第二章7 "必殺技"、完成
辺りを見渡すは万緑。先人たちが作り出した獣道の上、賑やかな談笑は風声を掻き消していく。裸足を気にせず飛び回るステラは楽しげで、愛らしく眦を下げていた。何より、エレナが『身体強化魔法』と詠唱する度に、
「うおぉおぉっ……!!」
と、歓声をあげている。成功率は五分五分。
その隣では風に靡く霜髪を手で抑えながらも、神妙な顔で思考しているネージュ。
そして一瞬の爆発力を得るために、詠唱を反芻し続けるエレナの姿。もはや滑稽では無いか? と額の裏を過ぎるも、口にはしない。断念することとは即ち、期待を裏切る事である。
「そうだ、ネージュ。"必殺技"の命名は決まったか?」
ステラの表情は待ちきれないとばかりに緩んでいた。"必殺技"に名付けというものは不可欠らしい。ネージュは細指で小枝を摘み、土肌を突く。
「肉体強化と同時に魔力の斬撃を飛ばす"必殺技"ですから。それらしく武骨な雰囲気は出したいですよね……」
「あわよくば衝撃波とか出して欲しいよなぁ……」
言うと、小枝はネージュの手によって意志を持つように土を抉り始めた。一画一画丁寧に綴られる文字は不格好。エレナも戦斧を構える体勢を変え、少女の手元を覗き込む。
「……わ、笑わないでくださいね」
土と枝の擦過音にステラの興奮気味な呼気が混ざり合う。
「――ラガフィード……?」
エレナの唇が文字をなぞった。途端ネージュの柔肌に血色が滲む。
「エレナさまも女性ですから、少し迷ったのですか……やはり格好良い方が良いかと思って……」
ネージュがはにかみながらも、そう口にした。命名に羞恥があるらしい。地面に掘った文字列の傍でしゃがみ込んだまま、銀糸ような睫毛に水膜が張る。鼻先には朱が差していた。
「うー……! せ、せめて何か感想を……!」
とうとう耐え難くなったネージュが立ち上がる。驚いたステラが一歩飛び退くと同時に口にしたのは、
「ラガフィード! なんかスゲェ強そうじゃん!!」
という嬉々とした感嘆。
「冒険記とかにも実際にありそうじゃないか? ダサかったら文句言ってやろうと思ってたのに」
「ステラくんが無茶ぶりしたのに……!」
「嘘だって。スゲー良い名前だもん。な? エレナ」
ステラがエレナへと促す。期待と緊張が交錯するネージュの瞳が、エレナからの評価を粛々と待っている。
「うん、凄く良いと思う。口馴染みも良いし、強そうに聞こえるよ」
セピア色の瞳が薄らと狭められた。口唇は何度も与えられた名付けを繰り返し、
「じゃあこれを"必殺技"の前に叫べばいいのね?」
と確かめる。「出来るかなあ」と口では言うが、全身を使い戦斧を馴染ませるさまに迷いはない。
「こ、こんなので良いんですか……? 名前……もっと良いの、あるかも……」
「いきなり消極的だな」
ステラの指摘にネージュが動揺を示す。「ですが」「だって……」と口篭る少女は何を取っても自信無さげである。仕方がない。ネージュの性なのだろう。
だからこそ、エレナの案じることすらない是認が効く。
「良いに決まってるじゃん? むしろあたしの方が不安だよ、期待に応えられるかなあ」
「エレナさまが不安になる必要なんてないです」
返答が速すぎる。悄然の眼差しが一変、確固たる欽慕となった。変貌具合に思わず笑壺に入ったエレナが、諸手でネージュの髪を撫でる。
「じゃあネージュだって不安になる必要、なーし。ラガフィード、ね。よし、ちゃんと覚えた」
ネージュが必死に考えたのだ。否定する理由すらもありはしない。だが問題は、子どもたちが考えた"必殺技"を実現出来るか否かである。
「えーっと……戦斧を振るタイミングで『身体強化魔法』を発動させて……振り切ったタイミングで魔力の斬撃……を飛ばせばいいんだね……?」
何度でも言える。エレナは魔法に置いてはドが付くほどの初心者である。『身体強化魔法』が成功するかも怪しい現状。
「オレ、『身体強化魔法』は無詠唱の方がかっけぇと思う!」
「確かに……予備動作ですから、敵に悟られない方がスマートですよね」
「やっぱり"必殺技"っつーからには、奥の手って感じが欲しいもんな」
加えてこの強い要望である。何度も期待しないよう釘を刺したつもりだが、効果はまるで無い。全てはエレナがエレナである故だ。
「折角名前も決まったんだし、試し斬りでもしてみないか? ほら、木なら大量にあるぜ」
黒褐色の人差し指が、風樹を指差す。この場所は果てなく広がる木々の狭間。数本切り落とすくらい、なんて事ないだろう。エレナは首だけで理解を示す。
「あー……えっと……全力で振れば良いんだよね?」
「あぁ! 『身体強化魔法』がかかる……! ってタイミングでな」
「斬撃はぬいぐるみに魔力をぶつけた感覚を思い出してください。きっとエレナさまなら出来ますから」
魔力の放出に慣れるため、カレンの家で何度も行った練習だ。ネージュの真似事で上手くコントロール出来なかったことを思い出す。優しく当ててぬいぐるみを自在に動かしていたネージュとは違い、エレナは過剰な魔力で大きく吹き飛ばしてしまった。――ああ、でも。下方するより、全力を出せ。と言われる方がよっぽど。
「じゃあ二人は少し離れてて」
子どもたちが少しずつ後退っていく。充分な距離が取れたことを確認したエレナは、動きやすいように重心を落とした。
睫毛を落とす。脳裏に巡るは『身体強化魔法』。
無詠唱自体は、『収納魔法』でも行っている。要は詠唱を行うことで魔法毎に変わる魔力伝達を、身体に染み込ませれば良いのだ。
ステラに教わったことで生まれた数回の成功体験の記憶。肉体が更に強靭に変わる感覚は、サナティオからの魔法で熟知している。
唱える。唱える。脳が幾度となく訴える詠唱。脳幹から溢れるは、体温を超越する熱。ああ。
――今、いける。
拳が音を立てた。革靴が上土を抉り立て、口角から熱気に近い吐息を吐き出す。戦斧の間合いにある一木だけを視界に、放つは横薙ぎの一閃。
上腕が筋肉で隆起する。勢いに任せた大振り。うだるような緑風の中、大刃に合わせ疾風が生まれる。
「――『虚空斬波』ッ……!!」
喉奥が奮う。与えられた"必殺技"に劣らぬ結果を。白んだ戦斧の足跡が放つは、透徹した魔力の斬撃。
轟音。地鳴。烈風。――荒れ狂う青草。
踏み縛って堪えなければならないほどの、衝撃波と共に前方の並々立つ木々が破壊されていく。見通しの良くなった蒼天には、絶叫に近い悲鳴と共に野鳥とハーピーが飛び立った。
「せ、成功……だよね? やったあ、成功した……!」
魔法発動も滞りない。肉体の力、魔法の力。どちらも十二分に発揮出来た結果だ。
過去にない魔力を消費したせいか、どうにも余韻が抜けない。沸騰するような脳の異変。浮遊感に足取りが揺らぐが、知るべきは子どもたちの反応。
彼らが退いた先へと振り返る。なんとなくステラが興奮気味に捲し立て、ネージュが憧憬に染めた双眸を向けてくるのだろう。
しかし、少年たちのリアクションは予測していたものとは大きくかけ離れていた。
「オレら……エレナの力を見誤ってたかもしんねぇ……」
「ふ、封印しましょうッ……これ、ダメです……! 色々……!!」
「え……!? ええっ……!? "必殺技"でしょ? 派手なのが良いんだって……」
「派手過ぎるッつーか! てかてかお前ッ……! 鼻血出てるって!」
ステラが怒鳴るように異常を示す。指摘されて初めて、唇まで滴るぬるい鉄味。
「ま、魔力の使い過ぎですよコレ……! わたしの魔法で冷やしてください。大丈夫ですか? 気絶しそうな感覚はありませんか……!?」
泣き濡れそうな声で杖を取り出したネージュが、杖先から流れるように氷を生成。
寒さに弱いエレナの性質を無視し、火照った頬に押し当てた。手つきは性急で、見るからに慌てている。
「あは……えーっと……期待にそぐわなかった……かな?」
「それは違う!」
「それは違います……!!」
子どもたちの声が重なった。ステラは加えて「ビビるほど格好良かった!」と、掌を大袈裟に振っていた。ツンと立ったしっぽが興奮を物語る。
「想像以上だったよ。てか、流石に森林破壊し過ぎ…………。ま、歩きやすくなった……と思いやいいか?」
木々の隙間を裂き開けた先。ステラは素足のまま、切り株に飛び乗り上機嫌にはしゃぎまわる。
「エレナさまの熱が引いたら、行きましょうか」
そう言うネージュの表情は、どこか誇らしげとも言える朗笑だった。




