第一章5 追憶
◇
「エレナは筋がいいなぁ! 僕の動きも良く見えてる」
フォルテムは褒める時、決まってエレナの頭を撫でた。簡単に掴まれてしまいそうなほど大きな手は、存外繊細な動きをする。
剣はもちろんのこと、小回りの聞くナイフからレイピア、両手剣まであらゆる武器を使いこなしていた。流石騎士団団長の名を掲げるだけある。
「なら次。もっと強くなる方法を教えて」
「本当に向上心が高いなぁ。けど……うーん。今日は終いにしないか? もう、何時間も外にいるし、僕はそろそろ夕飯も作らないといけない」
「そんなの、あたしだって手伝うんだから後でいいじゃん。今は、あたしに修行を付ける時間!」
当時十二歳だったエレナは常に焦燥を感じていた。幼なじみのルカが勇者に選ばれ、戦いを余儀なくされ。
傍に居たいと願ったは良いものの、フィデスには魔力量。サナティオには白魔法という強みがある。
そんな中、エレナだけが特筆すべきものがないと思い込んでいたからだ。
「このままじゃ、魔王どころかただの魔物にも勝てない。お願いだよ、フォルテムさん。あたし、皆の足を引っ張りたくないの」
訴えるような物言いにフォルテムの表情に強張りが生まれ、真剣な声色に変わる。
「なぁエレナ」
「何?」
「焦っちゃダメだ」
フォルテムの静止にエレナは更に苛立った。ウディルネで指導をつけて貰える期間は短く、悠長にしていられない。力強く睨みつける。
「エレナ。君はどうなりたい?」
「……どう、って言ったって」
「どうして、強さを身に付けたい? 強くなって、どうしたい?」
エレナと双眸を合わせ問う。真っ直ぐとした瞳に見据えられた時、勢いを忘れ思わずたじろいでしまった。しばしの間が生まれた後、エレナがおずおずと口を開く。
「……あたしは、魔法も使えないし頭も良くないから」
「うん」
「あたしの出来る方法は限られる……けど、それでも。皆のこと、守りたい。ずっと一緒に居たいから」
目線を落としながらも、必死に言葉を紡いでいく。
「だから、あたしは強くなりたい」
「――そうか。分かった」
「へ?」
どんなご高説が始まるのかと思っていたら、淡泊で拍子抜けだ。フォルテムはゆっくりと立ち上がり、もう一度エレナの頭に手を置いた。
「こんなのでいいの?」
「こんなのってなんだよ、立派な志しじゃないか。――それに」
「それに?」
「僕も『大切な人を守りたい』から、強くなったんだ。同じだろう?」
そう言った彼の目はどこか寂しげだ。エレナを通して、ずっと遠くを見ているよう。首を傾げていると、彼の手がまた髪を乱した。
「その為にも、休息は必要。身体が壊れちゃ意味ないからね」
突然、フォルテムはいつもの調子を取り戻し帰路へ足を向ける。「もう一回手合わせ」とせがんだエレナだが、頭を振り一蹴された。
「また今度、と思っていたんだけど、一撃一撃を大切にする君の戦い方にピッタリの武器がある。少し大きいが、僕のお気に入りなんだ。まあ……エレナがまだ手合わせしたいというなら、また次の機会に……」
「待って、武器⁉ いいの⁉ 見たい、今すぐ帰る! 帰ろ!」
「はははっ。機嫌は直ったみたいだね」
フォルテムの策略にまんまと乗せられ、帰路につくエレナ。だが、約束通り託された赤い魔法石が輝く戦斧は――今もエレナの手にある。
◇
「――まだサナの魔法頼りなところはあるけどさ。ちゃんと全員が生きて帰れたのはフォルテムさんのおかげだと思うから」
刻印をなぞりながら、応えない石に語りかけ続ける。
「あたしを強くしてくれてありがとう。フォルテムさん」
あの時は、いわゆる反抗期というやつで今ほど真っ直ぐに感謝を伝えられなかった。次会えた時に言えばいいと思っていたし、この場所にいるのが当たり前だと思っていたから。
「時間をかけすぎたな」
エレナはその場でゆっくりと立ち上がった。カレンによって手向けられた蕾を一瞥すれば、目の奥が熱を持つのを感じる。
伸びきった草木から覗く赤い蕾に目をつけると、一言「ごめん」と呟き手折ろうとした。しかし、あと数日も待てばこの庭は花々で咲き荒れるのだろう。なら、今でなくとも。
「また顔見せに来るよ」
きっと、部屋の中でカレンが待っている。エレナは墓石を後にし、魔法の師がいる場所へと歩みを向けた。
その時だ。静かだった空間が風でざわめき始める。エレナの赤髪を激しく靡かせ、踊るように草葉が舞い上がった。――まるで、エレナの言葉に呼応するように。
「……ッ」
それが、勘違いだったとしても良い。フォルテムが見ているかもしれない。それだけで良いと思えた。エレナは薄く笑みを作り、今度こそと踵を返す。 感情の奔流に呑まれぬよう、強く唇を噛みしめながら。
◇
「遅かったな」
「……あのねえ」
この人に情緒を重んじるということを期待するのは、間違いかもしれない。しかし、師匠が故人になっていた。という事実を受け入れることだけで精一杯のエレナに、遅いとは何事か。
おかげで、感傷的だった心が幾分か楽になった気がする。代わりに、フツフツと怒りが沸いてきたわけだが。
「墓参りに何をそう時間を使うんだ。早く紅茶を淹れろ」
「あーもう。分かった分かった。あたしも珈琲、貰うからね」
「ふん。好きにしろ」
フォルテムさんはこの人の何が良くて奥さんにしたんだろう。当時から、ずっとカレンの尻にひかれていてずっと疑問だった。あの人ほどの立場と朗らかな性格、鍛えられた体躯があれば引く手数多だろうに。
「僕がベタ惚れなんだよ」なんて言っていたが、どこに惚れたのか。そんなことを考えながら、呆れ交じりの溜息をつきコンロ上のケトルに水を貯めた。
「カレンさん、火つけて」
魔道具であるコンロを、エレナは扱えない。窓際の席に座り魔導書を見るカレンは、一瞬眉を寄せたあとゆったりと立ち上がった。透徹した魔法石に手を触れると、赤が灯りコンロから出火する。
「ありがと」
「私のは砂糖三つ入れてくれ」
エレナは連想された甘さにげんなりとする。カレンだけではなく、フォルテムとその息子の分も用意してしまったケーキ。
カレン一人に食べさせるわけにもいかず、消沈してしまう。エレナが肩を落とした時、ケトルが白煙を激しく吐き出した。
湯が琥珀色に滲み浸透していく紅茶と、香ばしい芳香を漂わせる濃褐色の珈琲。指示通り紅茶には角砂糖を三つ投入し、ティースプーンで撹拌する。
カレンに「出来たよ」と声をかけ、エレナはケーキの箱を開封した。中身は、白のクリームと苺が着飾るショートケーキ。一つを皿へ取りだし、着席したカレンの前に差し出した。
「フォルが好きだったやつだな」
「カレンさんも好きだったよ」
「そうだったか。久しぶりだから覚えてないな」
そう言い張るカレンは一口分のケーキを口内に運び「美味い」と呟く。つられるようにして、エレナもフォークに手をつけた。
「あれは――三年前か。……珍しく魔物討伐の依頼が舞い込んだと、フォルたちの部隊が派遣されてな」
何の前触れもなくカレンが話し始める。彼女は、フォルテムとの記憶を回顧しながらティーカップを回す。
「なんてことない依頼のはずだった。が、突如現れた魔族が部隊を襲い半壊。帰還した隊員の中にフォルはいなかった。大方、部下を庇ったとかそんなところだろう」
カレンは続ける。その時、遠くにいたはずの黒猫が軽やかな動きでテーブルに飛び乗った。
「訃報が届いた次の日、ステラが家から消えた。フォルの武器庫からいくつかの武器を盗んで……敵討ちでもするつもりだったのか。未だ死体も見つからん」
「……ならもしかしたら」
「馬鹿言え。お前らみたいに戦えるわけでもない、武器も初めて握ったようなガキだぞ」
語気は強く、これ以上希望を騙るなと言いたげに否定する。エレナはその勢いに気圧され、黒色の液体に口をつけた。
「もう三年も経ったし、一人の生活にも慣れた。気にするな」
未だ感情の追い付かない一方で、カレンは淡泊だ。もとより感情の起伏は激しくない女性だが、その様子は最愛を失った人のものには見えない。――それが、カレンなりの自己保身なのだろう。エレナは、これ以上の追及を止めた。
「――私ばっかり話してるじゃないか。あいつらは? 生きてるのか」
「え、ああうん。すごい元気」
「なら、いい」
カレンは、まるで酒を煽るような手つきで紅茶を飲み干す。皿についたクリームすらこそぎ取るようにして、ケーキも平らげてしまった。深く息をついて、少しずつ食を進めるエレナを退屈げに見つめている。
――刹那、部屋を揺らすようなけたたましいサイレンが響いた。黒猫が「ミッ」と短く悲鳴を上げてどこかへ逃げていく。だが、カレンは至って冷静だ。壁に取り付けられた内線を取り上げ、耳に当てる。数回の相槌の末、一言「分かった」と告げた。
「……はあ。仕事だな」
手早く髪をまとめ、壁にかけられた外套を羽織る。その胸元には、この国。ウディルネの国章が飾られていた。
「お前もついてこい。戦力がいる」