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幕間6 共存

 薄く開いた窓から流れ込む微風が頬を撫でた。来る朝が鬱陶しくて、シーツを頭に被る。太陽の香りと、風に乗ってきた薔薇と金木犀の香りが鼻先を擽って……いい匂いだ。

 腕を伸ばしても端に達しない大きなベッドで私は寝返りをうつ。掌で体温を探すも、望む体温がなく柔らかな枕を掴んだ。ふー……と息をついて、顔を埋めた。静かな部屋で、木が軋む音が鳴る。ふん、ふん、と独特な呼吸音がこちらへ迫り――


「かぁ、かぁ~!」

「うぐっ」


 子ども特有の甲高い声がして、腹部に衝撃が走る。睫毛越しに正体を探れば、私譲りの銀髪と蜂蜜のような黄色の瞳。ここ最近生えそろったばかりの歯を見せて、ご機嫌に笑みを見せる二歳の我が子。


「かぁ! おっき! おっき!」

「んん……ステラ。おはよう」

「ま〜んま~」


 けらけらと笑って、全身で私に擦り寄ってくる。「かぁ、かぁ」と呼びながら、無邪気に手足をバタつかせた。私は腕を伸ばして、ステラの身体を力強くシーツへ引きずり込む。


「きゃあ~!」

「まだねむい」


 柔い頬に自身の頬を寄せて、一回りも二回りも小さな手を私の掌で閉じ込める。高い体温に瞼が降りてきた。ステラは小さく「う?」と呟いてまた、瞳を細める。


「――ステラ? カレン起きたかな? おーい……あれ?」

「とぉ〜!! かぁ、ねんね!」


 私の腕の中からステラが身体をバタつかせる。聞き慣れた足音が近付いて、再度私の名前を呼ぶと被っていたシーツを剥ぎ取られた。


「おはようございまーす! 朝ごはん出来ましたー!」

「……嫌だ」

「やだー!」


 私が抵抗を見せるとステラは意味が分からないままに真似をする。涎でベタベタの口で私の頬をしゃぶるのはやめて欲しい。フォルが呆れたように「ステラが真似するでしょ?」と、ステラを抱き上げた。

 涎かけで口周りを拭いながらも、ステラの無邪気さに頬をだるんだるんに緩めている。親バカめ。


「カレンも起きて。今日はトーストに何つける?」

「……バターと……ローズジャム」


 広すぎる庭で私が育てた薔薇をフォルが以前ジャムにしていた。色んな果実を良く加工しているが、薔薇は特に好きだ。私は倦怠感の残る身体を無理に起こした。


「もしかして、体調悪い? なんか顔色良くない?」


 変化に目敏く気付いてしまうフォルが、私の頬を撫でた。皮が厚くてカサついた指が涙袋を擦る。フォルの不安げな表情に、ステラですら「かぁ?」と首を傾げた。


「夢でキースに会ったんだ。……会ったというのも変な話だが」


 懐かしい夢を見た。故人との出会いから別れまで、全てを忘れるな。とばかりに見せつけられた。忘れることなど永遠にないと言うのに。

 キースが死んだ後、彼と勇者の剣は勇者発祥の地――()()()()へと運ばれた。とはいえ、私たちが何か出来る訳でもない。立派な墓への土葬が済むまで、ただぼんやりと眺めただけだった。魔王討伐という国命を果たせなかった私たちは、示し合わせる事もせず二人でウディルネへと帰郷したのだ。

 帰郷の為の三年で、まさかステラを授かるとは思わなかったが。


 私はフォルに抱かれるステラの頬に触れた。それだけで全ての幸せを享受したような顔をする。そのまま息子の小さな額に口付けた。


「フォル」

「え」


 短く名前を呼ぶ。その瞬間蜂蜜色の瞳が熱に惚けて、とろんと溶けた。踵を持ち上げて彼の口元に迫れば、唇に柔らかい皮膚が落ちる。


「顔を洗ってくる」

「うん、下で待ってるね」


 ・


 毎朝焼きたてのトーストを。なんて我儘を、この男は叶えてくれる。一人の時はそのまま齧っていたというのに、今ではひと手間もふた手間もこだわった食事にありつけている。

 確かに「面倒な人間だぞ」とは言ったが、満点以上をここまで叩き出すとは思わなかった。私は最後の一口を口に放り込む。


「食べ終わった。代わる」

「ありがとう」


 そう告げると、小ぶりの器が手渡された。細切れにされた野菜が混ざったパン粥。オレンジ色は南瓜だろうか。

 歯が揃ったおかげか、以前よりもドロドロとしていない。充分に冷めたそれを、私はステラの口内へ運ぶ。下手くそで長い咀嚼を待った。


「まんま」

「はいはい。あー」


 口周りをスプーンで拭って、次の一口を放り込む。幸い食を嫌がらない子で、口の中身が無くなるとパカッと口を開けて次を求める。


「そろそろ自分で食べさせてもいいかもしれないね」

「そうだな。……ステラ、美味しいか?」

「おいしっ」


 大袈裟に自分の頬を包んで言った。私は器にへばりついた分をかき集めながら「とぉが作ったんだぞ」と。

 こんな平和で毎日行われる営みが愛おしくて、ステラの細い髪をなぞった。――その時だ。背後にある玄関からドアノッカーの音が響いた。

 それもただの来客じゃない。一度で伝わる来訪を何度も何度も叩きつけて報せてくる。驚いたステラがわっとこちらへ縋り付き、フォルが訝しげに立ち上がった。


「誰? 何か用?」


 玄関から充分に距離を取りフォルが問う。途端、ノックの音が静まった。ステラが泣き喚く声だけが響いている。


「――シートン夫妻を訪ねろって、ミュトスの人たちに言われた」


 少女の声だった。扉越しに告げられた言伝に、瞼が見開いていく。ミュトスの人間が私たちを訪ねろだって? すでに役割を終えた私たちに何の用だ、と。フォルは私と目配せをし、玄関へと歩みを寄せた。迷いなくドアノブに手をかけると、庭の花々の香りが遍く広がる。


「……君たちは」


 扉の先に居たのは十歳前後の少年少女、四人だった。どの子も身綺麗とは言えず、赤毛の少女に至っては至る所に擦り傷を作っている。

 しかし、表情に弱々しさなどはなく残り三人を庇うように立っている。


「あたしはエレナ・チーク。ここに来れば強くなれるって聞いた」


 赤毛の少女は声を張る。不思議な少女だった。見上げるほどの巨体を持つフォルを目の前にしても、怖気づかない。なにより、体内に滞留する魔力が独特だった。鳩尾辺りに少量の魔力が留まっている。――そして、その後ろで怯えを向けてくる少年。

 どこか覚えのある魔力の質に、私の唇が「キース」を呼ぶ。首が取れんばかりに振り返ったフォルに、私は頷いた。


「そこの。髪の明るい少年――名前は?」

「ぼく?」


 琥珀色の髪を持つ少年が、エレナの背中から顔を出す。同色の瞳が濡れて、宙を泳いだ。


「僕はルカ」


 魔力というものに、全く同じモノはない。白魔法に適正ある人物であっても、口では説明できないほど微量な違いがある。そういった私の常識が覆された気がした。

 目の前にあの男と嫌ほど類似した魔力を持つ者がいる。それも、年端もいかない少年が。


「子どもが勇者に選ばれてしまったか」


 理不尽な選定は巡る。何がきっかけかも分からないが、彼の中にある魔力は紛れもなくキースと同じもの。ふ、と視線を落とせば体躯に似合わない勇者の剣が腰に添えられてある。


「あたしたち、隣のアグロアから来たんだ。ここを訪ねろと言われた。……あたしたちを強くしてくれるって。本当?」


 エレナのセピア色の瞳が、私たちを見据えた。姉弟か親友か。関係値は見えないが、どうやらエレナと名乗った少女が一番肝が座っているらしい。

 無垢な子どもを突然戦場へ送り出してしまう選定。そして、拒否すら許されない風習を疎みながら、私は少年少女四人を招き入れる。


「風呂を沸かそう。私が湯を貯めてくるから、フォルは客間の用意だけ頼む。おい、確か――エレナ。その擦り傷は明日白魔法使いを呼ぶ。痛みに耐えられるか?」

「え? あ……うん、平気。そんなに痛くない……」

「なら先に風呂の支度を手伝え。男二人はこのデカイ男に着いていけ。客間の掃除をしてもらう」


 迷いなく指示を出していく。流石に泥塗れでベッドに入れるわけにもいかないし、この傷の負い方は既に魔物と邂逅しているはず。ならば、今日一日は休みを取ってもらって――


「あの……本当にいいの? お風呂とか寝るところとかそこまでしてもらって」

「丸一日休めるのは今日だけだ。明日から死ぬより辛い修行を付けてやるからな」


 少年少女らの顔が引き攣る。甘さなどない宣言に、四人はそっと寄り添いあった。

 せめて、人並み以上に戦えるように。高く望むなら、選ばれてしまった蕾が間引かれないように。

 あんな光景を見ずにいられるように。


「カレン」

「フォル、これから忙しくなるぞ」


 せっかくなら柑橘の香りがする薬湯も用意してやろう。考えながらステラを抱え直して、風呂場へと向かう。いつの間にか泣き止んでいたステラが、おもむろに私の頬を口に含んだ。

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