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一幕 中編

長くなりましたので分けました。





「本日はお誕生日おめでとうございます」

「ありがとうございます」

「いやぁ、時の流れとは―――」


綺羅びやかなシャンデリアに照らされた広いホールで、ストレイス伯爵家次男の誕生日パーティーは滞り無く進んでいた。穏やかな音楽が流れ人々が談笑する中、主役の婚約者として主要な場面での出番を終えたと判断したアリスは、早々に中心から離れ会場の壁際へと移動していた。


果実水の入ったグラスを片手にパーティーの様子を眺めていると、自然と目が吸い寄せられるように中央で主役として柔和な笑みを浮かべ来客の対応している彼に行き着く。決して少なくない招待客に囲まれ、アリスの位置からでは少ししか見えないにも関わらず、まるで彼だけがはっきりと見えるような錯覚を覚える。


実は伯爵家に着いた時から、アリスの目はおかしくなってしまった。なぜか、エリオットがきらきらと輝いて見えて仕方がないのだ。普段とは異なり、礼装に身を包みライラックの髪を後ろに撫でつけたエリオットが見慣れないせいかと思ったけれど、時間が経っても戻ることはなくて。むしろ隣にいるだけで胸が高鳴り、さらにはそのネイビーブルーに見詰められるととたんに体温が上がったのではと錯覚しそうな程頬が熱くなるという大層困ったことになっていた。

一昨日のことが気になって、本当はそれどころではないはずなのに。


こうして、ようやく壁際に退避した今、少しは落ち着いてきたような気がする。



きっと()()したからなのね。



冷静な部分がしたり顔で自己解析する。

心持ちひとつでこうも違うとは。きっと彼女とのことは今日伝えられるでしょうに。

ツキツキとも、ドキドキともする矛盾する胸元に手を当てながら今日もあっさりと外された手を思い出し、予感めいたものが頭の中で警鐘を鳴らす。潰れたと思っていた想いがツギハギだらけで復元されていた己の現金さに零れそうになるため息は、冷たい果実水で呑み込んだ。

そうして二つほどグラスを空にし給仕のトレーに返していると、背後からよく知った声音が掛けられた。


「ふふ、熱視線ね」

「――ミッシェル、様?」

「ごきげんよう。こんな壁際で何をやっているの? あなたは(主役)の婚約者でしょう?」


ことりと首を傾げて微笑む彼女は金の髪をハーフアップにし美しいエンパイアドレスを身に纏っていて、とてもきれいだと思うのと同時に疑問が頭を擡げる。


「ごきげんよう…。なぜここにいらして…?」

「それはもちろん招待されたからよ。後はお願いされたから、かしら?」


校内ではない為言葉遣いを改めながらも瞠目するアリスに、クスクスと扇の中で笑いを溢す友人はやはりとてもとてもきれいだ。友人贔屓目ではなく事実だと、誰に言うでもなくアリスは内心胸を張る。


「今日は結い上げたのね。とても似合っているわ、アリス」


いっそずっと結ってしまっていてもいいのではなくて?、と何か含みをもたせた声音で微笑まれ、ここ二日程落ち着かなかった心が優しく撫でられたような擽ったさを感じて、アリスの口許がほんのりと自然に緩む。


「ありがとうございます」

「ああでも、結ってしまうとあなたのきれいな髪に触れるにはすごーく近くに寄らないとダメね」

「え」


茶目っ気に瞳を細めたミッシェルがずいとアリスに近付く。そして徐ろに真っ白いレースのグローブに包まれた細い指が伸ばされるのを、アリスはぱちぱちと瞬いて見ていた。それどころか友人なので特に拒絶することはないけれど、結っている髪に触れる必要はあったかなと呑気に考えていたら、ふと、その細い指は触れる前に横から伸びてきた白い何かに防がれた。


「―――どうか、そこまでで」


次いで後方から鼓膜に届いた声に、落ち着いてきたはずの身体の内側が思わず震える。

視線を巡らせればミッシェルの指は、アリスの側頭を覆うように伸ばされたエリオットの左手の甲で止められていて。白い何かは彼のハーフグローブだった。


「エリオット様…?」

「イーデン公爵令嬢、これ以上は――」

「あら主役がこんな片隅にいらして良いのです?」

「……」


いつの間に来たのかと、ミッシェルに気を取られていたアリスが目を白黒させている間に、口許に笑みを浮かべたまま何やら苦い声音の婚約者と、対象的に声すら楽しげな友人が一瞬目を交わしたように見えて。微かに感じた違和感のようなものにおやとは思ったものの、それをアリスが口にする前にするりと自身の左手が掬い上げられる。そちらに釣られて視線を落とすとあまりの光景に頭は真っ白になった。


「ふふふ……ようやくなのですね?」

「ええまぁ…」


周りの会話が耳を素通りしていく。


「―――」


左手に触れているのは真っ白いハーフグローブで、自分の指と白い指とが交互に絡んでいる光景は、アリスから言葉を奪うのには十分だった。


いや絡んでいるというより絡められているといった方が良いだろうか。



これって――。


「ッ」


遅れて状況を認識したアリスは、反射的に自分の手を引いた。


「――ぇ」


そこから抜いたつもりだった。が、びくともしなくて。なんならぎゅっと握られて、今日一番に身体の内側がカッとなる。


「っ」

「アリス。このままで」

「ぇ、ぇ…でも」

「俺とアリスは婚約しているのだから」


初めて指先以外に感じる体温と力強さにドギマギする胸を抱えながら狼狽えるアリスを他所に、エリオットはなぜかその身までも寄せてきて、ピクリと震えた身体は正直に反対側へと逃げを打つ。

あっという間に体裁も表情も取り繕えなくなっていくアリスの様子を見兼ねたミッシェルが、彼女としては珍しく鋭い声音でまぁあなたがそれを言うのと噛み付く。途端、一瞬身体を固くしたエリオットが苦い顔をして唇の端を噛むような仕草をしたが、すぐさま表情を取り繕ってミッシェルへと顔を向ける。そこには表情こそ完璧な笑顔だが、どことなく凄みのようなものを滲ませるミッシェルが真っ直ぐにエリオットを見据えていた。


「アリスは、わたくしの大切な友人ですの。…これから先、十二分に心得ておくことですわね」

「……はい」

「??」


ただでさえひとり当惑するアリスを置いてけぼりにして、胸に手を当て神妙に頷いたエリオットに、混迷は益々深まるばかり。なぜどうしてと疑問符だらけの頭を置き去りにして、左側から感じる体温に、仄かに香ってくる香水にアリスの心臓は否応なしに高鳴っていく。それこそ隣にいるエリオットに聞こえているのでは心配になるほどに。



だって、彼女は、さわらなかったのにどうして。なぜ。えやっぱり夢。



自分のことでいっぱいいっぱいのアリスは、だから気が付くのが遅くなった。ぐるぐると考え込んでいる内に、壁際から移動していたことに。

もしかして最後だからと餞別だったのではと、アリスがはっとした時にはすでにホールの中央で。急いで視線を巡らせれば招待客が二人を囲んで円を描いている状況に、アリスはどこにも逃げ場がないのだと知って足が震えた。


「――アリス。これから言うことは俺の本心だから聞いてほしい」

「!」


向かい合わせに立たされ、前髪を上げたことにより普段より顕わになったネイビーブルーの瞳がアリスを射抜く。その眼差しの強さに、(せわ)しなかった鼓動がドクリと嫌な音を刻む。瞬く間に熱かったアリスの手足から熱は引いていき、繋がれたままの左手が唯一温かい彼の温度を伝えてくる。



この体温に浮かれているから。



そう笑われたような気がして、アリスの視線はウロウロと下がっていく。その合間にエリオットの言葉を皮切りに会場内に流れていた音楽が止み、人々の会話さえいつの間にか止んでしまった。

少しの身動いだ音さえ拾えるくらい、し…んと静まり返った会場内でアリスは彼の礼装の胸元に視線を落としたまま生唾をごくりと呑み込んだ。


「――お」


「――お、お待ちください!」

「――そちらはッ」

「――(わたくし)は招待されていると言っているでしょうッ?」

「招待状がなければお通しできません!」

「だからッ―――」


きゅっと唇を引き結び次にくる言葉に身構えていると、突如静まったホールに外の喧騒が響いた。

一拍置いて、ざわりと周囲に動揺が広がる。アリスも思わず顔を上げると、眉を顰めたエリオットが出入口の扉がある方向へ顔を向けるのが見えた。その間にも響く喧騒は収まる気配は見せず、それどころか段々と近付いてくる甲高い声音に、最近似た声音に晒されたばかりのアリスはその薄い肩をビクリと強張らせる。

脳裏に浮かぶのはあの鮮烈な。


「アリス?」

「いえ――」


「もう私を誰だと思っているのッ? 彼に言ってお前達なんてクビにしてもらうわ! 通しなさいッ!」


一際強くはっきりと聞こえた声音と同時にバンッと強い扉の開閉音が響き、突風が吹き込んだ。



「――エリー! 私よ! 私が来てあげたわぁ!!」



喜色一色の声音が会場中に響いたのもその直後だった。


突如として現れた来訪者に、会場内が騒然となるのは必然であった。

様々な音が入り乱れる中、風に押し退けられた人々の向こうに現れたのはアリスの脳裏に浮かんだあの人で間違いなくて。全身から血の気が引いていくような感覚を覚えた。


「エリー!」


彼女は人々の向こうにエリオットの姿を認めたらしく、とたんその(かんばせ)に大輪の花が咲いたような笑みを浮かべ大きな声で彼の愛称を呼ぶと身に纏ったとても派手な色合いのドレスの裾をひらりと翻す。そのドレスは胸元も大きく露出しており、彼女の中の自信を全面に押し出したような装いで、仮にも恋人が主役の誕生日パーティーなのにとアリスは瞳を揺らす。さらには貴族令嬢としてあるまじき振る舞いに、忌避と嫌悪とそして戸惑いのざわめきが周囲に伝染していくのをアリスは肌で感じ取る。後方では顔色を失くした使用人達が女性に近付くも弾かれて転ぶ姿も見え、魔法でもってして押し掛けてきたのは明白だった。

あまりの彼女の非常識に腹の底が冷たくなったアリスが思わず横の彼を見上げると、その濃紺色をひたりと彼女に向けているエリオットの横顔があって。その瞳に何の色を乗せているのかまでは分からなくて、咄嗟に視線を落とす。


左手はいつの間にか離れていた。



「ひどいわぁ、エリー。私の到着を待ってくれても良かったのではなくて?」


甘い甘い猫撫で声で彼を呼ぶ彼女が、しずしずとこちらへ近付いてくる。

招待客の異質なものを見るような視線をものともせず、それとも違うように捉えたのか頬を紅潮させて体の線を惜しげもなく出したドレスを引きずりながら彼女は恍惚と微笑んだ。けれどアリスに移ったその瞳は一切笑っていない。なんなら嫌悪をありありとそこに浮かべ、全く隠さずにいる。その鋭い刃のような感情を剥き出しにした瞳に()め付けられ、徐々に近付く距離に堪らずアリスの足がじりりと後退(あとずさ)る。

しかし、それはすぐに腰に回されたがっしりとした腕に阻まれて、アリスはぎょっとした。慌てて腕の持ち主を見やれば、そこには感情を削ぎ落とした能面のような顔をしたエリオットがいて。一度も見たことのない表情に、違和感を感じて瞬く。


だって彼女は。



「――失礼ですが、会場をお間違えではないですか」


思考は、その整った唇から紡がれた酷く抑揚のない声で遮られた。


「え」


そして、それは女性の足を止めさせるにも十分であった。

困惑の声を漏らしたのはアリスか、それとも彼女か。或いはその両方かもしれない。


「エリ、オット様……?」

「なに、をいっているのエリー、なんで」

「そもそも、招待していない方を待つ意味が分からないのですが」

「エリーっ?! お、遅れたから意地悪を言っているのねッ」


ひくりとその赤い唇を戦慄かせた女性が、カツンと踵を鳴らして縋り付こうと手を伸ばす。しかし、望まれたその人はその手を煩わしそうに避けて距離をとり、腕を腰に回されたままぎゅっと引き寄せられたアリスはなすがまま彼の胸元に手を当てた。というより目の前起きていることが理解が追い付かず、さらには頭上の彼が女性へ見たこともないような冷たい眼差しを向けているのが見えて、ただただ愕然としているしか出来なかったのだ。


「俺は、――ストレイス家はあなたを招待していません」

「ッなんで、なんでそんな冷たいことを言うの? 私とエリーの仲でしょう?!」

「―――仲? 誤解を招くような言葉は謹んでいただけませんか。エリー(それ)も勝手にあなたが付けたもので、俺は一切受け入れておりません」

「――!!? 私が呼んでも拒絶しなかったじゃない?!」

「拒絶しなかった、のではなく相手にしていなかっただけですが?」


構わず続けられる感情の無い声音に、彼女の顔が悲壮に歪んでいく。縋り付くことができなかった手が宙を彷徨った。けれども彼の言葉に色がのることはなく、容赦なく淡々と続けられる。


「良い機会ですから、この場ではっきりさせましょう。在学中も、これまでも、俺とあなたとの間には何の関係もありません。知人ですらない。むしろ、こちらとしては現在進行形で迷惑を被っている以外の何物でもありません。――非常に不愉快です」

「私は公爵家の令嬢なのよッ! そこの髪のことしか頭にないような、女としての魅力も面白みもなんにもない小娘のどこが良いというの?! それに彼女は! そこのあなたの婚約者は、私とあなたの仲を認めたのよ!!?」

「ッ!」


興奮のせいか上擦ったその金切り声は、ホール内いっぱいに反響した。それにより、あまりの展開についていけず愕然としていたアリスがはっと我に返る。慌てて彼女を見やれば先ほどまでの悲壮感をかなぐり捨て、瞳をギラギラとさせて憤怒の色に全身を染め上げていた。それからそのほっそりとした指ではっきりとアリスを指し示し、感情そのままに顔を歪ませてその真っ赤な唇を大きく開いた。


「ねぇそうでしょうアリス・ピリー! あなたはエリーと私の愛を祝福すると、私の方がエリーの婚姻相手に相応しいと同意したわよね?!」

「っ、れは…ッ」


すぐに否定しようと口を開くも、婚約を解消していいと言った事実が喉を塞ぐ。はくはくと唇を動かすも音にはならなくて、喉の奥を震わせるだけ。さらには耳に届く周囲のざわめきが殊更大きく聞こえて、ガクガクと手足が震えだすのが分かった。まるで、足元に大きな穴が開いてそこへ落ちていくような感覚と同時に血の気がどんどんと引いていく。


「…ふ、ふふ。ほぉら、彼女は私とエリーが愛し合っていると認めているわ。そう私達は愛し合っているのよ! ねぇエリー、エリオット・ストレイス。婚約者の前だからって誤魔化すことはないのよっ?」


顔面蒼白で震えるアリスの様子に、幾分か調子を取り戻したらしい女性が優越に再び口角を釣り上げる。声音を怒りから甘えに切り替えて諭すように語りかけると共に、美しく整えられた手が彼へと差し出された。


「どうせ彼女はすぐに()婚約者となるのだから気にしなくて良いのよ、そうでしょう?」



ああ。


「―――ッ、」


膝から力が抜ける。立っていられなくなったアリスは、崩れ落ちるのを覚悟した。




しかして。



「ぇ」



それは、背中に触れる温かな温度によって遮られた。



「―――いい加減に、黙ってもらえませんか」




「は、え? なに、言って……っ?」

「よーく分かりました、その耳は飾りでしかないのだと。ふ、…認めた? 祝福した? ……誰が誰を愛しているって? ―――…戯言ばかりのその口はいい加減閉じてください、耳障りだ。 俺が何も知らないとでも思っているのなら、随分とそのおつむもめでたいですね」

「?!」


頭上から聞こえる女性に相対する声が徐々に徐々に低くなっていく。それは隠していた何かが顔を覗かせるような、そんな不穏な空気を纏っていた。その間にもアリスの背中では、大きな手がとんとんと優しく慰撫している。同じ持ち主なのに全く正反対のそれらに少し混乱しつつも、身体の震えが少しずつではあるが落ち着いていくのが分かった。


「彼女の良さは俺だけが分かっていればいい……。これ以上あなたの妄言に巻き込まれるのはごめんです。いい迷惑だ」


殊更低く落とされ、初めて(そこ)にエリオットの怒気が滲んだ。しかし、それを真っ向から感じたはずの彼女は、顔を今度は鬼のような形相に変えて肩を(いか)らせダンダンと足を踏み鳴らした。

ようやく震えが大分治まったアリスは、(かたわ)らのエリオットが纏う空気に気圧されたせいか、はたまた様変わりした彼女の激昂に気圧されたのか、身動ぐことも、何ひとつ出来ずにだた固唾を飲んでじっとする。


「はあぁぁッ?! こッ、の私にッ無礼なッッ!! …潰してやる! お前達なんか潰してやるわっ!!」


と、ギラリとした彼女の瞳がアリスを捉えた。


「お前がッ一番邪魔よッッ!!!!」

「ッ!?」


ばっと振り上げられた手に魔力を感じて、反射的に目を瞑って身を竦める。

しかし、身構えた痛みはしばらくしても一向にやって来ず、そろりと閉じた瞼を上げると大きな手に掴まれた華奢な手首が目に入った。


「――きゃぁあッいたいいたいぃッ! 痛いわッエリー何するのよ?!」

「………」

「ぅぅ痛いぃッ! はなしてぇッ! 離しなさいッッ!!」


相当強く掴んでいるようで悲鳴が止まない。あまりにきゃあきゃあと大きく騒ぐものだから、思わず心配になったアリスが止めようと口を開いた時だった。




「―――これはなんの茶番だ」



「父上」

「――ミッシェル様…?」


人垣の中から現れたのはストレイス伯爵だった。エリオットと同様に礼装を身に纏い、彼に似たいつもは優しげな顔立ちが今は厳しく顰められている。その後ろには同じく厳しい表情をした伯爵夫人とエリオットの兄の姿があり、さらには扇で口許を隠した友人、そしてその婚約者の姿もあって驚いた。


「使用人から報告があった、無理矢理魔法で押し入ってきた女性というのは君で間違いないな」

「何よあんたたちぃッ」

「まぁ、なんて野蛮なのでしょう」

「はあぁ?! 私は公爵家の令嬢よッ!」

「あら、隣国とはいえこのような場面で公爵を出すだなんて、どれだけ甘やかされてきたのかしら…。いいでしょう、この場はわたくしに―――」


ミッシェルが一歩前に出ると、その扇をぱちりと閉じる。すると両サイドに音も無く現れたのは体格の良い女性らで、その身に纏った装飾ですぐに彼女達が騎士団所属であることが伺えた。


「わたくしはイーデン公が娘、ミッシェル・イーデンですわ。さて、隣国のお嬢さんはご存じないようだから、特別に教えてさしあげますわね。この国では、許可のない魔法の使用はいかなる理由があっても許されておりませんの。悪意を持っていればなおのこと」

「ちょっとっ何するのっ!!」

「あなたは見ての通り現行犯ですから…――どうぞとっととご自分のお国にお帰りになってください、になりますのよ」


エリオットが掴んでいた手を離すと同時に、すかさず騎士に両側から腕を捕らえられた彼女が声を荒げる。しきりに身を捩り指を動かすもあっさりと拘束され、その顔色は見る間に変わっていく。その様子に、この国の騎士には拘束相手の魔法を封じる術が施されているというのが本当なのだろうと、アリスは直感する。

けれど彼女は隣国出身だからだろうか、術のせいであることには気付かない。焦りに顔色を染めジタジタと藻掻き、そして思うように魔法が使えないことで苛立ちに荒れた声を出してミッシェルを睨み付けた。


「イーデンだかなんだか知らないけど私にこんなことをして許さないわッ!!」

「まあ、どうぞご勝手に。あなたのお父様がお話を聞いてくださるといいですわね?」

「ッ! エリーッッ!! 今ならまだ許してあげるわッねえッッ」


なおも往生際悪く身を捩り騎士の拘束から逃れようと、彼女の瞳が縋るようにエリオットへ向く。その血走ってさえ見える瞳は、彼が自分を見捨てるわけがないという希望すらはっきりと浮かべていた。



けれど。



「なぜ?」

「ッッ??!!」

「言ったはずです、迷惑で不愉快だと」



ぶつかったネイビーブルーの瞳に望んだ色はなく、むしろ。


「―――ぁああああッ??!!」



それは断末魔のようにアリスには聞こえた。


丁寧にお連れしろという伯爵の厳かな声を合図に、騎士達は今だに何かを叫んでいる彼女とともにその場から瞬く間に掻き消える。それまで響いていた酷い金切り声もあっという間に途切れたが、耳の奥に残った余韻のせいかしばらくは誰も動こうとはせず、微妙な空気が辺りを包んだ。


「――…」


アリスは、彼女が消えた方向に視線を向けたまま茫然と立ち尽くした。


あれ程に彼の愛称を呼んで、自信に満ち溢れていたのに。

それが、蓋を開けてみたら。そんな。


思っていた事実が事実ではなかったことで胸に込み上げてくる形容しがたい気持ちをどうすればいいか分からず、瞳を揺らして静かに困惑する。

そんなアリスの背で、いつしか馴染んでいた熱が静かに動いた。


「っ?!」


そっと背中を擦った感触によって、アリスははっとする。今更ながらにエリオットと密着していることを思い出し足を縺れさせつつも急いで離れると、左手のときとは違い今度はあっさりと離れた熱にがっかりする自分に気付いて、恥ずかしさも相余ってカッカッと頬だけでなく耳までもが火照るのが分かった。

その慌てた足音に釣られ振り返る招待客らに、それまでの気まずげな空気を払拭するようにストレイス伯爵が姿勢を正すと凛とした声音とともにすっと頭を下げる。アリスも気持ちを即座に切り替え、エリオットの隣で急いで、顔の熱は取れていなかったがそれに倣った。


「皆様、この度はお騒がせし誠に申し訳ございません。お詫びは後日必ず――」

「お待ちくださいませ、ストレイス伯爵様。お言葉ですが御令息は被害を被った側ではありませんか。むしろ、お詫びはあちらからが筋というものですわ」

「ミッシェル様?」


すかさず声を掛けてくれたミッシェルがとても楽しそうに、でも目の奥に熱を籠もらせて美しく笑う。あ、とアリスは気付く。この笑い方は怒っている時のものだと。

その証拠にミッシェルの後ろで、彼女の婚約者が小さく肩を竦め苦笑しているのが見えた。まるでしょうがないとでもいうように。


「ふふふ…、わたくしあの女性を少しだけ存じ上げておりますの。他家のこととはいえ、大切な友人の婚約者…。ここはイーデン(我が家)におまかせいただけますかしら?」

「――イーデン公爵令嬢がそうおっしゃるのでしたら、当家は何も異論はございません」

「ありがとうございます。ストレイス伯爵様」


公爵家のイーデンは、過去何度か王族が降嫁されたこともある由緒正しき血筋でその魔力も絶大だ。その令嬢である彼女の言は、これ程にない助力であった。

アリスもそれでいい?、と言葉無く向けられた瞳で問われ、アリスは(こうべ)を垂れ礼を持って返す。その返答は正しくミッシェルに届き、その(かんばせ)に満面の笑みを浮かべる。アリスの中で、友人は美しいに加えかっこいいが付属したのは間違いなく、同時に眩しく感じた瞬間でもあった。




それから程なくして伯爵が再び声を上げ、仕切り直しに音楽が再開される。そして徐々に戻ってくる雰囲気に、アリスはようやっと内心ほっと胸を撫で下ろした。


「イーデン公爵令嬢…ありがとうございます」

「ミッシェル様、本当にありがとうございます」

「友人を助けるのは当然のことですもの。でも…ストレイス伯爵令息、あなたからはお礼(それ)よりも先ほどのことを払拭するような何か……そう、とても良い慶事をお聞きしたいですわね」

「……」


にっこりと微笑む公爵令嬢とぴくりと片眉を動かす婚約者の間に、ピリ…、と一瞬何かが走って霧散していく。ようやく周囲がほっと空気を緩ませたというのに、対象的な二人の様子にアリスは既視感を覚える。


「…先に彼女と話をさせていただいても?」


きょときょとと瞬くアリスに、伺うようにちらりと濃紺色が向けられるが、そこにはあの冷淡さは微塵にも感じられない。それどころか先程のことは見間違いかと思うほど穏やかな、けれど何かを決めているような確固たる色がそこにはあった。そのままその色にじっと見詰められて、アリスの胸は思い出したよう高鳴りを刻んだ。


「代替案のように告げるのは本意ではありませんので」










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