか。
チッ、と麒龍の舌打ちが聞こえた。この状況は、彼らにとってもあまり望ましくない状況のようだ。
『予定変更だ、今すぐ女どもをステージに上げろっ!!』
『でも、まだ本番までは大分……』
『いいからやれっ!!どうせ操るのはお前だろうがっ!!俺はこいつを始末してから行くっ』
ゾクン、と悪寒が走った。計画の前倒し、ということか。
僕はドームの構造を思い返していた。……彼女が僕を回避して地上に上がるには、遠回りしなければいけない。地上に上がるなら、僕の方が近いということだ。
女性に手を上げるのは気が進まない。漫画のように、器用に当身で気絶させるなんてことはプロボクサーでも難しい。たとえそれがパウンド・フォー・パウンド(全階級最強の男)と呼ばれる僕であってもだ。
それでも、やらなきゃいけないならやるしかない。先回りして叩く。それがベストだ。
意を決して麒龍に背を向け、肉体強化魔法で強化した脚力で駆ける。「它不见了!」と麒龍が叫ぶのが聞こえた。
純粋な身体能力では向こうが上だろう。ただ、さっきまでの攻防で分かったことがある。麒龍は、アジリティ(俊敏性)で僕より劣る。10秒程度であれば、奴を引き離すことは十分できるはずだ。
果たして、追いつかれることなく地上へと出た。向かうはステージだ。グラウンドに向かう通路の警備員を押しのけると、ステージ上で対峙する町田さんとボロボロの服の男が見えた。既にある程度戦っていたのか、2人とも息が荒い。
「町田さんっ!!」
「猪狩チャンプッ!??」
呼びかけると町田さんが驚いた様子で振り向く。ボロボロの服の男——阪上も一瞬呆気にとられたようだった。
先に隙に気付いたのは、町田さんだった。すかさず右手を前に出し腰を落とすと、眩い光が掌から放たれる。阪上はガードをするが、少し間に合っていないように見えた。
『サカガミィッッ!!!?』
怒号とも悲鳴ともつかない声が、僕の後ろから聞こえる。すかさず僕は振り向き、奴に魔力を込めた右アッパーをぶち当てた。顎が上がり、腰が少しだけ落ちたように見える。
それを確認した僕は体重を乗せたボディを左レバーに、そしてそこからクォーター気味の左アッパーへと繋げた。麒龍がやっと後退した。効いている。
……その時、ゾクン、と後方に気配を感じた。
何か悍ましいものがいる。理屈ではない。ただ、そこに何かがいるのが分かった。
振り向くと、本当にボロボロになった阪上が気持ちの悪い笑みを浮かべているのが見えた。町田さんの魔法を食らって虫の息のはずなのに、どういうことだ。
「……これで『俺』を倒したと思ってるか?」
町田さんはとどめを刺しに行かない。いや、行けないのだ。
魔力感知ができない僕にも分かる。阪上の魔力は、異常に膨れ上がっている。麒龍も呆気に取られているようだった。
阪上は嗤いながら言う。
「『俺』が何者か、ここに来てようやく『思い出した』よ。何故ニコラ・サマーズから与えられた力がこれほど強大だったか。そして何故王成明が俺を支配下に置いたのか。
……俺の先祖は、多分あの車椅子のババアと同じだ。本当に遠い昔、あのババアに会っていたのを思い出したぜ」
そう言っている間にも魔力は膨れ上がる。……いや、身体もだ。そしてその背中には悪魔のような羽根がメリメリと生えてきた。服は破け、蟲と爬虫類の合いの子のような気持ち悪い怪物の姿が現れる。
……これは、猪苗代湖で見たのと似たような奴だ。ただ、その魔力は全く比較にならないほど大きい。
マズい。まさか、これも連中の作戦の一つだったのか!?
「コォォォォッッッ!!!!!」
咆哮がドームに響き渡る。一瞬、意識を持って行かれそうになる。その声に『そこから動くな』という魔力が込められていることに、僕は何とか気付いた。
「魅惑の声かっ!!!」
町田さんが叫ぶ。そうか、阪上が観客の精神を一度空白にし、そこにエオラが「自らの魔力をペンライトに注ぎ込め」というより具体的な命令を与える。あとは安全な場所に移動し、麒龍が「起爆」すればいいということなのか!
とすれば、これは……恐ろしく危機的な状況だ。
魔物と化した阪上が、蟲のような顔を歪めた。
「さあ、第2ラウンドだ。ここからは、『俺』による蹂躙でしかないがな」




