幕間4 屈辱
「きー……す?」
誰よりも先に彼の名を呼んだのは、フォルテムだった。風穴から肉塊がこぼれ落ちていく様をまざまざと見せつけられる。私だって呼びたかった。
叫んで駆け寄って、今すぐにでも魔族の脳天に何かを突き立ててやりたかった。それほどの憤怒が脳内を支配して、同時に全身の神経が剥き出しになるほどの激痛が迸る。
先ほどまで会話が出来ていたことが不思議なくらいに、裂けた腹が痛い――違う、痛いんじゃない。焼ける。溶ける、死ぬ。
「あ゙あぁ゙ああぁぁあ゙ああぁっ……!?」
喉が張り裂けた。どこもかしこも脈打って、倦怠感など忘れた手足が意識と反して暴れ出す。仰け反り捩る身体がフォルテムの腕から逃れるように、落下した。
「カレンちゃ――」
「あ゙ぐぅう……」
すでに言葉を成していない。舌を震わせて、終わらぬ拷問に喘ぐ。剥きだした眼球から体液が溢れて、ただ醜く痙攣を繰り返していた。
「勇者の加護が切れちゃったんだね――可哀そう」
「近付くなああああっ!!」
フォルテムの動転した絶叫に、私の呻きが交錯する。庇うように覆いかぶさるフォルテムが「来るなっ、近づくなって言ってるだろ!!」と、吠えていた。
その様はなんとも痛々しくて、騎士として功績を上げた人間とは思えない。頼りあるリーダー像から、程遠く乖離していた。
「せっかくボクがラクにしてあげる、っていったのに。あの勇者に邪魔されたせいで苦しんでる。凄く可哀そうだ」
「ふざけるなよっ……! どの口が可哀そうなんて宣ってるッ……!」
「なんだよ、そこの女が言ったんだろう? 一と一で交換しようって。それをボクが了承しただけじゃないか」
違う。違う違う違う。私が差し出したのは、私自身の命だ。キースじゃない、仲間の命なんかじゃない……! そう訴えかけた口が、ただ血液を吐き出した。
瞬間、フォルテムが血相を変えて私の肩を抱える。とっくに戦意など喪失しているようだった。
「あぁ、ちょっと待ってよ。揺らさないで。本当にその子死んじゃうよ?」
「あ゙ぁ!?」
「ボクは殺す相手を勇者に定めただけ。ちゃんと交わした約束は守るよ」
「お前、この期に及んで何を――」
魔族がしゃがみ込む。裂けた腹部にゆっくりと指先を差し入れ「まずは痛みを失くそう」と、淡々と告げる。言葉通り、泣き叫ぶほどの痛みが有り得ないほどに引いていった。
呼吸が落ち着いていく。呻きが静まって、思考がどんどんと巡るようになる。
「カレンちゃん……?」
「あ……あ……なんで、なんで。なんで」
痛くないことが恐ろしい。魔族がしようとしていることが、鮮明に理解できてしまった。
「君が死んだら、一じゃなくなるからねえ」
――嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ。コイツは。この生物は。キースを殺した腕で私を生かそうとしている。相も変わらず抑揚のない声で「内臓から治すからね」と言うコイツの腕が体内を撫で回した。
その行為が、殺されるよりも何よりも私にとって屈辱か。
「――ぃいやだっ! 止めろ、気持ち悪いっ……! 触るな、嫌だっ!!」
私の脚が魔族の頭を捉え、押しのけるように蹴る。だが、奴は心底鬱陶しそうな表情をして簡単に払い除けた。変わらず魔力が私に注がれ続けている。
赤々しい創部がぶくぶくと泡立ち、回復魔法を受けた時と同じ挙動をしていた。我を忘れたように身悶するが、思うように動かない。
魔力切れか。血の流し過ぎか。動けない理由は、そのどれも違った。後ろから太い腕が、私の首に巻き付くように抱き留めている。回復を拒むのを咎めるように、フォルテムが私を拘束していた。
「嫌だ、嫌だ嫌だ。離してっ……離してくれ、嫌だ」
懇願は届かない。むしろ、更に力を込められて彼の震えが伝わるだけ。あぁ、だめだ。このまま生き残ってしまったら、私の尊厳は死んでしまう。誇りだった魔法さえ嫌いになってしまう。そう考えた私の判断は早かった。
おもむろに私は舌を突き出した。歯を舌の中腹に沿わせ、覚悟を決めたように細く長い呼吸を吐き出す。そうして、私は肉でも嚙み千切るように唇を閉ざした。
噎せ返るような鉄の香り。確かな歯応えと、呻く濁った声。
私の口内に侵入した指が、自害の邪魔をする。皮が分厚くて、骨が太くてマメだらけの。
「――ごめんね」
告げる声は、酷く濡れていた。いつの間にか、破けた服の下には傷一つない白肌があった。肉のない肋の浮いた身体が、まるで元通りに治っている。――私は、抵抗をやめた。
爪を立てていた手が、重力に負けて地面に落ちる。視界が霞を帯びて、背を預けるフォルテムに全てを預けて――




