14-11
コントロールルームまで10mほど。そこで俺は逡巡していた。
行くべきか、行かざるべきか。
行くのを躊躇している理由は2つある。一つは数的に不利だからだ。向こうにいるのは阪上ともう一人——多分、秘書の川上という女だ。今の俺なら、無理矢理ねじ伏せることもできなくはない。
ただ、阪上は「魅惑の声」を使う。抵抗はできるだろうが、その際に何かされたら――例えば身動きがろくに取れない状態で銃でも使われたら、かなりピンチだ。
まして相手は2人いる。こっちが多少パワーアップしているとはいえ、戦力的には分が悪い。
もう一つの理由は……ここで阪上がドームにいる客に対して「魅惑の声」を使う可能性があることだ。客の入りはまだ半分といったところだが、それでも2万人強が一気に暴徒に変わりかねない。
下手に踏み込んで刺激したなら、そういった強硬手段に出かねない。だから、猪狩チャンプを待って一気に潰すつもりだった。
だが、電話から数分してもまだ彼が来る気配はない。俺の感知魔法の精度は大したことはないが、それでも地下に3人高い魔力の持ち主がいる状況は分かった。……こちらに向かう前に見つかってしまったか?
そうなると、俺一人で一か八か突っ込むより他ない。問題は、そのやり方だ。
向こうが俺の存在に気付いているかはやや微妙だ。気付いているならとっくに出てきてもおかしくはない。ただ、気付いた上で敢えて俺を泳がせている可能性も捨てきれなかった。とすれば、その理由は何だ?
……時間が経てば経つほど観客は増える。警察はペンライトの回収に動いているかもしれないが、これだけの人数から回収しきるには相当時間がかかる。
しかも、「人間爆弾」は僅か十数人であっても爆風の半径は推定100mだ。これが数百人、数千人なら……千代田区と文京区一帯が吹っ飛ばされても全く驚きはしない。
……なるほど、そういうことか。
俺は舌打ちをした。
奴が動かない理由は「時間稼ぎ」なのだ。俺が突っ込まなければ事態は悪化する。そして適切なタイミングで「魅惑の声」を発動する。この時点で今ドームにいる観客は「人質」になるのだ。
そして起爆役のあの魔族の男が仮にやられても、阪上は2万人以上の暴徒を作り出すことができる。どう転んでも、俺たちにとっては致命的な状況だ。
つまり、もう迷っている時間はないということだ。俺はコントロールルームに駆けだそうと呼吸を整えた。
……いや、第三の方法がある。
俺は感知魔法を改めて使う。集中すれば、魔力の持ち主だけでなくそこにいる人物、物の配置まで分かるらしい。ノアの知識は、そのように伝えていた。
コントロールルームにいる「生きている」人間は……僅か2人だけだ。考えてみれば部外者である阪上たちがコントロールルームを平和裏に占拠できるはずもない。それにしても、阪上が人殺しをするような男とはちょっと思わなかったが。追い詰められてどうかしたのだろうか。
ともあれ、好都合だ。躊躇わず「第三の方法」に打って出れる。俺は魔力を練り、両方の掌に集めた。やり方は、多分合ってる。
……ノアの得意魔法「魔光条」だ。
ゴウッッッ
眩い閃光が廊下に広がった。放射状に放たれた魔力は、その通り道にあるものを悉く消し飛ばしていく。そしてその先には……コントロールルームがある。
少しずつ、光が収まる。観客席には届かないよう力の調節はしたつもりだ。だが、コントロールルームはほとんど跡形もなくなっていた。俺は息をつく。
……人を殺したのは、これで2回目か。べギルの時はやむを得ない状況だった。しかし今回は、無抵抗の阪上と川上を殺した。……合理的な最善手だったかもしれないが、正直かなり罪悪感はある。気分のいいものじゃない。
ふうと息をつき立ち去ろうとした時、強い魔力を感じた。
「待てよ」
振り向くと、そこにはボロボロになった阪上がコントロールルームの辺りに浮いていた。一度落下したのか、あちこちから血が流れている。
「しぶといな」
そう言いながら俺は少しだけ安堵していた。俺はノアのように人を殺めるのに躊躇がない人間ではない。彼女のいた世界とこちらの世界——特にこの日本とでは、倫理観がかなり違うのだ。
「……秘書の女は」
そう訊くと、阪上が忌々しそうに顔を歪めた。
「虫の息だったんでな。『俺』が『喰った』。まあ、いざとなればそうするつもりだったがなぁ」
「『喰った』?」
「お前に言っても分からねえよ」
……みるみるうちに、阪上の傷が治っていく。川上の生命力を何かしらの手段で取り込んだのだと察した。ノアの知識にも、そういう「生命力吸収」という魔法がある。確かに、できなくはないのだろう。
それにしても、阪上の雰囲気が随分変わっている。口調は荒っぽくなり、かなり感情的になっているようだった。最後に会ったのは秩父市役所だったが、その時からは別人だ。
「ハハッ」と阪上が嗤った。
「……何がおかしい」
「『俺』は元からこうだ。むしろやっと解放された気分だ。あの方たちのお蔭だ」
……こちらの思考も読めるようになったのか。動揺を悟られぬよう、俺は奴の方を見据える。
「……大魔卿か、王成明か」
「両方さ。しかし随分無茶苦茶をしたな、お蔭で『プランA』は水の泡だ」
プランB、ないしはCも当然あるということか。それが何であるかは分からないが、止めなければいけないことには変わりがない。
阪上の視線がドームの観客席に向いた。コントロールルームが消し飛んだことに観客の一部が気付き、どよめきが起きていることにようやく気付く。ニヤリと阪上が口の端を上げ、右掌を観客席に向けた。
俺の背筋から、血の気が引いた。
「やめろっっ!!!」
俺が突っ込むと同時に、阪上は魔力の矢を観客席に向けて放った。
宙に浮きながらだと狙いが定まらなかったのか、矢は上へと逸れバックスクリーンに直撃する。ドンッという音と共に客席から再び悲鳴が上がった。
「残念」
俺の突進を避けると、阪上がつまらなさそうに肩をすくめた。しかしすぐに何かを思いついたのか、再び嗤う。
「せっかくだから、コンサートが始まる前に、彼らにアトラクションを見せようじゃないか」
「アトラクション……だと??」
そう言うと奴はステージの方へと向かっていく。まさかっ……
その意図は分かっていながらも、俺は奴を無視できない。奴を追ってステージに立つ。2万人以上の視線が、俺たちに集まったのが分かった。
阪上が手を広げる。
「それでは時間無制限1本勝負のデスマッチと行こうじゃあないか」
俺は少し間合いを取る。……こうなれば、やるしかない。




