第二章8 欠けた蒼黒の宝玉
木々に潜んでいた小動物たちが、混乱気味に脚元や丸太周辺を蠢いている。素足でそんな空間を歩くのは流石に堪えたのか、ステラは先程のようにエレナに肩車をしてもらっている状態。……これは早急に靴が必要である。
エレナとネージュが並んで歩を進める。途中、足の甲を栗鼠が通過して、エレナの喉が引き攣った。「エレナさま?」の問い掛けを咳払いで誤魔化す。決して、怯えていた訳ではない、という意思表示。
「なんだよ、栗鼠が怖いのか」
「怖くないよ。ゾワッとしただけだもん」
「ステラくん、猫なんだから追いかけっことかしてみたらどうです?」
「オレをなんだと思ってんだオマエ。そんなことやるわけないだろ……!」
ネージュの手がステラの尾に迫る。骨ばった細指を黒毛に沈ませると「猫ちゃん……」と浸るように呟く。どうやらネージュは、ステラを猫と認識しているらしい。対してステラは悪感情を滲ませる。当然と言えば当然だが、
「せっかく可愛いのに……」
とネージュが眉尻を下げてしまえば、ステラは弱い。ちなみにエレナも弱い。今に至るまで、幾度となく我慢を強いられてきた少女の我儘だ。許してやりたいと思うのは、きっと悪いことじゃない。
脱力したステラは、垂れ下がった猫の尾を好き勝手触らせてやることにしたらしい。背後から喜悦の幼気な笑声が聞こえる。
「はぁ……。なぁ、エレナ。どれくらい歩くつもりだ?」
「基本的には暗くなるまで。でもほら、このまま真っ直ぐ歩けば国があるはずだよ。とはいえまだまだ遠いけどね」
『収納魔法』により現れるは、簡易的な地図。ウディルネに位置する箇所にインクが滲んでおり、そこから北西に矢印が伸びていた。その国の名は――レウラベット。
エレナが現在地を予測し指を置くのは、その中間。
「どんな国?」
「そうだなあ……有名なのは、宗教……なのかな? 確か、お祈りする教会が沢山あったはず」
記憶にあるのは道行く似通った衣類を纏う人々。鐘の音を合図に人目を憚らず跪く聖職者たち。全ては魔法という奇跡を与えられ、神の施しと信じて疑わない信仰者――。
「一応言っておくけど、オレ人前じゃ猫の姿だからな」
「そうなの?」
「仕方無いだろ。獣人なんて滅多に見ないし、居たら怖いじゃねぇか」
ステラの言い分は理解出来る。だからこそウディルネでも姿を潜めていた。とはいえ自らを恐ろしい存在だと揶揄してしまうのは、酷く悲しい。
エレナは徐にステラの頭上へと手を伸ばした。
「む?」
ステラからは疑心の孕む声色。そんなことは気にも止めず、エレナは彼の銀色をした髪をかき乱す。
「エレナまでやめろよぉ……」とステラが呻くが、逃げ出す素振りはなかった。グローブのせいで獣耳の毛並みが感じられないのが、少々惜しい。
「こんなに可愛いのに怖い、ねえ?」
「オレはオマエらの愛玩動物じゃねぇぞ……」
彼の失笑を聞き届け、エレナは歩みを止めた。どうやら、"必殺技"によって伐採され開けたのはここまでらしい。ここからはまた、木々の隙間を縫いながら歩く必要がありそうだ。
ふと、目の前に撓垂れ掛かる緑色の蔦を持ち上げる。この先は一層視界が悪い。が、もう一つ目の引く存在があった。
草隠れに蒼黒の宝玉が欠けている。破片は土肌に散っていた。恐らく、原因はエレナの『虚空斬波』。
「エレナさま? なんですか、それ」
背後からネージュの声。しかし被せるように喉を鳴らしたのはステラだ。
「結界石だ。魔物避けだな」
「これが結界ですか?」
「多分……。それほどデカくねぇと思うけどこの先に人の住居が――おい、エレナ?」
ステラの解説が止まり、エレナの名を呼ぶ。返事は無い。返せない。
「……ッ、おい。エレナ、あれ……!!」
ステラの反応に合わせ、エレナが前方を見上げた。騒めく木々の狭間、遠方に見えたのは魔物。
森林を斬り裂いた際に、確かに飛び立つ姿を見た。恐らく住処に加害され、混乱した生き物。
思考を駆け巡るのは、自身が起こした技による二次被害の可能性。
「エレナさま、走りましょう」
声掛けを皮切りに、エレナが疾駆。否――跳躍。靴裏が地面と離れる刹那、エレナの腕が確実にネージュの身体を抱えていた。突然の風圧に慄いたステラが、エレナにしがみついたまま悲鳴を上げる。
「うわあぁああぁぁぁあぁあッ!?」
「黙って! 舌噛むよ!」
着地と飛躍を繰り返す。鼓膜を叩く咆哮が、急激に激しさを増す。交錯して反響するは、
「いやっ……いやぁぁああっ……!!!!」
紛れもない女性の号哭。落下石のような歪んだ音に、ハーピーの金切り声。地響き、怒声、混沌。
自身が元凶である災いに血の気は引き、速度は増していく。喉元に滲む金属味を無視し、足場の悪い緑樹を伝い続けた。頬を掠めた生傷を、疾風が撫でていく。
「エレナさま! 道が開けますッ……!!」
叢林の先、烈日による木漏れ日へ躊躇なく飛び入った。
▼△▼△▼
何故こんな事に。そう村の若娘であり母は嘆く。掌は空を彷徨い、届かない我が子へと伸ばされている。この娘の何がいけなかったのか。
強いて、絞り出して言うなれば、結界の効力が緩んでいる時期にも関わらず息子を抱いて外遊びに出掛けたことか。とはいえ、誰も責められまい。
「テオ、テオ」と喚き立ち上がろうとする彼女を抑えつけ、低い姿勢を取らせるのが今出来る最善。
村人たちの眼前には、上半身が人間の雌。そして下半身が鳥類の姿をした魔物が複数。腕と同化した羽毛で風を掴み、激しく音を立てている。
とある魔物は屋根を破壊し、とある魔物は畑を荒らし、とある魔物の趾には――テオがいる。
肉体に自信のある男が家屋から弓矢を持ち出し、照準を合わせていた。一番の長老は土肌に這いつくばり、この場に居ない神の名を呼んでいる。
「いやぁぁあっ打たないで……!! テオに当たったらどうするのよッ……!!」
「追い払わなければ、全員が死ぬだろう!?」
「あんたじゃダメよ……!! ねぇノアさま! 貴方なら何とか出来るのでしょう!?」
若娘が一人の男へ縋る。ノアと呼ばれた男は、昨晩教会から訪れた者。
ミルキーブロンドの長髪を揺らし、柳色の瞳を持った一際甘い相貌は予想外の事態に歪みが生じている。彼の右手には魔法石の埋め込まれた弓があった。
「ノアさまッ……ノアさまっ……! 貴方さまの魔法の力があればテオもッ……」
少し考えれば分かる。ノアに魔法が使えたとしても、的確にハーピーを撃ち落とせたとしても、テオの落下は免れない。なにより大群に抵抗出来る手立てすら無いのだ。にも関わらず、この男に縋らざるを得ない。神ではない。教祖でもない。魔法が使えるだけの男を。
ノアが弓を構える。仮に一体撃ち落とせても、残りの魔物は? そもそもテオを救う手立てが今残されているのか。分からない。混乱の最中、思考すべきはただこの絶望を打開する方法だけ。祈りではない。
呼吸すら制限される恐怖。逃げ出すことすら許されない絶望。それらを破ったのは――鳴動。
村を囲う塀の外。目にも止まらぬ速さで駆け込んできたのは赤毛の女。
理屈も分からぬ飛躍のまま、ハーピーの趾に掴み掛る。滞空すら錯覚するほど高度。女は空中で上体に捻りを加え、そしてただ言葉通り地面へと魔物を打ち付けた。




