1-7
町田の家は田舎によくある古びた木造二階建てだった。ぱっと見、築40~50年と言ったところか。資産価値はまずないに等しいだろう。
駐車場は平置きで、型落ちのフィットが止めてあった。あともう一台ぐらい停められるスペースがあったので、郷原にそこで待機するように伝える。
玄関にはプッシュ式の呼び鈴があった。色はくすんでいて機能するのかと思ったが、ちゃんと「リリリ」という電子音が響く。しばらくすると、町田が引き戸を開けた。
「綿貫、久しぶりだな」
「ああ!こちらこそだ!……で、イルシアってのはどこなんだ?」
思わず声が大きくなった。町田は苦笑する。
「気が早いな。まずは会って欲しい人がいる」
「君が言っていた、異世界人か!?」
「まあ、そうだ。それ以外にもあと2人、ここに来る予定だ」
「……あと2人?」
それは話には聞いていない。僕と町田で話すとばかり思っていたが。
「市の職員と、俺と同じでイルシアに関わりを持つことになった人物だ。これからどうするか、俺たち5人で考えることになる」
町田は廊下を奥へと進む。畳張りの居間には安物のカーペットが敷かれ、そこにダイニングテーブルが置かれていた。
その椅子には小学校高学年ぐらいの少女がちょこんと座っていて、茶請けのクッキーを口にしようとしている。髪は銀髪で、透き通るような白い肌だ。確かに日本人ではないようだが……こんな子供が会わせたい人物なのか?
「おい、まさかこの子が異世界人とか言うんじゃあるまいな?というか、君がロリコンとは思わ……」
少女が僕を睨む。その威圧感に、僕は思わずたじろいだ。
『あなた、今あたしを子供扱いしたわね?『ろりこん』ってのが何か分からないけど、あたしとトモを馬鹿にしたのなら許さないわよ』
「……は?」
何だこれは。この子が話しているのは日本語じゃない。明らかに、全く知らない言語だ。しかし、何を話しているのかは脳内に直接響く。意味の分からない感覚だ。
少女はさらに険しい表情になる。
『だからあたしは子供じゃないの。次子供扱いしたら、痛い目見てもらうわ』
「い、いや君はどう見ても……」
パリンッ
彼女の向かいの席に置いてあったガラスコップが、ひとりでに粉々に砕けた。一体この子は何をした??
『人の話聞いてた?』
「やめとけ、ノア」
町田が溜め息をつきながら割れたコップを拾い上げる。少女は『ごめんなさい』としゅんとなる。奴には従順らしい。
「綿貫、すまん。俺以外の人と会うので、少し警戒しているみたいなんだ。この直前に一騒動あったのもあるかもしれない」
「は、はあ」
呆気に取られていると、少女が『まさかこの人がワタヌキ?』と怪訝そうに町田に訊いている。「そうだ」と奴が答えると、少女は落胆の息をついた。
『本当に大丈夫なの?あたしが『子供扱いするな』って言ったのに、この人言うこと聞かないじゃない』
「君こそ落ち着け。協力関係を結ぼうとする人間を攻撃してどうするんだ」
『それは、そうなんだけど』
どうもこの子を子供扱いするのはタブーであるらしい。そういや、ファンタジーに出てくるエルフは見た目と実年齢が一致しないことが多々あるんだったな。
そして、この一連の流れで僕はこの子が間違いなく「異世界人」であると確信した。暴力的なやり方ではあったが、彼女の前のコップが壊れたのは多分「魔法」によるものだ。そう考えた方が腑に落ちる。
そう思うと、テンションが一気に高まってきた。やはり、町田は特大の運を僕に運んで来たらしい。
僕は「すまなかった」と頭を下げた。時にプライドを捨てても、敵に回してはいけない相手に頭を下げることができるのは、優秀な政治家の条件だ。
少女は『……ま、いいけど』と不承不承呟く。おだてれば素直になる、扱いやすいタイプのようだ。
町田が「全く……」と愚痴りながら、僕の方を見た。
「とりあえず、紹介するよ。彼女がノア・アルシエル。イルシア国の一等魔導師だ。年齢は俺たちと同じ28。イルシアの保護を求めて、こっちにやってきた」
「にじゅうは……!?」
思わず口にしかかって口をふさいだ。ジロリ、とノアという少女が僕を見たからだ。
やはり、見た目通りの年齢じゃないのか。にしても、まさかタメとは思わなかった。
コホン、と咳払いをして町田が話を続ける。
「昨日話した会わせたい相手というのは彼女のことだ。異世界のイルシアという国が王城ごと転移してきたわけだが、その一員だな。交渉役として選ばれたらしいが、力尽きて倒れていたところを俺が保護した」
「交渉役、ねえ」
こんな短気で交渉役が務まるものだろうか。たまたま会ったのが話の通じる町田だったのは、彼女にとってもイルシアって国にとっても幸運だった気がする。
僕は窓の外を見た。
「あと2人って言ってたよな。信頼できる人物なのか」
「1人は昔からの知り合いだ。俺の知っている彼女のままなら、信頼は置ける」
「昔からの知り合い……しかも女か。まさか元カノとか言うんじゃないだろうな」
町田が微妙そうな表情になった。ノアとかいう少女が『そうなの?』と訝し気な視線を向けると、ふうと息をついた。
「……もう切れてから6年も経ってる。完全に他人だよ。今は秩父市役所に勤めてる」
「意外だな。恋愛事には興味がないかと思っていた」
「お前のように手が早くないだけだ。とにかく、行政を味方につけるには重要な奴だと思う」
外からエンジン音が聞こえ、止まった。年季の入っていそうなスイフトからは眼鏡のポニーテールの女性が出てきた。決して不細工ではないが、地味で幸薄そうな感じだ。僕のタイプとは少し違う。
チャイムが鳴り、町田が「そこで待っててくれ」と立ち上がった。しばらくすると、奴が女性を連れて居間に現れる。
「こんにちは、初めまして……山下睦月です」
「こちらこそ。衆議院議員の綿貫恭平です。よろしく」
握手のために手を差し出すと、恐る恐る手を握ってきた。警戒心と戸惑いが表情からも感じられる。
ノアも少し険しい表情で彼女に右手を出す。
『あたしは、ノア・アルシエル。イルシアの一等魔導師をやってるわ』
「……イルシア?トモ、一体これはどういうことなの?それに、この子の言葉は……」
驚愕する山下に、町田は「ひとまず落ち着いてくれ」と宥めた。
「説明は後だ。ただ、ノアが普通の人間ではないことは分かってもらえたと思う」
「……綿貫議員も、これを承知で?」
僕は深く頷く。
「町田からは昨日本当にざっくりですが説明を受けました。ここに来るまでは疑問が3割ぐらいありましたが、今は確信してますよ。この子——女性は、間違いなく本物の魔法使いです」
「魔法使い……??」
「ええ。異世界から国ごと転移してきたらしい。彼女はいわば、こちらの世界との交渉役ということです」
山下は「異世界……」と呟き、呆然と立ちつくしている。あまりにあり得ない情報の数々を処理しきれないのだろう。
しばらくして「プロジェクトって、まさか」と町田の方を向いた。その時、もう一度チャイムが鳴る。
「すまん、最後の一人が来たみたいだ」
「最後の一人?」
「ああ。ある意味、キーマンになるかもしれない」
キーマン?イルシアに関わりのある人物らしいが……
そう思っていると、奴は小柄な少年を連れて来た。髪はやや長く眼鏡をかけている。どこか中性的な雰囲気を感じさせる少年だ。
「こ、こんにちは……市川、朝人です」
「この子は?」
町田は彼の方を一瞬見やった。
「イルシアのトップに会った子だ。口止めの意味も兼ねてここに呼んだ」
「トップに会っただけじゃキーマンにはならんだろう」
「俺も詳しくはよく分からないが、彼女のお気に入りらしい」
ノアが『それは確かよ』と同意する。
『彼の魔力量は私に匹敵するか、凌駕するものよ。単に使い方を分かってないだけ。こんな子が、魔素がほぼないこの世界にいたこと自体驚きなの。
そして、彼の魔力を御柱様は大層気に入られた。御柱様がこの世界で活動するなら、彼の存在が不可欠ってわけ』
「何だその『御柱様』っていうのは」
彼女はテーブルに置いてあったマグカップを手に取り、麦茶を啜った。
『あたしたちの世界の神——クト神の代理人にして万能の力を持つ方。まだ『御柱』としては不完全だけど、それでもこの世界でも不自由なく魔法は使えるみたい。
彼がいるなら、御柱様もこの件に協力してくれるかもしれないわ。ゴイル様たちは渋るでしょうけど』
「神……??何でもできる、ということか??」
『何でもかどうかは分からない。それに、あの御方の力は好き放題に使っていいものでもないわ。だからこそ、先代様はその力を振るわれるのにとても慎重だった。
ただ今回は国の一大事だから、多少はお願いしてもいいと思ってる。この際、手段は選んでいられないもの』
これは面白いことになってきた。「神」の力がどんなものか分からないが、それを上手く使えば権力の頂点に最短距離で駆け上がることも夢じゃない。
勿論、このノアという女が自由にその力を僕に使わせるとは思えない。ただ、少なくともイルシアとかいう異世界の国の権益を得る際において、僕が圧倒的なアドバンテージを手にしたのは間違いなさそうだ。
その時、町田が僕の方を鋭く見やった。……そう言えば、身体を壊す前のこいつはやけに勘がいい男だった。野心を読まれたか。
「一応言うが、あの子の力はこの世界の誰のためにも使わせない。あくまでノアを含むイルシアの人々のために使われるべきものだ。変なことは考えるなよ」
「……分かってるさ」
とはいえ、イルシアとやらの「国益」と僕の利益が合致するように議論は誘導し得る。それまでは目先は幾ら折れてもいい。覚悟の上だ。
町田が山下という女と、市川という少年の方を見た。
「全員揃ったところで本題に入ろう。席についてくれ」
テーブルは6人掛けだ。一人暮らしなのにどうしてと思ったが、将来家庭を持った時のためにわざわざ用意していたとすれば実に町田らしい。あいつは無駄に準備がいいのだ。
そして、町田は全員の前にマグカップを置き麦茶を注ぐ。ガラス瓶が空になった辺りでようやく奴も椅子に座った。
「本題って何?」
訝し気に山下が訊くと、町田はスマホをテーブルの上に置いた。画面には、「1000人の難民を5日間救うのに必要な食糧」とある。そして、その下にあるのは……
「パン1.5トン、野菜2トン、肉0.75トン……水75トン以上?おい、これはどういうことなんだ??」
「見ての通りだ。イルシア国には約1000人が生活している。ただ、食料も水も枯渇が迫ってる。もし枯渇したら、どうなると思う?」
「飢え死にするか、さもなければ……」
そこまで言って、僕は事態の切迫性に気付いた。
「ちょ、ちょっと待て!?もし食糧を求めて略奪なんてことになったら……!!」
「流石に気付いたな。そう、そうなったら諸々破滅だ。ここの集落は破壊され、多分住民も殺されるか何かするだろう。飢えた人間が何をしでかすか分からないのは、歴史が証明してるからな。
そして、イルシアの存在は世間にバレて、日本を揺るがす悪とみなされるだろう。そうなったら戦争になるし、仮に生き延びた連中がいても100%モルモット化だ。だから、何よりまず食糧と水の供給が必要なんだ」
「だからこのスマホを見せたのか??だが、1000人もどうやって食わすんだ??たった5日ですら、こんな莫大な量が必要なんだぞ??」
町田が薄く笑った。まさか、僕がここに呼ばれたのは……
「だからこそお前を呼んだんだ、綿貫。何とかできるだけの金と政治力を持ってるのは、俺の知り合いじゃお前しかいないからな」
頭に血が上るのが分かる。こいつ……初めから僕を利用するつもりだったのか!?
だが、ここで立ち去れば異世界の権益は決して手に入らない。そして町田の言う通り、事態は破滅的な方向に向かうだろう。
人死にも間違いなく出る。ノアのような魔法使いが何人もいて、その力が人を傷付けるために振るわれたら……死者は10人や20人では済まない。100人単位の犠牲者が出るとすれば、ここで退く選択肢はあり得ない。
「町田ぁっ……!!!」
「分かったようだな。もう、抜けれないんだよ」
こいつ……僕の知っている町田ではない。商社時代の奴は、正論を突き通して理詰めで相手を説き伏せるような男だった。絡め手を使うなんて、まずしそうもない奴だった。
それが逃げられない所まで誘っておいて要求を突きつける……民自党の長老連中がやるようなやり口を取るとは。3年の月日で牙が欠けたかと思ったら、これはまさかだ。何が奴を変えた?
しかし、考えていても仕方がない。町田の言う通り、僕はもう抜けられない。無理難題を突き付けられても、従うより他ないのだ。
それに、さっきも考えていたように折れ続けていればいつかはこちらに風が吹く。それまで耐えろ。流れが来るまで耐え続けていられるのも、優秀な政治家の条件だ。親父は、そう言っていたじゃないか。
とすると……今僕がしなければいけないのは、この町田の要求をどうすれば満たせるのかを考えることだ。
「……少し考えさせてくれ」
まず、食糧の量だ。正直、かなり無茶な量だが1回きりならポケットマネーで何とかできなくはない。ただ、それ以上は無理だ。
そして、イルシアって国がいつ異世界に帰ってくれるかなんて保証は多分ない。つまり、無制限に食糧と水を供給できる仕組みを作らねばいけない。そんなことができるのか?
「……あ」
……できなくはない。ただ、物凄くハードルは高い。何より、この近くにあるというイルシアの存在を長期間隠蔽しないといけない。
いかにここが超ド田舎であっても、周辺住民は世間と切れているわけではないのだ。情報統制には、どうやっても限界がある。
だが、これぐらいしか可能性がない。そしてその可能性を実現するには……僕の、いや政権与党である民自党の力が必要というわけか。
同時に、山下がここにいる理由も悟った。市役所の役人がいないと、この方法は使えないからだ。
「……災害対策基本法の援用か」
町田が笑みを深めた。
「流石は綿貫だ。じゃあ、話を続けようか」




