序章2
俺たちはテーブルを挟んで向かい合って座る。よく考えれば、誰かと一緒に飯を食うのは2年ぶりだ。あの時向かいにいたのは、死期を前にした親父だった。
今目の前にいるのは、俺の半分ぐらいの年齢に見える少女だ。やはり、どうにも全く現実感がない。
彼女——ノアは俯いて落ち込んでいる様子だ。ここが彼女にとっての異世界であるという事実を受け止められないらしい。
「とりあえず食えよ。飯が冷めるぞ」
コクンと彼女が頷く。恐る恐る粥を口にすると、目を見開いた。
「ブイエユ!!!」
「……何だそれ」
しまったと言いたげに彼女が口を押える。
『あ、ごめんなさい。心からの叫びだと、『念話』を使うのを忘れちゃうの』
「念話……言葉が通じるようにするための、魔法か何かか」
『うん。結構難しい魔法なのよ。イルシアでは、あたし含めて数人しか使えない。
あ、さっきの言葉は『美味しい!』って意味。このどろっとしたスープみたいなの、コクがあって本当に美味しい……』
「大したもんじゃねえよ。『味覇』と干しシイタケで取ったスープにザーサイを合わせただけの、似非中華粥だ。和風粥だと味付けが薄いんで、ちょっと濃い目にした」
『うぇいぱー?何それ』
「まあ気にするなよ。熱いうちに食うのが一番美味い」
うんうん、とノアが頷いて匙を口に運ぶ。余程腹が減っていたのか、茶碗はあっという間に空になった。
『本当に美味しかったわ。ありがと。でも、まだ足りない……』
「そう言うだろうと思って、もう一品作った。焼うどんだ。炭水化物ばかりで悪いが、胃腸が弱った時は消化のいいものだ」
ノアはまた「ブイエユ!」と叫んだ。表情に明るさが戻ってきた彼女を見て、俺も思わず顔をほころばせる。
『あなた、料理上手いのね!!どこかの宮廷料理人なの!?』
「んなわけないだろ。俺はただ趣味でやってるだけだ。そんなに手間のかかったものでもないし、一人暮らしなんでね」
『一人暮らし……この家、古いけどそれなりに大きいわよね。あなた、何をしている人なの』
俺は思わず言葉に詰まって、ふうと息を吐く。あまり、自分の恥を晒したくはないが……正直に言った方がいいのだろうな。
「……無職だ。何もしてない」
『え??でも、あなたそんなに暮らしに困っているようには……』
「親父の遺産を食いつぶしているだけさ。元々働いてたんだが、身体壊しちまってな。……もう、昔みたいにハードには働けない。それなりに動けるようになったのも、この1年くらいなんだ」
苦笑する俺に、ノアは申し訳なさそうに下を向いた。
『……ごめんなさい。言いたくないことを言わせちゃったわね』
「いいんだ。それに、遺産もそろそろ底を突く。ぼちぼち、働かないとマズいとは思ってるんだ」
そう、働かないといけない。ただ……正直に言って恐怖心がある。それは、また心臓が壊れるかもしれないという恐怖だ。
*
俺は、3年前——25の時に心筋梗塞で生死の境をさまよった。原因は過労だ。総合商社での激務は、気付かぬうちに俺の身体を蝕んでいた。
何とか生還したが、職場に戻った時にはもう俺の席はなかった。そもそも、最前線で働けるだけの体力も精神力もなくなっていたのだ。
絶望に打ちひしがれていた俺を救ったのは、親父だった。銀行員だった親父はアーリーリタイアをして実家の秩父に引っ込んでいた。
幼馴染だったお袋を早くに亡くしていた親父は、お袋と育ったこの地で余生を過ごすことを望んでいた。「空気はいいし水も美味い。ここに来れば、お前の身体も良くなるだろ」という親父の言葉に乗せられて、俺は2年前に会社を辞めてここに来ることにしたのだ。
だが、親父との生活はとても短いものだった。戻って数日後、親父は吐血した。進行性の胃がんだった。病院に行って診てもらったが、既に手の施しようのない状態だった。
親父は実にあっさりと延命治療を拒否し、俺との最期の時間を選んだ。今から思えば、俺を呼び寄せたのは死期を薄々悟っていたからなのかもしれない。
そして、親父は俺と暮らし始めてたった3カ月で逝った。俺の心に深い悲しみを残して。
それ以来、俺はここに住み続けている。家が売れないという理由だけではなく、親父との思い出があるこの家を売りたくはなかったことも大きかった。
*
そして、今。俺はまだ立ち上がれないでいる。
身体は多少動けるようになった。コンビニのバイトぐらいはできるようになったかもしれない。去年からは健康づくりのため、家庭菜園も始めてみた。ただ、心に刻まれた恐怖心——トラウマは簡単には消えない。
そして、親父の死からは立ち直ったが、ここを離れる気にもなれなかった。こんな限界集落には働き先などない。市中心部なら幾分か働ける場所はあるのだろうが、自分が満足できる職場があるかには自信が持てなかった。どうにも、元最高学府というプライドが邪魔をしてしまっているらしい。
黙っているとノアが『きっと、あなたなら大丈夫よ』と微笑んでいた。俺の何が分かると一瞬思ったが、どうにも俺の心を見透かされて慰められているような気がした。
「まさか、心を読んじゃいないよな」
『そんな無礼なことはしないわよ。でも、あなたはきっと大丈夫。『魔女の勘』は、外れないの』
「『魔女の勘』……か。本当に君は、異世界から来た魔法使いなんだな」
コクンとノアは頷くと、スムージーを口にした。それを半分ほど飲み干し、口をナプキンで拭う。
『ええ。あたしはイルシア皇国の一等魔導師にして、特等魔導師『ランカ・アルシエル』の娘よ。『念話』が使えるから、領主のとこに行って支援を頼む役割を与えられたの』
「一等魔導師?一等って……君、まだ随分と若いじゃないか。小学生高学年か中学生ぐらいじゃ……」
ノアがむっとした表情になる。
『『しょうがくせい』とか『ちゅうがくせい』ってのが何か知らないけど、あたしのこと子供だと思ってない?冗談じゃないわ』
そうか、異世界人だと寿命そのものがこっちの常識外ってことがあり得るのか。彼女も見た目は人間だが、実は長寿のエルフか何かなのかもしれない。
俺は素直に「すまん」と頭を下げた。
「人は見た目に依らないっていうが、その通りだったな。俺が悪かった」
『分かればいいのよ』
「ただ、ちょっと気になるので聞かせてくれ。君は何歳なんだ?あ、勿論言いたくないなら言わなくていい。とりあえず俺は28だ」
ノアが少し驚いた様子で目を見開く。
『あら、同じ年なのね。こっちも年下だと思ってた』
「やはり種族が違うからなのかな」
『それはあると思う。あたしの4分の1の血は『御柱様』の血統だし。母様はもっと長寿だけど』
「『御柱様』って何だ?神様ってことか」
彼女はスムージーを少し飲んで『似たようなものかも』と頷いた。
『『クト神』様の直系なの。ここにあたしたちを転移させたのも、あの御方の力。あたしや母様も協力したけど』
俺は少し考えた。ここに転移したのは、やはりノアだけではないのか。
「ということは、この近くに君の仲間もいるわけだな」
『うん。ただ、心配なのは食料。備蓄はあるけど、どこまでもつか……』
「だから庇護を求めようとしたわけか」
コクン、とノアが頷く。その表情は暗い。
『あなたはここに領主はいないって言ってた。でも、街はあるんでしょ?その市長にあたしたちを保護して欲しいってお願いをしたいの。ここは異世界だから、モリファスからの追っ手なんてこないとは思うけど』
「追っ手……逃げて来た、というわけだな」
『そう。あたしたちの国、イルシアとモリファス帝国は交戦状態にあった。正直、数的には不利だったけどこの1年は膠着状態ぐらいには持って行けてた。
でも……恐るべき疫病がモリファスで流行り始めたの。人を異形の者に変え、挙句の果てに死に至らしめる……『死病』。その病は、イルシアにも届き始めてた。どうしようもなくなったあたしたちは、御柱様の力を使って聖都イルシアごと転移したわ』
「……街ごと??」
俺は耳を疑った。異世界に転移してきたと言っても、精々数人かと思っていた。だが、街ごととなると全く話が違う。隠し通せるレベルじゃない。
そして、俺はとんでもないものに足を突っ込んでしまったと直感した。下手に動けば、日本中が、いや世界中がパニックになる。
「一応、聞いておくが……その街の人口は」
ノアはしばらく考えた後、口を開いた。
『魔力の関係で王城周辺の中心部しか転移できなかったけど……ざっと1000人はいると思う』
俺は思わず箸を落とした。1000人??俺のいる大府集落の10倍以上??
これは、一種の難民だ。それも異世界という、全く未知の世界からの。




