第二章1 遠のく待ち人
劈くような咆哮に冷静な詠唱が交錯する。金属が鳴き、爆ぜた体液が地面を陥没させ木々を焦がす。
グエェェ――という汚い断末魔を残し、大蛙の一体が絶命した。
「フィデス。そっちはどう?」
声が降る方向へ顔を向ける。二メートル近い巨体。血振りしながらこちらへ歩を寄せている男がいた。琥珀色の髪をかきあげて、汗を散らしている。
フィデスと呼ばれた青年は、両手杖の柄を地面に押し当て舌を打った。
「どうもこうもあるか。血飛沫で腕が溶けたぞ」
「ひぇ〜。後でサナんとこ行こ。痛い?」
「クソ痛い」
なんで魔物退治なんてしているんだと、フィデスは深く息を吐いた。
「いやぁ、付き合ってもらって悪いね。ここ最近魔物が増えているみたいで、間引きを頼まれたんだ」
「だからってなんで俺なんだ。せめて王国騎士内で仕事してくれよ」
「だぁって。僕の無茶に合わせられるのは君だけじゃない」
ルカがイタズラに笑うと同時に、フィデスの心労が募る。
「いいか? 俺の仕事は学び舎の教師だ。ルカの何でも屋じゃねぇんだよ」
文句を言いながら明日のタスクを頭に浮かべた。早朝に学び舎に向かい、父親と一緒に昨日行ったテストの採点をする。その後、受け持っている算術と魔法学の授業。
職に就いて約三ヶ月。未だこの多忙に慣れそうにない。
「でも大暴れして息抜きにはなったんじゃない? ほら、考え事する暇なんてなかったでしょう?」
ルカの垂れた目尻が細められる。それが心根を見透かすようで、フィデスは瞳を泳がせる。深紫の虹彩が動揺に揺れた。
「エレナ今頃何してるんだろうねぇ。僕カレンさんにつけてもらった修行なんて嫌な記憶しかないんだけど、上手くやっていると思う?」
「さぁ。良いように扱かれてんじゃねぇの?」
「本当は心配してるくせに〜」
揶揄うように肘で横腹を突かれる。ルカが、
「今頃止めときゃ良かったなんて、泣き言言ってるかもね」
なんて笑いを堪えるように口元を抑えた。「有り得るな」なんて希望的観測を込め返して、フィデスは杖を仕舞う。フィデスの記憶にある修行はいつだって過酷で、骨が折れようが歯が砕けようがお構いなしな地獄。白魔法使いがいるというだけで、死の淵を何度も見せられた。
エレナだって根を上げてそろそろ帰ってもいいんじゃないか。なんて。
「なんだ。魔物の気配がしたのに、お前らが倒していたのか」
――背後から聞こえたのは、ザラつくような女性の声。発声源はルカではない。なぜならば、目の前で間抜けに「あえぇ?」などと宣っているからだ。
どこか懐かしくて、どこかトラウマを触発するような声だった。フィデスは身体ごと声の方向へ振り向く。
「魔王討伐が終わっても魔物狩りとは、御苦労なこったな」
噂をすれば。などとは言うが、こうも綺麗に再会することなどあるものか。脳が即座に否定するも眼前の光景が現実で。
「カレンさん……!? え? なんでここに……!?」
「死人でも見たような顔だな。ルカ」
「そんな顔にもなるよ! えー!? えー!? 一人で来たの? 大丈夫だった? 襲われてない? 無傷じゃん!」
闇夜にシルバーの長い髪が揺れる。記憶にある国直属を示す外套は羽織っておらず、見たところ私服の彼女は片手杖で手遊びしていた。
「私も魔王討伐が終わったところで、勇者とは切っても離れられないらしい。色々な人間から言伝を預かっている。――まぁ、一先ずだ。カトシュまで案内してもらえるか?」
案内しろと言う割に、フィデスとルカの間を縫って歩き出した。ルカと目配せしてフィデスはその後を追いかける。
「ねぇねぇ、フィデス。わざわざ来るってことは急ぎの言伝なのかな。エレナは来てないのかな?」
「知らねぇ。気になるならルカが聞けばいいだろ」
声を潜めたルカがフィデスに耳打ちをする。辛辣に言い返すも彼の返事は、
「冷たーい」
と、軽い。しかし、ルカの疑問は最もだった。
エレナの性格を鑑みて、カレンが国を渡ると聞いて一人にするとは思えない。カレンがどれだけ拒否しても護衛すると聞かないだろう。そんな彼女の姿が見えない。
「ねぇーカレンさーん。エレナは? 一緒じゃないの?」
虫の音だけがやけに響く中、カレンが立ち止まる。おもむろに振り返ると、睫毛を瞬かせながらこちらを見つめた。
「一緒じゃないな」
「え? どうして?」
「エレナは帰らないからだ」
勿体ぶるような様子もなくカレンが答える。瞬間、脳がグラりと揺れた気がした。普段から朗らかであるルカも、目を剥いている。
「エレナは帰らない」。カレンは間違いなくこう言った。まだかまだかとエレナを待ち続ける幼馴染たちに。
事情があるんだろう。それを話に来てくれているのだろう。理性がそう理解していても、どうにも言葉が出ない。フィデスは勝手に上がっていく心拍を、抑えるように息を吐いた。
△▼△▼△▼
空中から迫るは、上半身がニンゲン。腕に羽毛を生やし下半身が鳥類という奇天烈な魔物。頭部程の岩石を落下させ、時には鋭い趾でこちらの頭を掴もうと迫る。
何よりも不快なのが鳴き声で、ニンゲンが奇声を上げているような響き。――ハーピーだ。
「屈んで!」
喉奥を晒すと同時に、白髪の少女が頭を抱える。上部が両面刃の戦斧の通り道となる。エレナの放った一閃がハーピーの頸を刎ねた。同時、細やかな魔法石がシャラリと音を立てる。屈めと命じられた少女は、上空に向かい両手杖を掲げていた。
「『氷結魔法』」
詠唱に合わせ、結晶輝く氷結がハーピーへと立ち上る。趾を絡み取り拘束。地続きに上る氷結を足場にエレナが駆け上がる。頂きに囚われた二体のハーピーへ接近し、戦斧に勢いを乗せるため上体を捻る。
「『炎魔法』」
詠唱と共に、熱波で空間が揺れる。火炎を刃に纏い、息を絶つため斬撃を放った。
人を模した金髪がハラハラと散り、痛みに歪んだままの頭部が二つ分落下する。
追随して、エレナも氷結から降下し着地。
「怪我ない? ネージュ」
「全くの無傷です。エレナさま」
膝丈のワンピースを揺らしながらネージュが泥を払う。睫毛の奥にある艶やかな赤の瞳が細められた。カレンから受け取った両手杖を『収納魔法』でしまうと同時に、巨大な氷結の塊が消失する。
エレナは魔法で冷えてしまった素肌を摩りながら、周囲を見渡した。
「いきなり襲われたね。飢えてるのかな」
ハーピーと相対したのは、結界を出て数歩。知性があるのか、結界を抜けてくる獲物を虎視眈々と狙っていたのだろう。
「この頻度で襲われてはキリがありませんね。見てください、エレナさま。汗だく」
「え、本当だ。あたしは寧ろ冷えてるんだけど」
「エレナさまって意外と寒がりさんですよね」
氷結に直接触れたからか、エレナの指先が軽く悴んでいる。対して白皙のような肌を持つネージュの頬は、林檎のように熱っていた。魔力放出による排熱と真夏の暑さに食らっているようだ。
「思ったより魔物の動きが激しいね」
「カレンさまは大丈夫なんでしょうか」
変わり果てたハーピーの姿を眺めながらネージュが言う。何をしているのかとエレナが覗き込めば、羽毛を千切っているらしい。なぜ。
「カレンさん?」
「はい。だって今頃エレナさまの所在を伝えにアグロアへ向かっているんですよね。夜が更けてきたら、魔物はさらに活性化しますし……一人では危険、です」
ネージュの不安は当然のものだった。どれだけ戦い慣れていたとしても体力も魔力も無限ではない。安全を考慮するなら、三人で伝えに行くべきだったはず。そもそもカレンが言伝の為だけに肉体労働する必要性などないのだ。
ネージュを故郷に送ると決めて次に上がった問題は、カトシュでエレナを待つ人達のこと。ただでさえ三ヶ月も留守にしているというのに、更に何年掛かるか分からない旅をするのだ。当然エレナ自身も、カトシュに一度帰りちゃんと説明するつもりだった。
「まあ、カレンさんの案だしなあ」
頭を搔きながらエレナが口にする。カレン曰く、エレナが一度でも帰れば必ず反対されるからだそうだ。幼馴染たちにあの手この手で説得されるだろう、と。
「絆されない自信はあるか?」という問いに即答出来なかったエレナは、言伝をカレンに任せたのである。
「心配なのはあたしもそうだよ。けどまあ、カトシュまではそう遠くないし着けばあたしの仲間が居るし。大丈夫、大丈夫」
「だったら良いのですが……」
「そんなことより……その羽はどうすんの? お金には困らないでしょ?」
エレナの眼差しはネージュの手元へと向けられる。小袋に敷き詰められた羽毛は、少しの風で浮き荒れそうなほど軽い。
魔物の毛皮や羽毛は希少性から、換金すると高値になることが多い。とはいえ、それほど金に困っているわけではないはず。
「枕を作るんです。わたし、お裁縫は得意なんですよ」
「逞しいね……」
よくよく考えてみれば、ネージュとて奴隷商人について回っていたわけで、野営初心者では無いわけだ。だからといって、死んだばかりの魔物から素材を剥ぎ取る手際が慣れすぎてはいないか、と苦笑が溢れてしまった。




