十五 ようこそ兄弟 ③
「何だって? ……おおっと」
能登の唐突な報告とパトカーが発進する反動に、平越が驚きの声をあげる。
「どういう事だ? さっき言いかけてたようだが、君の奇行と関係があるのか?」
つい先ほどまで疲労と苛立ちでどうしようもないといった空気を醸し出していたのに、あっという間に真剣そのものの雰囲気を発しはじめる。もしかすると、このときの能登の顔から一定の自信を感じとったためかも知れない。
「はい。まずその前段階からご説明しましょう。係長は、捜査の初期にお伝えした私個人の疑問を覚えていらっしゃいますか?」
「たくさんありすぎて、覚えていないが……」
「詳しいお話をしたいのですが、私が言い出したことながら今ハンドルを握っていますので、そこのカバンを開けていただけませんでしょうか」
能登も半日ほど走りまわって多少なりとも疲れている。ただでさえ勝手な行動で平越を振り回してしまっているというのに、事故でも起こそうものならさらに迷惑をかけることになる。平越もその意図を汲んだらしく、大人しく能登の要請に従う。
「この中のどれを見ればいい?」
「大きめのメモ帳の最後から六、七ページ目です。走り書きでお見苦しいとは思いますが」
能登の耳にパラパラと紙をめくる音が聞こえ、それが程なくして止まる。平越が息を止めて該当の部分に目を通しているのが分かった。
「なるほど、これならあり得る。ただ、果たしてそんな風にうまく行くかどうか」
「それを確かめるために、一昨日からアンケートを取らせていただいたわけです。先ほどは途中までになってしまいましたが、まあまあ納得のいく結果が出ています」
「ふんふん……質問事項はこれか。自身の職業がもし警察官でなかったらとしたうえで、
一 推しの俳優やアイドル、熱烈に想いを寄せている相手と交際したいか?
二 もし交際できた場合、一夜を共にしたいと言われたら承諾するか? 何回目のデートでOKを出すか?
三 それを阻む邪魔者が現れたらどうするか? 交際できた憧れの相手を自分が長年追いかけていた場合、その邪魔者を殺すことも選択肢に入るか?
四 その邪魔者が以前から嫌っていた相手だったらどうか? 殺人も選択肢に入るか?
これを訊いて回ったんだな」
「ああいった状況下での行動は、私や係長では分かりませんし」
「それは分かる。しかしだ、せめて調査をはじめる前に俺に言ってくれないか」
そこで平越が再び注意を促してくるも、次の申し開きをするとまた口を噤む。
「事前に申しあげようと少しは考えましたが、お許しが出るかどうか分からなかったものですから。それにこのお話を係長にお願いした以上は、課長や関係部署にもお伺いを立てることになります。そうすると、私だけでなく係長も白い目で見られてしまうと思いまして。だからこそ私はあえて独断で行動させていただいたわけです」
能登は信号が赤に変わるのを確かめ、前方の車両に合わせてパトカーを減速させながら自身の決断を思いかえしていた。
これらの調査は、常識的な感覚に沿えば上司に相談したところで協力は得られない。ならば周囲の評価を落とすのは一人で十分ではないのか。また質問するにしても、電話だとイタズラと間違えられて一方的に切られる恐れがあるほか、今のように後になってから騒ぎになった場合、警視庁の、しかも本庁の電話回線を使用したことで問題が大きくなるのではないか。そもそもこれを能登ひとりの判断で行うとしても、電話では質問の内容が周囲に聞こえてしまい、途中で断念せざるを得なくなるのではないか。
そうした熟慮の末の行動だったと理解したのか、平越はやや間を置いて唸る。
「分かった。ただ、だったらその都度、質問の相手に事情を話すべきだな」
「数をこなす必要があるので急いでしまいましたが、その点を怠ったのはまずかったと思っています。ただし、その代わりに一定の結果が得られました。次のページ以降に結果が書いてありますのでご覧ください」
能登は信号が青になってからアクセルを入れた。平越はその隣で食い入るようにメモを覗きこみ、数十秒ほどしてから大きく息を吐く。
「さすがに対象は警視庁の女性限定か。で、さっき以外にも途中で質問を断られたのが幾つかあると。だが結局、全部で八十一人……ふんふん、憧れの相手でもいきなりホテルに行くのは少ないんだな。しかも身体を許すのがだいたい三回目のデートとは、我らの仲間が意外にしっかりした貞操観念の持ち主で安心した。うむ、まったくもって捨てたものではない。
ただ、こっちの方は別だ。三つめの質問で『はい』と答えたのが二人、四つめでさらに二人。恋愛がらみの執念は実に恐ろしい」
平越の呟きはもっともである。最終的に殺人を視野に入れると回答した人数が四というのは、母数が大きければ非常に低い割合になるが、この場合は違う。八十一という母数の中ではなんと五%を占めることになるのだ。さらに言えば四つめの質問に「いいえ」と答えてはいても、迷ったような反応を見せる回答者が他に数名ばかり確認できた。その旨がメモ帳にも記してある。
能登は驚嘆する平越の隣で、改めてこれらの結果を頭に浮かべた。
時間的な問題もあって母数を絞らざるを得なかった事情はあるものの、調査で傾向は把握できた。それと考えあわせると、いつぞやの配信動画で語られていた内容はあながち間違いではなかったわけだ。ただしその傾向が女性だけに当てはまるとは限らず、男に同じ質問をしても似たような答えが返ってくる可能性はあるのだが、ああした感情が現実に存在するのは確かである。結局、下手に穿った見方をしたせいで妙な遠回りをしてしまったのだ。
「私も同じ感想をもちました。実際には交際相手ありという方もいらっしゃったので、かなりの部分を仮定の上に立ってお答えいただいたわけですけれども、本当に事前の想定以上の結果でした」
「しかし、だからといってこれが今回の事件に当てはまるか? アンケートの結果だって驚きには違いないが、殺人を考える人間の割合はやっぱり低い。憎い相手といっても程度問題があることだし」
「ところがその割合や確率を格段に上げる源泉、いわば憎悪を焚きつける材料を見つけまして。先ほどのメモ帳の……たしか後ろから三ページ目あたりに、ホームページの名前とアドレスがあったはずです」
能登はそのあとも記憶に誤りがないかどうか確かめながら話をしていたが、不意に前方との車間距離が縮まっているのに気づいてほんの少し強めにブレーキを踏んだ。
「おっと危ない。運転に集中しろ。書かれてるのはここだな」
いっぽう平越はパトカーが停まりきる前に、自身のスマートフォンを操作しはじめる。しかしその反応は鈍い。
「何だ、単なるホームページじゃないか。これはアレだろ、漫画家さんのやつだろ」
平越が勘違いするのは当然だった。能登もはじめて目にしたとき、同じような印象を受けた。アップロードされているイラストが、かなり上のレベルにあるのだ。
「漫画家ではなく、趣味でイラストや漫画を描いている一般の方ですね。とはいっても、ただの一般人のものではありません。殺された六名が運営していた、同人サークルのホームページです」
「へえ、話には聞いてたがこれか。うまいんだな。しかし、どこに君の言う殺意が書かれてあるんだ?」
「直接的な表現はなくても、たしかにその痕跡があります」
「痕跡だって?」
またしても前方の車が止まる。今度は渋滞らしく、車はしばらく流れないようだ。サイドブレーキを上げた能登に、会話をする余裕が自然と生まれた。
「ではここで少々、謎かけを。係長は先ほどホームページと仰いましたが、アルファベットでどう略しますか?」
「HPだろう」
「でもゲームなどで体力や生命力を示すヒットポイントとも読むのはご存じですよね」
「もちろんだ」
「同じ要領で、RPGは?」
「ロール・プレイング・ゲームだ」
「それだけでなく英語で携帯対戦車グレネードランチャーを示す言葉の略でもあります」
「だからそれが事件と何の関係があるんだ? いい加減に教えてくれ」
平越は短い間、明快な調子に乗せられて質問に答えていたが、しびれを切らしたと見えて段々と機嫌を損ねはじめる。能登も上司を試すような真似をしてしまったのにややばつの悪い思いをし、謝罪の意味も込めて静かに口を開いた。
「ホームページのメニューバーにあるaboutの部分をクリックしてください。そこに答えがあります。それからもう一度、先ほどお目通しいただいたページの下半分をお読みになってください」
すると、言われるままに手元を動かした平越の目の色が変わる。それからメモ帳を見やり、二度スマートフォンの画面に触れたあと、しばしの沈黙を挟んで低く呻いた。
「これは……」
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