十五 ようこそ兄弟 ②
「すみません、ちょっといいですか?」
三日後、日比谷公園前交番にまたも警察手帳を掲げる能登の姿があった。
「何ですか?」
怪訝そうな顔で質問を受けるのは、二人の女性だ。髪型は片方がショートヘアで、もう片方がボブカット。どちらも紺のブレザーに膝丈のスカートという非常によく見慣れた制服を身に纏っており、肩には警視庁のエンブレムをあしらったワッペンが貼付されている。紛れもない本物の警察官だった。
「あなたには、憧れの俳優とかアイドルの方がいらっしゃいますか?」
能登は二人に声をかけたつもりだったが、答えたのはボブカットの方だけだ。ショートヘアの方は意味ありげな視線を投げかけてきたかと思いきや、建物の奥に引っこんでしまう。
「はい。いますけど……」
能登はそちらを呼びとめようともしない。そのために時間を割くよりは一人でも多くの相手から答えを引き出したい。いま引っこんだ方は後で出てきてくれればもうけもの程度との考えから、メモ帳を手に取りつつ残された方に向かって話を続けた。
「どなたですか?」
「星沢翔くん」
その名前は実写の映画やドラマをロクに観ていなくても知っている。第一線で活躍を続けている美形俳優だ。しかも二十代前半の若さにそぐわぬ高い演技力を備えていると聞く。露出の高さと著しく眉目秀麗なことを勘案すると、そこそこ妥当な回答ではある。
「なるほど」
それにしても歳下が好みなのか、個人の趣味は好きにすればよいがと能登は思いながら、口には出さずにまた質問をぶつけた。
「で、仮定の話なんですが、あなたがふとしたことからその星沢さんとお知り合いになったとしたら交際したいと思いますか?」
「あの、私、いちおう彼氏いるんですけど」
そしてメモ帳に走り書きをする。回答者が眉を顰めて不機嫌な態度を表すも、申し訳なさそうな顔や素振りを作ることはしない。そんな暇があれば、少しでも時間を短縮して次に映りたかったのだ。
「もしいなかったとしたら?」
「付き合いたいと思いますよ」
「現実には一〇〇%といっていいくらいあり得ないことなんですが、仮に、仮にですよ」
今度は眼前で口元がへの次に曲げられるが、やはり能登は無反応のまま。質疑応答に集中するあまり、だんだんと相手の表情が意識に入らなくなっている。
「その星沢さんがデートなんか一回もせずに、いきなり一夜とともにしたいと言ってきたらどうされますか?」
「ええっ」
だがそこで戸惑いの声があがるのが聞こえ、さすがの能登も相手の口元にますます深い皺が寄るのに気づく。
「ご不快なのは承知しておりますが、何とかお答えいただけませんか?」
それから頭を下げた。ごく最近も似たようなことがあったにも関わらず、同じ過ちを繰りかえしてしまった。これではいけない。一応は相手の感情を慮る言葉をかけて誠意を見せたつもりだ。ここはどうにか怒りを収めてほしいと祈っていると、軽い溜め息が返ってきた。
「はあ、分かりました」
目つきがいくぶん和らいだところから、いちど湧き起こった苛立ちが収まる様子が窺える。こちらの心情を伝えて態度を軟化させるのに成功したと分かり、能登はほっと胸を撫でおろして質問を続ける。
「でも、まあ……いきなりって言うのは、ちょっと」
首が左右に振られた。
「では、いちど会われた後では?」
答えは同じだ。首がまた横に振られる。
「二回。お食事なり何なりを二度された後であればどうでしょう?」
するとようやく、きわめて控えめながらも小さい頷きが返ってきた。
「それなら、あるかも知れません……憧れの人ですし……場合にもよりますけど……」
「つまり三回目ならOKと」
能登はその答えを受け、メモ帳にボールペンを走らせる。むろんこれでは終わらない。
「長くなってすみませんが、次に行かせていただきます。もしそんな状況にあって」
対面でボブカットの髪が下方に垂れるのが視界に入った。顔は足元の方を向き、頬も心なしか赤い。能登は当初、その反応は羞恥心のためだろうと考えていた。しかし程なくしてそれが違うことが分かる。怒気を孕んだ鋭い声が鼓膜を貫いたからだ。
「いい加減にしてください! 私も警察官なんですよ! あなたのような本庁勤めのエリートじゃないですけど、訊いていいことと悪いことがあるでしょう! 捜査一課だからって何をしてもいいと思ってるんですか? これ、完全なセクハラですよ!」
ところが能登は取り乱しはしない。類似の事例は経験済み、想定内だ。うまくいくかどうかは別にして、こうした場合にどうすべきかも分かっている。
「やっぱりそうですよね。皆さん、そう仰います。しかし私も業務上、必要なのでお訊きしているわけでして。ですから、あまり大声を出さないでいただけると助かります」
「業務上って……」
「すみません、実は事情がありまして」
そこで不信感を解くべく説明を加えようとした矢先、遠くから勇ましいサイレンの音が鳴り響くのが聞こえた。
見れば、一台のパトカーがかなりのスピードでこちらに近づいてきている。能登の知るかぎり、こうした状態にあるのは容疑者かそれに類する人物を追跡しているとき、あるいは事件や事故があったときだ。だが能登は先ほどからこの交番の前にいる。周辺で異常が起こったような気配はない。
果たしてどこへ行くのかと車道の方を眺めていると、何とそのパトカーが目の前で停車したではないか。サイレンが止まった後、慌ただしげにドアを開けて出てきたのは平越だった。
「能登! 何やってんだ」
「係長、どうしてこちらに?」
「通報を受けてな」
その平越が能登の背後に向かって手を振る。
振りかえると、そこにはいちど奥に引っこんだはずのショートヘアが建物から顔を出していた。平越に呼応するように同じく手を振っている。能登が話をしている隙に連絡を入れたのだろう。かたやボブカットは質問に応じることで時間稼ぎをしていたものと見え、用が済んだためかいつの間にか姿を消していた。
「ということは、私が何をしていたかご存じだったわけですか」
「ああ。一昨日から各署で〝捜査一課の名を騙り、女性警察官ばかり狙う新手のナンパか変質者が出没〟って事案が発生してたんだ。もちろんそのときに警察手帳が精巧すぎるだとか、君のその目立つ名前をそのまま出してるって報告もあったんだが、俺たちが今てんてこまいの状態だってみんな分かってたから、一昨日の段階ではこっちに事実の照会はしないでおいてくれた。緊急の重要案件でもないし、俺たちが手間にならないよう配慮して、君の身の潔白も信じてくれてたんだな。
だが連日となると無視はできん。昨日も何十件と同じ情報が上がってきて、どうも君本人らしいって噂も出始めた。それで今日になって俺のとこに話が来て、午前中からぶっ通し追ってたってわけだ。もし君の姿が確認できたら即、通報するよう各所に依頼したうえでな」
事実、能登は捜査のため一昨日から都内を徒歩と地下鉄で移動し、各所の交番を訪れては今のように女性警察官に質問をして回っていた。とはいえここまでの大事になっていただけでなく、不審者扱いまでされたのはまったくの想定外である。平越の話を受け、能登は少なからず動揺していた。
「苦労したぞ。着信拒否にしてたのも、気づかれたらマズイと分かってたからだろ?」
「はい。最優先でやっておきたかったものですから」
「おい、開き直るんじゃないぞ。とにかくこっちが通報を受けた場所に着いたときにはいなくなってるし、おまけに行き先が分からないもんだから、ほれ、こんな時間になっちまった」
すでに陽は大分、傾いている。連絡が行くといっても、渋滞の多い都内をパトカーで追跡するのは容易ではない。そもそも平越が都内の交番へ要請を出すのにも結構な手間がかかったはずだ。本来は畑違いの捜査一課が関わるべき案件ではないにも関わらず、平越みずからが動いたのは騒動を早期に沈静化するために違いなかった。
「すみません。ですがこれは捜査に必要なことですので」
「話は本庁で聞こう」
能登に悪意がなく、また当然ながら逃げる気配もないのを察したのか、平越は呆れつつも早々に声を落ち着かせていた。上司にかくも寛大な対応をされては大人しく従うしかない。
「かしこまりました。お疲れでしょうから帰りは私が運転いたします」
「頼む」
平越は溜まっていた疲れがどっと出たようで、ドアを開けるなり膝の力を一気に抜くように腰を下ろす。無理もない。一時期の体調不良から脱したとはいえ激務だ。そんな中で余計な労力を使わせてしまったことを能登は心から申し訳なく思う。
「能登、生身の女性に興味が湧いてきたのはめでたいことだが、もう少しやり方を勉強してくれないか。このご時世、こういった類のトラブルをマスコミに嗅ぎつけられたらどうなるかくらい分かるだろう。ただでさえ鳴坂の件が解決していないのに……」
よって個人の趣味をチクリと皮肉られるも、弁明も反論もしない。代わりに上司を労るべく、ハンドルを片手にエンジンをかけながら話を切りだした。
「その鳴坂の件ですが、解決の目途が立ちそうです」
よろしければブックマークや評価、感想をお願いいたします。




