第二章4 記憶の開示
獣人――ステラの名乗りが頭から離れない。結局一睡も出来ず朝日を見る羽目となった。陽射しが目に辛い。
ステラ・シートン。なんと思い返しても浮かぶのは墓石の刻印。もう一つの記憶は十二歳の頃。勇者一行としてシートン家へ訪問した時。当時二歳だったらしい子どもがカレンに抱かれていたことを、微かだが覚えている。
あの頃のステラは間違いなく人間だった。皮膚はカレン譲りの白肌。尻尾なんてなかったし、猫のような耳もなかった。
では何故獣人に? そもそも何故カレンはステラが死んだのだと言ったのか。疑問は留まることを知らず、ただひたすらに額の裏を巡り続けた。
有り得るはずかないのに、疑うことすら脳が否定した。思考ではなく、本能が紛れもなくステラだと。
「……ステラ」
「呼んだか?」
「うわあぁっ!?」
視界外から突然ピロピロと動く獣の耳が現れた。数秒上目でこちらを観察した後、にんまりと笑みを浮かべる。
「もっかい呼んで。オレの名前」
「ステラ?」
要望通り名を呼べば、ステラの笑みがさらに花咲く。楽し気に上体を横揺れさせたかと思えば、尻尾をエレナの腕へと巻き付けた。大袈裟なほど全身で喜びを表すステラに、エレナはふっとため息をつく。
「眠れなかったの?」
「いんや。オレ猫の姿じゃ夜ばっか活動してて昼夜逆転しててさ。眠くなんのはこれからだ」
そう言うステラは音を立てて欠伸をこぼし、大きく伸びをした。そして、思い出したかのように「なぁ! オレ腹減った」とエレナの髪を引く。
「干し肉しかないよ、後でパンは焼くから」
「食べる」
ステラが与えられた干し肉に食らいついた。尖った歯で柔らかくなるまで咀嚼を繰り返し、引きちぎって飲み込む。「美味ぇ!」と感嘆に近い調子で声を上げた。
「ステラは本当にカレンさんたちの子どもなの?」
エレナが話題を切り込む。ステラは目を丸々とさせ、数回ちゃくちゃくと口を動かした後頷く。
「昨日、信じたんじゃねぇのかよ」
「うん」
「じゃあなんで疑うんだよ」
「……ステラの姿が、以前見た事のある姿と違っていたから。目の色も髪の色も表情も全てステラだと思うのに、種族が違うってだけで納得が出来ないんだ」
それがどんな理由であっても、経緯は話すべきだ。そんな圧とも言える目線を食らったステラは「あー……」と曖昧な言葉を零しながら干し肉を食べ尽くす。
「ネージュが起きたら話そうと思ってたんだよ。ホントだぞ」
「うん」
「そんな目で見るなよ。オレが悪い奴みたいじゃねぇか」
疑心に堪えたステラは人差し指でトントンとこめかみを叩く。
「母から聞いたのは『三年前フォルは魔物討伐中襲われ戦死。その後を追うようにオレも襲われ死んだ』で違いねぇよな?」
良くまとめたものだな。と少々関心しつつエレナは頷く。なぜ知っているのかは聞かなかった。黒猫の姿で常に傍に居たと考えれば内容を知っていても不思議でもない。ステラの双眸はただエレナ一点を見つめていた。
「母の言ったことは半分本当で半分違う。というより、知る由もなく死んだと勘違いしてんだ。何故ならオレは今生きてるから」
「そうだね」
「先に言っとくが、あんま染みったれた空気にしないでくれよ。オレは今会話すら久しぶりなんだ。慰めも何も出来ねぇかんな?」
ステラはイタズラっぽく笑うと、眼差しを朝焼けへ向ける。何が浮かべるように間を取ると、深呼吸を繰り返し――唇を開いた。
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「――母が話してた通り、父は任務中部下の人を庇って死んだらしい。報告に来た部下の人が泣きじゃくって母に謝ってるのを覚えてるよ。オレさ、大人が泣くって全く想像つかなかったんだ。
それ以上に驚いたのは母が泣いたことだよ。母がさ、閉まったはずの玄関をずーっと見ながら泣いてんの。泣いてんだよ、あの人が。想像出来ねぇよな。でも本当。
『フォル、フォル』って何回も何回も父の名前呼んでさ、オレがどんだけ『かあ』って呼んでも振り向きゃしねぇ。
そんでさぁ、オレ。今思えばスゲー馬鹿だし、間抜けだし、死ぬほど罵倒されたって文句言えねぇんだけど。……思っちまったんだよな。母から父を奪ったヤツをオレが殺してやる。ってさ。
父の武器庫からありったけの武器『収納魔法』でかき集めてさ、当然身体はすげー重いんだけど何よりも復讐しねぇと、って思って。
ウディルネを囲ってる外壁あるだろ? 母と父が『修理しないと危ない風穴がある』って話し合ってたもんだから、国を飛び出すのも苦労しなかった。――……はは、馬鹿だろ? 今なら分かるぜ。復讐より母の傍に居た方がよっぽど孝行だってさ。
そのままオレは国から遠ざかるみたいに走った。国の中央から円形に魔除けの結界が貼ってあることは知っていたから、とにかく外側へ、外側へって。
したらさ、本当に会えちまって。そう。死ぬほど憎くて殺したくて堪らなかった――魔族だ。魔族なんて確認総数も少ねぇしさ、ただの魔物に父が殺されるわけがねぇから、すぐ分かった。こいつが父を殺した奴だって。
オレ、さ。……戦えなかった。九歳の時だよ、無理もねぇ。けどさ、手も足も出ねぇとかじゃねぇんだ。怖ぇんだ。角がある以外は人間と姿形変わりゃしねぇのに、勝てっこねぇって分かっちまった。全身が竦んだんだ。
騎士の人達と模擬戦をしている父は何度も見たけど、オレ自身は戦い方なんて知らねぇ。わけわかんなくなって、かき集めた武器をそこら中に撒き散らして。――そのままオレは簡単に殺された。――確かにあの時死んだんだ」
丁寧に回顧し、ステラの言葉へと変換されていく。エレナの表情や相槌に反応しながらも、舌は止まらなかった。今この時までは。
幼い声が虫の音に溶けて呼気となる。エレナが彼の名前を呼べば、平面に落ち込んだ猫耳だけが反応する。一拍の深呼吸の後発されたのは、弱々しい
「待って」
だった。鋭い爪先が小刻みに震えている。黒い皮膚では誤魔化せない程に、血の気が引いているように見えた。ステラが思いだしているのは――自らの死だ。
何も言えない。というのはこうも歯痒いのかと歯噛みする。ステラにとって死を確信するほどの経験。それは今命を持っているからといって、解消される恐怖ではない。彼の強がりはトラウマを覆う自己防衛だったのだと、遅れて理解する。
それでもステラは覚悟を決めたように震わせた手のひらで拳を作った。
「……よし。オレがなんで死んだって言い切れるかっつーとな。その魔族に襲われて腹を――」
「いいよ、ステラ。全部は言わなくて」
エレナの人差し指がステラの唇に当てられる。瞬間、エレナを見つめた蜂蜜色の瞳に動揺が滲んだ。瞳孔が縦長に締まる。
「オレに遠慮してるってんなら必要ねーぞ?」
「いや……違くて」
エレナの双眸が言葉を選ぶように泳ぐ。
きっとステラは聡明なのだ。順序立てた話し方。感情の言語化。何より、過去のトラウマを取り乱さずに語る様は歳相応とは言い難い。
ただ想像していた以上に、エレナのいつも通りを貫くには重すぎた。何より――感情移入し過ぎてしまうと、理解が遠退くのだ。
「あ、あたしあんまり長い話得意じゃなくてさ……。つまり獣人化の原因はその魔族のせい……ってことで良い?」
気を使ったわけではない。本当に長い話は得意でないのだ。情報が積もれば積もるほどに、引き抜くべき要素が分からなくなる。今のエレナの心情では、ステラの説明は悲しいにしかならない。
「お……お前なぁ……! オレが必死に思い出して話してんのによぉ……!」
「ごめんよお……」
エレナが項垂れる。仲間たちならどうするのだろうと過ぎった思考を慌てて払う。今この場にいない人間のことを考えで仕方が無いのだ。ただ明確に分かることと言えば、エレナより上手くやるであろう、ということ。少なくとも真剣に話している人間に対し、長い話は得意でないなどと言って水を刺すことはないはずだ。そこまで考えて、エレナはさらに眉尻を落とす。
「結局暗くなるんだよなぁ……」
沈黙を破ったのはステラだった。面倒臭そうに頭を掻きながら、それでも先程より幾分もマシな表情で溜息をつく。
「まぁ、いいや。馬鹿にでも分かるように要点だけ話すぜ。正直オレもそっちの方が助かる」
「うう……ありがと……」
十歳近く歳下の子どもに気を遣わせてしまったことが申し訳ない。同時に聡明で饒舌に見える彼が口を閉ざすほどの体験を話させずいられたことに、安堵もあった。話すとは思い出すこと。ステラの表情を見ても、それは本意では無いように見えたのだ。
「――あつい……」
空気に似合わぬ鼻にかかった甘い声。シーツに絡んだ白髪が陽射しに煌き、徐々に上体を起こしていく。熱に火照った頬に透明な汗が伝い、落ちるより早く拭われた。
「おはよう、ネージュ」
「…………おみず」
「会話になってねぇな」
呆れるステラを他所に、エレナが水を用意する。口付けたネージュは小さく「ぬるいです」と文句を言って杖を取り出していた。氷魔法で冷やすつもりらしい。暑さに弱い彼女の不機嫌は、夏場の野営で生まれるようだ。
「話はネージュを起こしてからだな」
尻尾が大きく揺れる。息の詰まるような空気は消え去り、ステラの表情が色づく。もう一度地面に這いつくばろうとするネージュの肩を掴み、ステラが「これから地面も熱くなってくぞ?」と目覚めの手助けに尽力中。
エレナは朝食代わりのパンと干し肉を用意し始めた。
「今起きないと朝ごはん抜きだよ?」
「起きます」
ネージュを動かすにはやはり食事である。




