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第二章2 憧憬貫く一般論

 夜の帳がすっかりと落ちた頃。魔力で起動するランタンだけが仄明かりを放っていた。釣られて寄って来る羽音。そよ風に流れた草花が擦れて不気味に音を立てた。空気が生温い。

 そんな中ネージュがランタンの明かりを頼りに、布へ糸を通していた。本当に枕を作るつもりらしい。


「せめて明るいうちにしたら?」


 エレナの提案に、ネージュが(かぶり)を振る。小さく骨ばった手は忙しなく動き続けていた。


「あと二十分ほどで完成するんです! せめてエレナさまの分だけでも……!」

「それあたしの分だったの!?」

「野営だからと言って安眠を犠牲にする必要はありません! ちゃんとした羽毛枕一つで凄く変わるんですから!」


 興奮気味に語るネージュに、エレナは「そうなんだ」と心あらずな返事を返す。まるで熱量に追いつけない。

 ネージュの献身さには助かると共に、何故そこまで? と首を傾げたくなることもある。


「少し暗いな……。エレナさま。ランタンの明かりもう少し強くしてもいいですか?」


 頷けばネージュはランタンの魔法石に触れた。動作としては取り留めないものだが、徐々に仄明かりが強まっていく。ネージュは手元を照らしながら「よし」と呟いて作業を再開した。


「そういう作業には魔法は使わないんだね?」


 エレナの問いにネージュが数度瞬く。針仕事の手を止めて、少し迷う素振りを見せた。言葉を選んでいるようである。


「エレナさまって魔法を万能だと思っている節がありますよね?」


 選んだ上でそれか。と言いたくなるほど鋭利な言葉だった。確かにエレナは魔法の知識が浅い。加えて半生以上の期間を魔法が使えないまま過ごしたのだ。憧れと言える感情はとうにふくふくと太っていた。だからこそ、ネージュのこういった発言が刺さる。カレンにも良く刺された。


「魔法はあくまでも補助。もちろん攻撃手段にもなり得ますが、それに耐えうる魔力を持つ人間は幼少から訓練されたひと握りだと聞きます」


 エレナは頷く。生きていく為に必要な魔力なんて言うものは少量で、魔道具一つ起動出来れば生活には困らない。カレンやフィデスといった魔法を生業にしている人たちは極小数なのだ。特殊技能ということになる。

 嫌になるほど聞いた話だ。

 

「……例えばお裁縫も魔力で補助することも可能です」


 ネージュはそう言うと、シーツと裁縫針から手を離す。魔力を与えられた小道具たちは、空を浮くようにネージュの眼前をさまよった。


「ですがこのままでは思った場所に針はさせませんし、魔力を使うのに違った労力が必要で、凄く頭が疲れるんです。結局こういった作業では手作業の方が綺麗に早く出来るんですよ」


 魔力によって浮遊していた小道具がネージュの手に戻る。手馴れた動きでシーツの角をなぞるように糸を通すさまは確かに、綺麗だった。ネージュは薄く微笑みながら「遠くのものを動かずに取る時にはすごく便利ですけれど」と呟く。

 魔法を使えるようになってから、夢は砕けるばかりだ。

 始めは魔道具が起動するだけで嬉しくて堪らなかった。けれど使えるようになったことで、憧れた華々しい魔法からは程遠いと知ってしまう。


「フィデスみたくなるのは流石に無理なのかなあ?」


 ぽつりと口をついて出た言葉にネージュが首を傾げた。少しの間を置いたあと「あぁ、勇者一行の」と納得したように相槌をつく。彼らの話はカレン宅に居候している間、何度も話した。


「そう。あたしの中の魔法のイメージってやっぱりその子でさ。天気も変えちゃうようなすーっごく壮大で綺麗な魔法を使うんだ。何より強い! かっこいい!」

「天気を変えてしまうほどの魔法ですか。わたしには想像もつきませんが……」

「そうだよ。あたしの仲間はみんな凄いんだ……!」


 きっとこんな会話も何十回目。けれどネージュは飽きたとも言わず、朗らかな笑みを浮かべて「偉業を成した方々ですから」と褒めてくれる。


「いつか会ってみて欲しいなあ」


 なんて言えば、ネージュはなにかおかしいことを聞いたかのように、くすくすと笑った。


「――しっかし、この時代にこーんなにも魔法知識に疎いヤツがいるとはなぁ?」


 ふと聞こえた声は、エレナとネージュ。どちらのものでもなかった。気だるげで、緊張感もなく――どこか少年のような声のトーン。しかし何よりも小馬鹿にしたような口調がどこからともなく鼓膜に触れる。

 ただの雑談に混じるような気軽さで、エレナの肩に暖かな重みがのしかかった。


「――ッ……!?」


 立ち上がると同時。『収納魔法(ストレイジ)』によって戦斧が現れる。振り返ると同時に刃を気配に向けてなぎ払った。

 ――気付かなかった。触れられるまで。油断などでは決してない。物音も、温度も、風のゆらぎすら変化など無かったのだ。気付きようがない。だからこそ、声の主が異端だった。

 戦斧が空気を裂く。手応えのなさにエレナの表情が強ばった。次の一手を構え、ネージュを庇うように重心を落とす。


「こ、怖ー!? 当たったらひとたまりもねぇな!?」


 声は頭上から降ってきた。木々のざわめく隙間から、加えて嘲るような笑い声がする。響き渡る肉声は動き回り、位置の特定が出来ない。


「出てこいっ……!!」

「出たら死ぬじゃん⁉」


 分かることは意思疎通が可能なことだけだ。

 エレナは声がした方向へ跳躍。枝木まとめて斬り落とす。――手応え、なし。


 嫌な予感がほとばしる。明らかに人間では成し得ない動きを行う、意思疎通が可能な生命。エレナの脳裏に「魔族」いう名の上位種族が()ぎる。見通しの悪い森の中。闇夜に紛れこちらを翻弄してくる敵にエレナは激しく舌を打った。


「ネージュ! 無事ッ⁉」

「は、はい……!」

「なら、『防御魔法(リュセリオード)』だけ考えて!」


 エレナの叫びに反応し、ネージュが両手杖を出現させる。全身で辺りを見渡し、声の主へと意識を向けている。しかし徐々に表情が曇り、焦りが帯びていく。足音がないのだ。

 小さいのではない。葉を払う音。土を蹴る音。木々の軋みすらないのだ。そよ風が生む静音と、エレナたちの息遣い。そして――


「あははっ。どこ見てんだよ?」


 笑声。併せて、エレナの頭部に軽やかな衝撃が走る。痛みはないが、確かな重み。反射的にエレナの左手が掴みかかるように動作する。グローブ越しに触れた熱は、悪戯にも消え去る。

 ――ふざけるな。脳裏に湧き上がるは苛立ちばかり。激情の沈静化を図るも、視界を掠める何者かが邪魔をした。

 時折ランタンの明かりによって浮かび上がる影も、視認するより早く姿を消した。


「キリがない」


 姿の見えない相手と戦うことの難しさ。相手が攻撃してこないとはいえ、こちらの攻撃も当たらなければ意味が無い。空を裂くのは何度目か。断片的な気配が招く手ごたえは森林破壊である。

 支えを失った大木が、新たな大木を巻き込み轟々と音を立て地面を抉った。背後で『防御魔法(リュセリオード)』を張ったネージュの悲鳴。


「エレナ⁉ ちょっとお前、やり過ぎだ!!」

「はあ!?」

「マジで、落ち着け!! ネージュ、一旦受け止めてくれっ」

「え、えぇっ!? ええぇっ!?」


 言われるがままにネージュが腕を広げる。相手の声に極めて敵意がなかったせいだ。

 ネージュの腕の中に黒い物体が飛び込んだ。「うひゃ!? 何!?」と絶叫するネージュと共に聞こえたのは、


「みゃ〜ぁ」


 と、何とも気の抜けるほど甘えている、それでいて何度も聞いたことのある鳴き声。懐ききった表情で、尻尾は気ままにネージュの頬をなぞっていた。

 ――猫だ。紛れもなく、猫。

 緊迫した空気が解ける。代わりに生まれるは、充満する驚嘆である。存在するはずのない小動物が、魔物の跋扈する空間に存在していたからだ。


「まさか……カレンさまのところの?」


 ネージュが問う。その言葉に闇夜に溶けるような黒猫は、答え合わせ。とばかりにまた甲高く鳴き声を上げる。

 確かめるが如くネージュの手は忙しなく黒猫を撫で回し、


「えぇぇぇぇっ!?」


 真夜中の森。少女の絶叫が響き渡った。

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