八 これでも職務専念中 ②
「また、他にもウラのとれたアリバイがありました。当日の二十時二十二分と二十時二十六分に、アニメ制作会社〈S・Kスタジオ〉の印南さんというADの方に自宅の固定電話で連絡をしています。さらに日づけが変わって一時七分に、若葉台駅構内のコンビニを利用しています。どちらも鳴坂さん本人を見たとの証言がありました」
「電話してからSNSを発信するまでがおよそ三時間……いや、死亡推定時刻が二十三時台だからこっちの線はないな。とすると事件当時、自由だったのはSNSを発信してからコンビニを利用するまでの一時間半弱か。たったそれだけの間に都内の六つものホテルで人を殺してまた帰ってくるなんてのは無理だ。鳴坂に犯行は不可能だと見ていいな」
「はい。逆に辻さんのアリバイはないか、鳴坂さんからの頼みもあって調べてみたのですが、こちらは確認できておりません。SNSの発信も時刻が翌日に替わって一時台でしたし、六名が殺されたときにどこか別の場所にいた証明にはなりませんでした」
「何か発信してたのか?」
「私から色々とご説明させていただく前に、こちらをご覧いただいた方がお分かりいただけるかと思います。なお内容は先ほどと同じ作品、同じ放送回の別の部分になります」
そしてパソコンの画面に目をやりながら、今度は二つの動画を同時に再生する。どちらも事件当夜の回で放送された、先ほどは画面に出てこなかった少女の入浴シーンだ。双方ともにアングルやシークエンスは一緒で、初めの頃だけは完全に同じ映像のように見える。
しかし少し経つと、誰の目にも分かる決定的な差異が現れはじめた。
それは湯気の有無だ。片方では湯気は画面の下方に留められ、少女の裸体が惜しげもなく描写されているのに対し、もう片方では画面のほとんどが湯気で覆われ、見えるのはせいぜい少女の首から上といった状態になっている。
「両者の違いは何かというと、規制の有無です。CSで放送されたオリジナルの映像は湯気が少ない方ですが、地上波ではこのように裸体が隠されております。理由は、もうご説明した鳴坂さんの件と同じですね。
ただ、そちらとはまた別の相違点もあります。何かというと地上波版での規制の抑制方法です。先ほどの方はシーンを丸ごと差し替えていましたが、こちらは映像の一部を加工するという方法をとっています。
辻さんのSNSの発信というのがズバリこのシーンに関する内容で、他の回には触れていないのですが、幸いこれには言及がありまして」
ところが能登は、そこで眩暈を覚える。この感覚は何だ?
「どうした?」
途中で言葉を止めたせいか、平越が怪訝そうに顔を眺めてくる。
能登は平衡感覚が戻ったのを確かめ、一度、二度と瞬きをした。異常の原因は分からない。疲労による一時的なものかも知れなかった。何にせよ、上司を待たせまいと話を先に進める。
「すみません。その文面は具体的にこちらです」
それからパソコンの画面を差ししめし、SNSの該当部分を表示させた。そこには次のようにある。「残念! 明乃ちゃん、湯気で全身丸っきり見えませんでした! #桃色学園でハーレムを」
「明乃というのは先ほどからお見せしているこの女性キャラクターの名前です。他の放送回を含めても湯気を伴って描写されているのはここだけですから、ほぼ確実にこのシーンを指していると考えてよいでしょう。つまり辻さんが観ていたのはこの作品のCS版ではなく、五日前に放送された地上波版だったことになります」
「よく分かった。ただなあ、これ大丈夫なのか? いま画面に出てた女の子、ずいぶん幼く見えたけど、深夜アニメってだいたいこんなものなのか?」
「係長の今のご指摘がときに懸念材料となるからこそ、地上波放送では湯気で見えなくしているわけでして。仮にその点を不快に感じられる方がいても、彼女は立派な成人女性という設定がなされており、作中でもそうした描写が幾つもありますので問題はないと思われます」
「なるほどな。とは言っても何だか詭弁や屁理屈みたいで釈然としないんだが……」
「そもそも実在の人物ではなく、フィクションのアニメ作品に登場するキャラクターです。そこまで神経質になられる必要はないかと」
「うむ、そうか。そこまで力説するなら、まあいい。とにかくでかしたぞ」
いよいよ鳴坂の容疑が外れたためか、平越は先ほどよりさらに大きな喜びの声をあげる。上層部からよほど強い圧力をかけられていると見え、そこかから解放されるのがよほど嬉しいのだろう、続けざまに能登の背中を二度、三度と叩く。
とはいえ、能登としては喜んでばかりもいられない。
「ただし、気がかりな点が。ご存じのように、あの遺書からは指紋がいっさい確認できませんでした。その理由がどうにも説明できません。鳴坂さんに犯行は不可能だとしても、だからといって辻さんを犯人とするとそこが不自然なのですが」
そうした鑑定結果が、鳴坂にアリバイの有無を確認した直後に出ていたのである。これは捜査関係者に驚きをもって伝えられ、様々な憶測を呼んだ。その際に最も多かったのが、もし本当に自殺なら指紋がついているはずだとの意見だった。能登も同じ内容の見解を平越の前で述べている。
「そうだな。ただ、辻が正常な判断を失っていた可能性もあるんじゃないのか? 鳴坂自身も辻の好意に甘えていた、そう話してたんだろ? 辻からしても鳴坂に尽くしたい一心で行動を起こしたわけだが、同時に未練もあった。そのため捜査を攪乱するのか、それともはっきり自殺の意思を表明するのか決めかねたまま遺書だけ用意して、結果的に指紋をつけない形になったとも考えられる。
それにこの間、報告があったはずだ。辻はバイト先でシステムにアクセスする権限を使って履歴を改竄し、二月三日の夜、客として施設を利用したように偽装している。飛ばしのスマホの方には辻の指紋も確認できた。しかもそこからの電話も、辻のバイト先がある新百合ヶ丘駅前からかけられてた。ご丁寧に六人それぞれ週に一度、合計二回ずつだ。もし辻が犯人でないとしたら、そっちの方が説明がつかない」
「係長の仰るとおりだったのか、あるいはまだ我々が当たりをつけていない人物がいるのかも知れません。たとえばそうですね……かねてからあの六名を憎んでいたところに辻さんから相談を受け、殺人を実行した後に口封じのため毒殺した。その場合、そういった人物が例の個室バルに足を運ぶ必要はなくなります。さも味方のように装い、栄養剤だとか身体によい薬だとか謳って錠剤にしたものなどを飲ませればいいわけですから。
もちろん、これは何の根拠もない私の想像です。実際に誰がいるのか、どんな経緯でそうなったかは捜査してみなければ分かりません。もっとも、それらしい人物はアルバイト先の同僚くらいしかいないわけですけれども」
辻が所有していたスマートフォン、および自宅に設置されていたデスクトップパソコンの中身は、すでに能登らの間で把握している。しかし紙資料に落としこまれたアドレス帳やアプリへのアクセス履歴など一連のデータをこうして手に取って眺めてみても、今しがた口にしたような相手の電話番号、Eメール、SNSアカウントしか確認できない。内容も大体が事務的なもので、まれに遊びの予定や待ち合わせのやりとりがあるくらいだ。
「可能性としてはその程度だろうな。アルバイト先の同僚か責任者に犯人がいてもおかしくはない。その人物が六人と顔見知りだったとすれば、遺体に抵抗の形跡がなかったのにも説明はつく。あるいは辻も共犯者かも知れん。どっちにせよ辻のアドレス帳に名前があった人物はもっと詳しく調べてみた方が良さそうだ」
そのうえ、ひそかに期待していた線も頼りにならなさそうなのである。
「はい。ホテルの予約に使われたEメールは捨てアドレス、かつ発信元も入室時身分証なしの漫画喫茶でしたので、店舗に照会をかけていますが当てになりません。そこから誰か浮かんでくればとは思いますけれども、防犯カメラが生きているかどうかも分かりませんし、顔を隠しているかも知れませんし……。ですので、そちらに賭けるしかないかと」
「同感だ。だがそれだけでは心許ないから、そうだ能登、悪いがもういちど辻の自宅を捜索してくれ。この間、出てきたのは遺書だけだが、念のため他に何かないか確かめておいて損はない」
平越の指示は思いつきの部分が大きいものの、ひとまずは納得のできる内容だ。正確にはそれくらいしか選択肢がないといった方が正しいのだが。
ふと何の気なしに鳴坂の名前を探してみても、見つかるのは電話番号のみ。当然、履歴に残っているやりとりも電話だけだ。ここ一か月の通話の回数が少しばかり多いといっても、毎週というほどではない。辻がどう考えていたかは別にして、鳴坂はさほど深い関係とは捉えていなかったのだろう。
能登はそう考え、平越の顔を見あげながら頷いた。
「はい」
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