第一章 エピローグ
一人で暮らすには広すぎる邸宅。確か――子が出来たときフォルテムが有り金をはたいて購入したものだった。最愛の名が刻印された墓石も、ただの飾り。
飾りに話しかけるエレナとそれを見守るネージュの姿を、歪む硝子窓越しに眺めていた。
あの子は――エレナは余りにも眩しすぎた。歳を取った影響か。向こう見ずに人を救おうとするあの娘を形容するならば、太陽そのもの。雪月を勘定のない優しさで溶かすこと。エレナに照らされて生まれた笑窪は、夜空に浮かぶ月のように綺麗だった。
「私も歳を取ったな」
空虚に音が落ちる。少し記憶を遡れば、カレンにだって何も怖くない時期があったはず。死が遠くて、何をするにも恐怖より好奇心が勝り――安全策なんて二の次。木登りを怯えない子どものはずだった。いつしか、下から見上げ落ちないように腕を広げて見守る側になっていた。それが大人のはず。
「……フォル」
唇が最愛の名をなぞった。シェルフに伏せられた紙切れ一枚を手に取ると、ザラついた感触。紙の擦れる音と同時に現れた色彩は、カレンの眼裏を刺激する。まるで、空間を切り取ったように写実的な情景。中央にはステラを片手に抱えたフォルテムが、カレンの肩に腕を回して笑っている。捨てると決めて何年が経ったか。幾度となく脳を巡る「会いたい」という叶わない欲が、枯れていくはずの感情に水をやる。
「私は――」
声色は濡れていた。答える人間がいない代わりに、居座る黒猫が短く鳴く。
「私は、一人が嫌いなんだ」
喪失に仕事を詰めて生きてきたカレンに、エレナは陽だまりを与えた。ただ書類に朱を乗せるだけのカレンに「この魔導書のこれってどういう意味?」「ネージュが最近一緒に寝たいーってベッド入ってくんの。止めた方がいいのかなー……?」だとか、くだらない雑談を振ってくる。鼻で笑う癖を見せれば、不快そうな顔一つせず「ひどーい」などと言って頬を丸くさせていた。
この数ヶ月。寂しさを覚える暇など一切無かった。目まぐるしく過ぎていく時間の中で、一息も付けない生活が彩になるとは。
足取りは重く、寝室へ向かう階段へ足をかけていた。
「……寝るか」
耳の奥で「寝るの? 朝食は?」「また徹夜で書斎にいたのですか?」と、カレンを労る声が響く。振り返らない。都合のいい幻聴の産んだ甘言だ。寝不足のせいでやけに鮮明なだけだ。
カレンは手すりに手をかけ壁に力なく頭を預ける。未だに眼裏は痛い。スンと鼻を鳴らす音に呼応して、黒猫が甲高く返事した。
第一章 太陽と雪月の出会い 了
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