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『……やっと休めるのか』
ホテルを前に、部下の一人で最年少でもあるラヴァリが安堵から崩れ落ちた。私を含め、6人全員が疲れ果てていた。ある程度分かってはいたことだが、この世界では体力の消耗が激しい。魔素があまりに薄すぎるからだ。
『……というか、この城が宿屋なの?どうなってるのよ、この世界は』
茶色がかった巨乳の女——エオラが呆れ果てたように言う。ここまで彼らをパニックに陥らせず、かつ周囲から目立たないように連れてくるのは大変だった。姿を隠しやすい夜間でなければ、完全にアウトだっただろう。
特に車の存在には私以外の5人全員が動揺していた。あんな速さで道を走るものは、メジアにはない。信号やコンビニなども、勿論ない。目に映る全てが珍しく、奇異に思えたはずだ。
私たち6人が4時間かけて裏磐梯のキャンプ場から国道に降り、トラブルなく高速沿いのラブホ街に辿り着けたのは幸甚だったとしか言いようがない。
『本当に宿屋なんですか、隊長。宿の主人も誰もいないじゃないですか』
『まあ、見ておけ』
ラヴァリの声をよそに私は部屋のパネルから3つを選び、タッチしていく。紙幣を入れると、横の機械からルームキー代わりのカードが出てきた。
あのキャンプ場の若者たちから奪った金があれば、ひとまず3日分くらいは滞在できそうな料金だ。しばらくはここが拠点になるだろうか。
私はカードの一つをエオラに渡した。
『君はプレシアと使ってくれ。あとは私とヴェスタ、ラヴァリとべギルで使う』
『分かりましたわ。しかし、これからどうするんです?本当に、イルシアはこの近くにあるのですか?』
『徒歩で行けるような範囲にはない。ただ、この国——日本のどこかだ。転移の座標は多少ズレたが、大きくは外してない』
人の気配が背後からした。この格好は極度に目立つ。問い質されたら、また「消さねば」ならなくなる。
私は慌てて部屋の一つに向かい、「ペルジュード」の全員をそこに押し込めた。
『痛た……随分乱暴じゃないすか、隊長。そんなに目立っちゃダメなんすか?もし見つかったら、さっきみたいに隊長の『恩寵』で『消して』しまえばいいじゃないすか』
『ヴェスタ、状況はそんなに甘くない。この国は全ての犯罪行為に対して極めて厳しい。世界でも最も有能な警察組織を持った国でもある。
メジアのどの国よりも、いやエビアを含めてもこの国以上に治安がいい国は存在しない。逆に言えば、犯罪を起こせば即座に見抜かれると思った方がいい。既に危ない橋は渡ってしまっているんだ』
『確かにできるだけ隠密裏にイルシアの『御柱』をひっ捕らえて来いって言われましたけど……堂々と動いちゃダメなんすか?』
ヴェスタが不満げに言う。彼は見た目こそ若いが、「セルフィ」の血が入っているから年齢的には私とそう変わらない。
べギルがその言葉に首を横に振った。この中では唯一私より年上だ。生まれが卑しいから部下なだけで、普段物静かな彼の言葉には説得力がある。
『……聞いているだろう。『異世界』の文化はこことあまりに違うと。そして、我々の風体はその中では目立つことになると、隊長も言っていた。そんなことをしたら、自由に身動きも取れなくなる』
べギルの言う通りだ。そして、少しでも目立てば致命傷になりかねない。
私たちは、既に5人を殺し、「消している」のだから。
理由は簡単だ。私たちの存在を、知られてしまったからだ。
転移先のキャンプ場の一角にいたのは、バーベキュー中の男女5人の若者だった。彼らは私たちを見るなりコスプレイヤーだとか何とか言って騒ぎ始めた。
それに対し、血の気の多いヴェスタが攻撃を仕掛けた。すぐに男の心の蔵が貫かれ、夕食の場は一瞬で地獄絵図と化した。
ヴェスタを責めるつもりはない。口止めは不可能だっただろう。私たちを見た以上、彼らには死んでもらうより他なかったのだ。
それでも、車とテントだけは残さざるを得なかった。この世界の魔素では、5人を「消す」のが精一杯だった。そして、もう少ししたら別の誰かが来る可能性も相当にあった。
ニュースはまだ確認していない。ただ、そろそろ警察が動いてもいい頃だ。私たちが彼らを殺し、消してから既に6~7時間が経過している。痕跡は完全に消したとはいえ、下手に身動きは取れない。
私はヴェスタとべギルを交互に見た。
『その通りだ。私たちの存在を知られたが最後、イルシア『御柱』ジュリ・オ・イルシアの捕縛は叶わなくなる。私たちに与えられた任務は、かの者の奪取と連行だ。
モリファスの平穏と『死病』の克服のためには、それ以外に手立てがないのだ』
ずっと黙って聞いていたプレシアが、遠慮がちに頷く。その顔色は、過度の疲労によるものからか真っ青だ。
『……隊長の言う通りだと思います。メジアを救えるとすれば、彼女しかいない。北方のカルディナ共和国はそう思ってないみたいですけど……
迫りくる『穴』と蔓延する『死病』を止められるとすれば、クト神の代行者たる彼女の力が必要不可欠ですから』
『その通りだ。だからこそ、この国の誰にも気付かれることなくイルシアに潜入しないといけない。イルシア自体がこの世間に晒される前に、だ』
急がないといけない。イルシアがどこにあるにせよ、存在が知られれば相当厳重な管理下に置かれるはずだ。そうなれば、いかに精鋭揃いの我々「ペルジュード」と言えど、一戦交えることなしにイルシアには入れまい。
幸いにして、イルシアがどこにあるかは大体分かっている。転移の際に多少座標がズレることは認識していた。私たちをここに送り込んだ「大魔卿」もそんなことを言っていた。
ただ、彼が作り出したこちらの世界の地図は、イルシアが転移した先と思われる地域を大雑把ではあるが示していた。
それは埼玉県西部。それも、かなりの西部……秩父か飯能か、その辺りだ。
そこに、裏磐梯から向かわねばならない。しかも、この6人で。相当に無茶なミッションだが、やるより他はない。
『で、どうするんすか、隊長』
ラヴァリはソファに寄り掛かって言う。視線は天井だ。本当に疲れ切っているらしい。
『ここにいれるのは、長くて3日だろう。それまでに態勢を整えないと話にもならない。幸い、金ならまだある。それをまず増やそうと思う』
私はプレシアを見た。彼女は「転生者」ではないが、「未来視」と呼ばれる特殊な能力を持っている。その力を使えば、ある程度なら競馬か何かで金は増やせる。
幸い、明日は日曜日だ。福島競馬場なり何なりで馬券を買い、増やした上で移動のための路銀と準備資金に使うのがベストか。
『私の『力』を使うのですよね。金を増やしたその後は?』
『凡そのイルシアの場所は分かってる。そちらに移動することになるな。服もこの世界に合ったものを明日か明後日にも見繕っておく。ただ、剣は諦めた方がいい。この世界では、剣は持っているだけで法に背くことになる』
プレシアが溜め息をついた。上級貴族の娘である彼女にとって、剣は誇りなのだ。
『消してしまうのですね』
『ああ。もっとも、この世界においても多少なら魔法を使えるのはさっきの戦闘で分かっているはずだ。十分な体力があれば、君たちは剣なしでも一騎当千だと確信している』
『了解しました。頼りにしています、べルディア隊長。貴方しか、この世界のことは知らないのですから』
私は頷いた。そう、モリファスに「異世界がある」という事実を知っている人間は極々一握りだ。ペルジュードの彼らだって、本当につい最近知らされたばかりなのだ。
だが、私は「異世界」のことを大分前から知っていた。それは、私自身が転生者だからだ。
私——ムルディオス・べルディアは転生者である。
ウクライナ危機ではウクライナ側の傭兵部隊を率いていた。そして、3年前に命を落とし……モリファスの有力貴族の一人「ムルディオス・べルディア」に憑依したのだった。
そして、私——猪狩一輝の本当の故郷は……この国、日本だ。
第1話 完




