第二章9 VSハーピー
空中で捕らえた魔物をただ力任せに叩き付ける。墜落した衝撃で地面が陥没し、破裂音のような悲鳴が木霊する。
浮力など持ち得ないエレナは、そのまま轍を追うように落下。降下の勢いを殺さず、魔物の首へ着地。骨が軋轢に喘ぎ、鈍い粉砕音が骨折を報せる。――一体目。
「エレナさま! お怪我は!」
声の発生源へ顔を上げると、塀の上に置いてきたネージュと黒猫の姿。こちらの安否を気にしているのか、ネージュが小さな身体を広げて手を振っている。
「無い!!」
喉を震わせる。近隣の屋根へと飛び移り、蒼天を見上げた。セピアの瞳が残った魔物の把握を行う。ふと目に留まるのは、趾に捕まっている子ども。一番の高度で滞留しながら、嘲るように見下ろしていた。人質を理解しているのか、はたまた新たな餌の出現に眼を光らせているのか。力の限り暴れられるわけではないらしい。内心で舌打ちをする。
エレナは魔物の襲撃により破損したであろう、屋根の瓦礫を手に取った。手の馴染みを確認しつつ、的は一点。
腕を引き、脳内で唱えるは『身体強化魔法』。火傷すら錯覚する熱の巡りの中、エレナは大きく振り被った。
「当たれッ!」
祈りと共に瓦礫が放たれる。風を切り裂くソレは疾風を生み、低空に位置する魔物を追い越した。
着地は爆発音と同時。まるで柘榴が潰れたような暗赤色。断末魔すら無く散っていった命が、滞空の維持を失う。
「――テオッ!!!!」
号哭混じりの叫びが鼓膜を叩く。眼前では、少年を人質としてた魔物による自由落下の最中。エレナは既に駆けていた。趾から逃れられぬまま、血飛沫を吹き上げる魔物と一緒に落ちてくる少年。
やり得る全てを尽くした疾走。着地位置へ懸命に伸ばした指先に、少年の重みがかかる。
全身を沈みこませ、衝撃を緩和する。同時に降りかかった魔物の体重がのしかかった。走った勢いが逃がせないまま家屋へ衝突。木製で出来た壁を突き破り、室内の家具が激しく間取りを変える。
少年を庇った代償に傷んだ背中を丸める刹那、貫いた魔物の脳漿が雨のように注がれた。――二体目。
腕に抱えていた……テオと呼ばれていたか。彼の身体を魔物から解放し、安否を確認する。肩。横腹。太もも。趾がくい込んだのか、服に滲む程度の出血。唇の端には泡。目から頰にかけて涙に濡れていた。
エレナはグローブに隠れていない手首で、彼の息を確かめる。
「生きてる」
僅かながら、生暖かい息吹。エレナの中に幾つかあった緊張の糸が一つ解けた。このまま彼を安全地帯に移動させられたなら、ネージュの『回復魔法』で。
エレナは自身にのしかかる魔物を引き剥がす。血塗れた羽毛が木目調の床に広がり落ちた。
テオの身体をその場へ横たわらせたエレナは、重い腰を上げた。頭から被った返り血が全顔を滴り、血溜まりを作る。
「――――――ああああアああぁァぁぁぁあア」
刹那、鼓膜を穿ったのは金属のような不協和音。指先まで痺れるような周波が家屋全体を振動させる。違う。実際に揺れていた。
エレナがぶち開けた風穴へ眼差しを向ける。
――犇めき合っていた。
たかだか人がぶつかって出来ただけの決して大きくない破れ穴。
そこでは蒼穹で羽ばたいていたはずの魔物が血走った目を剥き、喉奥を晒していた。まさに餌を求める雛鳥。
しかし魔物の上体は紛れもなく女体と変わらないもの。人肌を模した生き物が野生行動を取るさまに、エレナが顔を歪める。気色が悪い。
どれだけ人間と同じ姿形をしていようが所詮ただの魔物。求めているのは肉塊に成り下がった同族か。はたまた血の香りを放つエレナか。
未だ叫喚を上げ続けている生物に対し、エレナが得物を取り出す。手に馴染む戦斧。全身の高揚し熱気帯びていく。肋骨の奥が早鐘を打っていた。
エレナの口許が歪んでいく。
技術などない。ただ真っ直ぐと腕を振り上げた。差し迫る野性に満ちた生命の脳天に、斬撃。間髪入れず、大口の開いている個体の顔面に横薙ぎの一閃。口角を境に裂かれ、ごとりと落ちた頭部を柄の底で粉砕。
屠る度、不愉快な雑音が更に摩擦を増していく。多勢に無勢。一体、一体と対処してはキリが無い。
・
――オレら……エレナの力を見誤ってたかもしんねぇ……。
――ふ、封印しましょうッ……これ、ダメです……! 色々……!!
・
浮かぶは仲間となった子たちの焦り。ただロマンとして編み出したモノが、想像を超えた力を発揮してしまった。遊びの延長線。格好良いというだけで編み出された、"必殺技"。
左脚が一歩前へ。腰を落とし、戦斧を撓らせ振り上げた。
「『虚空斬波』」
与えられた名を叫ぶ。標的は絞らず正面一帯。
犇めく生命を討ち取る殺意に満ちた"必殺技"が炸裂する。
爆発にも感じられる衝撃。紛うことなき地響きと共に、対峙していた魔物たちが弾け飛んだ。
薄明かりだった部屋内に差し込む陽光が妙に痛む。
エレナの脚が迷いなく光へ向かう。確かな数は分からないが、多方片付いたはずだ。歩は地に落ちた魔物を無意識に踏み付けながらも、塀付近へと向かう。何故か夏とは思えないほど、薄寒い。
「……ッエレナさまッ……!! 血がッ……!!」
清涼な響と共に、名を呼ばれた。白雪のような少女の手には両手杖。肩で息をしている様子を見るに、屋外では彼女の援護があったようだ。ステラは黒猫の姿でいながら、忙しなく少女の足下を彷徨いている。
ネージュが得意とする氷魔法の残骸があちこちに見られた。薄寒さの正体はこれかと納得する。
「これは……返り血だよ。ねぇ、ネージュ。治療を頼みたいんだ、ネージュにしか出来ないから」
小屋の中に少年がいるのだ。エレナは高所に居るネージュへと腕を伸ばし、着地の補助をする。汚れないよう気遣うエレナに対し、ネージュは迷いなく飛び込むため少々驚愕した。
「『回復魔法』なら任せてください、エレナさま」
「うん。あの家の中。傷は浅いけど、急がないと……」
ネージュの細腕を緩やかに引く。エレナの言葉に反応したステラが、小さな身体で真っ先に駆けていった。目の前の事態に居ても経っても居られないのだろうか。やはり言語を解せないと不便だ。
「エレナさま。先ほどお家の中で使った技ですが……あ…………?」
早足で家屋に向かっていた最中、不意にネージュが呟く。"必殺技"についてだと言うことはすぐに分かった。だがネージュが言葉の続きを止める。深紅の奥にある瞳孔が激しく縮み、エレナの姿を凝視していた。
「アアァアアアああああああああッ…………!!」
頭痛すら催すような声音を、絶え間なく吐き出し続ける残党がいた。まるでエレナに勝ち誇るような咆哮にも、嘲笑する声にも感じられた。
エレナの左肩を背後から抉りたて、貫通させた趾が視界の端に見えたからだ。激痛と共に、貫かれた肉から噴き出すような血液。
「え、エレナさま……いや、いやぁッ……!!」
「にゃッ…………」
ネージュの表情が血の気が失われていく。取り出した両手杖の先端が敵へ向かい、詠唱を奏でようとしていた。明確な焦りと嚇怒。
――メキャッ……。
確かな圧砕音が響く。一定の間隔であった羽音が次第に早足となり、断末魔のような絶叫へと変わっていく。
エレナの片腕がただ静かに、魔物の趾へ圧を掛け、潰していた。空いた手に戦斧が現れる。
「『炎魔法』」
詠唱が魔法石を煌めかせた。炎を呼ぶ魔法により発火した魔物が猛り狂う。
逃げ惑うような暴走の反動か。エレナに刺さっていた趾が力任せに引き剥がされる。裂けた肉片が散ると同時、魔物は上空高くへ飛び立っていった。
「焼き鳥め」
エレナの口からこぼれたのは嫌に冷たい罵倒。奴がそう長くないことを理解していた。よく燃える羽毛は簡単に火だるまに変えてしまうだろう。
エレナの双眸が墜落までを見届け、ネージュに向き直る。
「エレナさま」
「優先は、あっち」
「ですがッ……」
「命令」
少女の忠誠を利用する。エレナが指差すは家屋の中。幼い少年が眠る場所。
ネージュの美しい瞳に涙の膜が張り、弾けた。桜唇が戦慄くも、エレナは譲らない。
滂沱と落ちる涙すら何の訴えにもならず、ネージュはワンピースを翻し少年の元へと駆け出した。




