十三 正体表したな ②
「僕を疑ってるわけですね」
「そう見るよりほかありません」
「じゃあ、辻さんの行動はどうなんです? アルバイト先で何か偽装をしてたようなニュースが流れてましたが」
「ずいぶんお詳しいことで。それに今しがたまで辻さんをずいぶん心配していらっしゃったように思いますが」
おのれ愚弄するか! 鳴坂は感情が暴発しそうになるのをどうにか抑えるべく唇を固く結んだ。
能登の口調は従前とまったく違い、実に滑らかになっている。あの店で初めて対面したときと前回はところどころ拙い早口になる場面があったが、この日はそれがない。饒舌といってもよかった。
態度にしてもそうだ。十分な冷静さをもってあからさまに追求してきている。特に先ほどなどは相づちを打つような振りをしておきながら、直後にこちらの心境を複雑であろうなどと皮肉って見せた。今しがたの揚げ足取りにしても然りだ。もし今日ここに能登が現れる前に警戒感を高めていなかったら、とっくにボロが出ていただろう。用心していて助かった。
いや、この件に限らず、これまでも危機と感じれば最悪のケースを想定して事態に備え、知恵を振り絞ってきた。競争の激しいこの業界で生き残るのみならず、こうも早く高い地位まで上り詰めることができているのは伊達ではないとの自負がある。
鳴坂は深く息を吐き、懸命に動悸を鎮めようとした。
「あんなはっきりした証拠を無視して、僕を犯人扱いするなんておかしいと言ってるんです」
「辻さんのアリバイ偽装を無視してはいません。いま鳴坂さんが指摘された点を鑑みると、辻さんが犯行に関与していたのは間違いないでしょう。ただし、アリバイの偽装が自発的な行動とは限りません。あなたが辻さんに指示を出せば、そのように動かすこともできたわけですから。それに、まだ他にもあなたでなければ説明のつかない点があります。
具体的には六名のスマートフォンにあったお互いの連絡先になりますでしょうか。電話番号、メールアドレス、SNSのアカウントなどこれら全てが同じ時間帯に一斉に消去されていたことが分かっています。多分、六名を個別にホテルまで呼び出しても不自然に思われないようにそうさせた。しかし彼女たちも無条件で指示に従うとは思えません。辻さんにその条件を出せるとは考えられないのです。
対してあなたはどうか。十分に可能でしたね。はじめはあなたと六名全員、一対六という奇妙な形でのお付き合いを求められたわけですが、そんなものは彼女たちの仲間意識から来る妥協の産物に過ぎない。何しろ六名の理想はそれぞれ、他の五名を差し置いて自分ひとりが桐ケ谷さんに取って代わることだったはずですから。
あなたはご自身のファンである六名の、その秘められた欲求を見抜いて利用した。『何度か六名と別々に会い、そのうちの誰かと真剣に交際する』などと逆に提案し、トラブルを防ぐ目的と称して六名相互の連絡先を消去することを追加の条件に出した。期間を定めて最後にあなたが交際相手を選ぶので、六名を集めるときにまた交換するようにするから、などと言ったうえでです。結果、思惑どおり六名もそれに乗った。
もちろんその際、あなたは六名にご自分の連絡先は教えなかった。代わりに教えたのはあなたが手に入れた飛ばしのスマートフォンの電話番号だけ。考えてみれば、辻さんに対しても電話番号しか教えていませんでしたね。そちらの場合はメールやSNSのメッセージを保存されるのを防ぐのが目的だったと思われますが、極力、証拠を残さないよう連絡手段を限定するというのがあなたのお決まりの手口だったのでしょう。
ともかくそうやってダミーにした飛ばしのスマートフォンは、六名を殺した後で遺書と一緒にポストに入れて辻さんが使ったもののように見せかけた」
「そんなにうまくいくはずがない。それに電話番号がどうこうと言うんだったら、いま刑事さんが話に出したスマホを調べたらどうです? 彼女は相模大野に住んでた。新百合ヶ丘駅の近くでバイトしてたらしいですから、自宅やその辺りから発信があったかどうかはちょっと問い合わせればすぐに分かるんじゃないですか?」
「それも調べがついています。たしかに新百合ヶ丘駅ちかくからの通話記録は確認できています。しかし、だからといって辻さんがあのスマートフォンを使っていたことにはならない。あなたの自宅であるここは京王線若葉台駅からかなり近いところにありますが、同時に小田急線はるひ野駅へも徒歩でのアクセスが十分な可能な位置にあります。仕事の帰りに小田急線を使えば難しい話ではありません。
さらに言えば、もしあなただとすると辻さんを毒殺した方法にも説明がつきます。辻さんの殺害に使われたシアン化ナトリウムは、果樹の害虫駆除にも利用されるものです。あなたのご実家は農家で果樹園を営まれている。事件の前に桐ケ谷さんを連れて帰省されていましたね。そのときに簡単に入手できたはずです。あとは辻さんを食事に誘った際、プレゼントを渡す振りなどをしていちど注意を引き──あの部屋の窓の外にはペアリングが落ちていたわけですが──そういったものを使い、隙を見てあのカルアミルクに毒物を入れた」
小田急線の利用と毒物の入手経路、辻を毒殺した手口はそのとおりだ。特に帰省の時期まで掴んでいたことには驚かされる。おおかた事務所にでも問い合わせたか、そこで拒否されたのであればタクシーの運転手か両親あたりに訊いたのだろう。何にせよ、これらの点で能登の推理は当たっている。
ただし、そこにはきわめて大掴みながらという注釈が入る。捜査は容疑者たる自身を逮捕できるほどには進展していないのではないか、との期待は逆に膨らんでいた。
「そこまで言うなら、僕を捕まえればいいでしょう。ただし冤罪です。それがはっきりしたときには大変なことになりますよ」
「お急ぎになる必要はまったくありません。いま申し上げたのはあくまで庁内に複数ある見解の一つです。毒物についてもいちいち分量までは管理されていなかったそうですから、確定できてはいません。しかし、入手は可能だった」
やはりだ。鳴坂は能登に勘づかれないよう密かに胸を撫で下ろすとともに、話の主導権を奪い返そうとした。気圧されて後手に回ってはいけない。今度は鳴坂から口火を切る。
「刑事さん、僕が毒物なんかに手も触れていないといっても平行線ですよね。埒が明きませんから、そこは終わりにしましょうよ」
「まあ、その点については仰るとおりです」
能登が目をしばたかせるのを見やりながら、鳴坂は反攻に出た。
「それにですね、あの事件が辻さん単独の犯行じゃないとしても、だから僕が犯人だっていうのは乱暴すぎやしませんか。だいたい、いろんな矛盾が出てきますよ。
まず、彼女に対し僕がアリバイの偽装だけを指示したら疑問に思うはずです。その後で毒殺しようにも、警戒されるような気がしますが。あと、僕が前にお話ししたGPSについては調べていただけましたか?」
その一手がこれだ。事件当時に自身がどこにいたかを確認するよう、あらかじめ鳴坂の方から促してある。警察がウラを取る確信があった。だが能登は引き下がらない。
「はい。GPSで位置を特定したところ、たしかにあなたのスマートフォンはこのご自宅にありました。ですが、それもあなたご自身がここにいたことの証明にはなりません。あなたが六名を殺害するために外出している間、代わりにこの部屋に置いておいたスマートフォンを操作するよう辻さんに指示していたと考えれば辻褄が合うからです。
むしろアリバイ作りに協力さえしてくれれば桐ケ谷さんと別れる、危ない轍は踏ませない、などと言って辻さんを引き入れたのではありませんか? これもあの六名を意のままに従わせたときと同じ、相手の欲求を利用したやり方になりますね。
先ほどお話させていただいた、アルバイト先のデータ改竄にしてもそうです。あなたの真の目的はあたかも辻さんが犯人だと周囲に思わせることでしたが、辻さんにはそれを巧妙に隠した。辻さんに対しては、捜査の対象にならないようにと説明した。あなたは辻さんを心から大事にしている、そう思いこませるのにうってつけの理由でもあった。これは毒殺のときに警戒されにくくなる点でも、都合がよかったはずです」
「ひどい言いがかりだ。刑事さんの話は理屈だけは通ってるけど、でもそれだけで僕があのとき外出していた証拠にはならない。
あと言い忘れてましたけど、警察の方で保管されているスマートフォン本体は調べてもらえましたか? 僕は事件にいっさい関わってないから、指紋なんか出てこなかったはずです。逆に彼女の方はどうだったんです?」
それでも鳴坂は攻勢を保つが、能登はまたも動じない。
「検出されたのは辻さんの指紋でしたが、それこそあなたが犯行に関与していなかった証拠にはなりません。あなたが使用したあとで機器の表面を丹念に拭き、最後に辻さんに操作をさせたと考えれば説明がつくからです」
どんな頭をしているのか、能登は鳴坂の問いかけにすぐ正解を出してくる。しかしまだ攻め手を残している鳴坂は、間髪入れず後に続ける。
「何を言っても僕が犯人ですか。話になりませんね。だいいち僕のSNSの発信についてはどうお考えなんですか? こっちも前にお話ししたことですが、事件があった夜に僕は脚本を脇に置いて放送を観ていた。あのセリフがアドリブだってことは、リアルタイムで番組を観てなかったらぜったい分からないはずだ。警察ではその件、確認していただけましたか?」
「はい。あなたの証言のとおりでした」
「そもそもあの六人が亡くなった日の夜、僕は製作会社のスタッフと電話してるんですよ。しかも二十時半より少し前くらいに。日付が変わって深夜一時にもコンビニに行っている。これも確認していだけましたよね?」
その攻め手とは、鳴坂が自らのために確保したアリバイだ。これは簡単には破れないはずだとの自信があった。
「はい、こちらもあなたの仰るとおりでした。ご自宅の固定電話からの通話記録がありましたし、コンビニについても店員さんからの証言と防犯カメラの映像で確認できました」
「いいですか。八時半から二十三時半過ぎの間のたかだか三時間、あるいはそこから深夜一時までの一時間半、そのどちらかの間にここから二十三区内の六か所で一人ずつ殺して回り、またここに戻ってくる。いちばん遠いのは新木場でしたか。そんなことが出来ると思いますか?」
「不可能でしょうね。つけ加えさせていただくなら、死亡推定時刻との関係から前者の三時間はあり得ないことが分かっていますので」
「じゃああの日、僕が犯罪に使えたのはたったの一時間半。ますます無理だ」
「まあ、そうした答えになるわけですが」
能登がほとんど間を置かずに視線を横へ逸らすのを見、鳴坂は小さく首を捻る。事件現場へ移動可能だったか否かは警察で検証済みなのだ。それでいながら、この場で組織内部の動きを知らせるとはどういうつもりなのだろう。
だがそんな些末なことを気にしている場合ではない。答えに窮する相手をねじ伏せるのであれば今が好機と捉え、一気に畳みかけた。
「ちなみにもう把握しているでしょうが、僕は免許証も持っていないし、自家用車もバイクもありません。レンタカーも借りてません。何だったら、都内のリース会社を一つ残らず調べてもらっても構いません。どうせですから都内のタクシー会社も一緒に。というより、そうしてください。お願いします。僕の存在はまったく確認できないはずです。なぜなら僕はその場所に行ってもいないし、殺人も犯していないんですから」
しかもそこで高圧的にならないよう努め、かつ能登を前に必死な様子を演じてみせる。同時に自分は本当に無罪なのだ、だからこそ事件を起こし得ない旨を懸命に訴えかけているのだと言わんばかりの表情をこれでもかと見せつけた。
ところが能登はなおも一歩も引かず、にわかに立ちあがって鳴坂を見下ろす。
「ひとまず現時点では、まだ捜査が足りないようです」
「これだけ言っても、まだ僕が犯人だと言うんですか? メチャクチャだ。移動が不可能なのに、そんなのが通るわけがない」
「では仮に移動時間の問題が解決できたときには、またお伺いしてよろしいですか?」
鳴坂は、能登が話し終える前にゆっくりと腰を上げていた。上から見下ろされる姿勢が我慢ならなかったからだ。疑いたければ疑うがいい、アリバイを崩せるものなら崩してみるがいい。警察が現状の認識でいるかぎり、真相が暴かれることはない。やがて視線の高さが等しくなると、鳴坂は能登に挑戦の意図を叩きつける。
「いいですよ。そのときはまたお越しください。捜査もご自由にどうぞ。ただし、公私を問わず僕に不当な不利益が生じたときは承知しませんよ。ウチの事務所も黙っていませんからね。
それにしても刑事さんとは仲良くなれると思ったのに、たいへん残念です。僕としては警察の方に事件を解決してもらいたい気持ちで一杯なんです。僕を犯人に仕立てあげる以外のことでしたら、いくらでも協力します」
「元よりそのつもりです。何より真相究明、事件の解決が私どもの職務ですので、そのときはお言葉に甘えさせていただきます」
そうしてテーブル越しに睨みを利かせた。その間、どれくらいの時間が経過しただろう。実際にはほんの十数秒程度であったかも知れないが、鳴坂には相当に長く感じられ、いつまでも同じ姿勢でいなければならないのかとさえ思われた。
しかしついには能登の方が先に目を逸らす。
「では、本日はこれで。失礼しました」
ただし根負けしたわけではなく、これ以上ここに滞在しても益はないと見切りをつけたまでのようだ。最後には手早く荷物をまとめて部屋を出ていく。
後に残された鳴坂は、扉が閉まるのを確かめるや拳をテーブルに叩きつけた。冷えた緑茶が茶碗の中で小さく波打つ。
食わせものの刑事め、小賢しい!
胸中で罵りつつ、声にならない声をあげて歯ぎしりをしていた。
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