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十三 正体表したな ①

 それから四日後の午後、鳴坂はひとり自宅のリビングに佇んでいた。

 折り入って話がしたいと、能登から申し出があったためだ。

 したがって鳴坂は、何もできないでいた。普段なら暇さえあれば台本に目を通すなど仕事の準備をするところなのだが、この日に限ってはどうあがいてもその気になれなかった。

 自宅に刑事が来ると聞けば嫌でも緊張する。前回までは外で立ち話をする程度で済ませていたのに、わざわざ先方から場所を指名してきたのがそれに拍車をかけていた。大した用事でないのであれば、スタジオの近くなどで事足りる。そうでないのは、今回の用件にただの報告や単純な事実確認以上の深刻な内容が含まれているのではないかとの疑念が何度も頭の中を巡ってしまう。報道によれば容疑は辻に向けられつつあるらしいが、訪問の目的は明らかにされていない。

 鳴坂はテーブルに肘をつきながら両手で顔を覆い、高まる不安を打ち消そうとした。

 物証は残さなかったはずだ。この事件が思いどおりに終結すれば、理想の人生を送ることができる。それを確定させるためには下手を打ってはいけない。警察を含め、周囲に対してはあの事件など関わりがない、むしろ巻きこまれた被害者だという姿勢を貫く必要がある。

 今日はそれを堂々と見せつけるのだと自らに言いきかせるうちに、インターホンが鳴らされた。

「いま着きました。私です。能登です」

「お待ちください。いま開けますので」

 マイク越しに聞き覚えのある声を耳にしてドアのロックを外すと、これまでと同じくうだつの上がらない格好の能登が姿を現した。

「いや、ギリギリになってすみません。余裕をもって出てきたつもりでしたが、思ったより時間がかかりまして。何しろ途中の乗り換えで意外に時間がかかってしまって……」

「それは大変でしたね。まずはお上がりください」

 その能登が靴を脱ぐ様子を、鳴坂はそれとなく眺める。印象は前回と変わらない。ずいぶんのんびりとしており、およそ刑事らしい俊敏さとはほど遠い。

「僕はここから都心へ行くのに慣れてますから不便は感じないんですが、刑事さんは気を付けないと手間取るでしょう?」

「はい。乗った電車も新宿止まりでして、いちど降りたあとでなかなか次の電車が来なくて」

「分かります。こっちに引っ越してきた頃は、僕も何度かやっちゃいました。直通でこっちに来る電車の本数が少ないんですよね。さ、あちらへどうぞ」

 奥のリビングへと促しても、床へ上がった能登はきょろきょろとその場で辺りを見まわしている。相変わらずばたついた動きだ。この調子なら大したことはないのではないか、向こうがそのつもりでもうまくやり過ごせるのではないか。鳴坂は思わず気を緩めかけた。

 しかし次に能登が口を開くと、すぐさま警戒感が舞いもどる。

「今日はお一人で?」

「ええ。萌は仕事です」

「その方がよろしいかと存じます」

 話の内容が望ましからぬものである場合、萌が同席するのは望ましくないとの考えから鳴坂は自宅に一人でいる時間を選んでいた。その判断が正しいというのは案の定、危惧していたとおりの用件なのかと考えざるを得ない。おまけにどうしたわけか、今日の能登は声に落ち着きがある。まるでこちらの対応を見越しているかのようだった。

「刑事さん、まずはお座りください。今、お飲み物をお出ししますから」

「では、お言葉に甘えて」

 能登が腰を下ろすのを見やり、鳴坂は胸の動悸を抑えながら緑茶を淹れた。茶托と茶碗を二つずつ盆で運び、テーブルに置く間にも神経が張りつめていくのが分かった。

「いただきます」

 熱い茶にほんの少し口をつける能登の対面に座りつつ、鳴坂は自らに投げかけていた言葉を胸の中で反芻した。緊張しすぎるな。かといって隙は見せるな。どんな話が出るかはじきに分かる。万が一に備えろ。自分は犯罪など冒していない。ただ犯罪者の役を演じているだけだと。するといわゆる〝役に入った〟状態となり、肩に入っていた力が適度に抜けていった。そのおかげで、しばし辺りを包んでいた静寂を破る余裕すら生まれてくる。

「で、刑事さん、今日はどうしてこちらに?」

 もっとも能登は、そんな鳴坂の心中など構わないといった仕草で茶碗を置く。

「鳴坂さんに三つご用件がありますので、お邪魔させていただきました」

 次いで視線が合うのを待ち、口を開いた。

「一つめがやはり辻さんは自殺ではなく、少なくとも単独で事件を起こしたのではなかったというご報告です」

 鳴坂は、顔の筋肉が強ばるのを感じた。話の方向性はあらかじめ予想できていても、刑事から直に聞かされると衝撃は大きい。それでもすぐに先ほどの心構えを思い出し、能登に聞こえるようにはっきりと溜め息をついた。

「そうですか」

 しかし能登は意外そうな視線を送ってくる。

「あまり嬉しそうではありませんね。鳴坂さんのお話のとおり捜査をさせていただいた結果なのですが」

 鳴坂はそこですぐに思い出した。前回、能登に会ったとき、辻のアリバイが存在しないことを警察に認識させる狙いでその有無を確かめるよう自ら進言したではないか。

「いいえ。ただ、よかったと言えばいいのか、逆に殺されたとなると……」

「たしかに、複雑なお気持ちにもなられるでしょうね」

 この能登とかいう刑事は、妙に言うことが変わる。どう受け答えをすればよいか困る男だ。鳴坂は内心では苛立ちながらも、これまでと同じ態度を繕う。

「はい。あれだけの凶悪な事件が辻さんの犯行ではなかった、もしくは一人で手を汚したわけではなかったということが分かっただけでも救われたような気がします」

 くわえて視線を落とし、改めて後悔の念があるかのように呟きにも似た弱々しい声を発してみせる。ここで異を唱えてこないところを察するに、ひとまず凌ぎきれたか。

 鳴坂は少しだけ安堵するも、次に能登が話を再開させた途端、先ほど生まれた余裕がほとんどなくなる状態にまで一気に追いこまれた。

「混乱されているところ申し訳ありませんが、さっそく二つめの用件に入らせてください。ぜひ確認しておきたいことがありまして。鳴坂さん、以前、私に事実と異なる回答をされましたね?」

「何のお話をされているんですか?」

 明言されたわけではないにせよ、鳴坂は疑惑が辻から自身に移ったのを瞬時に覚った。能登は目つきこそまだ鈍いものの、声にも鋭さを込めるようになっている。

「あなたと辻さんのご関係についてです。以前にお訊きしたとき、あなたは付き合いの長いファン、異性のご友人だと答えられた。ところが実際は違ったのではありませんか? あなたと辻さんは男女の関係にあった」

 とはいえ感情に奔るのは禁物だ。この時点では未だ推測の域を出ていないのかも知れない。鳴坂は事情が呑み込めないといった風に困惑したふりをした。

「どうしてそんな事を言われるんですか?」

 ただ、それも無駄だとすぐ思い知らされることになる。能登がポケットから出した写真に、プラスチックケースに入れられた人のものと思しき二十本ばかりの毛が写っていたからだ。いずれも妙に太く縮れている。

「これですよ。辻さんの部屋から見つかったものです。以前、ご提供いただいた毛髪と照合させていただいたところ、見事にあなたのものだとの鑑定結果が出ました」

 そこで鳴坂は状況を理解した。

 あの女、止めろといっていたことを密かに続けていたとは! 鳴坂もそれ以外は許し、むしろコスチュームや道具でいろいろ楽しんだのは事実だが、体毛フェチなどというマニアックな性癖にここまでの執着があったとは思いも寄らない。今さらながら腸が煮えくり返る。ましてや死してなおこちらの足を引っ張るような真似をしてきたと考えると、いっそう強い怒りが湧きあがった。

 だが、あんな女のせいで捕まるなど真っぴら御免だ。ここに来ているのは能登ひとりで、今すぐ逮捕するつもりではないはず。だとすると、警察もそこから先の事実は把握していないのではないか。ここで白旗を揚げるなど言語道断だ。

「単なるご友人という関係であれば、このようなものが出てくるはずがありません。お認めになりますね?」

「ええ」

「なぜ最初からそう仰ってくださらなかったのですか?」

「ご存じのように、僕は結婚を控えている身です。もし公になれば将来がメチャクチャになる。何より目の前で命を落としたのがそういう相手だと知られたら、真っ先に怪しまれる。だから言わなかったんです。いや、正確に言えばそれも過去のものです。すでにお互いの合意のうえで関係は解消し、半ば腐れ縁のようなものになっていたんですよ。

 刑事さん、たしかにそのことについては認めます。でも満足ですか? このあとどうするつもりです? 今の話を週刊誌にでも売りますか? きっといい値段で買ってくれますよ」

 その鳴坂はいかにも秘密を暴かれて取り乱した素振りを見せつけてから、責めるような能登の視線を受けて気圧された体をとり、顔を逸らし小さく項垂れる。

「すみません」

 この演技を真に受けたかどうかはともかく、能登は一応のところ律儀そうな態度を示した。

「守秘義務は守ります」

 だが当然ながら、帰ろうとはしない。それどころか、先ほどより目に力を込めて顔を覗きこんでくる。

「ですので、三つめの用件に入らせてください。ここからが本題になりますので。もっとも今の話の続きに……いえ、話というよりは私からの意思表示になりますでしょうか」

 何を言わんとしているかはほとんど予測がついていた。しかし鳴坂はそれを出来るだけ早く能登の口から聞きたかった。どう対処するかを頭の中で練りあげる必要がある。そのためにあえて話の続きをするよう促し、なおかつ募る焦りを隠すべく声を荒げるような真似は努めて避けたつもりだった。

「僕もスケジュールに余裕をもたせてはいますが、あまり遅くなるとこの後の仕事に支障が出ます。内容はできれば簡潔にお願いします」

 それでも言葉の端々に棘が出てしまい、完全に平静を装いきることはできなかった。能登がこちらの様子をじっと観察しているのが分かったからだ。

「かしこまりました。ご要望に応えるのは難しいかと存じますが、申しあげます。

 これまで私たちはおおむねあなたの証言に沿って、つまりあなたと辻さんはさほど深い関係にないという前提に立って捜査を行ってきました。もちろん何の根拠もなく信用したわけではなく、ひととおり裏付けをとったうえでのことです。

 しかし私たちの間で結論は固まりませんでした。なぜなら説明のできない事柄が幾つも出てきたからです。

 たとえば遺書の中身です。書かれていた内容によれば、伊崎さんたち六名が写真や動画を撮影して辻さんを脅迫したようですが、コンタクトを取った方法が謎のままです。辻さんはスケジュールも何も公開されていない一般の方ですから、後になって捕まえるのはほとんど不可能なはずです。

 また辻さんがあなたの名を騙って六名をホテルに呼び出したとも書かれていましたが、その際、どうやって抵抗もされずに殺すことができたかも分かりません。本来はあなたが来るべきところに辻さんが現れたら、普通は警戒するでしょう。それなのに六名いずれの遺体にもホテルの部屋にも抵抗の形跡がなかった。他の部分で記載があったとおり、ボイスチェンジャーを使って扉越しに声だけを装って奇襲をかけたという考え方もできますが、電話ならともかく生の声でどこまでそれができたかは疑問です。

 他にもあります。遺書そのものです。使われていたのは普通の印刷用紙で、人が触れれば指紋がつきます。にも関わらず、遺書にまったく指紋がついていなかった。よって遺書は何者かが作った偽物で、辻さんは自殺ではなかったことになる。

 そうなると怪しむべきは辻さんの周りの人物です。ところが辻さんが亡くなられた夜にあのお店に来られていたお客さんをいくら調べても、あなたが席を外している隙に個室に出入りしたと思しき人物は見つからなかった。お店に直に足を運ぶことなく辻さんを騙して毒を飲ませたのではないかとも考え、スマートフォンに登録されていた連絡先やアルバイト先のお友達なども当たりましたが、こちらでもそれらしい人物は出てきていません。この時点で、警察としてはお手上げということになってしまいます。

 ただし〝あなたが事件と無関係である〟という前提を取り払えば話は別です。

 あなたは桐ケ谷さんとの結婚が間近に迫り、辻さんが邪魔になっていた。あなたは先ほど関係は過去のものだと仰いましたが、そうではなく現在進行形だった。しかもそこへ来てご自身のファン六名に密会現場を目撃され、脅迫された──六名が脅迫したのは辻さんでなくあなただった。あなたは辻さんもろとも全員を殺す計画を立て、直にそれぞれのホテルで警戒されることなく六名を次々と殺害した。そして偽造した遺書を例のマンションのポストに入れ、罪を辻さんに着せるべく毒殺した。しかし遺書に辻さんの指紋はつけられなかった。

 このように考えれば、より自然な筋道がつきます。六名は公開されているあなたのスケジュールを確認して待ち伏せをした。抵抗した形跡がなかったのも、ホテルに現れたのがあなただったから。疑問点もすべて説明できます。

 したがって警察(われわれ)としては、捜査方針を変更せざるを得ません。今後は、あなたの容疑を固める方向で捜査を進めてまいります」

 遺書の指紋に関しては、こうなることは織り込み済みだった。小ビンにつけたのと同じ要領で遺書に指紋を付着させる選択肢も頭には浮かんだが、警察に所持品を見られる危険があり、またマンションのポストへ投函するより早く捜索をされた場合に自殺と思わせる機会がなくなるため断念したのだ。

 いっぽう六人の行動については、たしかに指摘どおり見落としではある。とはいえ、それとて状況証拠の一つに過ぎない。鳴坂はさも心外といった体で小さく声を震わせた。

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