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視界が一転する。白一色だった世界は真夏の陽光に塗り潰され、思わず目を細めた。同時にとてつもない虚脱感と、全身が千切れるかのような激しい痛みが襲った。
私の切り札「100倍速」の代償だ。
「100倍速」は実時間で最大5秒間、私の中の時間を100倍にするというものだ。つまり、他の人間が1秒動く間に私は100秒分の行動ができる。そこから放たれる一撃は音速を優に超え、頭蓋に当たれば痛みを感じる間もなく頭が吹き飛ばされる。
半面、その代償は大きい。僅か実時間の1秒だけ100倍速を使った場合でもこれだ。数日はマトモに動けないほどの筋繊維の断裂、そして激しい体力の消耗をもたらす。魔素の薄いこの世界では、魔力欠乏症をもたらしかねないまさに「禁じ手」と言えた。
しかし、誠二を止めるにはこれしかなかった。
誰も好き好んで肉親を手にかけたくはない。誠二とは私の「生前」からあまり折り合いは良くなかったが、それでも憎んでなどいなかった。それは彼も同じだったはずだ。
……だが、説得には時間があまりになかった。彼の心も閉ざされていた。そして何より、彼の中にいる「ノーデ」が彼と同化し、「下天」するのは時間の問題だった。そうなれば彼の自我は基本的に食い潰されてしまっただろう。助かる見込みは、ほぼなかった。
「……くそっ」
私は膝から崩れ落ち、悪態をついた。後悔から目頭が熱くなる。
私は合理的な判断をしたはずだ。だが、本当にそれ以外に選択肢はなかったのか。誠二を殺さずに救う方法は本当になかったのだろうか。
立ち上がり、歩き出そうとしたがその力が湧いてこない。学生たちが心配そうに私を見ている。
「随分ボロボロだな」
顔を上げると、そこには白衣の男——世良教授がいた。
「……どうして、貴方が」
「俺は中立だが、死にかけている人間を見捨てるほど情のない人間じゃない。とりあえずは病院に行って点滴だな」
*
世良教授の手引きで私は応急措置を施されることになった。とはいっても、そこまで特別な措置というわけではない。栄養剤と鎮痛剤の点滴、その程度のものだ。魔力欠乏症を防げるだけ、まだマシか。
時間は3時に迫ろうとしていた。この状態では東京ドームで仕掛けられるはずのテロ防止に動くことはできそうもない。……町田と猪狩選手の2人に任せるしかないか。
「大丈夫か」
処置室に世良教授が入って来た。
「……ええ、一応。しかし、医者に事情は」
「少しだけ話したが心配は無用だ。俺の知り合いの開業医でな。魔法関連のトラブルがあった場合、ちょくちょく使わせてもらっている」
「……この世界では、魔法の存在を知る人間はほぼいないと思ってましたが」
「『ほぼ』な。国家機密レベルだし異世界の存在まで知っていた人間は俺や石川など極々少数だが、怪奇現象の研究という名目で一連のトラブルは引き受けてきた。だから、イルシアの存在が発覚した際に真っ先に俺に声がかかったというわけだ」
そう言うと彼はベッドの側の椅子に腰かける。
「殺したのか、アレを」
「……ええ。死の際に発生する『魔力の奔流』を防ぐため、異空間に呼び込んだ上で」
「用意周到だな。……君の弟だろう。ノーデとの同化が進んでいたからやむを得ず、というわけだな」
「……まだ、『神』を宿す者は何人かいます。しかし、切り札の一つは使ってしまった」
「特に王成民、だな。大魔卿と組んでいる時点で厄介極まりない」
胸元からアメスピを取り出すと、世良教授はその一本を加えてライターで火をつけた。紫煙が薄っすらと立ち上る。
「貴方は中立では」
「直接介入はしない。ただ、俺ももう一度世界を再構築するにはかなりの時間がかかるし、今回それができるかも怪しい。
実際、お前が一度『壊した』世界をやり直す際に、『神』の性格は随分捻じれてしまった。世界の維持ではなく支配に重点を置くようになり、人間性も失われている。『ノーデ』にしろ、お前が知る奴とお前が殺した奴の中にいるそれとはほぼ別だ。
それだけに勝って喜ばしい相手と、そうでない相手がいるのは事実だ。できれば俺も役目を放棄して人に戻りたいしな」
「……王に対して、どうすればいいと」
「直接的なアドバイスはしないつもりだが……答えはイルシアにあるかもしれない、とだけ言っておくか」
「それはどういう」
教授はアメスピを深く吸い「そこからはお前たち自身が考えることだな」と告げた。
「一つ言えるのは、これは総力戦だ。ギルファス・アルフィードがどこまで出張ってくるかにも依るし、そもそも奴が仕掛けた『爆弾』を抑えきれなきゃ話にもならない」
そう言うと、ポケットから何かの液体が入った瓶を置いた。
「……これは」
「今の俺は魔法をほぼ使えない。だからこいつは回復魔法代わりだ。向こうの世界では『エリクシア』と呼ばれた代物だな。余っていたからやる。
お前の容態は正直よくない。全身の筋肉がボロボロになっていて、マトモに処置したら全治数カ月って状態だ。だが、こいつなら数日で済む。お前の力が、あの町田君たちには必要になるはずだ」
「どうして、そこまで」
世良教授は苦笑した。
「お前には責務があるからだ。この事態は、お前の行動にも原因の一端がある。無論やむを得ないことではあったにせよだ」
「自分の尻は、自分で拭けと」
「まあそういうことだな」
その時、待合室の方が騒がしくなってきた。白衣を着た小太りの中年男が処置室に入ってくる。
「大変ですっ!今、ニュースで、東京ドームが……」
私は思わず身体を起こした。その瞬間、全身に強烈な激痛が走り再びベッドに倒れ込む。
「テロか」
世良教授の言葉に、中年男が頷く。
「ドーム内に、怪物が登場したと……一体、何が起きているんです」
……ここから先は、町田と猪狩選手に任せるより他ない。




