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災害対策基本法——災害対策のみならず、災害発生時に国と行政が取るべき対応策を定めた法律だ。被災者の保護や食料など物資の供給をどのように行うのかが記されている。
東日本大震災のような激甚災害として指定されれば、国は復旧・復興のために自治体に財政的支援を行う。災害緊急事態が布告されるような事態となれば、当該地域への立ち入り禁止など一部の国民の権利をも制限できるようになる。
手早くイルシアを保護するなら、当該地域を災害対策基本法の対象地域に定めてしまえばいい。そうすれば、食糧と水の供給は自治体が行ってくれる。立ち入り禁止区域に定めてしまえば、野次馬やマスコミの干渉も防げる。
色々考えた結果、俺はこれが最短にして最速の方法だと感じた。幸い、綿貫は国にアクセスできる立場の人間だ。不可能ではない。そして、奴なら俺と同じ結論に辿り着くと思っていた。
綿貫は腕を組み、軽く首を横に振った。
「言わんとしてることは分かった。援用という言葉の意味もな。僕はまだイルシアという国を見ちゃいないが、要は彼らを『災害の被害者』として扱い、救済するということなんだろう?
だが、『どうしてイルシアがこの世界に来たか』という肝心要の話を、僕らは知らない。ただ『異世界がこの近くに来た』としか聞いていない。それだけで国を動かせというのは、幾ら何でも酷な話だ」
「それはその通りだな。ノア、説明してやってくれないか」
『分かったわ』とノアが話し始める。彼女たちの世界において、イルシアとモリファスという国が交戦状態にあったこと。戦況は不利で押されつつあったこと。
そして、モリファス軍の間で流行していた致命的な病気がイルシアにも迫り、緊急避難的にこの世界に『転移』せざるを得なくなったことを、彼女は極力感情を殺しながら淡々と語った。
ノアが話し終えると、綿貫は「疫病か……」と呟いた。睦月もふうと息をつく。
「避難民というよりは難民に近いわね。でも、難民認定なんて……」
綿貫が小さく頷いた。
「そうですね。この国において難民認定のハードルは凄まじく高い。ただでさえ川口の問題で自称難民に対する風当たりは強まっています。この件で上にノアさんたちを難民と認めさせるのは、ほぼ不可能でしょう。
だからこそ、まだ何とかなりそうな災害対策基本法を町田は持ち出した。……そういう理解でいいな」
「ああ。コロナ禍の時は法的強制力はないものの緊急事態宣言を発令し実質的に経済活動や人流を国は制限していた。だから、似たようなロジックで彼らを災害被害者と認定できなくはないと思う。
ただ、災害緊急事態を隠密理に発令するなんてことはできるはずがない。イルシアの存在を世間に明かさないことには閣議決定も何もしようがない」
「そこまで分かってるなら何で僕たちをここに呼んだ?不可能なことを議論するために来たんじゃないぞ??」
綿貫の声が大きくなる。感情が高ぶると大声になるのが、こいつの癖だ。
「答えを用意してないなら、お前をここに呼んでないさ」
俺は市川を見た。話についていけずポカンとしていた中で急に話を振られ、彼は「な、何ですかっ??」と身体をビクっと震わせた。
「そこで君の出番というわけだ」
「……え?」
「厳密には、君を通して『御柱』ジュリ・オ・イルシアに働きかける」
今度はノアに視線を向ける。ゴクン、と唾を飲み込む音がした。
『あなた……まさか』
「ああ。ジュリがどこまでの力を使えるかは知らない。ただ、さっき見た限りでは人の記憶を消すのは簡単にできた。人の認知も、多少なりとも誘導できるんじゃないのか?」
『ちょっと待ってよ、あなた何を言ってるの??』
俺は一呼吸置いた。これが強引な手段だとは分かっている。だが、できるなら最短距離だ。
「政府要人にここに来てもらう。そして、ここを災害地域として認めさせる。場合によっては、ジュリの力も使ってだ」
部屋に沈黙が流れた。我ながら、かなり無茶を言った自覚はある。だが、やれるのではないかという自信もあった。
「なるほど、考えたな」
沈黙を破ったのは綿貫だった。
「つまり、こういうことだな。目先の食糧は僕が供給する。そして、数日の間に民自党の権力者の誰かをここに連れてくる。そこでこの一帯を被災地域と認めさせた上で閣議決定か。
勿論、閣議決定をするに至った背景はメディアに言わなきゃいけない。ただ、その理由は虚偽のものとする。例えば……『致命的な伝染病の発生』とかか」
「分かってるな。パニックにはなるだろうが、周辺の完全封鎖ぐらいはできるはずだ。一応聞くがノア、イルシアにその『死病』患者は」
ふるふるとノアが首を横に振る。
『いないと思う。というか、いたら全てが水の泡よ』
「ならいい。時間をかければ、閣議決定の理由が虚偽だと気付くマスコミが出てくるかもしれない。あるいは、ここに強引に侵入を試みようとする連中も出てくるだろう。
そのタイミングで、イルシアの存在を徐々に公開していく。騒ぎにはなるだろうが、既に国家の管理下に置いてしまえば何とかなると思ってる」
『ずっと隠してはおけないわけ?』
「この前話したように、この世界の情報伝達速度はとてつもなく速いんだ。俺のドタ勘だけど、1カ月もてば十分だと思う。ただ、その1カ月の間でイルシアを保護できる環境が整えばそれでいい」
『……その後は?』
俺は少し考えた。その後のことなど、現状はまだ想像もできない。
「……分からない。ただ、ノアたちの望みには沿いたい。元の世界に戻りたいなら、戻っても大丈夫なように然るべき軍事支援が必要になってくるが」
「壮大な話になってきたな」と綿貫が肩を竦めた。
「ただ、『異世界』にもし行けるのなら、人類としてはアメリカ大陸発見以来のフロンティアになるな。宇宙開発なんて僕の目の色が黒いうちにはできないだろうし。
そうなると、いよいよこの一件は失敗できなくなってきたな。なるべく平和裏に落着させて、日本が権益を独占できるのなら……」
綿貫が微かに笑った。こいつの考えていることは分かりやすい。その権益を管理する立場に自分が就きたいと考えているのだろう。
もっとも、権力欲のある男だからこそ俺は綿貫を呼んだ。奴の野心の裏には、総理目前で死んだ父親の綿貫信平の存在がある。奴にとって父親の無念を晴らすことは、何よりも優先されることなのだ。それは4年前に痛感したことでもある。
そして、総理になるという目標のためなら、ある程度はこちらに折れるだろう。行動パターンがある程度読める男なのだ。
ノアが綿貫を睨んだ。
『イルシアを属国になどさせないわよ』
「分かってるさ。ただ、将来的には『同盟国』として互いの国益を高め合っていければとは思ってる。これはその第一歩だ」
『『同盟国』、ね……。トモ、本当に大丈夫なの?』
俺は「大丈夫さ」と笑った。そしてすぐに綿貫に視線を送る。奴は「分かってるよ」と肩を竦めた。
「この国の政治家は小狡いが、邪悪なのはあまりいない。どこぞやのお隣の国のように、軍事力で制圧するとかはしないしできない。そこは安心してもらっていい」
『ならいいけど……軍事力と言えば、ニホンにはモリファスを撃退できるだけの軍事力があるの?』
「多分。一応、下り坂の国とはいえ依然世界5指の経済大国だ。自前の軍事力もそれなりにはある。魔法は誰も使えないがね」
俺はノアの方を向き「俺の提案に協力してもらえるか」と訊く。ノアは目を閉じ、数秒黙った。
『……御柱様の力をみだりに使うわけにはいかないけど、その程度ならいいと思う。見返りにそのアサトって子の魔力が求められることにはなるとは思うけど。この世界だと、いかに御柱様と言えど魔力供給なしには活動できないだろうから』
「ま、魔力供給、ですか。さっきみたいなのですか?」
『あたしも具体的にどうやるのかは知らないのよ。そもそも、魔力の相性が良くないとできないことだし。
先代様に対してはアムルがやっていたわ。御柱様に対しても彼女が担当してたから、詳しくは彼女に訊くといいんじゃないかしら』
「わ、分かりました」
緊張した面持ちで市川が答える。すると「私はどうすればいいの」と睦月が手を挙げた。
「君の役割は、行政側の窓口だ。主にライフラインの確保をお願いすることになると思う」
「窓口って……私はただの総合調整課の一職員に過ぎないのよ?そんなこと、できるわけが……」
「それほど負担をかけるつもりはないよ。国と秩父市の接点になってくれるだけでいい。喫緊でやらなきゃいけないのは、水の確保だ。水道の開通は、市じゃないとできない。75トンの水なんて、流石にトラックじゃ運べないからな」
「無理よ!何の理由も説明もなく、水道課に『開通してください』なんて言っても通ると思う??」
俺が綿貫を見ると「僕の身体は一つしかないんだがな」と渋い顔をされた。
「市に圧力をかけろっていうのか?僕はとりあえずさっき言われた分の食料の手配をするのに手一杯だぞ?そっちまで手が回るわけがないだろ」
「それは分かってる。だから、代わりに信頼できる人間を秩父市に寄越してほしい。その人が市に要請する形で、当面は凌ごう」
「信頼できる人間??僕は一年生議員だぞ、言ってすぐに来てくれるような人など……」
そこまで言って綿貫が「いや、そうでもないか?」と腕組みをした。そして何か納得したかのように頷く。
「……一人いるな。僕の父に世話になった人物だ。派閥内でもそれなりに力はある。
100%の信頼が置けるわけじゃないが、総理に話を持って行くなら早めにこの件は彼に明かした方がいい」
「誰だ、その人物ってのは」
一拍置いて、綿貫が口を開く。
「大河内尊・民自党副幹事長だ」




