第一章6 腐敗
連れられるがままに訪れたのは、ウディルネの中でも貧困層の住まう裏路地。住まうと言っても家はなく、居るのは地べたを寝床にしている路上生活者ばかり。先ほどの住宅街とは一変して、酷く荒廃しており整備など行き届いていない空間。辛うじて、薄汚れたシーツや風避けの木箱。食い荒らされた果実が転がっていた。
その場に居た住民は、踏み荒らすように現れたエレナたちを疎ましく睨む。しかし、その目線を物ともせずにカレンは声を張りあげた。
「宮廷術師のシートン・カレンだ。周辺で女児誘拐の犯人が現れた、との通報があった。情報があれば伺いたい」
外套を飾るのは国直属組織の証。名を告げた途端、人々の間に騒めきの波紋が広がる。が、カレンの問いに応えようとする者が現れない。
「誤報というわけでもないだろう。少しでもいい。何かないか?」
いつもの調子で続けるカレンに、一人の老爺が立ち上がる。様相は例に漏れず清潔感のなく、絡まっている長い髭を持つ老人。しかし、その目には憎悪が滲み。骨の浮く腕で掌サイズの小石を拾い上げた。
「今すぐに出ていってくれ。国の犬が偉そうに」
「すまんが、今は緊急を要していてな。情報が集まればすぐにでも出よう」
カレンの返答が、現場に居合わせた人々の神経を逆撫でる。騒めきが膨張し、次第に明確な罵倒に変化。そして、攻撃の手段を持たない彼らは小石や煉瓦の破片を手に取った。
「出ていけ」「金喰い虫が」「俺らを馬鹿にしに来たのか!」
乱れ飛ぶ石塊を目の前に、カレンが『防壁魔法』を展開する。瞬間、カレンの魔力が空気を揺るがし、頑強な防壁となった。魔法は彼らの攻撃を阻み、それらは無残にも地面に転がり溜まっていく。その間、エレナは何も言えず罵詈雑言に耳を傾けるばかりだ。
「はあ。話にならんな」
カレンは投げやりに言い残し、踵を返す。その最中も、常に怒号が反響し続けた。何をしたら、これほどの怒りを買うのか。エレナは眉を顰めカレンの後を追う。
「もう話はいいの?」
「あぁ。これ以上は時間の無駄だ。何も得られん」
そう冷えた声で言い放つ。仕事人と言えば聞こえはいいが、エレナには酷く冷酷に見えた。ウディルネの情勢を詳しく知らないエレナでも、この現状は異常に感じられる。
路地を抜けると、人通りが身を潜めていた街の喧騒が取り戻された。それでも、エレナの知るウディルネと比べれば、閑寂としているが。カレンは周囲の安全を確保すると近くの壁に背中を預け、手を拱いた。
「ここまで来て門前払いか。嫌われたものだな」
「なにをしたらこうも嫌われるの?」
率直な疑問にカレンが渋い顔をする。焦らすような間を置いてから、口を開いた。
「異邦人の手配書は見たか?」
「え、うん。それで今探してるんでしょ?」
今回の通報も「手配に乗る男がいた」というもの。エレナの言葉にカレンは首を縦に振った。
「誘拐――それも女児ばかりを狙った悪質なもの。衛兵の記憶を元に手配書を作り、情報を募ったがこのザマだ。通報もあてにならんもんばかりで、最近は国中がピリピリしてる」
口を動かす最中、彼女の眉間のシワがさらに深く刻まれた。大部分は衛兵から聞いていたものの、エレナが想像していた以上に大事だったようだ。カレンは続ける。
「今は、入国のチェックが厳しくなって一部貿易も規制されている。だが、そのせいで職を無くしたもんも多い。罪人を野放しに何か月もいるもんだから、国そのものに対するヘイトが高いんだ。正直、こちらとしても出来ることはしているんだが」
そう言って肩を竦めた。つまり、先程憤っていた人達は極悪な犯罪者によって職を奪われたものたちということか。
「ま、嫌われても仕方ないわな」
「仕方ないって……。カレンさんはソイツらを捕まえようとしてるんでしょ? なら、少しくらい協力してくれたって」
「今は国にしか怒りの矛先がないんだ。解決するまでは、どうすることも出来ないんだよ」
投げやりに言い放ったカレンの物言いには、諦めに近い感情が滲んでいる。彼女は彼女なりに民を思っている。だからこそ、憤る人々を糾弾せず防壁魔法だけでその場を後にした。エレナは、素直では無いカレンの言動に口元を緩ませる。
「あーもう! 私は研究職に就きたかったのに、なんでこんなにも走り回らなきゃいけないんだ……! あぁクソ! とにかく上に報告しなきゃならん。お前もついてこい、手伝え」
外套を翻し、革靴が石畳を鳴らす。もうこの場所に用ないようで、カレンは迷うことなく路を歩き始めた。
◇
折角、魔法についての指導が貰える。そう思っていた日は、想像以上に過酷だった。カレンが上に報告する。と言ったその後だ。仕事に同行していたエレナは、カレンの権限を使い城内に居た。しかし、そこでの行動の多くがカレンについて回るだけだったにも関わらず、激しく疲弊してしまったのだ。
「カレンさん毎日こんな走り回ってんの……?」
「なんだ、体力はお前の十八番だろう」
「どちらかと言うと……気疲れ?」
カレン専用の書斎に連れてこられたと思えば、書類仕事をさせられ、提出の為に衛兵隊長の書斎へ。だが、不在だったことでさらに副隊長を探し回る羽目になった。
それらの業務を何故か、エレナがこなしていた。
「で、カレンさんの仕事は終わったの?」
「どうだかな。見回りの衛兵に聞き回ったが、それらしい目撃情報もない。この手配書が間違ってんじゃねぇのか?」
「本末転倒じゃん」
どうやら、カレンは過去の通報履歴をまとめていたらしい。地図に複数のバツ印を散らし、口を不機嫌に歪ませた。
「魔術師の仕事じゃないだろ、こんなもん」
不満を零しながら、長い銀髪を荒々しく掻き乱す。そして、珈琲を零したような色の地図をエレナの眼前に掲げた。
「どう見る?」
「どう見る……たって」
ウディルネは、二人がいる城を中心に円形に広がっている国。見たところ、バツ印が集中している。という箇所はないし、むしろ不自然なくらいに散らばっていた。数は八つ。
「ここ一週間での目撃情報だな。とはいえ、どれも行方を眩ませていて発見には至っていない。見回りを増やしていてもだ」
「あたしに聞くの? 自他ともに認める馬鹿なんだけど」
そうは言いつつも、何か気付くことはないかと地図を眺める。そして、ふと過った疑問を口にした。
「今行方不明になってるのは何人なの?」
「三人。どれも、八から十二歳の少女たちだ。時間は夕刻から夜にかけて。『買い物中、少し目を離した隙に』『外食中に』『窓が開いていて、自宅から消えていた』。共通点らしいもんはないな」
「そもそも、さっきの通報って誰がしたものなの? どういう理屈で、内線が動いたの?」
「今は、衛兵が多くいるから不審な人間を見つけたら直ぐに警笛を鳴らすようになってる。それから、直ぐに動ける人間に内線が――」
「いや、そうじゃなくって……」
エレナは、一つのバツ印を指を置く。先ほど、エレナたちが向かった近辺だ。
「多分、その場で確保出来ないってことは衛兵さんじゃない人が見つけたんじゃないの? どんな人が通報したの?」
カレンの動きが静止する。
「いや、そんなはずは。普通、確認くらいするだろう」
「そうだよね。じゃあ誰だろう。というか、その通報を受けた衛兵さんは?」
「通報を受けたのは――サウス区管轄の……チッ」
思考の後、カレンは舌を鳴らした。そんなことあってはならないはずなのだが、様子を見るに分からないのだろう。そして、もう一つの疑問を口に出す。
「それにさ」
エレナの視線は、小窓に向いた。空の色は、薄明るい茜色が広がっている。黒く飛ぶのは鴉。子どもも帰る夕暮れ時だ。
「警笛を鳴らすなら、もっと騒ぎになっててもいいんじゃない? 普通に人歩いてたし、静かだったじゃん」
「そればっかりは、断定出来んが……。最近は通報も増えて、住民にも慣れが出てる可能性はある」
「それは良くないなあ」
気難しげに唇を尖らせ、顎に手を置く。報告書と地図を見比べ、瞳を忙しなく左右させた。そして、深く長い溜息をつく。
地図を握る手に力が篭もり、紙に大きなシワがよった。そして何が確信を得たように、伏せていた目を瞠目した。
「誤報をわざと起こしていた?」
「え?」
「私含めた上層部を攪乱させるためだけの、誤報。犯罪者の居場所を隠蔽するため? 何故? まさか、内側から腐ってるなんてこと……いや、でも」
「ちょ、ちょっと待ってよ。何も分からないんだけど」
口を手で押さえ籠る声が、真実に近づいたように言葉を羅列する。孕んでいる感情は憤怒。まるで話が分からず、置いてけぼりのエレナは慌てて声を上げる。しかし、カレンは詳しい説明はせずただ鋭い眼光をこちらに向けた
「確かめるべきことが増えた。お前も付き合え」