第一章3 VS大蛙
彼らと別れてから、微かに残る獣道を歩き始め、数時間が経っていた。周囲は木々が覆い、木漏れ日が花々にキラキラと反射する。陽の位置は高くなり、徐々に体温が上昇していった。
虫や動物の気配はなく、あるのはこちらを伺うような殺気。
魔避けのために纏う結界を出た途端にこれだ。魔王を倒したとて、劇的に減るわけのない魔物の存在。
「ううん……。三……?」
姿は現さないが手をとるように分かる。エレナを餌と認識し、唾液を溢れさせている姿が。目を爛々とさせ、エレナの微かな動作すら見逃さんとする姿が。
「全部分かる」
エレナの右手が、背中の戦斧に伸びる。瞬間、予期した通り三体の魔物が飛び掛かるように木陰から現れた。
ひたり、と緊張感のない音を立てたのは「大蛙」。ギョロリと瞼から露出した瞳が、咄嗟に後退したエレナの姿を捉える。歯のない口内をこちらに見せ、舌がだらんと地面に伸びた。
暖かくなって活動を始めた魔物が飢え、狩りを始める時期らしい。
「グエエッ」
顎下の袋を膨らませれば、不愉快な鳴き声が周囲に響いた。同時に、エレナは戦斧を構え重心を深く深くに下げる。そして、思い切り地面を蹴りつけた。
砂塵が舞い、一体の魔物と間合いを詰める。戦斧の切っ先が大蛙の柔らかな皮膚に沈み込んだ。吹き出すような血液を周囲へまき散らし、木に付着すると焼くように溶かす。
が、思考する間もなくエレナは新たな魔物を見据えた。
一体は木に吸い付き、こちらを凝視。一方は、舌を鞭のようにしならせ、すでに攻撃態勢に入っていた。エレナの立つ場所に目掛け、唾液を散らし舌をこちらに伸ばす。が、近くの木に飛び移り回避。散った唾液は血液と同じように地面を溶かし、白煙が上がる。
血、唾液関わらず体液が毒なのだろう。
動作の遅い大蛙を欺くため、木々を移動しながら隙を伺う。首が回らないのか、全身でこちらを追った。おかげで簡単に背が取れる。エレナは、地面へ落下する勢いを使い魔物の胴を断った。
即座に血液のかからない位置まで退き、高みの見物を決め込む最後の一体を睨む。
エレナは一度息を吐き、血振りをした。残るは生臭い赤と白煙。
不快感を飲み込み、エレナは今一度跳躍する。身体に捻りを加え斬撃を与えようとするが、大蛙の方が一拍速かった。
枝葉を散らし飛び退いた魔物は、後足をペタペタとせわしなく動かす。その様子は、苛立った人間の貧乏ゆすりと似ていた。
瞬間、大蛙からコプンと水音。喉を大きく膨らませているが、鳴き声を上げる様子はない。
新たな予備動作に警戒しつつ、エレナは体液のかかっていない木への移動を急ぐ。
――コプン、コプン、コプン
何度も何度も繰り返す異音。そして、瞳だけが激しく動きエレナに向けられた時、魔物の口内から吐き出されたのは毒液。
「……ッ⁉」
「ゲエエエエエッ」
悲鳴に似た音と共に、臭気を纏う。間一髪で躱したエレナの目前に、溶けた土肌が広がっていた。分散した飛沫がエレナの脚を掠め、皮膚を焼く痛みに眉を顰める。
だが、休む間もなく魔物が舌を蛇の如くこちらへ忍ばせた。刃で叩くもすぐに舌は巻き取られ、毒性の血液が付着。
終わらせるには、少し無理をして間合いを詰めるしかない。
「チッ」
面倒な習性だ。一度舌を打ち、脚に力を込める。筋肉が隆起すると同時。優し気な春の空気を裂くよう大地を蹴り、大蛙を優に超える飛躍をした。
――コプン
またあの嫌な異音。しかし、刃先は魔物が予備動作を終えるより早くに沈み込んだ。手に柔らかなものを斬りつける感覚が伝わり、プツンと皮膚が裂け骨に届く。
「グエゲ」
形容しがたい断末魔と共に、大蛙は活動を終える。噴水のように吹き出した血潮は、魔物の下に血溜まりを作り、溶かしていった。それらに触れぬよう、後退し距離をとる。
「うえぇ……気持ち悪……。臭……」
淡々と戦闘をこなしていた彼女だが、途端に表情を崩した。目の前の亡骸に侮蔑の視線を送り、毒液にかかった脚を見る。
白煙を上げていた太ももは、赤黒く変色しており少しばかり陥没していた。飛沫程度だったから大丈夫だったものの、直撃なら……。そう考えると身震いする。
心機一転のつもりが死んでしまっては意味がない。
森の中では、先程の喧騒が嘘かのように静まり返っていた。
エレナは、母からもらったパンをひとつ口に放り込み、包みを傷口に巻き付ける。止血というには杜撰だが、ないよりもマシなはずだ。
「あ、このパン美味しい」
独り言を残しながら、その場を離れる。凄惨な現場を残すことになるが仕方ない。
戦闘後とは思えぬほど軽やかな足取りで、エレナはまた獣道を伝い歩き始めた。
◇
あれ以降、魔物との戦闘はなく、スムーズに進むことが出来た。耳を澄ませば、時折魔物の咆哮が聞こえるだけでほとんどの時間が静かだ。察するに、ウディルネの結界に入れたのだろう。
証拠に、王都にある立派な城の一部と国を囲う外壁が姿を現していた。精巧に積み上げられた石レンガはところどころ苔むしており、国の歴史を感じさせる風貌。
「でっかあ」
思わず感嘆が漏れた。
カトシュのあるアグロア王国にも王都はあるが、領土内に散らばるように村があり、全体的に田舎だ。
しかし、ウディルネは王都を中心に住宅街があり円形に都市が広がっている。エレナたちの故郷と比べれば、迫力は段違い。獣道の続く先が、気付けば石レンガの造りに変わる。
門の前には衛兵が二人。エレナの進行を塞ぐように前に立ち塞がる。
「止まりなさい」
指示を受け素直に足を止めた。名前、出身地、などを事細かく聞かれ答える。しかし、身分証を見せても衛兵の訝しげな視線は消えない。
「エレナ・チークさん、ねぇ。誰かに会いに来たの?」
「シートン夫妻に。あたしの名前を伝えれば分かると思います」
と、伝える。きっと名くらいは知っているはずだ。彼らはこの国の王に使える宮廷魔術師と、宮廷騎士という役職を掲げていたから。
衛兵は互いに顔を見合せ「確認してきます」と一人去ってしまった。
「あの……なにか?」
「あぁ、いや。カレンさんの客なら問題ない……とは思うんだが」
流石に、様子がおかしい。検問のある国は多いが、身分証があればこれほどまでに疑いをかけてくることは少ない。
「うちでは異邦人の誘拐事件が今問題になっていてね。ここ最近のウディルネはあまり治安が良くないんだ」
衛兵は溜息混じりに答える。しかし、エレナの口から知っている名が出てきたお陰か、疑念の持った目は解消されていた。
「嫌な時期に来たね、君も」
衛兵はそう言って、近くの掲示板を打擲する。そこには「情報求」という文言とともに、二人の男の姿絵。
一人は、目元に大きな傷があり、漆黒の三白眼がこちらを睨む。一方は、痩けた頬と浅黒い隈。引きつった口元で下卑た笑みを浮かべていた。まるで指名手配書だ。
「もうコイツらのせいでずっと働き詰めだ。……はあ」
彼も苦労しているのだろう。疲労の滲む表情で「愚痴ですまないね」と言った。そんな中、席を外した衛兵が駆け足で戻って来る。
「確認とれましたー! ようこそ、ウディルネへ! 入国者のリストに記入させていただきまーす!」
塞ぐように立っていた彼らが道をあける。鉄格子で造られた門が重厚な音を立て、上方向にゆっくりと持ち上がっていった。
促されるまま門をくぐれば、そこには想像していたよりも閑散とした街並み。人影はまばらで、僅かに見つけた住民も周囲を警戒しているのか足早。期待していた活気あふれる情景とは正反対だった。
治安が悪い。というのは本当らしい。
エレナは様変わりしたウディルネに困惑しながら、記憶を頼りに目的の地へ爪先を向けた。