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九 もっと祝ってくれ

 その頃、鳴坂はスタジオ近くのスパイスカレー店で三人のアニメスタッフと昼食を摂っていた。スタッフのうち一人はADの印南、もう一人は音響監督の佐治、そして最後の一人が紅一点の松崎。作画に携わるアニメーターだ。三人とも年齢や役職はまちまちでありながら、鳴坂は全員と良好な関係を築き、折を見てはこの日のように食事に誘っていた。

「それにしても鳴坂さん、ホントここ最近、機嫌いいですよね」

 スプーンを口に運びながら印南が言う。

 知り合ってからまだ一年しか経っておらず、年下の割に気やすい口を利くのだが、鳴坂は不快ではなかった。自身が売れてからというもの損得抜きで接してくれる同性の友人が少なかったうえ、感覚的に話が合うこともあって個人的に気に入っていたのだ。よって、いつもであれば何を言われてもだいたい笑って返している。

 しかしこのときは多少なりとも思うところがあり、鳴坂は鼻腔に漂うポピーシードの香りを感じながら首を小さく左に傾げた。

「そうかな」

 印南の指摘は身に覚えがない。そもそもプロとして、日頃から可能な限りプライベートが表に出ないように心がけている。たしかにここにいる三人の前では余所より感情を露わにでき、まあまあ気も許してはいるが、最近になって三人への態度を変えたつもりはなかった。言うまでもなくこの集まりも仕事の一環だからだ。

 ところが佐治も同じ意見らしい。香辛料の辛みが舌と鼻に効いていたらしく、マンゴーラッシーを喉の奥に流しこんだ後でひと息ついてからとかなり遅れてではあるものの、何度もの大きな頷きとともに相槌を打ってくる。

「そうだよ。決まってるじゃないか」

「佐治さんまで。どうしてですか?」

 鳴坂は訊きかえすも、はじめ佐治が、次いで印南が当然といった顔で即答する。

「だってアフレコが終わって、お疲れさまです、って言うときの表情がもう違うんだよね」

「顔なんか見なくたって分かるくらいですよ。この間、電話で話したときだって前とぜんぜん違いましたから」

 印南が口にしたのは、二月三日、鳴坂が家を出る前に電話をかけた際のやりとりである。

「えっ、あのとき? あれだけで分かるの?」

 印南に対しよく電話に出てくれた、と鳴坂はひそかに感謝しながら話を合わせた。

「だって普通、スマホなくしたらちょっとは焦るでしょ。でもあのときは妙に余裕がありましたよ。今もですけど」

 とはいえ、自宅の電話から発信があった事実を作った時点で用は済んでいる。仮に繋がらなかった場合には電話線を引き抜き、折り返しに対しては通話中を装うつもりだったため、電話に出てくれるかどうかが事の成否を大きく左右する要素だったわけではない。それでも不在着信ではアリバイとして不自然さが残ることを考えると、印南の応答はやはりありがたかった。

「理由は、はっきりしてますよね。桐ケ谷さんとのことが公表できたからでしょ」

 そんな鳴坂の心中などあずかり知らぬ印南が、もっともらしい解釈を口にする。おまけに佐治と松崎までもが含み笑いを漏らしていた。

 当然ながら鳴坂はこれを否定はせず、肯定と受けとられるように照れ笑いで返す。下手にそんなつもりでなかった、などと弁解すればどこかからボロが出るか分からないからだ。

 鳴坂は、計画はここまで完璧に進んでいるはずだと考えていた。最終的に辻に全ての罪を着せおおせるかどうかは定かではないが、少なくとも自身が捜査の対象から外れるのは間違いない、こちらがヘマをしなければ逃げ切れると確信していた。

 したがって佐治と印南が小さく口笛を吹いて囃したててきても、それを止めるのは周囲が視線を浴びせてくるまで待つ。好意的な解釈もそのままにしておくことに決めていた。いま店にいる人間すべてを利用しようという魂胆だった。

「分かった。分かりましたから、二人ともそこまで。お客さんが見てます」

 鳴坂が入店したときも客や店員がほんの僅かの間ながら顔を覗きこんできたため、これらの話にも関心があるだろうと踏んだのだ。このときも静かに食事を摂りつつ微笑ましげな目を向け、また聞き耳を立てているのが雰囲気や素振りなどから分かった。

「ようやく認めましたね」

 その狙いは、三人にも向けられていた。思わぬ形で指摘を受けはしたが、そうであれば公私ともに順風満帆だとアピールする絶好の機会になる。鳴坂は印南が同じ話題を引っ張るのを咎めもせず、むしろ会話が途切れないようにそれとなく誘導すらしてみせた。

「ようやくも何も、この話をしたのは今日が初めてのはずだよ」

「そこまで照れなくてもいいじゃないですか。顔赤くしてそんなこと言っても説得力ないですって。嬉しいのは僕にも分かります。だって桐ケ谷さんを狙ってた人、たくさんいたんですから。ここでは名前出しませんけど、僕も結構な数の人が佐治さんに訊いてるの見たんです。連絡先知ってたら教えてくれとか」

 そこでちょうど料理を平らげた佐治が、名前を出されて再び話に乗ってくる。

「前はロクに挨拶しなかったくせに、萌ちゃんが出てきたとたん馴れ馴れしく話しかけてきたときはムカついたね。お礼に知らねえって答えてやったよ。ホントは知ってたけどな」

「ありがとうございます」

「多分、俺と同じように答えてた奴はいるだろ。手前勝手で都合のいい奴にあんないい娘は任せられねえってな。それに俺たち、他にも鳴坂くんの後押ししたんだから」

「どんなことをされたんですか?」

 さらにこのタイミングで、今まで黙っていた松崎が食いついてきた。ここにいる四人の中では現在の仕事に就いて最も日が浅い新顔であり、今日のような食事に参加しはじめたのもたった三か月ほど前のこと。それだけに佐治や印南ほどスムーズに話に入れなかったが、鳴坂と萌の関係についてもニュースや噂以上の情報を持ちあわせていなかったため、過去の経緯により強い興味を惹かれてようやく間に割りこんだといった印象だ。

 そうした状況を察したのか、佐治は後輩の松崎に嬉々として説明する。

「いや、鳴坂くんマジメなのはいいんだけど、この顔に似合わず仕事と最低限の身の回りのこと以外はてんでダメでさあ。まず萌ちゃんに気に入られたいけど、どうしようなんて俺に相談してくるんだよ」

「へえ、意外ですね。具体的にどんなことをアドバイスされたんですか?」

 松崎は心底面白そうといった風に顔を前に突きだしてくるも、鳴坂は同じように表情が緩むまでに一秒、二秒ばかりの間を必要としてしまう。少なくともあれは、当事者にとって単純に楽しかったという一言で済ませられる話ではない。

 あのときは真剣だったのだ。いち早く成功しよう、この業界で一流の仲間入りしようと努力するあまり、声と演技以外の全てをかなぐり捨てていた。顔と体型を整えたのも、ただ事務所の命令に従ったに過ぎない。そんな状態で本気で萌と付き合おうとしたものだから、何をどうすればよいかまったく分からなかったのである。理解していたのは、声優として名前が通っているだけで寄ってくる、たとえば辻のようなその他多数の女と同じ態度ではいけないことくらいだった。

「まずは髪型だったかな。だってあのときの鳴坂くんと来たら、仕事以外は頭の先から足元まで壊滅的だったんだもん。だからそこからだね」

「ホントですか? でも今はちゃんと」

「見られる形になってるよな。努力の結果だ」

「服だって散々だった。気が向いたときに量販店で同じようなのたくさん買って、ひどいときは色まで同じのを何着もまとめ買いして着回してたんだ。シャツとかズボンとか」

「ええっ、ウソですよね」

「ウソじゃないよ」

 それでも鳴坂は、佐治と松崎の掛け合いをいつの間にかにこやかな表情で眺めていた。あの時期は不安だらけで試行錯誤も多かったが、今なら笑って聞きながすことがきるからだ。

 以前は髪型のみならずファッションもプライベートでは無頓着そのものだった。舞台に立つときは言われたとおりに髪をセットして用意された衣装を着ればよく、メディアに出るときはスタイリストが同様に動いてくれたため服などに気を遣うという習慣がなかったのだ。逆に素顔で街を歩いても正体を覚られにくい分だけ、いい加減な服装の方が便利だとさえ思っていたくらいである。それを後悔する日が来ようとは考えてもいなかった。

「だいたいデートスポットだって、最初の頃は俺が手とり足とり指示してたんだよ。都内で仕事してんのに、どこに連れてったらいいのか分かんないって言うんだ」

 だからこそ、佐治が言うように恥も外聞もなく助けを求めたのだ。あのようなことは後にも先にも萌に接近しようとしたときだけだった気がする。悪い表現をすれば、当時は多少なりとも仕事を疎かにしていた。むろん鳴坂は真面目に声優業に取り組んでいたつもりだが、人間の体力には限界があり、幾らかでも他に注力すればそれだけ仕事に対して割ける分は自ずと減る。好意的に解釈すれば、鳴坂はそこまで萌に本気だったのである。

「鳴坂さん、よかったですね」

 佐治の手柄話をひととおり聞いた松崎は、目を輝かせている。この集まりに松崎を加えたときにはすでに萌との交際はかなり進んでおり、なおかつその事実はごく一部の関係者が知るのみという状態だったこともあって、意図しない形で情報が漏れないように佐治も印南もあえて話題にしなかったからだ。初耳ゆえに自然な反応だろう。

 いや、それは印南も大して変わりないと見える。何しろ印南が鳴坂のもとへやってきたのも、萌と交際をスタートさせた後だったのだから。

「僕もよかったと思います。けど佐治さん、何でこんな面白い話、今までしてくれなかったんですか? デートまわりのことは知ってましたけど、鳴坂さんがそんなズボラだったっていうの、初めて聞きましたよ」

 萌との交際を印南が知ったのは、元はといえば佐治が口を滑らせたせいだ。そこに印南がちょっとした疑念を抱き、詰問された鳴坂が黙秘を条件に事実を認めたのである。鳴坂が印南を贔屓にしはじめたのには、前述の理由のほかに噂が広がるのを防ぐ目的もあった。

「ま、あんまり大きな声で言えなかったからな」

「それは分かりましたよ。でも今の話だと、鳴坂さんが桐ケ谷さんとうまくいったのが佐治さんひとりのおかげだって誤解しますよ。松崎さんの前で、手柄ひとり占めしようとしてません?」

 ゆえに松崎よりは事情を知っている印南が、ある種の嘘を指摘する。

「いや、そんなつもりはないよ。ただ、分かりやすく説明しようとしただけで」

 それからすぐさま痛いところを突かれた佐治が弁解しようとすると、松崎が口を差しはさむ。

「他にも誰か協力した方がいたんですか?」

 これに印南がすかさず答えた。

「うん。小島さんって人で、ちょうど松崎さんと同じ女性でアニメーターの」

 思わぬ形で意外な名前を耳にした鳴坂は、視線を宙に向ける。小島は作画現場と繋がりを持つ目的で、鳴坂がかつてこの集まりに声をかけていた仲間の一人だ。その後任者に当たる松崎が、ふと物思いに耽る鳴坂をよそに印南の方へと身を乗りだしていく。

「名前だけはお聞きしてます。私の先輩に当たる方ですよね」

「そうそう。僕より先に鳴坂さんや佐治さんと一緒に仕事してたんです。さっき、佐治さんがデートスポットを教えただなんて言ってましたけど、小島さんと一緒に、という方が正しいです」

「そうだったんですか。お会いしたかったなあ。今は何をされてるんです?」

「飲食店、って言えばいいのかな」

「ぜんぜん違う仕事ですね」

「絵は上手かったし、仕上げるのも早かったんですけど、いきなり別のことやりたいって言いだして」

「ご自分でお店を立ちあげたんですか?」

「いや、従業員として働いてるんです。でもさっきの話を聞いてると、髪型やファッションのアドバイスこそ佐治さんじゃなくて小島さんの方がメインでしてたんじゃないかって気がする」

 佐治の助力も皆無ではないにせよ、おおむねその通りだった。萌と関係を深めるにあたって小島の存在は大きく、なんど頭を下げたか分からない。小島がいなければ、萌が他の誰かに取られていた可能性は大だ。アニメーターを辞めて半年が経った今でも深く感謝している。本人の意向ゆえ如何ともしがたい部分があったとはいえ、もしこの場にいたらさぞ楽しい話ができただろう。

 そう鳴坂が小島の顔を頭に思い浮かべる隣で、佐治がごまかしがてらに額を掻く。

「うん、たしかに髪型に関しては小島ちゃんがあれこれ指導してたかな。ファッションも俺と……いや、こっちも小島ちゃんがメインだったか」

「ほら、やっぱり」

「ただね、鳴坂くんが萌ちゃんと一緒になれたのに一役買ったのは確かだから、ご祝儀ちょうだい」

「ちょっとそれは勘弁してください。いろいろ出費が嵩んでいて……だいたい佐治さん、結構お給料もらってますよね。僕だってそれくらい知ってるんですよ」

 その佐治が印南の追及を避けつつ話を振ってくるのをやんわりと退け、鳴坂は時計を見た。

 周囲へのアピールはこれくらいでいいだろう。もしかするとまたあの刑事が自身の近辺を嗅ぎまわるかも知れないが、目の前の三人を含め、今ここにいる客や店員に接触したところでどうということはない。皆が口を揃えて鳴坂の様子はいつも通りだ、順風満帆そのものだと答えるはずだ。

「さ、もう行きましょう。あんまりのんびりしてると午後の収録に遅れちゃいます」

 鳴坂はそこで話を終わらせると、皿に残っていたライスとルウをさっと掻きあつめて喉の奥に流しこんだ。

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