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十 私だけが知っている

 辻の住んでいた相模大野のマンションに、所轄の刑事ひとりと捜査員ふたりが入っていく。その彼らの背中を玄関からやや離れた位置で見送る、ごくありきたりないでたちの男がいた。

 能登だ。平越の指示に従って証拠物件を探しに来ているのだが、典型的な一人暮らし用の1LDKに四人全員が一度に入っては邪魔になるという配慮から、捜索はひとまず他の三人に任せていた。

「寒い中、本当にすみません。こちらの都合で二度も」

 また隣には年配の女性がいる。このマンションの管理人だ。捜査の開始時と終了時に部屋の鍵を開閉する必要があるため、立ち会いを依頼していたのである。

「大丈夫ですよ、お気遣いなく。それにしても警察の方も大変ですねえ」

 能登はそのまま、しばらく黙って捜査員たちの作業を眺めるつもりだった。若手といえど捜査が難航しているせいで疲労が溜まっており、少しの間だけでも心身を休めようとしていたのである。

 ところが、管理人はそんな能登の事情などお構いなしに声をかけてくる。

「刑事さん、お忙しいところでしょうけど、亡くなられた辻さんのご両親の連絡先をご存じありませんか?」

 どうやら困りごとがあるようだ。となれば無視をするわけにはいかない。

「いいえ。私たちも色々と調べたのですが、把握できておりません。いずれはご家族のどなたかとお会いしなければならない訳ですけれども、今のところ事件に関わりないとの判断からそちらは後回しになっておりまして」

 実際に辻の所有物をいくら調べても、両親はもちろん親族らしき人物の連絡先はひとつも出てこなかった。おそらく親兄弟とは絶縁状態なのだろう。住民票上の両親の所在地こそ掴んではいるものの、現地にはそれらしい住居すらなく未だ接触できずにいる。

 もっとも、この手の苦労は警察に留まらない。

「そうですか。実はお部屋の荷物の引き取り手がなくて困っているんです。刑事さんならご存じかと思ったんですけど」

「本当に私は存じあげませんので。それに、たとえこちらで承知していてもお教えすることはできません。個人情報の目的外使用になってしまいますし」

「今はそういうの、厳しいんでしたね。ご無理を言ってすみませんでした」

 大家や管理人は、入居者の死亡に際してかなりの負担を強いられることがあるという。その切実さは目の前でぼやきを聞くと大変よく分かる。能登は頭を下げずにはいられない。

「こちらこそ、お力になれず申し訳ありません」

「そんなに謝らないでください。どちらにしろ警察の方たちもご存じないんですから。私たちでどうにかするしかありません」

 するとそのとき、ちょうどドアポストが目に入った。以前とは違い、ほんのわずかの隙間から幾分か紙がはみ出ている。最初に部屋を捜索したとき遺書を発見した場所であるため、所轄の刑事も捜査員も今回あらためて確認しようとは思わなかったのだろう。

「ちょっと、失礼します」

 扉の裏側から蓋を開けてみたところ、中には十数枚のチラシが入っていた。これらを差し入れに来た人物は、部屋の主が存命かどうかを知る術がないのだから仕方のない話だ。だがそのチラシの下に紛れこんでいたらしい、他とは明らかに違う包装物が少し遅れてポストから零れおちて足元に転がる。

 能登はそれを拾いあげ、先行して部屋に入っていた三人に声をかけた。

「ちょっと来てください。ポストに入ってたこれ、お願いします」

 飛んできた捜査員のひとりが、その包装物を証拠品袋に入れた。程なくして奥から出てきたもう一人の捜査員と所轄の刑事も、面目ないといった顔で袋の中身をまじまじと眺める。

「これは見落としてました」

「たいへんお恥ずかしいミスを」

 能登は謝罪を受けるも、早くも別の方に注意を向けていた。今しがた手に取った包装物は一定の価値をもつ証拠品になる可能性があるが、あくまで補足的な役割しか果たせない。それも能登の推測が当たっている場合に限られる。捜査をより大きく一歩前に踏み出す手がかりが別に必要だ。捜索はまだ途中であると理解しつつ、試しに訊ねてみる。

「お気になさらないでください。それより何か他の証拠物件と思しきものはありませんでしたか?」

 だが所轄の刑事から返ってきた答えは、想定内ながら芳しくないものだった。

「すみません。今のところ発見できておりません」

 今さら別の人間が同じ場所を調べたところで、目当てのものが見つかる公算は薄い。この部屋の捜索に当たったことがない者は、ここには一人もいない。先ほどまで外にいた能登も、すでに初回で立ち入っている。それでも本当に証拠がないかどうか、能登は自らの目で確かめようとした。

「私も、見てみます」

 そしてそう言いながら一人と交代で中へ入り、二人を従えて靴を脱ぎ四方を見まわす。

 いちど足を踏み入れた場所ではあるものの、こうしてみると改めて嘆息せざるを得ない。

 実に雑然とした部屋だ。

 まず壁際に並べられたむき出しのハンガーラックが空間を圧迫しており、同時に目に入る服やヨレた下着が今もなお強い生活感を漂わせている。また一緒に吊るされている白一色のスクール水着、バニースーツ、メイド服、ナースウェア、高校の制服らしきブレザーをはじめとするコスプレ衣装がその混沌とした様相に拍車をかけているのだ。

 のみならず、それらが嫌でも生前の趣味を想起させる。おまけに床の上にはギャグボールや電動マッサージ器具といった性玩具が散乱しており、果てはベッドに鳴坂を模したと思しき女性向けラブドールまで置かれている破廉恥ぶりなのである。

 死者を冒涜するつもりのない能登は、視線をそうした嗜好品一式から壁に張られたポスターへと移し、その全てが鳴坂が主演を務めたアニメ作品のものであると確認することで再び捜査に意識を向ける。

 しかし目新しいものは一向に見つからず、逆に徒労感が増してしまう。

 たとえば部屋の隅にある机。上には何も置かれておらず、真っさらなままだ。かつてはデスクトップパソコンがあり、前回の捜索で回収しているのだが、そのときは天板にくっきり残っていた跡が今では薄れている。替わりに辺りに浮き、漂い、こびりつく埃が視界に入ると嫌でも月日の経過が目立ってしまうのだ。

 そのうえ引き出しを開けてみても、収穫は何もない。あるのは鳴坂関連のグッズのみだ。この場所は調査済みであると知りながら、見落としはないかと念には念を入れていちばん奥まで引き出して底面の裏側まで確認しても、やはり何もないのである。そうなると自ずと落胆してしまう。クローゼットの中やバス、トイレを覗いてみても前回と同じで何も発見できない。

 能登はそこで少し息をつき、つい一昨日に判明した事実を思い出す。

 平越と話をした直後、辻と同様に捜査のため伊崎ら被害者六人のスマートフォンの中身を洗いだしてみると、全員揃って互いの電話番号、メールアドレス、SNSのアカウントが確認できないきわめて不自然な状態にあることが分かったのである。そこでデータの復元を試みた結果、やはり従前は六人とも相互の連絡先を登録していたものの、今年の一月十日に一斉に全員分が消去されていたことが判明したのだ。おそらく辻か、もしくはそれ以外の何者かの指示に違いなかった。携帯電話会社やSNSの運営元からも、年明けすぐまでは六人が頻繁に連絡を取り合っていた旨の回答を得ている。

 能登の疑問は時が経つにつれ大きくなっていく。このときもそうだ。

 何のために? そこから捜査をした方がよいのではないか? すでに捜索を始めてはいるが、何かしらの証拠となり得る物件はここにはもう他にないのではないかとの考えが頭に過ぎりはじめる。

 だが何とはなしに足を止めたところに、本棚があった。書籍はどれも表紙から背表紙、裏表紙まできれいに書皮がかけられており、新たにずらされた痕跡もない。棚の部分にも埃が積もっている。捜査員がまだ手を触れていないことが窺えた。

 カバーを外してみると、いきなりあられもない姿の男が目に飛びこんでくる。ページをめくってみても内容はお察しのとおりの漫画で、男同士のカラミがそのものズバリ、遠慮もなくまことあけすけに描かれていた。二冊目、三冊目とパラパラ眺めても中身は似たようなもので、能登はすぐに読むのを止めてすべて棚に戻す。

 ただ、これらを見るに不可解な印象があった。

 遺されたスマートフォンに複数の漫画アプリが、押収したパソコンに大量の漫画画像がインストールされていたことから生前、辻は積極的に電子書籍の類を利用していたと考えられる。にも関わらず、今ここに紙媒体でそれなりの数がある。能登の目にはさほど出来がよくないように映る漫画の単行本が、本棚のどの段にも手前と奥の二列にわたって並べられているのである。

 さらに最上段の奥の列に、洋書風のブックカバーがかけられている一角があった。多分どれも同じだろうといちど思うも、それらのうちの一冊に見覚えがあることに気づく。

 フェイクブックだ。

 能登が所有しているものと若干の違いはあるが、たしか購入する際、通販サイトにこれとほぼ同じ商品が掲示されていた記憶がある。また具体的な説明はできないにせよ、本と呼ぶにはどこか作り物らしい違和感もあった。周囲に取るに足らない漫画本を並べ、その中にフェイクブックを忍ばせておく。そこまで手の込んだ真似をする理由は一つしかない。

 人に知られてはまずいものを隠しているからだ。

 能登は確信をもってそのフェイクブックを棚から抜きとり、表紙を開く。

 するとそこには印鑑を入れるようなプラスチックケースがあり、中に人の毛らしきものが二十本ばかり入っているのが見えた。しかも毛髪ではない。それ以外と思しき太く縮れた毛だ。

 調べてみる価値はある。

「すみませんが、これもお願いします」

 それから所轄の刑事と捜査員に指示を出しつつ、再び辻の境遇に思いを馳せる。

 本来なら望ましくない状況ではあるが、こうして証拠品を見つけることができたのは、事件発生から二週間が経ってなお辻の所有物がこの場に残置されているおかげに他ならない。もし誰かしら親族が現れていたとしたら、これは遺留品として引きとられていただろう。そうなれば恥の感情が先立ち、秘密裏に処分されていた可能性が高い。全ての遺族が捜査を最優先に協力してくれるとは限らないからだ。

 能登はマンションの大家や管理人に申し訳なさを感じながらも同時にこの幸運を噛みしめ、捜査員がフェイクブックとプラスチックケースの両方を証拠品袋に入れるのを確かめて立ちあがった。

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