序章 勇者一行②
静寂な空間に、サナティオの嗚咽と苦しげな息遣いが響く。回復量に魔力が追い付かなかったようで、今は辛うじて動けるルカが介抱している。
エレナの身体には、治せなかった幾つもの傷が残っていた。魔王による最後の足掻きで随分とやられた。骨も何本か折れ、深く呼吸をするたび身体の中身が酷く痛む。
今すぐにでもサナティオに駆け寄りたいが、うまく動かないことがもどかしく、床面に爪を立てた。
「おい、エレナ。立てるか?」
「……うん」
フィデスの声掛けに、エレナが力なく応える。顔を伏せたままでいると、頭に手を乗せられた。ただでさえ高い体温に労わるような熱が加わり、逆上せそうになる。
伏せた双眸を上げれば、しゃがみ込みこちらを見つめる彼がいた。鮮明でない輪郭が、さらに歪む。
「あ……フィ、デス」
「無理に話すな。斧、預かるぞ」
「んッ……うん。……ありがと」
痛みに悶えながら出た掠れ声。彼女が握っていた武器は投げ出されていた。フィデスは、それを持ち上げることなく指先に触れる。
戦斧は白く淡い光彩を放ち、その場から姿を消す――『収納魔法』だ。
かすむ視界ではその光ですら痛み、エレナは反射的に目を閉ざした。
「ねえ。サナ……ルカは? フィデスも平気?」
「俺とルカは動ける。サナもただの魔力切れだ。お前ほどじゃねえよ」
フィデスはそう言うと、黒の手袋を脱ぎエレナの抉れた横腹に軽く触れる。そこは赤黒く濡れ、露出した臓物が不規則に動いていた。
ぐち、と血がぬかるんだような音がすると同時に、耳元で「痛むぞ」という低い声。
「『回復魔法』」
白魔法を得意とするのはサナティオだが、フィデスも少しならば使える。ただ、適正のない魔力では万全の効果は得られないのが、白魔法。
『回復魔法』であれば、尋常ではないほどの回復痛に襲われる。
「……ッ、いッ……‼」
反射的に彼の肩を掴み、グローブ越しに爪を立ててしまった。しかし、彼は小さく呻くだけ。傷口が煮えるような熱を持ち、徐々に白肌が再生していく。焼け付くような痛みが走り続け、エレナは下唇を抉るように噛み締めた。
瞬間、瞳に溜めていた涙の膜が簡単に弾ける。
「――俺が治せるのは皮膚まで。骨と内臓はサナだ。それまで耐えろよ」
未だ手傷は痛むが、これ以上の回復魔法は、激痛によるショック死の可能性がある。狭い器官で必死に呼吸をしながら、エレナは濡れた睫毛を絡ませた。
フィデスは自身の外套を、言葉すら返さなくなったエレナの肩にかける。
そして「動かすぞ」と前置きをしてから、有無を言わさない強引な手つきでエレナをおぶった。
「おーい、エレナの様子はどうー?」
遠くに聞こえるルカの声。彼の腕には気を失ってしまったサナティオは抱かれているようだ。取り乱していたサナティオも、今は静かに目を閉ざしている。仲間の無事がこの目で確認できたおかげか、エレナの焦燥は幾分か楽になった気がした。
「応急処置程度。中身はサナが起きてからだ」
「中身……。動かして大丈夫なのか? エレナ、具合は?」
「今は話しかけるな。呼吸だけで精一杯なんだから」
「あぁ、そっか。いつも大変な役割ばかりでごめんね」
――ルカは大変な役割、なんていうけれど。
今回の作戦では、誰よりもルカが無事でいること。これが最重要だった。後衛にも明確に役割があって、エレナがルカの肉壁となる。――それ以外なかった。エレナに魔力があれば選択肢も広がるだろうが、生憎そんなものはない。
「…………ね、フィデス……」
「おい、無理に話すなって」
「――綺麗、だった」
覇気のない弱々しい声で告げる。彼が一歩一歩と歩みを進める度、至る所が痛むが、唇は自然と空気を食み音を生む。
城内を極彩色に染め上げてしまう。
強大な存在を杖の一振りで拘束できてしまう。
潰えかけた命を繋げてしまう。
そんな魔法が――。
「凄く……綺麗だった」
羨望と感嘆の交じる声色。フィデスは少し考える間を作った後、短く息を吐く。
フィデスは、エレナの言葉には答えなかった。エレナも答えを期待していたわけではない。
「なんか……眠たい」
力ない声に、フィデスは歩みの速度を速める。エレナの意識が朦朧としだしたことを察したのか、
「――絶対に寝るなよ、死ぬぞ」
と、心地の良い低音で言い放った。
・
勇者一行は、幼なじみで構成された四人組。生まれたころから共に居た彼らは、魔王討伐という苦行すらもついに成し遂げ、彼らの冒険は一度幕を閉じられた。
そして、次に始まるのは勇者一行の戦士、エレナが平和になった世界で、いつの日かに憧れた魔法使いを目指しながら旅をする。――そんな冒険譚。
▼△▼△▼
仄暗い大部屋。
燭台の灯りだけが周囲を灯しており、大きな円卓をすでに死んだ魔王を嘲る者たちが囲っていた。
「あーあ。魔王様、ニンゲンに殺されちゃったじゃない。どうするのよ?」
気だるげに言ったのは、魔族の女。妖しい色香を持つ女は、黒に染め上げた爪を退屈そうに見つめている。
「あんなもの、王であるはずがないだろう」
もう一人、女の言葉に不満げな反応を示す。魔族の男であった。
この場にいる全員が、頭にある大きな角が特徴の魔族と呼ばれる存在だ。各々が、煙草の紫煙を燻らせ、惰眠を貪ぼり、談話に夢中である。不統一な集団だった。
「それとも貴様は、ニンゲン如きに殺される者が魔王だとでも?」
「そうは言ってないでしょう。次が出来るまでまだかかるじゃない? もう少し、荒らしてくれても良かったのにぃ」
額に血管を浮かべる一人の魔族が、女をあしらう。が、男は変わらぬ語気で続けた。
「どうせ、意思の疎通も出来んマガイモノだ。次はもっとうまくやる。それだけだ」
次の最悪を示唆するように、男は不敵な笑みを浮かべた。葉巻を口の端に加え、白い煙を吐く。
それに合わせてか、話を聞いていた褐色碧眼の男が音を立て、席から立ち上がった。
「じゃあよォ、俺様にその勇者ってやつを殺させてくれよ。 そいつァ殺せば、俺様が強ェ証明になんだろォ⁉」
「ダメよ、そんなの。今までどれだけのお仲間がやられたと……って、もう行っちゃった!」
「放っておけ」
傲慢とも言える物言いの魔族は、女の静止も聞かずに忽然と姿を消した。
「あらまぁ。せっかく、勇者が剣を手放してからにしましょうって決めたのにぃ」
「ふひゃひゃっ。ばーかばーか! あいつプチって死んじゃうよお?」
呑気にそう言えば、オレンジ色の紅茶を優雅に啜る。その様子に、飛び出した褐色の男を心配する様子はない。部屋に残った魔族たちも同様。却って、嘲笑を送る者もいた。
――魔族たちがいる円卓は、勇者一行と魔王が戦った魔王城のとある一室である。
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