1-9
大河内尊・民自党副幹事長は若手の取りまとめ役として知られる。僕をはじめ、大体の1、2年生議員が彼の世話になっているはずだ。
彼は小田原市を含む神奈川第17区出身の2世議員だ。僕と同じ慶応大学経済学部卒で、スマートな政策通としても評価が高い。
そんな彼が閣僚ポストについていなかったのは、ひとえに彼の女癖の悪さが理由だ。週刊誌の格好のネタにされることを恐れた長老たちは、彼を表舞台に出すのを渋った。
本人は独身だから自由恋愛で押し通せそうなものだが、どこに隠し子がいるか分かったものではないとの評判は彼に付きまとっていた。派閥の長、浅尾元総理曰く「あれさえなければとっくに閣僚、それも重要ポストについてたはずだ」という。
それでもようやく隠し子がいないことを証明する「身体検査」が終わり、大河内議員は満を持して閣僚になろうとしていた。彼のことだから、上手いこと誤魔化したのかもしれないが。
そして、彼は議員になる前から父・綿貫信平の薫陶を受けていた。大河内議員の父・大河内武が父の先輩であったことが大きかったらしい。僕の政治家としてのふるまいは、半分は父に、もう半分は大河内議員に学んだと言っても過言ではなかった。
「大河内副幹事長?名前だけは聞いたことがあるが」
流石の町田も、彼の名前は知らなかったらしい。閣僚になるか、さもなければ僕のように進んで露出しない限り、一般の国会議員の知名度はたかが知れている。
「同じ浅尾派の先輩だよ。二世議員だけど、元総務省の官僚でもある。自治体には顔が利くと思う」
「君が動かせるような人なのか?」
僕は少し考え、「多分」と答えた。政治的野心という意味では、僕よりも強いかもしれない。そして、手段を選ばない人でもある。
数年前に民自党の滝元幹事長が失脚したのは、大河内議員が彼の愛人を使いハニートラップを仕掛けたからだという噂があった。父が真偽を質したところ、彼はいつものようにヘラヘラと笑いながら「人間、欲には勝てないものですよ」と否定も肯定もしなかったらしい。
人当たりは柔らかいが、恐ろしい人だとその時強く思ったのを覚えている。「100%の信頼を置けない」というのは、そういう理由だ。
ただ、機を見るに敏な人物でもある。イルシアのことを伝えれば、まず乗ってくるだろう。目先は仲間になってくれるはずだ。その後はどうか分からないが。
「少し、連絡をしてみる。ちょっと待っててくれ」
スマホを取り出し、大河内議員の連絡先をタップする。5コールほどして「……もしもし」と気怠そうな声が返ってきた。
「綿貫です。少し、よろしいですか」
「何だい休日に……喫緊の用でなければLINEにしてくれ。俺は忙しいんだ」
女といるな、と僕は直感した。大方、一戦交えた後なんだろう。
「その喫緊の用です。これからでも会えませんか」
「男と休みに会う趣味はないんだよ。用件を端的に言ってくれ」
「説明が難しいのですが、平たく言えば『超特大の権益』が転がり込むかもしれない話です。与太じゃないです」
「……超特大の権益?」
ノアが眉を潜めたが、僕はそれを無視することにした。彼女にとって、イルシアを「権益」扱いされるのはなかなか我慢ならないだろう。
だが、政治家というのは権益と情報を取り合う生き物だ。誰かを動かすなら、金か情報、そして権益だ。大河内議員も、それを熟知している人物だ。
「はい。今、埼玉県秩父市にいます。そこにそれはあります。僕もこれから視察しますが、間違いなく日本を引っ繰り返しかねない案件です」
「引っ繰り返しかねない?何だ、油田か何か見つかったのか?日本が産油国になるなら、確かにそのぐらい言ってもいいが……あり得ない話だろう」
大河内議員の後ろから「何話してるの?」という甘ったるい声が聞こえてきた。やはり女と一緒か。なら、今具体的な話はできない。
「油田じゃないですが、それに近い話だということは保証します。そして、油田よりもでかい話です。どうですか」
「……正気でモノを言っているんだよな」
「正気も正気です」
数秒の間の後「分かった」と返事が返ってきた。
「21時に、横浜みなとみらいの『ホテルコンチネンタル』だ。22時までなら、時間を作ってやる。スイートルームまで来てくれ」
「ありがとうございます」
「馬鹿な話だったら君との関係は見直すぞ。そのつもりで」
「勿論です」
通話が切られた。僕はふうと息をつく。
「首尾は」
「上々だ。イルシアをさっと視察したら、大河内議員に会いにすぐに横浜に向かう。明日か明後日には、彼にもイルシアを見てもらうことになるかもしれないが、いいか」
「ああ。行政との折衝は、彼にやってもらおう」
僕は硬い表情のままの山下に「すみませんね」と作り笑いを浮かべる。
「私が、その方と話し合うんですか」
「そうなると思います」
「……納得できません。私はあなたたちの使いっ走りじゃない」
その通りだ。確かに彼女にこの件に協力してもらうメリットはない。
町田が「そうだな」と山下を見た。こういう返答が来るのは予想済みだったようだ。
「君に俺たちに協力する義理はない。今の所、負担だけかかって何の利益もないからな。
ただ、秩父市のことを考えたら、協力しない理由はなくないか?もし放置したら、完全に街がパニックになる。それを恐れているから、君をここに連れて来た」
「……言いたいことは分かってるわよ。ただ私なんかに……そんな大きなものは背負えないわ」
「でも誰かがやらなきゃいけない。そうだろ」
頑固で何かのコンプレックスを抱えているタイプか。始終表情が暗かったのも、そのためかもしれない。この手の人物は、正論では説得が難しいだろう。
僕は山下の顔を見た。僕のタイプではないが、なかなか整っている。化粧をして然るべき服装をしたら、振り向かない男の方が少ないだろう。町田の元カノらしいが、なるほど確かに悪くはない。
……僕の中に、邪悪なアイデアが浮かんだ。目先、彼女を動かすならこれが一番良さそうだ。
僕は「町田」と目配せをした。「何だよ」という訝し気な返事が返ってくる。
「僕に一案がある。任せてくれないか」
「……は?」
「大丈夫、多分これでいい」
続いて、山下に目線を向ける。
「……山下さん、とりあえず大河内議員に会うだけ会ってみませんか」
山下は「え」と声にしたまま固まった。
「彼は人徳者ですし、頭も切れる。必ず、秩父市のためになるよう動いてくれるはずです」
そう、嘘は言っていない。全て事実だ。だが、言っていないこともある。
大河内議員は好色家だ。女性に対して紳士に振舞うし、「平等に愛している」という言葉も決して嘘ではないだろう。しかし、手は早い。
もし彼が山下に会ったなら、口説きにかかる可能性が極めて高い。それに彼女が応じるかどうかは分からないが、少なくとも彼女の気分を悪くすることはないと僕は確信していた。天性の女たらし――それが大河内尊という男なのだ。
つまり、僕はいわば「逆ハニートラップ」を彼女にかけようとしているわけだ。
幸い、僕の知る限りでは大河内議員に関わって不幸になった女性はいない。それで物事が円滑に進むのならば、この程度の工作をしても罰は当たらないだろう。
山下は戸惑いながら「……分かりました」と頷いた。あとは大河内議員がよしなにしてくれるだろう。
「今晩、僕は彼に会います。明日か、遅くとも明後日には彼をこちらに来させるつもりです。その時にお時間が合えば」
「え、ええ……」
町田が訝し気に僕を見る。もし真意を知ったら、力づくでも止めようとするだろうか。
3年前の奴ならそうするだろう。だが、目的のためなら手段を選ばなくなった今の奴がどう判断するかは分からない。
僕は町田に白い歯を見せた。
「これで万事よし、だな。それじゃ、イルシアとやらに連れて行ってもらおうか」
*
20分後。僕らの目の前にはヨーロッパ風の白亜の城があった。こんな巨大建築物があったらすぐにバレるのではと思ったが、「結界」とやらで外部からはここが見えないようになっているらしい。
そして、僕は異世界がこの世にあることを改めて確信した。流石に、こんなものを見せられたら信じざるを得ない。山下や市川も、ただ唖然として城を眺めていた。
『ノア、戻ってきたか!』
青い肌の男が、メイド風の女と共に城から現れた。これが異種族というやつか。彼らの表情はどこか明るい。そして、やはりノアと同じように話している内容が直接頭に響く。彼らもまた、魔法使いなのだろうか。
『ただ今戻りました。御柱様は』
『お戻りになられた。すこぶる顔色も良さそうだ。君やマチダにも会ったと聞いている。心の底から礼を言おう。して、その3人は?この世界の者たちか』
『はい。真ん中の背の高い男がワタヌキです。トモ……マチダが紹介すると言っていた人物です』
ノアの言葉に、青い肌の男は深々と一礼した。
『儂がリシュリュイエ・ゴイルだ。この国の宰相をやっておる』
「綿貫恭平です。衆議院議員——この国の各地域を代表する者といえば分かるでしょうか」
『政治のやり方は我々と随分違うとは聞いておる。何はともあれ、このイルシアのことを頼みますぞ』
宰相ということは、この国の実務家トップか。しかし、「御柱様」とやらはここにはいないのか。
そう聞くと『ひとまずお休みになられておる』と返ってきた。「御柱様」に会うのは、次の機会となりそうだ。
『して、残り二人は』
ノアが山下と市川を紹介している間、僕は妙な視線に気づいた。その主は、あのメイドだ。
ゴイルという宰相が、市川の「魔力」に驚いている間もなおもこっちを見ている。何か、不審なところが僕にあっただろうか。
「ちょっといいですか。……そこの君、僕に何か用か」
メイドは少し言い淀んで『ええ』と頷く。
『ただ、ここでは言えません。また後日、2人きりで会えたらその時に話しますわ』
「……2人きり?」
僕は首を捻った。確かにこのメイドのルックスは、僕のストライクゾーンど真ん中だ。適度に巨乳で背が高く、細めの垂れ目がチャーミングな女性だ。烏の羽のような漆黒の髪は、肩の下まで流れている。
ただ、僕は大河内議員ほど手は早くない。こんなところで口説きに掛かるほど無節操ではないし、一目惚れをするほど純情でもない。
向こうが僕を気に入ったということはあるか?ルックスには多少の自信はあるが、それでも向こうがいきなり迫ってくるというのは常識から外れている。
一体どういうことなのだろう。何かある気がしたが、その時の僕には全く分からなかった。
*
これが、僕の人生を狂わせることになる「イルシアの黒き魔女」アムル・アルフィラとのファーストコンタクトだった。




