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第二章15 気まぐれ入道雲

 入道雲が泳ぐ好天を仰ぎ、エレナが息をつく。額から流れる汗が頬をなぞり土肌を濡らした。ふと辺りを見渡せば、村人たちが復興に向け能動的に動き回っている。

 エレナも負けじと木材を何十枚と重ね持ち、慌ただしく村中を馳駆して――半日近くが経っていた。


 力仕事は十八番と呼べるエレナだが、家屋の修理となると話が変わる。意気揚々と手伝うと言ったは良いが、能力的にも運び屋が精一杯である。

 資材が足りてなさそうな建物付近に木材を運び、再度資材置きに向かう繰り返し。その時、手首を小さな力で引かれた。暑さに逆上せたような顔をしているネージュだ。


「エレナさま。倉庫に入ってる袋を持ってきてほしいって、トレルさんが。凄く重いので、二人でって」

「あ、本当? じゃあ行こうか」

「あと、その。ずっと働いてくれてるから、飲んでってトレルさんが」


 ネージュの手から、木製のカップが手渡された。中には綺麗な水。たくさんの氷が浮かんでおり、微かな冷気が気持ちいい。「ありがと」と柔らかく笑んだエレナは、一口でカップの中身を煽る。水分を欲していた喉に、気持ち良い冷たさが潤いを与えていく。一滴残らず飲み干し、飲み口から唇を離すとぷはっと音が鳴った。


「お身体は大丈夫ですか。どこか、痛んだりとかは」

「全然平気。むしろ動いてた方が鈍らず済むし、楽しいよ」


 両腕を持ち上げ、大袈裟に腕を構えてみる。傷口が痛む様子も、広がる予兆もない。治療が早かったお陰か、ただただ健康体である。


「多分倒れたのは魔力切れが原因だしね。一晩寝れたし、もう万全だよ」

「出血多量では?」


「両方かな」なんて冗談交じりに口にすれば、ネージュの頬が面白いくらいに膨らんだ。文句こそ言わないが、エレナの態度に不満があるらしい。彼女の考えを想像すると、こちらは心配してるのに! だろうと思う。過去の仲間たちにも良く言われた。

 ネージュの背後に回ったエレナは、彼女の肩を柔く押してそのまま歩き出す。木材を運び出すため、資材倉庫の位置は知っていたから迷いはなかった。


 道半ば、色んな村人たちに声を掛けられる。


「困ってないかい?」「ちゃんと水分取ってる?」そんな好意的な声に、エレナが元気の良い返事を放つ。近過ぎるとも思われる距離感が、意外と心地良い。


「この村の人、よく話しかけてきますよね」


 居心地悪そうにネージュが片腕を擦っていた。村人から声がかかるたび、ネージュだけが小さな肩口に力が入り萎縮している。エレナと違い、この村の空気が合わないらしい。


「こういうの苦手?」

「ウディルネではあまり無かったので、まだ慣れないです」

「王都と田舎じゃ中々違うよねえ。でもまあ、あたしは結構好きかな」


 エレナが口にした応えに、ネージュが理解出来ないとばかりに首を傾げた。素直過ぎる表情に微苦笑を零しながらも、浮かんだのは故郷のカトシュ村。


「あたしの故郷と似てるからかな。こういう場所は、自ずとみんな仲良くなっていくものなんだよ」


 王都からは離れた小さな村。隣人が家族なようで、子どもが大人を恐れず、祝い事は村全体を挙げて。同世代の子どもは切っても離せないような友人となる。幼少からそんな環境に身を置いていたのだ。故郷には恵まれている自覚がある。ネージュの肩身の狭さは理解出来そうにない。


「ま、無理する必要はないよね。ずっとここにいる訳でもないし、復興が落ち着いたら王都の方へ移動するからさ――っと、必要なのは土だっけ?」


 気付けば目的の倉庫前。エレナは立て付けの悪い引き戸を、力任せに開けた。土の香りが漂い、目を開けているのが辛いほどの埃が舞っている。扉付近に設置された魔法石に魔力を注ぐと、部屋中央のランタンに灯りが灯った。


「この積んである袋でいいのかな? どれくらい必要か、聞いてる?」

「とりあえず一袋にして、足りなければまた取りに来ましょうか」


 ネージュが倉庫の中へ足を踏み入れる。何層にも積まれた土嚢に手を触れると、その角を細指で摘み、引っ張った。


「ふ……ぬぬ……ぅ」


 必死に重心を後ろに落とし、不器用に脚を後方へ進めようとしている。だが、動くのは砂埃ばかりで麻袋はビクともしない。

 可愛らしい。実直に湧いた感情と共に、エレナは声を殺して肩を震わせる。諦めたのか、肩で大きく息をするネージュの指先は熱を持ち赤い。


「代わるよ」


 笑声混じりのエレナが、土嚢と土嚢の間へ腕を差し入れる。前腕に力を込めれば、積もった埃を落としながらも悠々と持ち上がった。土臭さが鼻腔を通って、喉がザラつく。

 すると、土嚢の隙間に潜んでいたであろう、悍ましい昆虫(ゴキブリ)が、乾いた不快音を立てながら新たな隙間に走り出した。


「ひっ……!? ちょ、虫ッ……」

「暗くて湿っぽいからまだまだいっぱい居そうですよね。……エレナさま? 大丈夫ですか」

「虫は嫌い……」


 土嚢を手放さなかったことは奇跡に近い。エレナはヤツの姿を視認した途端、バタバタと後退っていた。平静を失ったせいか、バランスを崩し壁へ背中をぶつけてしまう始末である。

 間抜けな狼狽具合に、今度はネージュがくすくすと笑みを浮かべていた。


「エレナさま。その持ってる麻袋。ゴキブリが走ってました」

「ッ……な、なんでそういうこと言うのかなあ!?」

「冗談です。魔物は平気なのに、虫はダメなんですね」

「脚が嫌で音も嫌。見たら背中がゾワゾワしてだめなの」


 ネージュがこちらを意外そうに見つめる。恐れる理由など何一つないはずなのに、幼少期から虫はどうもダメだ。それこそゴキブリなんて以ての外。視界にだって入れたくない。

 冒険をしていれば否応にも虫を目にするのに、これだけは治らなかった。この土嚢だって、気持ち悪すぎて今すぐにでも手放したいというのに。


「急に最悪の気分……。ネージュ、早く出よ」


 ネージュが肯く。彼女の所在なさげに止まっていた脚が、行き先を定めたように動き出した。薄暗い倉庫から一歩、二歩と外へ出ると、ネージュは不自然な挙動で立ち止まる。顔は空を仰いでいた。


「雨です」

「え?」


 そんなはずはない。たった数分前まで、気持ちいいくらいの晴天が広がっていたのだ。しかし、戻ってきたネージュは鼻先を濡らしていて、不快そうに顔を拭っている。エレナが顔だけで外側を覗けば、確かにぽつぽつと土肌が色を変えていた。

 先ほどの好天は色を変え、空色を鈍色が覆い始めている。

 村人たちは復興作業の手を止め、それぞれの家屋へと向かい始める。

 夏の空模様は気まぐれだ。雨宿りをするか、宿まで走るか。迷っている少しの数拍で、本降りへと変わってしまう。

 エレナは少々怪訝な面持ちをしつつ、土嚢を元あった場所へ戻した。


「――夕立だ。さっきから毛が重いと思ってたんだよ」


 二人で戸から空を仰ぐ、その時――背後から聞こえた少年の声が耳朶に触れた。ステラだ。鎖骨あたりまで伸びた銀髪が今は雨に濡れ、首筋に沿うように流れている。それらを鬱陶しそうに絞りながら、彼は蜂蜜色の瞳でこちらを見た。

 例の通り、全裸ではあるのだが雑多に溢れた物のお陰で、目線には困らない。


「そんな長くは降らねぇよ。少しここで待っていればいい。ネージュ、服」

「う、うん。タオルで身体も拭いてください、風邪ひくから」

「じゃあ拭いて」


 ステラは慣れた手つきで、ネージュから服を受け取り着用していく。最中「一々不便だな」と、苛立った不満は聞き逃さなかった。どうも機嫌が悪いらしい。


「びっくりした。どこから入ってきたの?」

「裏。なんか、小せぇ穴があって頭突っ込んで見たら入ったから、そのまま入ってきた」


 あまりに猫すぎる。ネージュも同じ感想を抱いたらしく、一度目配せして脱力した笑みを浮かべていた。


「さっき、宿に来た子ども――テオとか言ったか。追いかけ回されるわ、尻尾は引っ張られるわ、雨降ったら置き去りだわ、すげぇムカつく。やっと解放されたから、お前らんとこ、来た」


 ステラは言うと、自然とネージュの前へ歩を勧めて「ん」と小さく呟く。ぴろ、ぴろ、と不規則に動く猫耳が、ネージュの指に当たるよう調整した位置だった。先ほど口にした通り、タオルで拭けというアピールなのだろう。


「自分で拭いたら?」と、エレナは言う。だが、ステラは被せるようにして、


「いやだ」


 と、手を動かそうとしない。「我儘」と苦笑するエレナに、ステラは挑発するように舌を突き出した。


 ネージュは、『収納魔法(ストレイジ)』からタオルを取り出すと、ステラの頭へと被せた。タオルと言っても薄くて、水気を取るには少々心許ないものだが、ステラは満足気に鼻を鳴らしている。


「てか、ノアって奴はいつ帰ってくんだよ。書庫に連れていく約束だったろ」

「約束したのはわたしですよ、ステラくん」

「でもネージュはオレの為に頼んだんだ」

「だって昨日、『本が読みたい』って煩かったから」

「お前だって昨日はずっと愚痴愚痴言ってたじゃねぇか!」


 仲がいいなあ。子どもたちのやり取りを横目に、エレナは目を丸くする。

 正直、ステラの言葉に意外性はない。短い時間だが、皮肉混じりに会話する可愛げない部分もある少年である。

 驚きの種は、ネージュの遠慮ない物言いだった。彼女の本音の部分に、若干の棘があることは知っている。柔軟をするエレナに「人間なのか」と問うたり、魔法に憧れるエレナに現実を見せつけてくるリアリストな一面が存在していることは。

 ただし、ステラと会話するネージュにはそれ以上に、壁のなさを感じてしまった。時折敬語が崩れるのも、距離感の近さ故だろう。

 いいなあ――なんて考えてしまうのは、少々大人げないのだろう。エレナは、長くなるであろう雨宿りに向けてその場にしゃがみ込んだ。曲げた膝を肘置きに、戸の向こうにある雨空を見上げている。

 だから気が付いた。「わーっ」なんて言って、村の門扉から濡れ髪を晒す男が走っているのを。ノアだった。

 確か、彼は一人で結界石の配置をしていたはずだ。突然の夕立に慌てて戻ってきたことが伺える。

 エレナは、おもむろに片手を彼に向けて揺らして見せた。青黛の瞳がその動きを捉えると、足先が向かう先を定める。

 どうやら、雨宿り仲間が増えるらしい。

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