第一章1 幼馴染①
あの激闘から数か月が経った。
エレナたちは、魔王城がそびえたつ北方の大陸から、アグロア王国の小さな田舎町――カトシュへの凱旋を果たす。
住民たちは、懐かしい顔ぶれに歓声をあげ、その日のうちに盛大な宴が催された。
広間に出された円卓には沢山の食材が並べられ、酒場の店主はありったけの酒を用意する。子どもたちは今日限りの夜更かしが許され、大人たちは賑わった空気に年甲斐のなく浮かれていた。
「俺たちそっちのけじゃねぇか」
そんな様子を見ながら、フィデスが木製のジョッキを煽り呆れたようにぼやく。最初こそ帰還を祝っていた者たちも、今では宴に夢中だ。
「楽しそうでいいじゃないか。フィデスも混ざってきたら?」
「俺が、アレに? 馬鹿言え」
もとより賑やかな空間は苦手だ。ルカの提案に頭を振り、最後の一滴まで酒を飲み干す。そして、辺りを見渡した。
「あいつらは?」
エレナとサナの姿が見えない。フィデスが尋ねると、ルカは酔いの回ったような視線をこちらへと向けた。
「サナはあっちのほうで家族水入らずを楽しんでるよ。エレナは……どこだろう?」
「はあ。……探してくる」
「ふふ、行ってらっしゃい」
ジョッキを取り換え、エレナの好きそうな串焼きを数本掴み取る。
快活に見えるエレナだが、実はこういった騒がしい催しが苦手らしい。こんな時はひっそりと姿を消し、ひっそりと現れる。
「場所は分かるの?」
「おおよそ」
「流石」
からかい交じりに笑うルカへ、串焼きをひとつ押し付けた。「ありがと」と短く返事して受け取る彼の顔が街灯に当たると、酩酊面が明瞭になる。フィデスは、喧騒を背にしてエレナを探しに歩き始めた。
◇
広間から少し離れた大木の下。月明かりだけが指す空間に、たった一人を嗜む女性がいた。そよぐ風は、冷えた夜に春の訪れを感じさせ心地が良い。エレナは、紅茶を啜るように酒に口をつけた。
催しが始まってすぐに渡された酒ジョッキ。中には果実酒が並々注がれており、いまだ減る気配はない。エレナは耽るように、溜息を零す。
久しぶりに会った家族は、以前より皺が増え白髪の目立つ夫婦になっていた。
きっとサナティオは、会えなかった時間を埋めるように今も両親と話しているのだろう。混ざればよかったのだが、どうにも宴の空気は肌に合わない。
再度深く溜息をついたその時、遠くからパタパタと軽い足音が響く。そして間もなく、
「あれ? お姉さん、こんなところで何してるの?」
と、座るエレナより低い場所からこちらを覗く少女がこちらに呼びかけた。驚きでエレナが「わっ」と顔をあげると、華やかなワンピースをひらひらと揺らし距離を取る。
見たところ、十歳くらいだろうか。
「お姉さん、勇者さまの仲間でしょ? あっち行かないの?」
そう言って不思議そうに首を傾げた。少女が指さした方向に双眸を向けると、浮かれた賑やかな声が遠くから聞こえる。対して、エレナたちがいる場所は呼吸を感じられるほどに静かで、まるで空間が切り取られているようだ。
「うーん。あたしこういったお祭り騒ぎは少し苦手だから」
「そう。なら、ユウと同じね!」
少女は、エレナの隣に腰を下ろし柔らかく笑う。そして、ごきげんに身体を左右に揺らしながら、エレナのことを興味ありげに見つめた。
「どうしたの? 何か気になる?」
「うん。あのね、お姉さんはどんな魔法を使うの?」
目をキラキラと輝かせたユウは、エレナの返答も待たずに続ける。
「三つ編みのお姉さんはちょっとだけ走るのを速くしてくれてね、勇者さまはピカピカの魔法を見せてくれたの! 髪の黒いお兄さんは小さい花火でパチパチってしてくれて、すぅっごい綺麗だった!」
身振り手振りで、見た魔法の概要を必死に説明するユウに思わず破顔した。感動に満ちたこの目を知っている。彼らの魔法の凄さは、身を持って体験しているからだ。
特に、魔王討伐の日に見た魔法。死闘であったと分かっていても、昂ってしまうほどに綺麗だった。だからこそ、目を背けたい現実がエレナを襲う。
「ユウは魔法が好きなんだね。でも、私に魔法を使えないよ」
「どうして?」
「どうして、かあ。魔法を使うための魔力がない、からかなあ」
エレナの言葉に、ユウは驚くでもなく首を傾げた。少し考えるような間を作ると、口を開く。
「お部屋の灯りはどうするの? お料理は?」
ユウの疑問はもっともだ。この時代、人類は魔力があるものとして道具が設計されている。部屋の灯りも、コンロも、湯を温めるのも。
全てが魔道具で、魔力がないと起動しない代物ばかり。
「全部仲間に助けられてたよ」
「ふうん。変なの」
子どもの素直は時に残酷だ。変、と一蹴されたエレナは、ガックシと頭を落とす。
しかし、ユウはそんな様子を気にすることもなく続けた。
「じゃあ、勝負だ。ユウとお姉さんのどっちがすごぉい魔法を使えるか! ユウね、今学び舎で魔法のお勉強をしててね、魔法石が配られたら魔法使ってもいいよ~っていう合図なの! 算数とか語学とは退屈だけど、魔法学は好き!」
興奮気味に話を続ける少女に耳を傾けつつ、思考する。エレナに今後、魔法を扱える可能性などあるのだろうか。生まれた時から歩けなければ、リハビリなく突然歩き出せるわけもない。魔力が使えぬまま大人になったエレナには、奇跡など起こるはずもなく――。
その時、エレナの頭に軽い衝撃が走った。驚きで顔を上げると、そこには少し火照った顔をしているフィデスがいる。
どうやら、手に持ったジョッキでエレナを小突いたらしい。
「こら、酔っ払い。いねぇと思ったら何やってんだ」
「あ、フィデス。何って、この子と話してたんだよ」
「あ! 花火のお兄さんだ!」
「あんた、ユウって子だろ。お母さんが探してたぞ、そろそろ戻れ」
花火のお兄さん。という渾名には触れず、フィデスは親指を広間に向けた。一瞬、ユウは不満げな顔を見せたが「はぁい」と返事をして、立ち上がる。
「じゃあユウは魔力読んで帰るね! お姉さん、バイバイ!」
スカートを揺らし、走る少女に手を振り返す。ユウが広間に戻ったころには、豆粒ほどの小ささでしか見えなくなってしまった。
「魔力読んで? 普通空気じゃねぇ?」
フィデスの率直な疑問にエレナは「細かいこと気にしないの」と流し、ジョッキに口をつける。もうとっくにぬるくなってしまって、さきほどのように美味しくない。
彼は、串焼きを「ほらよ」とひとつエレナに押し付け、もう一本を豪快にかぶり付く。その動作に追随して、受け取った串焼きを食んだ。
「これ、好き。美味しい」
「だろーな」
唇についたタレを指で拭いながら、更に食を進める。濃くて香辛料による下味がしっかりとついていて、好みの味。美味さに堪らず唸ってしまう。
「にしても、よくここが分かったね?」
「別に。昔ここでよく遊んだろ。だから何となくだ」
「ねー! 懐かしいよねー!」
「まぁな」
言葉数の少ない彼だが、なぜだか会話が弾む。今日は酒が入っているおかげか、これでも饒舌な方だ。
ぶっきらぼうな返事ばかりなのももう慣れた。けれど、不思議なくらい居心地は良く、エレナはちみちみと酒を飲みながら彼に問いかける。
「あたし、このままじゃ一生魔法使えないままなのかなあ」
ユウの放った「変」という言葉が未だ小骨のように刺さって取れない。まあ、子どもの戯言と言えばその通りなのだが。それでも、気にしているコンプレックスを抉られたことに変わらない。
「別に、今更だろ。――俺らがいれば困ることもねぇんだし」
「でも、それじゃあ……これからもあたしだけ何も出来ないってこと?」
フィデスは酒を飲む手を止め、眉を顰めた。不服そうな目でこちらを見つめる。
「そうは言ってねぇ」
「だって、そうじゃん。一人じゃ部屋の灯りひとつ付けられないんだから」
普段ひた隠しにしている弱音の部分が露出する。フィデスは、エレナの言葉を否定出来ず、ただ息を飲んでいた。
ここまで思い詰めている。なんて思っていなかっただろうから当然か。
「――ひとつだけ、あるの。あたしが魔法を使えるかもしれない方法」
「……ほんとか?」
「けど、ここじゃ無理。少しの間、村を空けることになる」
恐らく、フィデスにとっては全てが青天の霹靂なのだろう。けれど、思い付きで話しているわけではないし、向かう先も決めてある。
「行ってきても……いいかな」
場所は、隣国にあるウディルネ。彼もよく知っている国だ。
フィデスは一度頭を抱えた後、藤の色彩をした瞳がこちらを見た。彼は動揺に揺れていて、それらが言葉を選ぶような間を産む。
しかし、少しの間を置いた後、覚悟を決めたように酒を激しく煽った。
「俺は、別に今のままでも良いんじゃねぇの。って思ってる」
「うん」
「けど、お前がやりてぇなら止めたくもねぇ」
「ふふ、ありがとう」
彼の優しさに浸りながら、賑わう広間に目を向ける。未だ、騒がしい人々を見る限り、宴はまだ終わりそうにない。
こちらでは少々しめやかな空気が漂うが、突然エレナがその場で立ち上がる。
「ねぇ。フィデス。せっかくだから、あたしたちも少し混ざりに行こうよ」
「あ? おい、バカ! 急に走るな!」
折角の御祝いなのだ。シミ垂れた話は長引かたくない。そう考えたエレナは、フィデスの腕を乱暴に引いて住民の騒ぐ広間へと駆けた。