第二章5 積み上げた本懐
ライ麦で出来たパンを誰より早く口に入れるネージュ。汗によって頬に張り付いた白銀の髪をエレナが払う。「ゆっくり食べなよ」と声をかけて、やっと咀嚼が緩やかになった。
どうにも食事が目の前にあると、時折我を忘れるらしい。食い意地だとネージュ自身は恥ずかしがっていたが、いつ飢えるか分からない生活がそうさせたのだと容易に想像できた。
「……ですが不思議ですね? 種族の変化なんてそんな簡単に出来るものなんでしょうか」
ステラがエレナへ話した過去の情報共有は終えた。ネージュの反応は最も。例え魔族の存在がどれほど未知数であれど、過去ステラのような事例は聞いたことがない。――ただ。
「不可能では無いかもしれないね。というか、事実ここにステラがいるわけだし」
「オレだってこの姿になってから何もしてなかったわけじゃねぇしな。母の書斎で毎日毎日情報をかき集めてた。生憎、人間から獣人に変化した。なんて文献は無かったが、人間から魔族に変えられたヤツは存在してる」
ステラの手には一枚の用紙。走り書きのような文字で隙間なく埋められている。遠目で見れば真っ黒だ。
「……原因は不明だが、過去行方不明となった人間が魔族特有の角の生えた状態で発見されたことがある。ただ当人は酷い混乱状態。種族の変換自体は可能なわけだ。
エレナは冒険中、見た事あるか? 種族が変わってしまった人間」
蜂蜜色の瞳がエレナへ向けられる。期待の熱に満ちており、まだかまだかとエレナの回答を待つ。どこか知的好奇心を満たすような笑みは、カレンに似ていた。「知ってることだけでもいいんだ」と催促し、正誤判定に期待している。
「あるよ」
エレナから放たれた言葉はあまりに簡潔だった。ステラが感興混じりに呼吸するが、エレナの表情は浮かばれない。むしろ、どんどんと沈んでいくようでネージュが食事の手を止めた。
「エレナさま?」
「あたしも聞き齧りの情報しかないから、正直……正しい話かは分からないけどね」
魔族と出会った数は、並の人間より多い自覚がある。それは魔王討伐という目的があり、それを阻む壁だった。
だからこそ生体には人より詳しくなくてはならないし、勉学に秀でた仲間たちは常に学んでいた。
何より、魔族との対話もあった。
「魔族っていうのは基本高慢だから、『誰かを想い、誰かと結ばれる』『番う』ことを本能的に嫌う。だから増えない」
「生命としての欠陥だな」
実直に告げるのはステラ。エレナが首を縦に動かす。
「だから魔族は、身体の作りが似ている人間を魔族へと作り替えて繁栄してる。方法は分からないけどフィデスは遺伝子操作の類を魔法でしてるんじゃないかって言ってたけど」
エレナが口にした言葉は、どこか丁寧で書物から抜き出したような丁寧さ。感情も乗せず、淡々と事実だけが語られる。
だが表情だけがどんどんと歪んでいき、最後は苦虫を噛み潰したような苦悩が滲んでいた。ただただ不快なのだ。
「さすが勇者一行。文献にはねぇ情報がポンポン出やがる」
言いながらステラは干し肉を平らげる。同時に全身をバネのように縮めて、勢いよく立ち上がった。驚いたネージュが噎せるが、気に止めずににんまりと口を歪める。
「オレの目的は父を探し出すことだ。今日だけで欲しかった情報が幾つも埋まった」
「待って、ステラ。あんた、何言って――」
「魔族は人間の種族を変えられる。それだけ難解な魔法を使える。何より、死んでなおオレが生きてる! なぁ、エレナ! これってさぁ、これってさぁ!」
興奮冷めやまぬまま、ステラは広げた掌をエレナの方へ着地させた。
「父がまだ生きてるかもしんねぇってことだよな!?」
子どもらしい願望だった。それだけがステラを突き動かして来たのだろう。人間とは違う姿で、母の傍にいながら正体も明かさずただ、虎視眈々とこの時を待っていたのかもしれない。
察するに余りある。エレナがかける言葉に迷っていると、静寂を裂いたのは聞き心地の良く涼しい声。
「つまり、ステラさまはわたしたちと一緒に来たい……ということですか?」
ネージュが問う。対してステラの返答は肯いた。
「父を探すにあたって、国外の移動に慣れていて、父のことを知ってる人間を探す必要があった。だからオレはエレナの手を借りてぇと思ってる。目的がブレるのも理解した上で、オレを同行させてくれねぇか?」
震えはない。真っ直ぐと乗せられた頼みは、エレナへと向けられていた。同様にネージュの双眸もこちらへ向かっている。
「わたしはエレナさまの意向に委ねます」
「えっ」
「お母さんの所へ帰るのは、ステラさまのお父さまを探した後でも出来ますから」
ネージュは言うと、食事を再開する。エレナが首をどちらへ振ろうと構わないと言いたげだ。
「……ッ頼む!!」
ステラの掌が勢いよく重ねられ、乾いた音が響く。拝むような体勢で、祈るのように瞼を固く固く結んでいる。
「あたしはカレンさんとちゃんと話すべきだと思うんだけど」
「それは嫌だ!!」
少年の声が劈く。何故かを問うより早く、ステラが続ける。
「母がこの姿のオレを見るのは絶対に駄目だ。ただでさえ、オレが魔族退治に出たことにも責任を感じてるのに人間でさえ無くなったなんて……オレ、絶対に言えねぇよ」
「死んだはずの息子が帰ってきたなら、何より嬉しいのでは?」
ネージュの疑問に、ステラが頭を振る。
「もしそうだったとしても、その後母はきっと父を探す為にオレを置いてく。"子どもだから"とか"お前には戦闘の心得がないから"とか言って」
「まさか」
「分かる。姿は変わってもずっと傍に居たんだから」
そういうステラは異様なほどに強情だ。矮躯に似合わぬ、絶対に動かないという意思と態度。何より、不安すら滲まない双眸。
「言いくるめようなんて無駄だぞ。オレが納得いく理由がなきゃ、せってぇに動かねぇからな」
「横暴が過ぎませんか」
「なんのために姿を明かすっっつーリスク侵したと思ってんだ。当然、エレナにだって損はさせねぇ話のはずだぞ」
意気揚々と語るステラの言い分は分かる。彼の父はエレナにとっての師だ。死んだと聞かされた恩人が生きているとなれば、探し出したいと思うのが本音である。だが確信もなければ居場所も分からない人物を探すには、この世は危険すぎる。
そんな葛藤を見透かすように、
「エレナだって父に会いたい癖に」
とステラは甘言を溢す。
「ステラは子どもでしょ」
「ネージュだってそうだ」
「外は危険だ」
「エレナの刃も当たらなかったのに?」
「ステラだけでも――カレンさんとっては奇跡みたいなものなんだよ」
「父が居た方が、喜ぶに決まってる」
ああ言えばこう言う。即応、即答。まるで返す言葉は決めていたかのように。
彼は分かっているのだ。外を歩くことで生じる危険も、自身に本懐がどれ程に無謀な事かも。身に降りかかった恐怖がまた襲い掛かる可能性も。だからこそ、調べた。考えた。
「オレ一人じゃ出来ねぇんだって分かってる。知識ばっか集めて、そのまま頓挫しかけてた時に現れたのがお前だよ、エレナ」
そして――一縷の望みばかり蓄え続けた少年は待ち続けたのだ。無謀を叶え得る人材を。
「オレにはエレナしかいねぇんだ、頼む。邪魔にはならねぇ。ネージュを故郷に送り届ける道中、なんの情報も無けりゃ――そん時は諦めるから」
エレナの唇が固く結ばれる。どうにもこれ以上、説得の言葉が出てこない。どの全ても躱される気がした。どの否定も説得も用意してきた反論で潰される。それ程の覚悟を見て拒めるほど、エレナは大人ではなかった。
「エレナさま」
「……ネージュ?」
「これ以上、何を言ってもステラさまには無意味かと」
食事を終えたネージュが口元を拭っていた。言葉に含みがなく、述べるのは淡々と事実のみ。
「一瞬でも、魔族と惑うほどの瞬発力はきっとエレナさまの役に立つでしょうし……」
「な! な! ネージュもこう言ってるしさ!!」
どうにも、エレナは押しに弱い。ステラに加え、ネージュの増援が来てしまっては首を横は振れやしなかった。喉から搾った声は渋々の合意。
「…………絶対危ない事は止めるからね」
「や、やったー! ありがとう、エレナ! 大好きだ!」
随一の笑顔を作るステラが、エレナへ突進まがいのハグをする。無事受け止めたものの、歓喜に震える様は年相応に幼い。
「ちょ、ステラさま!? 慎んでください」
「ネージュも! ありがとうな! あとむず痒いから"さま"は無しで!」
同時にステラの身体がネージュへと跳ねる。咄嗟の『防御魔法』によってハグから逃れたネージュ。文句を言うステラ。子ども同士の戯れは、微笑ましくどこか懐かしい。
夏の陽射しが外気の熱を上げていく。たった一人の加入により賑やかとなった空間を見て浮かぶのは「まあ、いいか」という許しであった。




