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二 あいつら絶対に許さない ②

 スタジオで二つの材料を手に入れた鳴坂は、さらにその翌日の夜、辻を稲城市にある自宅のマンションに招いていた。

「今日は大事な話があるんだ」

「何?」

 リビングのソファに並んで座り、本題に入ろうとした直後に辻は身を乗りだしてくる。玄関のドアを開けて以降、ずっと顔に笑みを浮かべているところから機嫌のよさが窺えた。いや、正確にはもっと前、電話で自宅に来てほしい旨を告げたときからだ。あの時点で受話器越しにも声が弾んでいるのが聞きとれた。

 理由は明白だ。辻は、この日まで鳴坂の部屋に足を踏み入れたことがなかったからだ。双方合意のうえで関係を結んだ経緯からその必要はなく、特に鳴坂が第三者への発覚を防ぐべく住所すら教えていなかったのである。もし辻に鳴坂との関係を進展させる意思がなければ、以前と同じ態度を貫いているはず。そうでないのは、辻が本気で鳴坂に好意を寄せている何よりの証拠だった。

「実はね」

 鳴坂は声優と並行して舞台俳優としても活動を続けてきたおかげで、声以外の演技もかなりのレベルにあった。辻の質問を受けた後で少し間を置き、いかにも真面目そうな顔を繕って唇を開く。

「萌との結婚は止めにして、改めて君と真剣に付き合おうと思うんだ」

「やった! ようやくあの女と別れてくれるのね!」

 するとほぼ同時に、辻がその場に倒れこむような勢いで抱きついてきた。部屋に招かれただけでもこの上なく気分が高揚しているというのに、思いも寄らぬタイミングで希望が叶ったことで天にも昇る幸せに包まれているのだろう。この際きっかけを問題にするつもりは毛頭ないといった空気を、これでもかというほど発散している。

 いっぽう鳴坂は萌をあの女呼ばわりされたのに憤りを覚えながら、密かにほくそ笑んでいた。これまで辻が言葉には出していなかった心情を、直に聞くことができたからだ。そして辻をさらにその気にさせるべく、やはり内心で苦々しい思いをしつつも萌を名前ではなく苗字で呼ぶ。

「そこまで喜んでくれて嬉しいよ。でも萌……というより、もう桐ケ谷と言った方がいいけど、別れ話を切り出すまで少し時間がほしい」

「うん」

 もっともそれだけの甲斐はあったようで、辻は目を輝かせている。おそらく一刻も早く萌に婚約破棄を通告してほしいというのが本音だと思われるが、そこを口に出さずにいるのを見るに、今ならかなりの頼みを引き受けてくれるであろうことが推測できた。鳴坂は胸の内でますます期待を高めながら、そっと肩に手を添える。

「ただし……」

 そこで辻が顔を上げた。何かしらの条件があるのを覚ったようだ。

「何?」

「一つだけ、困ったことがある。君と真剣に付き合おうと決意した直後だ」

 次いで鳴坂は伊崎ら六人らから脅迫を受け、黙秘の条件として萌と辻、双方と関係を断つよう迫られている事実を明かした。事の次第を聞いた辻は、今度はかつてないほど顔を曇らせて頭を下げる。

「ごめんなさい。私のせいで」

「謝ることはない。悪いのはあいつらだ」

「そうなんだけど……でも、弱みを握って言うこと聞かせようなんてひどすぎる」

 辻の表情からは鳴坂を窮地に立たせてしまった自責の念と、伊崎らに対する憎しみの情が窺えた。とりわけもうすぐ鳴坂を独占できるところまで来ているのに、思わぬところで横槍が入ったのが腹立たしいものと見える。

「そう。だから僕は決めた。あの六人には死んでもらう」

「私のために? 恭治が手を汚すの?」

 殺人を犯す。普通に考えれば常軌を逸した判断だ。しかし辻にとってもまた伊崎ら六人は邪魔だった。そのうえ自分のために鳴坂がかくも厳しい覚悟を決めた嬉しさに酔いしれているのか、強いては止めてはこない。ただ、そうは言っても法の裁きが下れば鳴坂の命は確実になくなる。辻の再度の呟きはいかにも不安げに聞こえた。

「他に方法はないの?」

「もしそんな方法があったら教えてほしいくらいだ」

「たしかに……」

 鳴坂も一度は頭を冷やし、そこまでの危険を冒さずしてこの難局を乗りきる方法を考えた。だが良案は思い浮かばなかった。

「僕はもう決めた。そのために明日にも六人と会って、最終的にそれぞれをホテルに呼びだす。来月の三日、金曜日の夜にね。そこで殺る」

 辻が口を噤んだ。殺るという言葉を耳にした以上、正常な反応だ。その間、部屋にはテレビ画面からは配信動画の音声が小さく流れていた。

「うまくいきそうなの?」

 しばらくして辻が沈黙を破ると、鳴坂は目にいっそうの力を込めた。

「ああ。というより何としてでもその方向に持っていく。あの六人が僕を信じるように仕向ける。何たってあっちから、一緒に食事をしろだの旅行へ行けだの言ってきてるんだからね。六人の目的は他でもない僕だ。まず間違いなく食いついてくる」

 それから自身のスマートフォンにちらりと視線を落とす。画面には〈B.L.ワークス〉の文字が表示されていた。あの六人のサークルのホームページであり、そこには男と女、あるいは男同士が絡みあう同人誌のサムネイルが表示されている。鳴坂はこの手の二次創作を心の底から忌み嫌いつつも、計画遂行のため関連するウェブサイトの隅々までつぶさに観察の目を張りめぐらせていた。

 そしてそれらを利用してあの六人を誘いだすのだと胸の中で策略を思いかえしながら、辻がいちおう落ち着きを取りもどしたのを見て話を続ける。

「もっとも、僕が何の工夫もなしにそれぞれの場所に出向いていっては捕まってしまう。そこで君に頼みたいことがある」

 そう、あの六人を誘いだすところまでは自分ひとりで何とかできる。だが、ある部分でどうしても協力者が必要になるのだ。その協力者の獲得こそが、辻を呼んだ目的だった。

 鳴坂は辻の瞳の奥を覗きこむ。己に向けられた心情は把握できたものの、殺人の片棒を担ぐという判断に至るかどうかまでは確信がもてない。共犯関係が発覚した場合に下される処罰を恐れるあまり、腰が引ける可能性は大いにあったからだ。

 しかし心配は杞憂に終わったようだった。

「もちろんよ。何をすればいいの? 六人もいるから、手分けして私も」

 すぐに答えが返ってくるのに鳴坂は息をつく。とはいえ、申し出をそのまま受けいれるつもりはない。辻が最後まで言いおわらないうちに口を開き、途中で遮った。

「そんなことはさせられない。香恋にそこまで危ない橋は渡らせない」

「じゃあ、どうすれば」

「君に頼みたいのは僕が実際に行動を起こす二月三日、当日のアリバイ作りだ。具体的に言うとマンション入口のポストに玄関の鍵を入れておくから、留守の間にこの部屋に入ってテレビを点けて、僕がいま目の前にあるテーブルに置いておくスマホを使って、SNSでここに書いてあるとおりの文言を発信する、という作業になる」

 続けてメモを渡すと、辻は舐めまわすように眺めたあとで声に出して読みあげる。

「その文言っていうのは、これね……『桃色学園でハーレムを』今回のCS版限定シーン、三笠さんの演技凄かったですね。『やあっ、こんなの知らないっ、らめぇ』ってアドリブとか気合入ってました……って、これでいいの?」

 三笠というのは、鳴坂と共演している女性声優の名前である。ただしスケジュールの都合で今のところ全て別撮りとなっており、この作品に限って言えばアフレコ現場で顔を合わせた回数はゼロだ。にも関わらず三笠のアドリブを把握できたのは、昨日に入手した収録音声のおかげに他ならない。

「うん。この発信内容は本来、台本を持っている僕が当日の放送を観ていないと分からないものだからね。SNSのこの発信が、六人が死ぬ時間帯に僕が外出していなかった証拠になるんだ。特にセリフの部分は間違えないように頼むよ。あと用が済んだらテレビのオフタイマーを三十分にセットして、鍵は後でポストに入れてここを出てほしい。合鍵はほとぼりが冷めた頃に渡すから、安心して。君が手を汚すことはないとはいっても、万が一にも共犯だと疑われないようにするためだ。必ずだよ」

「分かった、ぜったい言うとおりにする。恭治がこんなに私のこと心配してくれるんだもの」

 塁が及ばないようにとの配慮と合鍵への言及が信用を加速させたのか、辻の瞳の輝きが徐々に増していく。それを見た鳴坂はわずかばかり安堵するも、気を緩めはしなかった。 協力者にはもう一つ頼みごとをしなければならないからだ。

「当たり前じゃないか。だから……」

 だがそこから具体的な用件に入ろうとしたところで、不意にテレビ画面から大きめの音声が聞こえてきたためにいったん話を止める。何かと思い顔を向けてみると先ほどの配信動画は半ばで途切れ、替わりに有料チャンネルで放送される恋愛リアリティ番組のコマーシャルが流れていた。

「この美しい社長令嬢を射止めるのはいったい誰か。スマホもタブレットも使えない山奥で、十八人の男による仁義なき争いが今始まる!」

 このアプリは頻繁に利用しているが、動画が切り替わる際、しばしば音量が大きく変わるのが玉に瑕だ。しかも同じコマーシャルがやたら繰りかえされる。今しがた流れたのがまさにそれだ。話の腰を折られたせいもあって鳴坂はやや苛立ち加減にリモコンを手に取り、テレビのスイッチを切ったのち軽く息を吐いてから再び口を開く。

「だから念のため、君にもアリバイを固めておいてほしいんだ。何かのきっかけで疑われたとき、すぐにそれを払拭できるようにしておかないと」

「どうすればいいの?」

「僕と同じようにSNSで放送を見ていたかのように装えばいい」

「でもさっきのは多分、台本もってる恭治だから通る話だよね? 私は声優でも何でもないから、同じことしたらおかしいって思われちゃうんじゃないの?」

「それはまずいから、同じCSバージョンの別の情報を教える」

「話は分かるわ。でもあたしCSは入ってないわよ。だから『桃色学園でハーレムを』観てないし……」

 実のところ、この頼みごとには裏がある。辻がそれに気づく気配はないが、自身の安全が絡むと慎重にもなるようで、にわかに目に戸惑いの色を表しはじめた。幾ばくかの不自然さから警察に疑念を抱かれ、罪を暴かれるのではないかなど色々と不安も湧いてきたのだろう。いずれにせよ、自宅で観られない放送の内容をSNSで発信しては怪しまれるとの懸念は妥当ではあった。

 ただ鳴坂はこれに対しても安心させるように、優しく噛みくだいて説明する。

「君のバイト先はどこ?」

「前と同じ〈快感CLUB〉よ。新百合ヶ丘駅前」

「バイト先は変わってないんだよね。漫画喫茶だよね」

「そうだけど」

「客の利用状況の管理なんかもやってるよね。しかも君はバイトのシフトとは別にそこを利用して、これまでもアニメも観たりしてる」

「あっ、そっか」

「君は合間を見て、シフト以外の時間に職場を個人利用してCS放送を観たことにすればいい。悪い話じゃないだろ? 何せ、君の趣味に合わない作品を観る必要はないんだから」

 すると不安が消えたのか、辻の顔を覆っていた曇りがすぐに晴れる。この程度の手間でアリバイが確保できるとなれば安いものであり、むしろより確実に鳴坂との関係が進展すると考えると嬉しくて仕方がないといった魂胆なのかも知れない。

「悪い話も何も、そうするに決まってるじゃない。もちろんいいわよ。で、どうコメントすればいいの?」

「メモを裏返してみて」

「あっ、ホントだ。なになに……『残念! 明乃ちゃん、湯気で全身丸っきり見えませんでした! ♯桃色学園でハーレムを』」

 こちらも、やはり昨日に松崎から訊いた情報だ。この内容が後でダメ押しになる。

「君がいつもSNSで呟いてる文面そっくりだろ?」

「いつも見てくれてるのね。そうよ、完全にこの口調よ。でも珍しいわね。CS放送の規制緩和バージョンなのに」

 通常こうしたアニメは審査機関からの指導や処分を避けるため、地上波では作品の最大の売りである性的描写を自主的に抑え、代わりにCS放送やDⅤDなどで規制を解除する。その点を辻に指摘された鳴坂は、心臓が大きく鼓動するのを感じた。

 だが辻は自身のSNSを鳴坂がつぶさに見ていたことに感動したらしく、簡単な補足を付けくわえると幸運にもそれ以上の追及はせずに納得する。

「ここは妥当な判断だと思うよ。明乃は大学出たての新社会人って設定だけど、見た目は完全に中学生だから」

「それじゃあ、しょうがないか」

「おまけに、CS版で期待させてDⅤDの売り上げを伸ばそうって魂胆らしい」

「製作会社もあこぎなことするのね」

「たぶん会社の方針なんだろう。ただ、君はこのシーンは観られない、というより観ていられないはずだけど」

 それでいながら鳴坂は気を抜かなかった。ここからが肝心だからだ。

「どうして?」

 本来、SNSで指定の内容を発信させるだけなら、先ほど辻が潜った玄関の前まで来るよう言っておくだけで事足りる。そうではなくわざわざ部屋に上げるのは、いかにも鳴坂がその場にいたように偽装する必要があるからだ。だが辻に当該番組を最後まで視聴されると、間違いなく事前の指示と放送内容の齟齬に気づかれてしまう。鳴坂はそれを防ぐべく、早期の帰宅を促したのだ。

「このシーンは番組のかなり後半なんだ。君がここから帰るとしたら、はるひ野駅まで歩いてそこから電車に乗るしかないはずだけど、終電は日付が変わって零時十四分だろ?」

「あっ、そうだった」

「分かってくれたね。君も用が済んだあとはできるだけ早く家に帰って、事件なんか関係ないって色んな形でアピールしなくちゃならない。僕の考えがうまくいくかどうかは、君のはたらきにかかってるんだよ。ちなみにいま説明したSNSの文言は、このマンションを出て君の自宅に帰ってから発信するように。あと、ここに来るときはスマホのGPS機能は必ずオフにしておくんだ。そうそう、最後にこのメモも僕に返してね。重ねがさねの注意になるけど、君の身の安全がかかってるんだ。当日は僕の言うとおりに動いてほしい。絶対にだ、頼むよ」

「うん。必ず恭治の言うとおりにする」

 日づけが変わるまで部屋に滞在していては帰宅手段がなくなる。事件との関連を疑われないようにするため指示に従ってほしい。それらの言葉を真に受けた辻は、承諾の意を示したかと思うと横から身体を押し当てざま耳元で囁いてきた。

「だから今日、泊まっていってもいいでしょ?」

 正直なところ、もう辻の顔を見るのも面倒になっている。しかし、その辻が幸せな気分に浸れるのも今のうちだけだ。そもそもあの六人を消すまでは、拒絶するという選択肢は存在しない。ここで準備がひと段落ついた鳴坂は安堵のために緩く息を吐きながらも、腹の内を見透かされないよう外面を繕って辻の肩に手を回した。

「もちろん」

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