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第二章12 幼気で拗れた恋慕

 夜に紛れそうな黒肌の肢体を伸び伸びと伸ばす。時折シーツを叩く尾は、軽やかな音を立てていた。広々と大きなベッドの上で、ステラは寝返りを打つ。密室の空間でようやっと黒猫の姿を解くことが出来たのだ。ごろん、ごろん。猫の姿ばかりでは人間の動きが鈍ってしまうから。そう言い訳をし、もう一つごろん。


 いい宿だ。素直にそう感心して、ステラは木材の香りを肺いっぱいに貯めた。小さな村だった割に、宿と案内された建物は随分広かった。木製かつ年季は入っていたが、シーツは真っ白。各部屋に置かれているであろう間接照明も、ベッドも、古ぼけた印象はない。しかしこの部屋は当然の事ながら、ステラに宛てがわれたものではなかった。


 ステラは背中を丸めてベッドに腰掛けるネージュを見た。せっかくネージュに与えられた部屋だというのに、どうもちんまりとしている。部屋に案内されて、かれこれずっとこの状態だ。

 治療の際に邪魔だったツナギを持っていた。破れた箇所に針で糸を通しては手を止め、俯くを繰り返している。


「ステラくん」

「あー……?」

「わたしとエレナさまって、どういう関係に見えますか?」


 さて、この質問も恐らく三度目。すでに答えるのも面倒になっていて、ステラはふかふかの枕に顔を埋めた。一度目は「仲間だろう?」と答えた。ネージュは不満げだった。

 二度目は「家族みたいなものじゃないか?」と答えた。これにも納得がいかないという顔をしていて、ならなんて言って欲しいんだよ。と言えば、不貞腐れる。


 どれもこれもしっくりと来ないらしい。


「エレナさまは『命令』だと言っていました。……これでは、ただの主従関係……ではないでしょうか」

「お前がそう思うならそうなんじゃん?」


 投げやりに言い放てば、ネージュの表情が歪んだ。

 ネージュが口にする悩みは、どうも全てつまらない。質問に答えているのに、結果は停滞。それなりに寄り添ったつもりの解答も「でもでもだって」で何一つ進まずにいる。

 そうしてステラが呆れる毎に、ネージュの瞳が潤んでいく。なんて面倒くさい女の子なのだろう。

 女ってのは皆こうなのか? 偏見染みた思考が滲み、即座に思考で否定する。身近にいる女はネージュだけでない。

 そもそもネージュとて、ここに至るまでは面倒などと感じることは無かったのだ。


 "必殺技"談義は楽しかった。結果は凄惨なものであっても、二人で考えた"必殺技"が完成した瞬間は、今までにないほど高揚したのを覚えている。

 確かに共通の話題となればエレナが上がる。けれど、けれどもネージュの話す彼女の話は、ステラにとっては退屈だ。


「ならその"エレナさま"ってのを止めれば? わざわざ謙ってるクセに、命令されるのは嫌ってそりゃ我儘だろ」


 故意だった。これを言えば傷つくだろう。傷付けてやろうという感情にかまけた意図があった。

 思惑通り、ネージュは瞠目し、涙を溜めていく。


「そこまで言わなくてもいいじゃないですか」

「じゃあオレはなんで言やいいんだよ。気になるなら本人に聞けばいいだろ。回復は成功してんだから、時期目覚める」

「き、聞けば面倒くさいと思われるでしょ!?」

「オレが思うのは良いのかよ……」

「お、思ってるんですか……!?」


 心底驚いた風にネージュが言った。自身が面倒くさい悩みを抱えていることは承知の上で、面倒くさいと思われていることには気付いていなかったらしい。理解が出来そうで出来ない思想に、次はステラが顔を歪める番である。


 オレはカウンセラーじゃねぇ。


 そんな悪態を飲み込み、溜息と変わった。何故こうもネージュと話していると、腹の底がモヤモヤとしてしまうのか。

 損な事にステラは常々考え続けるような性格をしていた。故に、言語化は容易に出来る。面白くないのだ。


 ネージュがエレナの話ばかりしているのが。

 破れたツナギを治し、あるはずのない体温を確かめるように抱きしめているのが。

 そのクセ、エレナとの関係に不和が起こることだけに怯えているのが。


 ネージュの発言を感情論と捩じ伏せる気は無い。コネコネと理屈を捏ねて、ネージュを傷付けたところで、ステラが抱いている蟠りも感情以外の何物でもないのだから。


 ――ここに居るのはエレナじゃなく、オレなのに。


 拗ねた子どものような言い分。事実子どもではあるのだが、思春期の少年が口に出すには少々、気恥ずかしい本音。

 それをかき消すよう、ステラはゆっくり脚を持ちあげた。勢いを付け上体を起こすと、隅にいるネージュへと迫った。

 慄いたネージュがベッドから転がり落ちそうになる。悲鳴と共に退いた彼女の腰を支え、ベッドへと引き戻した。同時に、大事に大事に握られていたエレナのツナギを取り上げる。

 確認もせず掴んだせいで、刺さってあった針が掌を刺激したがまぁ、良いだろう。

 ネージュの両手が取り上げられたツナギを求め、彷徨う。


「この場に居ねェ奴のことで悩んでも仕方ねェだろ。どうせ、オレが何言っても納得しないんだから」

「そ、そんなこと……」

「ある」


 膝立ちのまま、ネージュを見下ろす。はらりと肩から落ちた銀色の髪が、純白の髪に垂れ混ざる。

 彼女の艶やかな鮮紅色の瞳が、真っ直ぐとステラを映した。縁取る霜のような睫毛が瞬き「ステラくん?」と口にする。


「ここでグダグダ言ったところで、何の解決もしねェだろ。なら、やっぱエレナに聞くしかねェじゃねーか」

「でも……」

「でもでも言うのは、禁止しろ。オレから見てりゃ、ネージュの悩みは全部杞憂なんだよ。だから聞けばいい。怖ェならオレが居てやるだろーが」


 雪のような肌に血色が差す。ステラの手が彼女の頬を包めば、肌の白さが一層際立った。


「本当?」

「どーせこの先一緒に旅すんだから、そうだろ」


 ぶっきらぼうに答えれば、小さな唇が弧を描く。控えめに浮かべられた微笑と共に「ありがとうございます」と、ネージュは呟いた。ようやく、彼女の視界に入れたような感覚。


 可愛いな。と思った。


 それはきっと猫の姿で燻っていた数ヶ月前にネージュを見た時も、同じ風に思ったはずだ。

 浮世離れしながらも、愛らしい相貌。何者かに怯えそれでもエレナへ縋りつくさまは、どこか可憐で。


 その姿は猫の脳では処理しきれぬ程、暴力的な衝撃が炸裂したのだ。それが、同年代の少女と出会った事による刺激だったのか、文字通り一目惚れなのか。

 しかし、徒情とするには心の奥底に根付いてしまった。


「オレは相談とか、そういうことは出来ねェけど。仕方ねェから、耳とか尻尾とか触らせてやる」


 骨ばったネージュの手を取り、自身の耳元へ宛てがう。しばらくして、壊れ物を触るような加減で力が込められた。人で言う耳殻を触れられているせいで、感触と共に鼓膜がむず痒い。

 瞳だけでネージュを見れば、幾分か朗らかな表情へと変わっていた。


「可愛い」


 耳朶に触れた声。始めはどちらが発したのか分からなかった。ネージュが猫耳に触れて感想を零したのかもしれないし、ステラの心音が溢れたのかもしれない。

 けれどネージュがどうも平常のままだったから、きっと自分の声ではないはずだ。


「なぁ、ネージュ。明日の飯、何食いたい?」


 問えば、考える間もなく「お肉が食べたい」と返答が来る。


「干し肉じゃない、焼いたお肉が食べたいです」

「エレナに強請るか?」

「牛が良いです」

「なんでそこに遠慮ないんだよ」


 控えめな笑声。

 あれほど胸中を燻っていたモヤつきが消えていた。今のネージュは、ステラと会話していると確信できる。

 このまま眠れるまで話尽くして、広すぎるくらいのベッドで眠って、起きたらエレナも起きていて。そうなれば大団円だと。


 しかしそうはならなかった。部屋の扉が微かに音を立てたからだ。がさ、がさ、と人の気配がしても開くことはなく、扉の下から一枚の紙が挿入された。


「なんだァ?」


 ネージュが立ち上がり、紙を拾い上げる。鼻先まで近付けまじまじと見つめた後、頬を紅潮させこちらを見た。


「え、エレナさま目覚めたって! ステラくん。エレナさまのお部屋行きましょう!?」


 言うと、エレナのツナギを拾い上げ、次にステラの腕を引く。部屋に出るなら猫の姿にならないといけないのに、ネージュは興奮していて気付いていない。

 

「待て、待て。今猫の姿になるから」


 どんどんと身体が縮んでいく。借り物の服がはたりと落ちて、ステラはただの獣となった。気付けばネージュはこちらを見下ろしていて、慣れた手つきで黒猫が抱きかかえる。

 見た事もないほどの喜色満面に溢れたさまに、また蟠りが生まれる。どうも悔しくて、悲しいような気がして。それでもニンゲンとは違う声帯では、「にゃあ……」という甘声しか発せなかった。

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