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「少し、時間いいか」
呼び止めると、眼鏡の少年が口をあんぐりさせたまま固まった。ノアが話しかけようとするのを俺は一度とどめる。「念話」とやらをいきなり使われたら驚くだろう。必要以上に怯えさせても良くない。
「な……何ですか、あなたたちは」
「この近所に住んでる町田という者だ。ほんの少しだけ、時間いいかな」
少年の目が泳いでいる。何かを隠しているとすぐに悟った。
「ぼ……僕に、何の用が」
「君、誰かと一緒にいないか?昨日あたりから」
彼は持っていたタッパーを落としそうになった。奥から険しい顔の老婆が現れる。
「何だいあんた!町田の小倅がうちの孫に何の用だい、すぐに出ていきな!!」
押し問答になる、と思ったその時、ノアが『入るわよ』とサンダルを脱ぎ捨てた。「ちょ、ちょっと!!」という老婆の声など耳も貸さない。
俺が「多分二階だ」と告げると、彼女は階段を駆け上がる。それについていくと、『御柱様!!』というノアの声が聞こえた。
ノアに続いて部屋に入る。中には、誰もいない。……いや、薄っすらと輪郭だけが見える。
ノアは大きな溜め息をついた。
『『認識阻害』ですか……あたしが分からないと思ってるんですか』
一気に輪郭がはっきりする。そこには、昨日見た金髪の少女がいた。バツが悪そうに頭を掻いている。
『うーん、もう見つかっちゃったか』
『もう見つかっちゃったか、じゃないんですよ。貴女がいなくてどれだけの騒ぎになってると思うんです?』
『すぐ戻るつもりだったんだ。あと、有力な魔力供給源を見つけて』
『……魔力供給源?』
少年と老婆も部屋に入ってきた。少年は「ああ……」と崩れ落ち、老婆は「誰だいこの子は??」と叫んでいる。
『ちょっと騒ぎになると困るから、眠っててね』
指をパチンと鳴らすと、老婆は白目を剥いて前のめりに倒れ込んだ。俺はそれを慌てて支える。
「な、何やってるんだよジュリ!?」
『ん?見ての通り、眠ってもらったんだ。しばらくは起きないと思うよ。あと、今見たことに関する記憶は消しといたから安心して』
「安心って……って、そもそも何なんですかあなたたち!?ジュリの知り合いですか??」
ノアが少年に向き合った。
『あたしはノア・アルシエル。この子——御柱『ジュリ・オ・イルシア』を護る一等魔導師の一人よ。臣下、といった方が分かりやすいかしら』
「!!?君も、ジュリと同じような『魔法』を……」
『『念話』のことね。……というより、あなたとてつもない魔力量を持ってるわね。この世界にもこんな逸材がいるんだ……』
「魔力量?だから何なんだよ!?」
ノアがジュリと呼ばれた金髪の少女の方を見る。
『魔力供給源とは、彼のことですか?』
『うん。『大転移』で魔力切れ起こしかけてたから、すぐに誰かに魔力を供給してもらわないとマズいと思ったんだ。アムルでもよかったんだけど、彼女は『魔族』だから逆に吸われちゃう部分もあるんで効率が悪かったんだよね。
ボクに相性のいい魔力なんてそうそうないし、この世界の魔素は物凄く薄い。それでもこのままだとマズいんでダメ元で検索してみたら、まさか見つかるとはね。それも、歩ける範囲内に』
ノアが『この子が……』と唖然とした様子で少年を見ている。
『ひょっとして、転移場所がこの場所だったのは……』
『ボクは『母なる智慧の函』に従ったまでだよ。本来なら、イルシアはここじゃなくってずっとずっと西の国に転移しなきゃいけないはずだったんだ。
函がここを選んだ理由はよく分からなかったんだけど、彼……アサトに会えるようにするためだったんだね。ここまで近くまでくれば、ボクの『嗅覚』で十分だった』
少年は「まさか、初めから僕目当てで……」と震えている。ジュリは満面の笑顔で『うん!!』と頷いた。
『気を悪くしたらごめんね。でも、魔力供給源とか関係なくアサトのことを気に入ったのも本当だよ。これからも仲良くできたらすっごく嬉しいな。
で、ノア。イルシアの庇護計画は順調なの?というか、この男の人は……』
『彼は、マチダトモヒロという人です。あたしを助けてくれた人で、今この国の重要人物や市の関係者に接触を試みてくれています』
ジュリが顔を輝かせて俺の手を取った。
『よろしくね!!ノアも、彼のことを気に入ってるんでしょ』
『き、気に入ってるって……まだ会って1日しか経ってないんですよ?そんなの、分かるはずが……』
『魔力の相性は理屈じゃないからね。ボクとアサトの場合もそう。時間をかけなくても、惹かれ合うものは惹かれ合う。そういうものだよ』
うんうん、とジュリが頷く。神に等しい存在と聞いていたけど、どうも随分と子供っぽいな。これで実際は数百歳とか、そういうことはあるのだろうか。
ジュリは窓を開け、外に出ようとする。「危ないって!!」と叫ぶ少年をよそに、『大丈夫だって』と彼女は笑った。
『また来るよ。じゃあ、ゴイルたちがうるさいからボクはイルシアに先に戻ってるね』
『え、ちょっと!!?』
ノアの制止を笑顔で振り切り、ジュリは空を飛んでいった。……やはり、魔法で空は飛べるものなのか。
ノアは盛大な溜め息をついた。とりあえず「御柱脱走」の件は一段落と言ってよさそうだったが、今後はこの少年も巻き込まざるを得なくなったようだ。
「あの『御柱様』ってのは、あんなに無茶苦茶……というより天真爛漫なのか。神様というから、もう少し神々しい何かだと思ってた」
『先代様はそうだった。ただ、今の御柱様——ジュリ様はまだ座に就かれてから3年しか経ってない。そして、正式に御柱となるべき儀式もまだ終えてないわ。
メジアにいた頃は、それでもそこまでじゃなかったんだけど……まさか転移先で、あそこまで自我を出されるようになるなんて』
「今後も振り回される可能性はある、ってことか。そして、この少年はどうするかな。君、名前は」
少年は戸惑いを隠そうともせず「市川、朝人です……」と答えた。こうして見ると、ただの童顔の少年にしか見えないな。
「ビックリさせて悪かった。薄々聞いているかもしれないが、この近くにイルシアって都市の一部が丸ごと転移してきたんだ。彼女は、そのトップらしい。
そして、これも理解してもらえると思うが……この事実は、隠し通さないといけない。もしバレたら最後、世界中がひっくり返る。この集落も無茶苦茶なことになる」
ゴクリ、と唾を飲み込む音が聞こえた。頭の回転は悪くないらしい。
「あ……あなたたちも、イルシアの関係者なんですか。その子は臣下だって言ってましたけど」
ノアがむっとした表情になった。
『『その子』とは聞き捨てならないわね。あたし、あなたより年上よ。隣にいるトモ……マチダトモヒロとは同年齢。ちゃんと敬語を使って頂戴』
「えっ……す、すみませんでした」
『分かればいいのよ』とノアが頷く。市川の質問には、俺が答えることにした。
「俺は関係者というわけじゃない。玄関で言った通り、この近所に住んでる。ここから150mぐらい離れた場所の一軒家だ。
ただ、ノアを助けてイルシアのことを知ってしまったんでね。できるだけのことはしてやりたいということで、動き始めたばかりだ」
「あ……あなたはただの一般人でしょう?そんなことができるわけ……」
「普通に考えたら君の言う通りだよ。ただ、さっきそこのノアが説明していたように、俺には一応コネがあった。衆議院議員の綿貫恭平、知ってるか」
「綿貫……名前だけは聞いたことがあるかもしれません。そんな人と、本当につながりがあるんですか?」
俺は静かに首を縦に振る。
「実は、15時から彼ともう一人で今後の方針などについて話し合う予定だ。そこに、君にも同席して欲しい」
『えっ!!?』
ノアが大声を出した。確かに、驚く気持ちは分かる。だが……
「もう市川少年も立派な関係者だ。何より口止めの意味も込めて、綿貫や睦月に会わせておいた方がいい。それに、国のトップのジュリって子のお気に入りなら、彼を使って何かできるかもしれないだろ?」
『そうか!確かにトモの言う通りね……御柱様の魔力は万能に近い。普通にやったらできそうもないことだって、ひょっとしたら……!!』
俺は微笑み、市川に向き直る。
「というわけだ。15時になったら、うちに来てくれ。勿論、警察などには絶対に連絡するなよ」
「……分かってます」
市川は少し怯えた様子で答えた。こんなヘヴィな状況に理不尽にも放り込まれたのだから、そうなるのは仕方ない。俺は心の中で、心底彼に同情した。
*
そして、14時50分。最初に我が家に来たのは、綿貫の黒いレクサスだった。




