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十二 たしかな証拠です

「能登、収穫はどうだった?」

 帰庁した能登を待っていたのは、平越からの質問だった。わざわざ歩み寄ってこないまでも、椅子から立ちあがるのを見るに朗報を待ちこがれていた様子が窺える。辻のアルバイト先の人物を洗いだしてはいるものの、現状まったく手がかりが得られていないことを思えば自然な反応だ。

「ありました。しかも、二つも」

「おお。そうか」

 平越の声はどことなく調子がよさそうで、目元も心持ち柔らかい。能登は自らも似たような表情であろうと思いつつ、同時に上司とはおそらく意識に隔たりがあることも自覚していた。

「ただし、係長のお考えとは別の方向かも知れませんが」

「何だって?」

 いっぽう平越は能登の答えが意外だったらしく、あからさまに訝る反応を見せる。欲しかった答えが出るだろうとの期待が、ほとんど出鼻を挫かれる形で裏切られたといったところだろうか。

 だが能登としては、上司の機嫌を取るより報告の方が先決である。こちらの意図を伝えるためにまず証拠を見せるべく、手袋を嵌めて辻のポストに入っていた包みをデスクに置いた。

「細かいご報告をさせていただく前に、こちらをご覧いただければと」

 そして中身を開けてみせる。

 姿を現したのは、女性向けアダルトゲームの意匠が凝らされたマウスパッドだった。しかも単にロゴが記されている、あるいはイラストが描かれているといった控えめな彩色や形状のものではなく、一人の男性キャラクターが大胆に脚を広げて性器の形を強調する姿を象った非常にいかがわしいデザインが施されている。

 するとこれを目にした平越は眉を顰め、能登から距離を置くように上体を小さく後方へ逸らした。近くにいた同僚たちもただならぬ雰囲気を感じとり、収穫物を検めるや意味ありげに互いの顔を見合わせる。のみならず、うち幾人かは「能登の趣味はあんなに広かったのか」といった明らかな失笑交じりの囁き声まで漏らしはじめた。

「これが収穫物か」

 しかし能登はいずれの雑音にも構うことなく、平越の質問に答える。このマウスパッドは個人的な趣味嗜好から大きく外れているため、私的に利用するつもりなど毛頭ないからだ。何より、今後の捜査に大きな影響を及ぼす証拠品であると真剣に考えている。

「はい。辻のドアポストに入っていました」

「最初の家宅捜索で、そこは確認したろう。見落としか?」

「いいえ。間違いなく前回はありませんでした」

「じゃあ、どういうことだ?」

「お待ちください。いまそれをご覧に入れます」

 その能登は椅子に座ってパソコンを立ちあげ、インターネットブラウザを起動し、女性向けアダルトゲームのグッズ販促ページと通販サイトを表示させる。どのような経緯でこのマウスパッドが届けられたかは移動中に調べがついているが、やはり根拠を提示して話を早く進めたかったのだ。

「これでお分かりになるかと思います。辻さんはこのマウスパッドを通販サイトで予約していたに違いありません。ただし当時はまだ商品は製造中だったか、予定していた期日より前だったために発送されていなかった。配達されたのはその後、我々が最初に自宅を捜索してから今日までの間だったというわけです。ここに予約開始日時が記載してありますね」

 能登が指をさした部分には、はっきりと日時が記されている。平越は隣の席に腰を下ろしざまそれを読みあげた。

「二月一日。辻が死亡したのは二月四日。つまり……」

「はい。自殺しようとする人間は、その三日前にこういった商品を注文したりしません」

「つまり他殺か」

 なればこそ、能登はこの卑猥なマウスパッドを速やかに押収したのである。

「そのように考えるのが、自然かと思われます」

「だが、スマホやパソコンのメールに通知は来てなかったぞ」

「すでに削除済だったのかも知れません。メールだけでなく、もしかするとアドレスごと。それに辻はアルバイト先の漫画喫茶を、ときどき客として利用していたようです。そこから注文していたとしたら、いくら自宅のパソコンを漁ってもメールは出てきません」

「そうか! 見逃してた。さっそくバイト先のパソコンも調べさせよう」

 漫画喫茶のパソコンを使用していた可能性は能登もつい先ほど思いついたばかりだが、それを失念していたことを平越はより強く恥じているようだ。すぐさま部下に新たな指示を出そうとしながらも、明らかに目を泳がせる様が見てとれる。

「試してみる価値はあります。ただ、事件との関連性は……」

「とにかくやるぞ。そこから何か分かるかも知れん」

「係長がそう仰るのであれば」

「それにしても何でこのマウスパッド、自宅から注文しなかったんだろうな?」

「あくまで推測ですが、こうした商品を注文するのにやはり羞恥心がはたらいたのではないでしょうか」

 部屋にあそこまでの数のコスプレ衣装を揃え、なおかつラブドールまで購入しておきながら今さら羞恥もないだろうと能登は思いつつ、いま目の前にある商品を堂々と買うのにはまた別の勇気も必要かも知れない、もしかするとそれら全てを漫画喫茶のパソコンから注文した可能性もあるのではないかと想像力をはたらかせる。もっともその場合は、自らのあられもない欲望がふとしたきっかけで第三者の目に晒される恐れもあるのだが。

 そこで無意識のうちにまたも死者を冒涜しかねない、と小さくかぶりを振った矢先に平越の声で我に返る。

「しかし辻が犯人じゃないとしたら、六人が殺された日の行動はどうなる? オフだったスマートフォンのGPSが、自宅の前でオンになった。飛ばしのスマホでもバイト先の近くから電話をかけてた。それだけじゃない。職権を使って漫画喫茶の利用履歴まで改竄してた。怪しい動きをしてるのは確かなんだ。これらはどう説明するんだ?」

 そうだ。気を散らせている場合ではない。報告はこれからが本番なのだ。能登は気を引き締めて続けざまの質問に答える。

「GPS情報は、あくまでスマートフォンの位置を示しているに過ぎません。辻さんが何者かの命令を受けてあのスマートフォンとご自分本来のものを持ち歩き、操作していたという解釈もできます」

「だったらそいつを探すために、なおのこと漫画喫茶を当たらなきゃならん」

「もちろんその必要はあるでしょう。漫画喫茶で作成したアカウントで何かしらのやりとりをしていたことも考えられますから。ただし辻さんに指示を出していた人物、もしくはその候補はもっと早い段階で判明するかも知れません」

「どういうことだ?」

「その手がかりとなるのが、もう一つの収穫物です」

 さらに疑問を口にする平越の前で、今度はカバンからフェイクブックを取りだした。次いでデスクの上に立たせ、天地と小口を指し示してみせる。

「これは本……じゃないな」

 能登はその後で蓋を開け、例のプラスチックケースを露わにした。

 平越は手袋を嵌めたうえでケースを掌に載せ、それを目元まで持ちあげてまじまじと覗きこむも、内容物が人間の毛髪以外の体毛だと分かるや否や慌てて手放す。職務遂行のためであればいかなる証拠物件への目視を行い、ときには物理的な接触さえ迫られる刑事部に長く籍を置いていても、こうしたものが不意に飛びこんできては平気ではいられないようだ。

「これはどこにあった?」

「本棚に紛れていました」

 初回の捜索は、辻が自殺か他殺かを確認するのが主な目的だった。そのせいで遺書が発見された途端に後の作業が形骸化してしまった部分は否めない。平越も結果に異を唱えなかっただけに能登を咎めるのは気が引けるようで、苦しまぎれとばかりに労いの言葉をかけてくる。

「よく見つけたな」

「たまたまです。勘といったところでしょうか」

 ただ一方で、能登も答えに窮する。よもや我が家にもフェイクブックがあるから気づいたなどとは言えない。下手ことを口走れば何を隠しているのか詰問されてしまう。

 そんな胸の内などあずかり知らぬ平越が溜め息をつく。

「で、これが誰のものだか分かった段階で捜査が大幅に進むと考えているのか?」

 能登は話の筋が元に戻ったのに安堵し、首を大きく縦に振った。

「はい。今のところ、事件の真相として二つの可能性が考えられます。

 一つは辻さんが単独で六名を手にかけ自殺した可能性。ただし、私はこの線は薄いと見ています。あまりにも不自然な点が多すぎるからです。これは係長もご同意いただけるものと存じております。

 もう一つは辻さんが何者かの指示を受けて行動した後に毒殺された可能性。もしそうであれば指示役、主犯は辻さんとは何か深い関係にあったものと思われます。私の念頭にあるのはこちらです。しかしそれが誰なのかは未だに把握できておりません。

 そこで、このプラスチックケースの中をもう一度ご覧ください。

 これらは本数から推測するに相手の身体から抜け落ちたのを拾ったか、気づかれないうちに引き抜いたかのいずれかの方法で意図的に収集したものに違いありません。そしておそらくそのような行為に及ぶ相手とは、肉体関係にあったのでしょう。言い換えれば深い関係です。

 つまりこの陰も……いえ、まだ分かりませんね。体毛の元の主が、辻さんを操っていた人物、主犯なのではないかと」

 捜査において毛髪の類は人物を特定する重要な証拠となる。他の事件と同様、件の個室バルでも辻と鳴坂以外の第三者が紛れこんでいなかったかどうかを確認するため、個室を徹底的にさらっていた。むろん、当時店にいた全員の毛髪も採取している。

「ちなみに能登、訊いておくが当たりはついているな?」

 事件発生直後、能登と平越のみならず警察の人間ほぼ全員が他殺の可能性を視野に入れていた。その後、幾らかの聞き取りや検証を経ていったん辻の自殺という見解に傾きかけたのだが、ここへ来て再度の転換である。そうなれば当初の想定に戻るしかない。

「はい。係長もご存じのあの方と考えております」

 平越が顔じゅうに険を走らせる。

 しかしそれも首肯できる話だ。もし能登と考えが一致しているとしたら、また一大事となるのだから。とはいえ真相究明に向けて大きな一歩となる可能性が高い以上、躊躇している暇はない。平越も覚悟を決めたと見え、やや間を置いてから口を開く。

「いいだろう。今すぐDNA鑑定にかけて、まずは調査済みの毛髪と照合させよう」

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