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幕間2 会敵

 整備されていない土道を歩くことにも慣れてしまった。私は片手杖で手遊びをしながら、男二人の後に続く。時折頬を掠める葉が不快で手の甲で払った。

 そこかしらから魔物の気配がして、知らぬ間に結界を抜けたんだと気が付いた。

 

「カレンちゃん、杖構えて」


 私の視線が宙を泳いだ瞬間、空気を変えるフォルテムの声。私が正面に杖を構えると同時、フォルテムの戦斧とキースの勇者の剣が切っ先を魔物へと向けていた。


「うおぉおおっ!」


 魔物――一言で言えば角の生えた兎だが、規格外なのはその大きさ。フォルテムすら見上げる程の肉食兎か人間の臭いを追って現れた。

 相も変わらずバカでかい声を放ちながら、キースが先攻。ぬかるんだ土道を駆け抜け、間合いに入る。飛躍と同時に剣を振り上げ、血を垂らしたような眼球に刃先を沿わせた。薄い皮膜が裂け、爆ぜるような血飛沫。

 視界の喪失と粘膜への攻撃。上手くいった、と息を飲むより早く私が喉を震わせる。


「『烈風魔法(エントゥング)』」

 

 魔物の叫喚と交錯し、木々が吹き荒れる音。葉が枝から放たれ、風に身を任せながら飛ぶ自然を味方につけていった。

 魔法の風を介し、散った葉に魔力を与えていく。手先の熱を感じながら、舞う緑色が肉食兎の周りへ配置。


「――放て」


 合図とともに、魔力を乗せた葉が中央へ猛攻する。その勢いは、硬いはずの皮膚を穿つほど。私の放った拘束に合わせて、フォルテムの武器が真っすぐに肉食兎の腱に突き立てた。

 刃が肉に沈むと、破裂したかのように血液が噴き出す。身を緋色に汚していくフォルテムは、身なりも気にせず叫んだ。


「キース、やれるかい!?」

「あったりめェだ!」


 その声は自信に満ちている。視界を攫った。動きを封じた。脚を奪った。そして最後、勇者の役目というわけだ。勇者の剣を彩る魔法石が魔力に反応し、輝きを孕む。地面へと踏み込んだ脚は土を抉り、キースは剣を大きく振り上げた。

 なんとも形容しがたい断末魔。が、その不快音声に終止符をうったのは、頭部が地面に打ちつける鈍い音だった。


「どォーよ!?」

「剣の角度がブレてる。勇者の剣じゃなきゃ骨でつっかえてるね」

「はァー!? でもとどめを刺したのはおれだぜ、フォルー。褒めてくれよォ」

「魔物に気付いてからの即行動は良かったね。駆け出しは僕よりも早かったろう?」


 確かにそうだった。私が魔法を放つより早く下された切っ先は、魔物に行動させる猶予を奪うもの。後衛にいた私は、血みどろになりながらも肩で呼吸する二人のもとへ歩を進めた。『収納魔法(ストレイジ)』で、人一人包めるほどの大きなタオルを取り出す。

 返り血で皮膚の色が分からなくなっているフォルテムの頬を、タオル越しに包めば蜂蜜を蕩かしたような瞳が、真っ直ぐとこちらを見据えた。喉が詰まるような声がして、掠れた声が「汚れるよ」と紡ぐ。先程の勇ましさはどこへ行ったのだろうか。


「入国拒否される方が困るだろう。乾く前に拭けるところは拭いてしまえ」

「う……うん、ありがとう。じゃあ借りるね」

「あぁ。それでな、キース。私も魔力の動きで少し気になることが――」

「えっ、またダメだし!?」


 わざとらしく仰け反るキースに、思わず鼻が鳴る。「馬鹿にしたー」などと宣う口が騒がしくて、私はゆったりと頭を振った。


「キースは魔力の巡りにムラがあるんだ。一手目で斬れたのは眼球の表面だったろう? 二手目では魔力の意識があるから首を落とせた。つまり、だ。非戦闘時から魔力の循環を意識していれば、今回のような突然の戦闘でも一手目から全力を出せる」

「ちょ、待て待て待て。おれにも分かるように説明してくれ……! おれ、カレンと違って()()()()んだって!」


 大袈裟な身振りに、今度はフォルテムは苦笑を溢した。とはいえ、キースのいう事はもっともで私は言語化に頭を悩ませる。彼の言う通り、私の目には魔力が見えるのだ。この体質は物心つく前からあるもので、一応過去にも前例はあるらしい。

 そして、魔法の才能を見初められ宮廷魔術師への推薦を受けたも、この体質あってこそのものだ。


「カレンちゃんには見えてるから、常に魔力を意識できているんだよね」

「あぁ。常に放出する手前で魔力を停滞させている。……ただなぁ、感覚だけで掴むのはあまりに難しいし、上手く説明も出来ない」

「へえ。カレンにも出来ねェことあンのなァ」


 まるで他人事のように言うキースは、魔物の頭部を指先で突いていた。お前のために悩んでいるというのに、という怒りを飲み込む。しゃがみ込み丸くなった背中をげしげしと蹴りつける。

 渾身の八つ当たりだったのだが、肝心のキースは「痛くねェ」と笑っていた。


「そんな気負わなくたって、だーいじょうぶだって。フォルは強ェし、カレンは頭いーし、おれには勇者の剣だぜ? こんなの、最強メンツじゃん!」


 呆れた。ようは、私たちと勇者の剣頼りということじゃないか。使命を放棄するような物言いに私はフォルテムと目配せをして――笑った。この三人で行動するのも、随分慣れたものだ。

 ウディルネ出立から、五年も経ったのだから無理もない。人間の慣れとは恐ろしいもので、鼓膜を震わせていたキースの声量に今や完璧に順応している。


「なんだかんだすっげーピンチでもフォルが守ってくれてるしなー。……でもなァ、なんでおれだったんだ?」


 ぽつんと落ちた声は、キースの握る勇者の剣に投げかけられていた。勿論、無機物が声に反応することもなく、耳朶に届くのはただ木々のさざめきだけ。


「あれ、珍しくナイーブかい?」

「いや……だってよォ。魔王を倒してほしいなら、強ェ奴を勇者にすべきだろ? おれだって、あン時よりは強くなったけどさァ……フォルみてェにズバッと斬れる奴の方が――」

「くだらんな」


 存外、冷たい声が出た。成長の停滞期が来ると人間、弱くなるもの。底なしの明るさを持つキースも例外でない。とはいえ、よしよしと慰めてやれるほど私はお人好しではなかった。


「何を勇者と呼ぶか、推測だが話したろう。魔力だ。勇者の剣に付いた魔法石が起動する魔力を持つ人間を、勇者と呼び剣が選ぶ。現に、キースの魔力は他の人間とこう――雰囲気が違うんだ。これもうまく説明は出来ないがな」

「ま、そもそも僕がその剣を使おうにもただの鉛になっちゃうしね」


 フォルテムの大きな手が、勇者の剣の柄へと運ばれる。持ち上げて数回素振りをするも「やっぱり重い」と困り顔を見せた。どうやら適正のない人間には扱いない代物らしい。


「勇者に代わりはいないんだ。悩むのはいい。でも、勇者は紛れもなくキースだけだ」

「同意。それに、キースの能天気さには随分助かってるしねぇ……」

「褒めてんのか、それェ!?」


 私たちの励ましにキースが手足を暴れさせる。あぁ、これでいい。こうやって馬鹿やって、おまけ程度に魔王討伐を目指す。それでいいじゃないか。初めはあんなにも不安だった冒険も、なんだかんだ楽しくやれている。

 異国の美味いものだって、キースたちとの出会いがなければ食えなかったのだ。宮廷魔術師としての生活も悪くはなかったが、今の生活も悪くない。


「カレンちゃん……どう? 僕、汚れ取れてる?」

「……髪がまだ真っ赤だぞ。あー……もう乾いてるじゃないか」

「もう無理じゃねェ? 川かなんか見つけて洗おうぜ」

「ベタベタするぅ……」


 返り血に浴びにいったのはフォルテムだと言うのに、今は不満げだ。貸したタオルに顔を埋めて、乾いて硬くなった血液を擦っている。


「なァ。臭いで別の魔物が寄ってくる前に離れようぜ。おれァ、腹減ってきた……」


 勇者の剣を鞘に戻しながら、キースが言った。コイツは動くとすぐ腹を空かせる。自身の魔力の巡りに問題がないことを確認して、私はただ静かに頷いた。

 今から歩くとなると、近くの国に寄るのは難しいだろうから、今日は水場を優先して探して野営だろうか。


「フォル〜、今日の飯何すンの!?」

「えぇ〜、何にしよう? お肉焼いちゃう?」

「やりィ!」


 らしくもなく、口元が緩むのが分かる。前方を歩くキースが「カレン! 肉! 肉だってよ!」と跳ねながらこちらを手招く。この騒がしさが悪くない。土に汚れたブーツが、血を吸い込んだ地面を踏んでいく。

 森は静かで、戦闘後は小鳥のさえずりが明瞭になる。敵意のない生き物や魔物たちが一斉に動き出す魔力を感じながらまた、視界を空を泳がせる。天気が良いな、なんて考えている私も随分と平和ボケしたらしい。

 魔法ではない背後からの追い風が吹き荒れる。伸びた銀髪が視界を覆うように暴れて、草木がざわめく。遠くで、ハーピーのけたたましい鳴き声が聞こえた気がした。思考が、止まる。


「しゃがめっ……!!」


 腹から出た絶叫にも近い声に、前方の二人が振り返った。状況説明? そんなもの出来やしない。私にだってわからないのだから。ただ、直感だけが、警戒を促してくる。片手杖に魔力を流して、三人を囲う『防壁魔法(エクリュシアード)』を生成。

 刹那、透徹した質量が防壁に衝突する。


「お……っもい……!」


 咄嗟の魔法で詠唱が出来なかった。脆弱な防壁が突破されるのも時間の問題。出来るだけの魔力を出力しながら、私の瞳は刺客の存在を探る。場所さえ分かれば。場所さえ。場所さえ。


「カレンちゃ――」

「あれ。もう全員いなくなったと思ったのにな。今の反応しちゃうの?」


 降ってきたのは、欠伸交じりの退屈そうな声。理不尽な辻切の発生源。杖を突きだす腕が小刻みに震えて、魔力が枯渇していくのを感じた。魔法の壁は完全に押し負けつつある。背後で、鞘から鉄を抜く音が聞こえた。

 視界に霞が生まれる。脳が沸騰するような感覚がして、生温い液体が唇を伝い顎から服へと落ちた。――鼻血だ。


「も……限界ッ……」


 嘆く私を誰かがほくそ笑んだ気がした。突如目の前の光景がブラックアウトし、全身の力が抜けていく感覚。そして、防壁が防いでいた魔法の質量が迷いなく私の元へ飛び込んできた。


「がッ……あぁッ……!?」


 透徹したかまいたちが腹部を裂く。皮膚じゃない。肉だ。間違いなく私の体内が露出している。魔力を失った杖が私の手から離れ、何者かによって足蹴にされた。


「手も足も出ない癖に、抵抗するなよ」


 今私は立っているのか、それとも伏せているのかも分からない。痛みと血液不足で、視界が明滅する。そしてやっとのこと姿を見せた刺客の正体は――最凶の種族、魔族だった。

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