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第二章13 木香漂う旅人宿、朝食つき

 窓硝子に反射する旭日に眼差しを向けるエレナが、睛眸を細める。傷のついた革ソファへ腰掛ければ、黒猫の姿をしたステラが飛躍し太ももへ居着いた。声帯を震わせ奏でる甘え声に応え、グローブ越しに下顎を撫でる。

 遍く広がる木香を肺いっぱいに吸い込み、エレナは溜息をついた。時間は明朝。場所は、ノアに指定された宿の一階。エントランスである。


「来ませんね。おかしくないですか?」


 静寂を崩した槍声はエレナに向けられるものではなかった。肌、髪共に真っ白の中にある深緋の瞳がふ、とエレナを見上げた。


「ノアさんの方から約束を取り付けたのに、どうして来ないんです? もう三十分も待ちました」

「朝早かったもんね。眠いなら少し寝る? 肩貸すよ」

「違います! 大怪我したばかりのエレナさまを早起きさせた挙句、大遅刻なんて良い大人がすることではないんです」


 唇を尖らせ、抗議する。座り寛ぐエレナとは違い、ネージュは軽やかな跫音を立て、忙しなくエントランスを巡っていた。


「ノアくんは遅起きだからね。昼食時に目覚めたって驚かないよ」


 受付カウンターの方向から、穏やかで成熟した男性の声がした。中肉中背。無精髭を生やしたままラフな格好をして、手にはトーストの乗った平皿。

 カウンターには並べられた蜂蜜やシュガー。カトラリーを並べる音に反応し、ネージュが「トレルさん」と名を呼んだ。


「朝食食べるだろ? 適当に好きなもん付けて食べてくれや。そこの猫ちゃんには……昨日は魚のすり身に食いついてたが」

「ありがとうございます。食べられると思います」


 トレルは小皿に乗せたすり身を床材に置く。ステラの尻尾の付け根を軽く叩き、エレナが「お魚だって」と呟けば俊敏な動きで小皿に食い付いた。独特な咀嚼音を立てている。


 そんな中、空腹を報せる腹鳴が鳴り響いた。カウンターを隔てた先にいるトレルの耳にさえ届いた重低音に、羞恥を示したのはエレナだ。


「エレナさま。昨日の朝食から何も食べていませんから」

「なら腹も鳴るな。もしかして一枚じゃ足りないか?」

「た、足りる、全然足ります! ありがとう、いただきますっ!」


 正直一枚では足りないが、恥を重ねるわけにはいかない。

 カウンターに設置されたチェアに腰掛け、湯気立つトーストに薄くバターを塗る。スプーン一杯の蜂蜜を垂らすと、シュガーの入った容器がカランと音を立て移動した。

 ネージュはシュガートーストにするらしい。


「これ食べたらどうしますか? いつ起きるか分からない人を待ってても仕方がないですよ」


 眉を寄せながら口にした後、ネージュはトーストへかぶりついた。どうもネージュは彼に対して当たりが強い。

 ノアの言っていた「警戒されている」と言うのは、本当のようだ。大人の男が嫌なのかと思っていた。だが、トレルとは話せている辺り、ノアの軽薄さが引っかかるのだろう。


「嫌ってるねえ……」


 第三者が介入したことで見ることの出来た、ネージュの新たな一面。むくれるネージュに対し、自身が破顔していくのが分かった。


「何かされたわけじゃないんでしょ?」

「それは、そうですけど」


 果たして何が気に食わないのか。ネージュは最後の一口を平らげると、気難しげな顔をする。そのまま繊指を絡ませた後、朱唇を動かした。


「エレナさま、あの――」

「……あぁ、ノアくん。おはよう。よく眠れたかな」


 ネージュの清涼な声を覆い、トレルが階段の方向へ顔を向けた。噂をすればと言うべきか。青年は眠気眼を擦りながらも、二階から現れた。


「わぁ。珍しく賑やかじゃないか? 商売繁盛じゃないか」

「馬鹿言え。恩人から金なんか取れるわけないだろ? そんなことより、待ち合わせの時刻はとうに過ぎてるみたいじゃないか? この通りネージュちゃんがご立腹だぜ」


 言うと、トレルは歳の感じるごつごつとした指を、ネージュへ向けた。「別に怒ってなんか」と反論するも、あからさまに唇が尖らせているネージュは俯いた。


「僕が約束したのはエレナだもの。エレナは別に怒って無さそうだし……無問題(モウマンタイ)だよね」

「え。そんな屁理屈通用するわけないじゃないですか」

「だって本当のことじゃない? なぁに、ネージュちゃん。そんなに僕と話したかった?」

「う……き、嫌い嫌いっ! エレナさま、私この人嫌いです! そもそも、エレナさまが怒ってないのは優しいからなんです! それでチャラになるわけないじゃないですか」

「うわ、そんなこと言うの? ネージュちゃん酷いな、僕傷ついちゃう」

「願ったり叶ったりですね!」


 珍しい声高に、エレナの目が点となる。ノアは飄々とネージュの非難を躱しているが、まるで火に油。ネージュがこうも真っ直ぐに「嫌い」と言いのけた人物が過去に居ただろうか。


「昨日からこんな調子でな。ノアくんがすぐネージュちゃんを揶揄うもんだから、すーぐ言い合いよ」


 笑声をあげるトレルが言う。眠っている間にそんなことがあったとは。思えば、ネージュの人生に脅威となる人物は居ても、冗談・揶揄い・皮肉ばかりのコミュニケーションを取る人物は稀有なのだろう。つまりは新人類との邂逅である。

 エレナは苦笑を零しながら、未だ興奮しているネージュの華奢な肩に手を置いた。


「あたしとの約束だったんでしょ? なら、あたしと話そうよ」


 言えば、甘やかな顔が微笑を生み、青黛の瞳が細くなる。


「嬉しいね、話が早くて」

「でしょ?」


 笑みで返し、「一先ず、借りたものは返すよ」と添える。『収納魔法(ストレイジ)』で取り出した黒いTシャツは畳まれた形状を維持し、ノアの元へと渡った。一応、血腥くはないかネージュと念入りに確認したものである。洗濯をして返すのが理想だとは理解していても、そんな暇はなかった。と言い訳をしておく。


「それで? わざわざここに呼んだのはどうして?」


 問えば、ノアは窓際にある革製のソファへ腰掛けた。動作に釣られ、窓の方向へ眼差しを向ける。ネージュも同様だった。


「まずは僕の身分について話そう。僕の名前はノア・グランツ。レウラベットの王都からこの村を魔物から護るため、時々結界石を運んでいる。この場所もレウラベットの国土にあるからね」


 ステラが、応えるような声音を放つ。聞き覚えのある国名に反応したのだろう。道中、エレナが地図を指し示し『次の目的地』としていた場所だ。すっかり魚のすり身を平らげたステラは、オレにも聞かせろとばかりにネージュの下肢へ身を寄せた。「……ステラくん?」とネージュが口にするも、それに対する返事はない。


「僕も昨日からこの村へ来ていて、数日掛けて結界石を入れ替えるつもりなんだが、近頃魔物の動きが活発らしくてね。

 今までも魔物の侵入はあれど、昨日ほど大量に襲ってくることは過去にないことなんだ。幸いここに居る人たちは活気を失っていないし、復興へは前向き。

 けれど、完全に結界石を設置し終えるまで気は抜けないだろ? 結界石は大きく村の外周へ張るし、不在も増える。そもそも、あれだけの数に襲われては僕だって手出しできないんだ。つまり、だ。君の手を借りたい」


 要件を話し終えたノアは、こちらを覗き込むようにして「どうだろうか」と嬌笑を浮かべた。本来であれば、その笑みに浮かせれ一考の間もなく頷くのだろう。

 だがエレナは違う。魔物襲撃の要因の一端を担っている自覚があったからだ。"必殺技"により森林を破壊してしまったこと。蒼黒の宝玉(結界石)を破壊してしまったこと。

 いずれも、白状すべきだろうとエレナは固唾を飲んだ。


 しかし、ノアはその間を懊悩していると汲んだらしい。エレナが言うより早く、彼は言う。


「当然、護衛以外の時間は好きに過ごしてくれたらいいよ。小さな村だけど、最低限暮らすだけの施設はあるし。ここに居る人たちだってエレナたちを邪険にはしない。何せ、村を救った英雄だからね。当然だけれど、復興作業ももこちら側でするつもり。僕も出来る限り早く、全ての結界石を張るよう努力する」


 気を遣われているのだと分かる。エレナの首を縦に振る動作を遮ったのは、ネージュの透き通った声。


「では、この村に貯蔵されている本が読みたいです」


「え?」と、驚嘆を漏らしたのはエレナだった


「レウラベットでは魔法を奇跡の力とし、信仰している人が多いと聞いています。魔法について学びたいことが多くて」

「それは勿論。じゃあこの後でこの村にある書庫へ案内するよ。――エレナも、良いかな? 僕の望みを聞いてもらっても」


 今度こそ、と迷いなく頷く。


「むしろ、復興だって手伝わせてよ。あたし、力仕事なら絶対抜きん出てるんだから」


 諸手で握り拳を作った。背後から「そりゃ力強いじゃないか」とトレルが笑壺に入った声がして、ノアが「そうだね」と立ち上がる。


「ありがとう、エレナ。全ての仕事が片付いたら、お礼に僕とデートしない? 勿論、こんな村じゃなく王都でさ」

「それは遠慮する」


 エレナの浮かべた微苦笑の中には、自供出来なかったことによる負い目が含まれていた。

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