序章 勇者一行①
十年の旅路の果て。彼らは、ようやく魔を振りまく存在のもとへ辿り着いた。
世界を闇に染め上げた魔王は、最上階の玉座で勇者一行を嘲るように迎える。
魔王の見上げるほど巨大な肉体には、目視できるほどに濃い闇の魔力を纏い、邪悪を体現していた。
「いつも通り。気負わずにね」
落ち着いた声色で、仲間に声をかけたのは勇者であるルカだ。金属の擦れる音と同時に、彼は鞘から剣を取り出した――彼を勇者たらしめる勇者の剣。
「作戦通りに行くぞ。攻撃が通じねぇ、なんてことがあったらすぐに――」
「撤退だろ? もう、分かってるよ」
「チッ。ほんとかよ」
勇者に向けて荒い舌打ちをしたのは、一行の魔法使い――フィデス。何もない手に長物の杖を取り出し、フロアを叩きつけた。
「『防壁魔法』」
フィデスの持つ杖に輝きが孕み、地面に円形の白い紋が現れる。同時に、ルカの背に小さな手が触れられた。
「『身体強化魔法』」
暗い闇に似合わぬ鈴のなるような声。詠唱と共に、ルカの身を膜のような光が包む。白魔法使い――サナティオ。彼女は、ルカとは違う仲間の背中に触れた。
「『身体強化魔法』」
同様の詠唱。その背中には、背丈と似た大きさの戦斧が背負われている。赤いポニーテールを揺らし、彼女はサナティオに振り返った。
大きな両面刃がついた戦斧を構えたのは、戦士の女――エレナ。
「死んじゃダメだよ。絶対、生きて帰るの」
サナティオの言葉に、エレナが魔王を見据えながら静かに頷いた。
四人で結成された勇者一行は、魔王の御前で研がれた鋭い牙を剥く。
「――大丈夫だよ。私たち、強いもん」
エレナの言葉には自信が満ちている。努力、経験、信頼。そして強さ。――それらは揺らぎようがないほど、着実に。
「仕掛けるぞ」
フィデスの指示を皮切りに、走り出したのはエレナだ。 石材の床を激しく蹴り上げ、魔王との間合いを敏捷な動きで詰めた。空気を裂くように戦斧を振り上げ、乱暴に魔王の左腕を押し切る。同時に、背後から迫ったルカが右腕に剣を振るった。
「『迅雷魔法』」
フィデスの詠唱が雷鳴を招致する。絶え間ない詠唱が竜巻が魔王を拘束。そして、圧縮された水魔法が奴を貫く。
多彩な魔法は幾度となく魔王を攻め立て、城内を極彩色に彩った。苛烈な振盪により簡単に天井は剥がれ、すでに城としての機能は失われている。
しかし、やられてばかりの敵ではない。
損傷し血吹く箇所は息つく間もなく修復し、巨大な腕を薙いだ。戦闘前に張った『防壁魔法』の中にいるフィデス、サナティオに攻撃の手は及ばない。ルカは即座に、自身の身体に『防御魔法』をかけるが、そうはいかない人物がいる。
「うぁッ……⁉」
強大な打撃を受け、短い悲鳴をあげたエレナは、魔王の腕もろとも城壁に打ちつけられた。明瞭な視界を失い、虚脱を強いられる。開いた瞳孔が虚空を見つめ、彼女の鮮血が壮観な場内を緋色に汚した。
「――レナ⁉ おいサナ、早くしろ!」
「急かさないでよ‼ 『回復魔法』」
微かに機能していた聴覚が、後衛のやり取りを聞き取った。――瞬間、まるで今までの出来事などなかったことかのように、身体の異常が消えていく。
瓦礫の中から立ち上がったエレナは、即座に魔王を見据え飛び掛かった。
エレナには、魔力が使えない。敵を討ち取る魔法も、傷を癒す魔法も、身を守る魔法も、何ひとつ。
――こんな時、『防御魔法』があれば。
――刃に炎を纏えたならば。
――魔法が使えたならば。
そんな思いを抱きながら、彼女は猛攻を止めない。
致死量以上の血を流していたとしても、立っていられるのはサナティオのおかげだ。
奴が、万全でいられないのはフィデスの魔法が妨害しているから。
魔王の命灯を断てるのは――勇者の持つ特別な魔力のみ。
エレナに出来ることと言えば、斬ること。動き続けること。諦めないこと。
痛み如きで手を止めるわけにはいかない。――休むな。冷静になるな。皆に貢献しろ。
筋肉が隆起する度、激痛が襲う。迫りくる吐き気とともに来る鉄の味を嚥下した。明滅する意識に気を取られぬようがなり立て、魔王の魔力を断ち皮膚を裂く。
永遠とも感じられた争乱の末に、魔王の動きに変化が起こった。 どれだけの攻撃を与えても、瞬く間に修復されていた奴の肉体。ルカの剣によって斬り落とされた体の一部が、煮えるように泡立つが、待てども修復しない。まるで焦っているのか、魔王は言葉にならない咆哮を放つ。――確実に弱っていた。
手ごたえを得たエレナは、叫喚に負けぬ声で勇者の名を呼んだ。
「――ルカ‼」
「分かってるさ‼」
淀んだ闇の魔力に勝てるのは、勇者の持つ光の魔力のみ。 だが、魔力量の差により魔力のぶつけ合いでは勝てないだろう。そんな推測のもと、この死闘を仕掛けた。
魔王の魔力を回復や攻撃によって削ぎ落し、人間の持つ魔力量でも太刀打ち出来るようにする。これまでの行動は、お膳立てにすぎない。
「『光紋剣』」
勇者の剣を空に向けて突き上げ、詠唱を始めた。魔王にとっては死を意味する言葉に反応し、攻撃の矛先はルカに向かう。
その攻撃を引き受けたのは、やはり戦士。戦斧で魔王の攻撃を受け、鍔迫り合いとなる。魔王の魔力が、篠突く槍のように降りかかりエレナの身体を削ぎ続けた。腹部が弾けるように血吹く。抉るような熱が、腕を刺した。
「『――永光滅‼』」
勇者が詠唱を終えると、吹き抜けた先に見える曇天の隙間から陽光が射す。
人が浴びても刺さるような痛い光。深い闇の中を好む魔王にとっては猛毒だろう。地底から響くような呻き声と共に、エレナにかかる迫撃が絶えた。
苦しみ藻掻く魔王。荒れる息を整えながら、一行たちは静観する。
ジュウ、と焼ける音がして、どんどんと魔王の形が崩れていった。
恐ろしいほどに巨大であった魔王の姿は、徐々に塵に溶け人と違わぬ背丈に変化している。勇者の剣の切っ先が、首への間合いに迫る。骨と金属の擦れる音と共に、宿敵の頭が堕ちた。
「――終わったよ」
初めに口を開いたのは勇者だった。空気に溶けていく魔王の残滓を見下ろしながら、震えた声で。彼らの心に残るのは、積年の冒険に対する名残でも、魔王を倒した達成感でも、ましてや悦でもない。
ただ、やっと終わったという安堵。
エレナは、遅れてやってきた疲労と激痛でその場に崩れ落ち、一見冷静に見えるフィデスでさえ、薄い唇を噛みしめている。
その静寂を破ったのは、魔力切れによってその場に倒れ込むサナティオの名を呼ぶ声だった。